『詐欺師フィンと空っぽの財布』 - 2
王都を出たフィンは、まず、かつて自分が口八丁で「魔法の壺」を売りつけた裕福な商人へと会いに行った。立派な屋敷の扉を叩き、出てきた主人に、フィンは深々と頭を下げた。
「この度は、まことに申し訳ありませんでした。これは、あの時の代金と、ほんの気持ちばかりの慰謝料です」
そう言って、ずしりと重い金の袋を差し出す。だが、主人はその袋を一瞥すると、冷たく言い放った。
「今更なんだ。……二度と、俺の前に顔を見せるな」
ピシャリ、と扉は閉ざされた。フィンは、差し出した金の袋を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。
(……だよな。分かってたさ)
彼は自嘲気味に呟くと、重い足取りでその場を去った。金で罪が消えないことなど、彼が一番よく知っていた。何故なら、彼はその無力さを、つい最近、骨の髄まで味わったばかりなのだから。
―――半年前、フィンにはリリィという相棒がいた。彼女は、フィンの嘘を真実であるかのように彩る、最高の舞台装置だった。二人の連携は完璧で、どんな相手からも大金を巻き上げることができた。フィンは、この稼業に何の罪悪感も抱いていなかったし、リリィもそうだと思っていた。金さえあれば、自由になれる。そう信じていた。
最後に手掛けた大きな仕事が、あの街道沿いの町の、小さなパン屋だった。人の良さそうな老婆から、なけなしの貯えを根こそぎ奪い取った。あまりにも簡単な仕事だった。
だが、その直後、リリィは病に倒れた。
原因不明の熱病。フィンは、二人で稼いだ大金を惜しみなく使った。王都一の名医を呼び、高価な薬を湯水のように与えた。だが、リリィの容態は、日に日に悪化していくばかり。金は、何の役にも立たなかった。
死を目前にしたリリィは、熱に浮かされながら、何度もフィンの名を呼んだ。
「……フィン。……あのパン屋のお婆さん……あんなこと、するんじゃなかった……」
それが、彼女の最後の言葉だった。
フィンは、初めて無力感を味わった。人を騙すための舌も、大金を稼ぐための策略も、愛する一人の命の前では、何の価値もなかった。リリィの亡骸を前に、彼は、自分がこれまで信じてきたもの全てが、砂上の楼閣であったことを思い知ったのだ。
彼の贖罪の旅は、彼自身のためではない。リリィの、最後の言葉に応えるためのものだった。
次の町でも、その次の町でも、結果は同じだった。金を受け取る者などいない。罵倒され、追い返され、時には殴られた。そのたびに、彼はリリィの苦しげな顔を思い出す。財布は少しも軽くならないのに、心だけがすり減っていく。
そんな旅の果てに、フィンは、あの寂れた街道沿いの町にたどり着いた。
リリィが、最期まで気に病んでいた場所。
町の入り口にあるパン屋は、彼の記憶にあるよりも、さらにみすぼらしくなっていた。店の看板は色褪せ、窓ガラスにはひびが入っている。固く閉ざされた扉が、彼の罪の重さを物語っていた。
―――どうする。金を返せば、リリィは喜ぶか?いや、違う。この光景を見れば、彼女はもっと悲しむだろう。
彼は、店の裏手にある小さな住居の扉を、叩くことができなかった。
あの門番の言葉が、脳裏をよぎる。
『道中、あんたが、金では買えない、本当の宝物を見つけられるといいな』
金じゃない。金では、何も解決しない。ならば、俺が差し出せるものは、他に何がある?
フィンは、自分の両手を見つめた。人を騙すことしかしてこなかった、この手で。
決意を固めた彼はまず川辺で顔を洗い髪をわざと乱した。そして旅で汚れた外套のフードを深く被り、その顔が影に沈むようにした。かつて人々を欺いてきたその顔を、完全に消し去るために。
それから彼は再びパン屋の裏手の扉の前に立った。
コン、コン、と扉を叩く。
しばらくして、中から、しわがれた声がした。
「……どなたかね」
扉が、ぎぃ、と音を立てて少しだけ開く。隙間から、いぶかしげな老婆の瞳が覗いていた。
フィンは、深々と頭を下げた。決して、顔を上げなかった。
「……旅の者です。一晩の宿と、食事を恵んではいただけないでしょうか。その代わり、何でもします。力仕事でも、掃除でも、何でも」




