雪平鍋
銀の鍋に、白菜と豚肉が敷き詰められていく。均一に切られ、規則正しく敷かれ、鍋には薄緑と薔薇色の層が生まれ、気品を漂わせ、鎮座している。
鍋の面積のほとんどがその層で埋まってきた。すると、敷き詰めていた男は、きゅっきゅっと白菜たちを寄せ、空いた隙間に更なる層を差し込んでいく。
やがて、鍋いっぱいに白菜と豚肉が詰められた。銀の鍋の中、犇めく鮮やかな二色の層。男ははらはらと鰹節を散らし、おたまでそうっと白濁した鍋つゆを回し入れた。
「おー、ミルフィーユ鍋!!」
じっと見ていた女が感嘆の声を上げる。男は微笑みを向けると、カセットコンロに火を点けた。
チチチチチ……火が点くときの独特の音が、鍋を待つ沈黙を照らす。灯火のように。二人きりのこじんまりとした団欒が華やぎ始める。
男は、カーペットの上で順を待つように並ぶ調味料の瓶たちに手を伸ばす。まずは醤油。カップで計り、ボウルへ入れる。続いてレモン果汁。はちみつレモンなどを作るもののようだ。それを醤油より少し少なめに。最後にみりんを入れ、スプーンでゆっくりかき混ぜる。
「たーくんのポン酢だぁ」
「まあ、みりん入ってるから、本当は火を通した方がいいんだが」
「いいよいいよ。鍋の具くぐすんだし」
自家製ポン酢である。割合さえわかっていれば、わりとそれらしいものができるのだとか。
男は更に、大根をおろし始める。本当にまめなことだ。ざりざりと一定のテンポでおろされていく大根。その音は一種ASMRのようで心地よい。るんるんと耳を澄ましていた女が、ふと鍋に目をやった。
「そういえば、この鍋、蓋しなくていいの?」
「ああ。このままでも案外煮えるもんだぜ。それに、今回はあまり上に積んでないし」
「というか、そもそもこの鍋、蓋ついてるか怪しい設計だよね」
「気づいたか」
ここで「気づいたか」ということは、蓋がついていないということなのだろうか。
銀色の丸底の鍋。全体に鱗のような紋様があり、縁が少し外側に出張っている。持ち手すらないシンプルすぎる造り。
「アルミ鍋でな。造りがシンプルだから、嵩張らないんだ。何枚か持ってる」
ほら、と男は少し向こうの棚の一番下の戸を開ける。三つ四つほど、同じ鍋の姿があった。
「枚って数えるってことは……一枚の板から鍋にしてる感じ?」
「そうそう。だからまあ、あまり底は深くないが、二人くらいでつつくなら、ちょうどいいだろ」
シンプルなデザインでも、他の鍋に劣らないように工夫がされているんだ、と男は語る。例えば、この鍋の鱗模様も「綺麗だから」じゃなくて、熱伝導を上げるためにつけているんだぜ、と。
熱伝導の他にも、アルミニウムは合金にしたってあまり丈夫とは言えないから、叩くことで強度を上げているんだ。ほら、刀とかも、鍛えるときは叩くだろ、なんて言いながら、男はおろした大根を小皿に分け、女に差し出す。
たーくんは物知りだねえ、と感心する女。盛られた大根を箸で浅く掬うと、ぱくりと口に放る。鼻をつくような辛みのない、食べやすい大根おろし。
「んー、これ単体でも食べれるよお」
「はは、まだ鍋は煮えてないから、食いきるなよ」
なんて、噂をすれば、鍋はふつふつと音を立て始める。縁の白菜がふつふつと振動している。
鰹節の香りが漂い始める。ふんふん、と機嫌よく鼻歌を歌い始めた女が男に問いかける。
「アルミ鍋って多いよね。やっぱり熱伝導がいいから?」
「まあ、それもあるな。鉄鍋とかもあるけど、調理器具としての鍋は基本、軽い方がいい。普段使いなら特に。ほら、鉄鍋って重いだろ?」
「鉄って言われても、どれが鉄鍋かわかんないよ。まさか磁石くっつけて確かめるわけにもいかないでしょ?」
「それはそう。ほら、あれだよ。中華鍋。あれは大体鉄鍋だ」
「ああ、たーくんも持ってるね。あれは確かにくっそ重かった!」
まあ、チタン合金とかだともっと重いこともある、なんて差し込みつつ、男は説明を続ける。ふつふつとした煮立つ様子が、鍋全体に広がり始めた。
「それに比べたら、アルミって滅茶苦茶軽いの。んでもって安い。量産するなら、原材料が安いのは大事だ」
「確かに」
「その上で、熱伝導がいいから、アルミは鍋に最適ってわけ」
「ほえー」
あ、と女が何かを思い出したように立ち上がる。お茶取ってくる、と台所の方へ消えた。
鰹節の香りをミルキーな柔らかい匂いが包む。投入ミルフィーユ鍋である。鮮やかな薔薇色だった肉も白っぽくなり、ぎっしり詰まっていたミルフィーユたちは少し緩んで、白濁した鍋つゆで寛ぎ始めていた。
「お茶持ってきたよー。冷たい麦茶!」
「冷たいのはいいな。温かいものには冷たい飲み物合わせたい。温まるための鍋だけどさ」
「わかる! でも、焼肉屋で飲む麦茶と同じ感覚じゃない?」
「滅茶苦茶わかる」
空腹所以か、語彙がだいぶ溶けてきてしまった。女は持ってきたポットからお茶を注ごうとして止まる。
どうしたのだろう、と男が見ていると、悪戯っぽい光を宿した上目遣いが向けられた。片方だけ吊り上がった口角は、いかにも悪巧みをしているといった風合いだ。
「麦茶ハイ、する?」
「お、いいね。料理用に買ってる日本酒、使っていいぞ」
「やったー! あれ結構美味しいよね」
氷いる? いや、麦茶冷蔵庫から出したばっかだろ、なんて言葉を交わしつつ、酒と麦茶が注がれ、椀に具が取り分けられる。
「出来上がりはやーい」
「これがアルミの熱伝導だよ。待たなくていいのはかなり助かる」
ほかほかと鍋からも椀からも湯気が立つ。一緒にいるやつを待たせなくていいってのが、この鍋気に入っている理由だよ、たーくんやさしーい、なんて、賑やかに夜の深まりを二人は楽しんだ。