『老冒険者バルドと泥だらけの盾』 - 1
王都の東門に吹き付ける風は、どこか焦燥感を帯びた乾いた熱を運んでくるようになっていた。
魔王軍の侵攻が、辺境で本格化している。
ここ最近、東門を通過する人々の流れは完全に逆転していた。王都から外へと旅立つ者は激減し、代わりに、辺境から逃れてきた避難民や負傷兵たちの姿が、門の前に列をなすようになった。
泥にまみれた家族。血を滲ませた兵士。
門番のヨハンは、そんな光景を前にしても決して顔を背けることはなかった。
いつもと同じ場所に立ち、逃げ延びてきた者たちを迎え入れ、そして、こんな状況でもあえて外へと向かおうとする数少ない者たちの背中を、静かに見送っていた。
その日の夕暮れ前。
避難民の波をかき分けるようにして、場違いな金属音を響かせながら進み出てきた男がいた。
「どけ! 俺を通せ!」
しゃがれた声だった。
男は、全身に豪奢な金細工が施された、分厚い装飾鎧を着込んでいた。腰には、宝石が埋め込まれた派手な魔法剣を帯びている。
だが、その中身は白髪の混じった初老の男だった。酒焼けした赤い顔。重い鎧のせいで、歩くだけで息が上がっている。
「おい、お爺さん! ちょっと待て!」
警備にあたっていた若い衛兵が、慌てて彼を引き留めた。
「今、外は魔王軍の尖兵がうろついていて危険だ。そんな重そうな鎧でまともに歩けもしない老いぼれが、死に行く気か!」
「なんだと!? 莫迦を言うな!」
男は、衛兵の手を乱暴に振り払った。
「俺を誰だと思ってる! 『双牙のバルド』だぞ! 三十年前、この王都で俺の名前を知らないモグリはいなかったんだ!」
若い衛兵は困惑した顔をした。
三十年前の冒険者の名前など、知る由もない。
ヨハンは定位置から静かに歩み寄り、衛兵の肩を叩いた。
「ヨハンさん、この爺さん、無茶苦茶で……」
「いい。俺が代わる」
ヨハンは、息巻く老冒険者と正面から向き合った。
バルド。確かにヨハンも覚えがあった。
かつて、名声と富を求めて何度もこの門をくぐり抜けていった凄腕の冒険者だ。
だが、その栄光の代償として、彼は家庭を顧みなかった。妻は孤独のうちに病死し、愛想を尽かした一人娘は、逃げるように辺境の村へと嫁いでいったはずだ。
「……あんた、そんな重い鎧でどこへ行く気だ?」
ヨハンの静かな問いに、バルドは血走った目で叫んだ。
「ルリエンの村だ! あそこには、マリアが……俺の娘がいるんだ! 絶縁されちまったが、俺がこの剣で魔物を倒して村を救えば、あいつも俺を見直すはずだ! 俺がまだ偉大な英雄だってことを、証明してやるんだよ!」
まくしたてるバルドの言葉は、酷く上ずっていた。
ヨハンは、彼の全身をくまなく観察した。
かつての栄光を証明するためだけの、無駄に豪華な装飾鎧。身の丈に合わない魔法剣。そして、その重さに耐えかねて震えている老いた足。
その虚勢と見栄で塗り固められた重い鎧が、老いた彼にとって命取りになることを、ヨハンは予感していた。
「……通っていいぞ」
だが、ヨハンは通行証に刻印を打ち、淡々と返した。
「ふん。分かればいいんだ」
バルドはひったくるように木札を受け取り、重い足取りで門をくぐった。
ヨハンは、その不格好な金色の背中に向かって、静かに声をかけた。
「祈っているよ。あんたのその背中が、大切な者を守る一番の盾となることを」
バルドの肩が、微かに震えた。
彼は何も答えず、重い金属音を響かせながら、夕闇が迫る西の街道へと歩みを進めていった。
《ピーン!》
《スキル【見送る者】が発動しました》
《対象者バルドに、祝福『纏う防具が、ほんの少しだけ軽く感じるようになる』を付与しました》
澄んだシステム音が、ヨハンの脳裏に響く。
あの老冒険者が、いつかその身を縛る虚勢という名の鎧を脱ぎ捨てることができるのか。
ヨハンはただ、土煙の中に消えていく不器用な父親の背中を、静かに見送っていた。




