『詐欺師フィンと空っぽの財布』 - 3
老婆は、フィンの申し出をすぐには受け入れなかった。ただ、そのいぶかしげな瞳で、頭を下げ続けるフィンの姿をじっと見ていた。やがて、重いため息を一つつくと、「……物置の掃除でもしておくれ」とだけ言って、彼を家に入れた。
その日から、フィンの奇妙な奉公が始まった。
彼は、かつて人々を騙してきたその口を固く結び、ただ黙々と働いた。埃まみれの物置を片付け、壊れていた扉の蝶番を直し、ひびの入った窓ガラスを廃材で塞いだ。夜、一人になると、リリィの顔が浮かんだ。「あんた、不器用なんだから」と、昔、料理に失敗した自分を笑った彼女の声が聞こえる気がした。そのたびに、フィンは唇を噛みしめ、翌日はもっと懸命に働いた。これは、リリィとの、声なき対話だった。
老婆は、そんなフィンに何も言わなかった。ただ、毎日、黙って質素な食事を出してくれた。
ある日、フィンは老婆に頭を下げた。
「奥さん、俺にパンの焼き方を教えてくれませんか」
老婆は驚いた顔をしたが、やがて、こくりと頷いた。
フィンは、老婆に教わりながら、不格好なパンを焼いた。それは、彼が生まれて初めて、自分の手で、誰かのために作り出した、偽りのないものだった。
フィンが修理した店先に、香ばしいパンの匂いが漂い始めると、町の人々が一人、また一人とパンを買いに訪れるようになった。フィンは、かつての弁舌を、今度はパンを売るために使った。子供にはおまけをし、老人には世間話で笑わせる。その言葉に嘘はなかった。店は、少しずつ、かつての活気を取り戻していった。
数ヶ月が経ち、店がすっかり軌道に乗ったある日、フィンは旅支度を整えた。彼のやるべきことは、終わった。
「奥さん、世話になりました。俺は、もう行きます」
老婆は、彼の言葉を静かに聞いていた。そして、焼き立てのパンを一つ、布に包んで彼に手渡した。
「……そうかい。達者でな」
フィンがそれを受け取り、深々と頭を下げて去ろうとした、その時だった。老婆は彼の背中に、穏やかな、しかしどこか芯のある声をかけた。
「……お前さん」
フィンが、振り返る。
「前から言おうとおもってたんだがね。なんだってそんな汚い格好してんだい? 初めてここへ来た時は、もっと小綺麗な格好してたじゃないか」
フィンの身体が、凍りついた。
老婆ははじめから、全て知っていたのだ。自分が、彼女から全てを奪ったあの詐欺師であることを。
「……あんたのせいで、こっちはすっかり忙しくなっちまったんだ。また秋の収穫祭の頃にでも手伝いに来ないと、承知しないよ」
老婆はそう言うと、そっぽを向いて戸口の掃除を始めてしまった。
フィンの口元に、彼自身気づかぬうちに、生まれて初めてのような、本物の笑みが広がっていた。
「……へへ。そん時は、とびきりの土産話を、持ってきますよ」
彼はそれだけを言うと、今度こそ軽い足取りでその場を後にした。




