兌龍州の謀反の兆し
皆が一斉にその声がする出入り口を見るとそこに天龍王カサルアが居た。黄金の髪に金の瞳・・・光り輝くようなその姿を見た親子は、ぽかんと口を開いてしまった。誰なのか?と問うまでも無くその人物が国中の隅々にまで歓喜と共に伝え聞く天龍王だと一目で分ったが、その突然の邂逅に驚いたようだった。
「天龍王・・・」
渋い顔をしたラシードが嫌そうに、ぼそりと呟いたがカサルアはそれに構わず愉快そうな顔をした。
「ラシード、楽しそうな話に私も加えてくれないか?」
「王が出て来られるような件ではございません」
「確かに妹の恋人が浮気をしようと私には関係無いが――」
「しておりません!」
ラシードは直ぐにきっぱりと否定した。
「そうよ!しないわ!兄様は黙っていてよ!」
アーシアはプンと怒って兄を睨んだ。
「はははっ、怖いなぁ~でもね、そうは言っていられない状況なんだよアーシア」
「何か問題でも?」
ラシードの問いにカサルアは頷いた。
「偽者くんが地方で悪さをしても本物だと信じている人達はおいそれと此処まで訴えには行かないだろう?このご婦人方のように勇気ある行動を起こさないのが一般的だ。だから私達も噂ぐらいでしか聞こえて来ない。本当に何かあれば州公が上申して来るだろう。そこは昔と違って風通しの良い政をしているつもりだ。それなのに?と思わないか?」
「中傷的な噂ぐらい何処にでも転がっています。その様な些細なことに耳を傾ける必要はございません」
「酷い!あんまりよ!」
ラシードの冷たい言い方に娘は叫んだ。
「失礼、勇気あるお嬢さん。恋人以外には本当に冷たい男だからね。気分が悪いだろうけれどもう少し我慢して貰えるかな?」
カサルアから極上の笑みと共にそう願われた娘は、そわそわと落ち着きが無くなって頷いた。
「ありがとう、お嬢さん。ところで尋ねたいのだけどこの事を州公には相談しなかったのかな?」
「あ、あの・・・」
娘はカサルアに見つめられて思考回路が動かなくなったようだ。しかし、しどろもどろ話し始めた所にまた扉が開いた。ビクリと振り向いた親子は国内で一番審問を受けたくないと言われる人物を見た。
「私にもその話、聞かせて貰います」
銀の龍―――イザヤだ!
イザヤの登場にラシードの顔はもっと不機嫌になり、ラカンはうろたえてカサルアは天を仰いだ。その様子を見渡したイザヤが口を開いた。
「私に聞かせたく無い様子ですね」
シンと静まり返っている中で、カサルアが溜息をついて答えた。
「そうじゃないが・・・お前が出て来るような案件じゃないから・・・」
「天龍王が出て首を突っ込む用件なのに?ですか?」
「い、いや、私は少し気になる事があって・・・でも半分只の興味本位で・・・」
カサルアはその迂闊な答えにラシードとアーシアから睨まれて口を噤んだ。
「イザヤ、お前が出て来る必要の無いものだ。出て行って貰おう」
ラシードは他人を寄せ付けない冷たい壁のような何時もの言い方でイザヤに退室を促した。しかし、イザヤはそれに動じること無く話し出した。
「これはラシード個人の問題に留まらないことが発覚したから私が来た」
「どういう事だ?イザヤ」
カサルアは顔を引き締めて聞き返した。四大龍達がそれぞれ負っている仕事は様々だ。その中でも王を補佐する銀の龍イザヤが動くものとなればかなり重要なものだった。
「兌龍州に謀反の兆しがあります」
「兌龍州だって!嘘だろう?」
ラカンが一番に叫んだ。
兌龍州はイザヤの妻、サーラと関わりが深い。以前、サーラと兌龍州の第二公子とは婚約した仲だったがイザヤがそれを壊したようなものだった。それに伴って起きた問題でイザヤとも何かと関わりが出ていた。今では第一公子の急逝でそのタジリが州公となっているが彼は良くも悪くも無い。善良で平凡なのが取り得と言われるくらいとにかく目立たない州公だ。それは周知のことでラカンがそれで驚いたのだ。
「兌龍州が?タジリも関わっているのか?」
カサルアも少し驚いた様子で訊き返した。
「それを調査中です。ラシードの噂は兌龍州を拠点として出ていた。それこそどうでも良いと思われるものばかりでした。しかしその中に密かに隠された重要なものが幾つかありました」
「重要なもの?」
「はい。ラシードは兌龍州で出没しているラシードは確かに偽者でしょう。しかし、皆は偽者と思っていないのです」
「そりゃ、そうさ。だからこんな騒ぎになったんだろう?」
ラカンが茶化すように言うと話しを邪魔されたイザヤが睨んだ。
「おっとっと・・・怖い、怖い。どうぞ、イザヤ」
「ラカンの言う通り、彼らはラシードが本物と思っている。だから、ラシードの謀反も本物と――」
「謀反!ラシードが!」
ラカンが驚いて叫んだが、ラシードも流石に目を見開いていた。
「ラカン、静かに。それで、イザヤ。その偽者は謀反を計画していると言うのだな?」
カサルアの冷静な質問にイザヤは頷いた。
「偽者が起した数々の乱行は紅の龍としての名誉を失墜させるのでは無く英雄だった」
「英雄って・・・そりゃラシードの女遊びは英雄伝説みたいなものだけどさ」
ラカンは思わず口を挟んだがラシードに睨まれると、モゴモゴ言いながら引っ込んだ。
「ここまで届いている噂はごく一部にしか過ぎない。女性関係だけでは無く、殺人まで起きているとは知らないだろう?」
「誰かが死んだと言うの?」
アーシアが真っ青な顔をして言った。
「アーシア」
ラシードは優しく彼女の名を呼び、安心させるように抱き寄せた。
「ラシード・・・何だか怖いわ。胸の奥でザワザワする感じ・・・」
「大丈夫だ。何でも無い。直ぐに解決する―――イザヤ、結論を言え」
ラシードのいつもとはいえ相変わらず改めようとしない高圧的な言い方にイザヤは腹立ちを覚えたが、アーシアの不安な様子に不快さを呑みこんだ。
「噂が出始めた頃、その信憑性を確かめる為に調査をした。信用のある州だったせいもあるが此方から調査員を派遣せず現地の者を使った。そして報告されたのはラシードもラカンも知っている内容だ。しかし、その中で気に掛かるものが幾つかあって再調査を内密に出した。これは王も引っかかっていた筈です。何故州公が何も言わないのか?そしてその報告が先程届きました。魔龍王の再来かと思うような悪行を興じる紅の龍を兌龍州の州公は匿い好き放題にさせているらしい」
「興じるって・・・まさか・・・」
アーシアの顔が更に青ざめてきた。
「罰を与えられたのですよ。そうでございましょう?紅の龍さま。貴方さまは正しい。税金も払わないような貧民に生きる価値などありませんものね?あんなのは兌龍州の恥ですよ」
「そうよ。きれいに町ごと焼いて下さったから汚らしい子供がうろつかなくなって良かっ
たと、皆が言っているわ。姉のことは別にしてもそれはお礼を言います」
親子が口々に恐ろしい事をさらりと口にした。
「お、お前達・・・何を言っているんだ?」
ラカンは仰天し過ぎて怒るのを通り越していた。さっきまで妊娠させられた肉親の抗議に来た者達とは思えないものだった。
「州公に相談しなかった理由は?」
イザヤが静まり返った空気を切り裂くように言った。
「州公さまはお気に入りの女人と部屋に篭もられて滅多に出て来られませんもの。それを待っているよりは直接来た方が良いと思っただけですのよ」
「成程、もう一つ訊く。ご主人は州城では要職に就いているのか?」
「ええ、州公さまのお側に仕えている要人の一人ですわ」
女は自慢げに胸を反らして言った。
「成程・・・それで命拾いした訳か・・・」
イザヤはその答えに一応、納得した。何故なら兌龍州は誰もが気付かないうちに閉鎖状態だったのだ。州への出入り・・・特に出て行く者がいなかった。年中温暖な気候で保養地として人気は高く他州から訪れる者は多い。しかし保養目的者は長期滞在が常で出入りは多くない。だからそれが異常に少ないと感じるに至らなかったのが事実だ。それでも商人達は州を渡り歩く者は沢山いる筈だった。しかし、彼らも州から州に渡る仕事だから少々連絡が途絶えたとしても不審に思われなかった為に発覚が遅れた。いわゆる兌龍州に入る事は出来ても出ることが難しいのだ。イザヤの部下もこの情報を持ち帰る為、かなり危険な目にあった。広い州をこれだけ厳重に包囲するとなるとその州の統治者が指令しているとしか思えなかった。
「出られないのに何故噂が漏れる?」
カサルアの質問は妥当だった。
「それはこれを計画した者が浅慮で甘かったと言うだけです。全てを一律に押さえ込む事は出来なかったのでしょう。この親子のように手を出せないものや、行方不明になると支障が出るものはいます」
「そうか・・・イザヤ、お前だったらそんなヘマはしないだろうな」
「―――褒め言葉として伺っておきます」
カサルアの軽口にイザヤは頭を下げて受け答えた。
そりゃそうだ、とラカンはぞっとしながら思ったが肝心の話しがまだだ。そしてイザヤの話しは続いた。
「この親子に違和感を覚えませんか?」
皆が一斉に兌龍州からやってきた母娘を見た。ごく普通の者達に見える。確かに聞き捨て出来ない事を言っていたが・・・
「兌龍州の住民の殆どがこんな感じだそうです。偽者ラシードの残虐な行為は何故か正当化され英雄視されていて判を押したように皆が皆、口を揃えてそう言うらしいのです。善良な感覚がまるで麻痺しているようなと、表現したら良いような感じだとか・・・しかし謎は多く・・・偽者の結婚を餌にした女人への陳腐な乱行と残虐な一面は余りにも極端過ぎて筋書きが見えません。そして州城の内情は内偵が出来ず、タジリが何を考えているのか不明です」
州城にいる筈のイザヤとサーラが後見している宝珠シアンと彼が無二の誓いを立てているタジリの妹マリカが今、どういう状況なのかも分からなかった。
「それで謀反だと?」
カサルアの金の瞳が真っ直ぐにイザヤを捉えて言った。
「その兆しです。しかし敵はタジリでは無いと・・・多分そう思います」
「多分?断定しない言い方は珍しいな」
「申し訳ございません。タジリは自分の力を過大評価するような者では無いのは確かです。ラシードの偽者・・・この者を調べるには容易で無かったようで判断つきませんが・・・この偽者が黒幕なのか・・・もしくは・・・」
「・・・他に彼らを操っているものがいる可能性もあると言うのだな?」
「はい。彼らと住民らを扇動している者の影が見えます」
「筋書きとしては紅の龍が私に反旗を翻し、兌龍州がその後ろ盾という感じか?」
「はい。それでもっと詳しくこの親子を調べさせて頂きますが、私が現地に飛び内偵して参ります」
分かった、と頷きかけたカサルアにラシードがそれを遮るように前に進み出た。
「私が行く。私の名を使われているのなら本人が出向いた方が一番いいだろう?」
イザヤは珍しく口を挟まなかった。自分も最初はラシードの派遣を考えていたからだ。しかし情報を統べる者としての失態に近いこの状況を、自分自身で挽回したいという気持ちがあったのは否めず沈黙してしまった。
「では、イザヤとラシードに――」
と両名を指名しかけたカサルアを今度はラカンが止めた。
「ちょっとまった!カサルア!この二人だけで行かせたら原因の追究どころか角突き合わせて大変になる!俺も行かせてくれ!」
確かに潜入調査となれば長時間を共にする訳で・・・ラカンの言うような状態になるだろう。しかし三人とも現地に派遣するとなると何かと支障も出る。些細な支障よりこの件が重要だとしても迷うところだ。
「では、私が残ります。潜入はラカンが適任でしょう。私は周りの呼応する不穏分子を見張ります」
意外にもイザヤがあっさりと辞退してしまった。今は名誉挽回など二の次だと思い直したのだ。
「久し振りで腕が鳴るなぁ~なっ、ラシード?」
「そうね、本当!」
アーシアが嬉しそうにラシードの代わりに答えると皆が、ぎょとして彼女を見た。
「アーシア、君は連れていかない」
眉間に皺を寄せたラシードが直ぐに言ったが、アーシアは首を振った。
「嫌よ!絶対に行くから!」
「アーシア!駄目だ!」
「怒鳴っても駄目なんだから。連れて行かないのなら勝手に行くわよ」
龍達は困って顔を見合わせた。皆、アーシアには昔から甘く、彼女の我が儘には逆らえ無いのが現実だ。
結局、アーシアも同行する事となり、三人は兌龍州へと向かったのだった―――