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書籍化:門番の俺、スキル【見送る】でいつの間にか国を救っていた件  作者: 堀籠遼ノ助(ほりこめりょうのすけ)
第二部 第四章

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歴史学者エラーラと禁じられた発掘 - 8

「……血の匂いだ」


 レノーアが短く告げた。

 エラーラは立ち上がり、テントの入り口をくぐった。

 外は静まり返っている。風の音すらない。

 だが、隣に張られたマーティンのテントから、鉄錆のようなひどく生臭い匂いが漂ってきていた。


 エラーラは息を詰め、テントの布をめくった。

 背後には、音もなくレノーアが続いている。


 ランプの薄明かりが照らす、狭い空間。

 そこに、マーティンが仰向けに倒れていた。

 司祭の法衣は、胸元から広がる赤黒い染みに覆われている。目を見開いたまま、その胸はわずかな上下動すらしていなかった。床には血の海が広がっている。


 その傍らに、小柄な人影が立っていた。

 右手に握られた一本の小刀から、血の滴が落ちている。


「クラリス……さん……?」


 エラーラは呆然と声を漏らした。

 血まみれの小刀を持つ少女は、ゆっくりとこちらを振り返った。

 彼女は、にっこりと天使のように微笑んでいた。


「こんばんわ、エラーラさん。今そちらに伺おうかと思っていたところなんです」


 いつものおどおどとした声ではない。

 ひどく落ち着き払った、気品すら感じる声だった。


「どうして……あなたが、マーティンさんを」

「教会の規定です。罪深き魂が真実という光に焼かれる前に、救済を与えました」


 クラリスは、血で汚れた刃先を指でそっと撫でた。


「急に『正義』なんて言い出されては、困りますから。……そして、あの壁画を見てしまった貴女にも、救済が必要です」


 クラリスが動いた。

 姿がかすんだ、と思った刹那。

 鋭い小刀の刃先が、すでにエラーラの喉元に触れていた。


 キンッ。


 硬質な金属音が、テントの中に響いた。

 火花が散る。

 エラーラの目の前で、レノーアが抜剣し、クラリスの小刀を受け止めていた。


「下がるんだ、学者殿」


 レノーアが剣を押し返す。

 クラリスは表情一つ変えない。天使のような微笑みを浮かべたまま、ふわりと後方へ跳躍した。

 引き裂かれたテントを抜け、二人は月明かりに照らされた遺跡の広場へと着地する。


 クラリスの歩法には、一切の音がなかった。

 歴史学者として、文献で読んだことがある。アイオン教会が暗部に叩き込む、特殊な暗歩の技術だ。


「気をつけろ。本職だ」


 レノーアが剣を正眼に構え直す。

 クラリスが再び踏み込んだ。

 ただの黒いブレにしか見えない速度。

 狙うのは顎の下、耳の後ろ、頸動脈。急所のみを正確に狙う、恐るべき小刀の連撃。

 レノーアは長剣の軌道を読み、最小限の動きでそれを逸らし、反撃を叩き込む。

 金属と金属が激突する轟音が、連続して夜の遺跡に響き渡る。


 エラーラは、その攻防を見て戦慄(せんりつ)した。

 クラリスから、魔力の波長が一切感知できないのだ。

 人間の肉体構造だけで、(いにしえ)のエルフの速度と重圧を(しの)げる道理がない。確実に魔力による高度な身体強化を行っているはずだ。

 なのに、その波長が一滴も外に漏れていない。異常なまでの魔力隠蔽。


「……何を隠している」


 レノーアが低く唸《うな》った。

 鍔迫(つばぜ)り合いの中、エルフの瞳が細められる。


「化けの皮を()がしてやる」


 レノーアの長剣の刀身に、淡い光が収束していく。

 魔力による身体強化と、剣への属性付与。古のエルフが放つ、圧倒的な暴力だ。

 レノーアが地を蹴った。

 石畳が砕け散る。

 音を置き去りにした一撃。


クラリスは(かわ)せない。

 彼女は咄嗟に左腕を盾にするように突き出した。


 凄まじい斬撃の音が響く。

 レノーアの剣は、クラリスの左肘から先を、抵抗もなく一気に切り飛ばした。


 舞い上がる鮮血。

 宙を舞う、彼女の手首。

 エラーラは悲鳴を上げようとして、喉が震えた。

 だが、クラリスは顔色ひとつ変えなかった。

 彼女はそのまま、斬られたばかりの左腕の断面を、切り離された右手に持たせた。


 その瞬間だった。

 彼女の全身から、溢れんばかりの魔力が解放された。


 それは、夜の闇を白く塗りつぶすほどの、神聖な輝き。

 眩い光が、切断面を包み込む。

 まるで最初から何もなかったかのように、切り離された腕が、音もなく本体へと「吸着」されていく。

 血管が繋がり、筋肉が編み上げられ、皮ふが再生する。

 一秒にも満たない時間の出来事だった。


 土煙が晴れる。

 そこには、五本の指を滑らかに動かし、再び小刀を構えるクラリスの姿があった。

 傷跡ひとつ、残っていない。


 だが、エラーラは見た。

 レノーアの動きが、完全に凍りついているのを。

 振り抜いた剣の姿勢のまま、彼女は目の前の少女を、射抜かれたような目で見つめていた。


「……あ」


 レノーアの声が、震えている。

 これまでの冷静なエルフの戦士とは、かけ離れた動揺。


「その……魔力の質……。嘘だ」


 レノーアの声は、これまでの冷静なものとは違っていた。

 決定的な動揺。


「その魔力の波長……どういうことだ。……なぜお前から彼女の魔力を感じる(・・・・・・・・・)?」


 クラリスは答えない。


 カラン、と。

 乾いた音が、遺跡の広場に響いた。


 レノーアの右手から、長剣が滑り落ちていた。

 石畳に落ちた刃が、鈍く光っている。

 レノーアは拾おうとしない。ただ呆然と立ち尽くし、唇を震わせていた。


 ガラスがさらさらと落ちるような音がした。

 治療魔法で維持しきれなかったのだろう、幻影魔法の解除音だ。


 その下から現れたのは、質素な修道服ではなかった。

 純白の、清廉な法衣。

 そして、月光を反射して怪しく光る、血のように赤い瞳。


 その装束と瞳の色に、エラーラは息を呑んだ。

 歴史書や教会の噂で、その特徴を持つ人物を一人だけ知っている。


(まさか、アイオン教会の聖女……?)


 だが、思考が追いつかない。

 なぜ、教会の象徴たる聖女が、自ら暗殺者のように血を流しているのか。


「答えろ! なぜ、お前からあの子の魔力を感じる! ……まさか、あなたなの?」

「あら。記憶のロックが外れたの? これは困りましたね」


 純白の法衣を着た女は、心底おかしそうに首を傾げた。

 そして、小刀を収めると、まるで精巧な彫刻が動くような優雅さで一礼した。


「お初にお目にかかります。アイオン教会から参りました、セラフィナと申します」


 天使のように微笑むその姿に、エラーラは背筋が凍るのを感じた。


 セラフィナの足元に、魔法陣が展開する。

 転移魔法だ。


「待て……!」


 レノーアが、弾かれたように手を伸ばした。

 足がもつれ、地面に膝をつく。それでも、すがるように叫んだ。


「待ってくれ……! お前は……!」

「また会いましょう、レノーア」


 光と共に、セラフィナの姿はかき消えた。

 虚空を掴んだレノーアの手が、行き場を失って止まる。

 後には、夜風と静寂だけが残された。

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