『老学者アルバスと忘れられた言葉』 - 1
今回は、人生の最後の旅に挑む、老学者アルバスの旅。
フィンが王都を去ってから、再び季節は巡り、木々が最後の輝きを放ってはらはらと葉を落とす、晩秋の頃となっていた。東門の噂は完全に定着し、今やヨハンの前には、彼に見送られるために列をなす者さえいる。だが、ヨハンは変わらない。彼はただ、一人ひとりの旅人の顔を見て、その旅が実りあるものになるように、静かに祈るだけだった。
その日、列の最後に並んでいたのは、一人の老人だった。
枯れ木のように痩せた身体。深く刻まれた皺。時折、乾いた咳がその小さな背中を揺らす。どう見ても、長旅に耐えられるような人物ではなかった。だが、ヨハンの目を引いたのは、老人が背負う真新しい革の背嚢だった。それは、硬く分厚い書物で、はちきれんばかりに膨らんでいた。まるで、知識そのものを背負っているかのようだ。
老人は、ヨハンの前に立つと、ぜい、と一つ息をついてから、言った。
「門番殿、ですかな。噂はかねがね」
「いかにも。……しかし、先生。そのお身体で、どちらまで?」
ヨハンは、老人の知的な顔つきと、その背負うものから、彼が学者であると見抜いていた。
「南西へ。地図には載っておらん、忘れられた山村を目指すのです」
老学者――アルバスは、咳き込みながらも、その瞳だけは、老いることを知らない探求者の光を宿していた。
「我が人生、最後の、そして最も重要な旅でしてな」
彼は語った。かつて王宮書庫の書庫長だったこと。七十年以上を、古文書の解読に捧げてきたこと。そして、王国の未来を左右するという、一つの古代予言の存在を。その予言はほとんどが解読できたが、最後のたった一行だけが、誰も知らない「忘れられた言語」で記されており、意味が分からないのだという。
「私は、その言語を話せる最後の民が、その山村にいるという僅かな記述に、生涯を賭けているのです」
アルバスは、背嚢を愛おしそうに撫でた。その中には、彼の人生そのものが詰まっているのだろう。
ヨハンは、彼の旅が、これまでの誰とも違う種類の、過酷なものになることを悟った。敵は魔物や盗賊ではない。彼自身の、限られた時間と、衰えゆく肉体そのものだ。
だが、その瞳には、絶望の色はなかった。あるのは、真実を求める者だけが持つ、静かで、揺るぎない情熱だった。
ヨハンは、深く、敬意を込めて言った。
「先生。あなたの叡智が、求める光を見つけ出さんことを、心から祈っております」
「……かたじけない」
アルバスは、短くそう言うと、満足そうに頷いた。
「いってらっしゃい。お身体、どうかお大事に」
アルバスは、一歩、また一歩と、確かめるように大地を踏みしめ、南西へと向かう道を歩き出した。その背中は小さく、頼りなかったが、決して折れることのない、巨大な意志の塊のようにヨハンの目には映った。
その姿が街道の彼方へと消えた後、ヨハンの脳裏に、いつもの声が響いた。
《スキル【見送る者】が発動しました。対象者アルバスに、祝福『携える羊皮紙の文字が、ほんの少しだけ読みやすくなる』を付与しました》
ヨハンは、ふっと息を漏らした。
なんと、彼らしい能力か。
ヨハンは、アルバスが向かった空を見上げた。彼の旅が、失われた言葉に光を灯し、その知識が未来へと受け継がれていくことを、彼は静かに願っていた。旅とは、必ずしも前に進むだけではない。過去へと遡る旅もまた、等しく尊いのだと、彼は思った。




