第二部<紅とアーシア>~休日~
今日は忙しいラシードが久し振りに仕事を休んだ。だからアーシアとラシードは二人で一緒に過ごせる久し振りの休日だった。特に何をすると言う計画は無かったものの朝から雨―――こんな日に出かけるのに気乗りしなかった二人は結局青天城内にあるラシードの部屋でのんびりと過ごすことになった。
部屋の中は雨音が聞こえるくらい静かだった。ラシードは基本的に無口でアーシアが出会った頃は声さえ殆ど聞く事が無かったぐらいだ。だからアーシアはお喋りのラカンと良く会話が続くものだと感心していたものだ。
今はその頃ほどでは無いにしてもラシードは用も無いのに自分からアーシアに話しかける事は無かった。でも何も喋らずただ寄り添って座っているだけでもアーシアは幸せで満ち足りた気分だった。黙っていてもお互いの存在を感じて心を通わせている感じなのだ。ラシードも多分同じ気持ちだろう。だからアーシアが、ちょっと本でも読み出すと邪魔をしてくるのは何時ものことだ。
「それは何?」
ラシードが耳元で囁くとその声にアーシアはいつもドキリとしてしまう―――沈黙が多いラシードだから何時まで経っても聞き慣れない。
アーシアはラシードの宝珠だから仕事中は一緒に居る事が多い。契約の宝珠は常に龍と一対のようなものだからだ。しかしアーシアは本来の宝珠として仕事をすることは殆ど無かった。ラシードの力が強く宝珠の力を使う程の問題が無いからだ。それにアーシアが側にいると執務中のラシードの邪魔にしかならないようだった。
『アーシア、今から地方からの報告を受けるだけだから』
『もう帰れって事?一緒に聞いては駄目?』
『駄目なことは無いが・・・』
ラシードが少しだけ眉をひそめた。本当は駄目だと言いたいのだろう。そしてアーシアを横目でチラリと見ると寄せた眉の間にシワを刻んだ。
『もし此処に居たいのなら衣を着替えてきてくれないか?平凡で冴えない感じで・・・』
『もうっ!それって、また嫉妬なの?』
ラシードは呆れたように大きな溜息をついた。
『アーシア、君は本当に自分を分かっていない。地方から来る者達は君を見慣れていないんだ。賭けてもいいが彼らはこの部屋に入った途端、君に釘付けで自分の役目なんか忘れてしまって話しにならないと思う』
『そんなの大げさよ!それに前々から思っていたけれど龍はみんな宝珠を見せびらかしたいのにラシードは違うのね!要するに私が邪魔だって言いたいのでしょう!もういいわ!ラシードの意地悪!』
誰かが来るとなると何時も追い払われていたアーシアは毎回執務室を飛び出す。しかしラシードから遠く離れる事も出来ず執務室の近くにあるこの部屋で過ごすのも度々だった。だから時間潰しの私物もかなり持ち込んでいた。今読み出したのもその一つだった。
「詩集よ。あっ、待って!ラシード、まだ昼間よ」
アーシアを長椅子に押し倒したラシードは躊躇う様子も無く彼女の衣の帯を解き始めたのだ。
「それが何か問題なのか?」
「も、問題とかそんなんじゃなくって・・・ちょっと!」
「ラ、ラシード!」
「何?」
「い、今からするの?」
ラシードは答えず微笑んでアーシアの唇を指で撫でた。そしてその指と入れ替わりに唇で塞がれた。
「・・・っん」
巧みな口づけにアーシアは頭の中が、クラクラして目眩がしそうだ。ラシードは詩集に嫉妬しているようだった。アーシアが興味を示すものに必ず嫉妬する困った恋人だ。
(もうっ!駄目!)
そう言いたいアーシアだったが唇を塞がれていては言葉にならなかった。貪るような口づけの合間にラシードが耳元で愛を囁く。愛を語るラシードは日頃の無口さが信じられないくらいに雄弁だ。そして何時も同じ問いかけをする。
「アーシア愛している・・・君は?」
「ラシード、私――んっ、ん」
アーシアが答える前にまた唇は塞がれてしまう。そうなるとアーシアは四肢の力が抜けてしまうようだった。
「ラ、ラシード・・・だめ・・・」
「駄目?そんなに可愛い顔をして誘っていて?」
「ち、ちがっ・・・私、誘ってなん・・・っん・・・あん」
口づけの合間にやっと洩らした言葉だったがラシードを止めることは出来なかった。
「まっ、待って・・・い、いや・・・」
「嫌?何が?」
「な、何がって・・・だ、だって久し振りの休暇じゃない」
「ああ、そうだな。じゃあベッドでゆっくりしよう」
「そ、そそんな事、言ったんじゃないわよ!っっ・・・ん、まっ・・・」
抗議の声は意地悪なラシードの口づけに塞がれて呑み込まれてしまった。確かに最近はゆっくりと身体を重ねていない。と・・・言うか久し振りだろう。口づけは数えきれないくらいしても少し触りあうぐらいで終っていた。こんな関係は初めての時からずっとだ。しかもラシードは最後まですることは無かった。昔は付き合っている女が絶えた事が無いと言われたぐらいなのに実際は驚く程淡白なのだ。だからアーシアはラシードと最後までしたのはたった一度きり・・・死さえも覚悟したあの日以来一度も無かった。例えそれが無くてもアーシアはラシードの手管で理性が飛んでしまうぐらい快感の波に呑まれてしまう・・・
ラシードは自分の衣を忙しく脱ぎながらもアーシアに口づけし続けた。雨が降っていても昼間の寝室は十分明るかった。
「ラ、ラシード、窓の内戸を閉めましょう」
「何故?」
「だ、だって、明るすぎるもの」
「明るくていいじゃないか。君が良く見えるし」
「そ、それが、い・・・やっ・・・んっ、ま、まっ・・・あん」
「大丈夫。明るいのが気にならないくらいになるから」
どうして今日はこうなってしまったのだろうかとアーシアは思った。でもあの日以来かもしれない瞬間を期待して身体は震えるくらいラシードを欲しているようだった。しかし待ちに待ったその瞬間はとうとう訪れることがなかった―――
ラシードがどうしてそうするのか薄々気が付いていた―――だから何も言えない。それでも今日みたいな日はラシードを欲してしまう。アーシアは自分が乞えば乞うだけラシードを困らせるのだと分かっていてもついつい口にしてしまうのだ。
「・・・・・・・・・」
ラシードはやはり無言だった。頬を上気させ、潤んだ瞳で懇願するアーシアを目の前にしてもラシードの鉄のような自制心は壊れなかった。無言のまま再び深い口づけをアーシアに与えるだけだ。
今日はかなり良い線まで行ったと思ったアーシアだったが、やっぱり・・・と落胆した。
「アーシア?」
「・・・ラシード、好き・・・大好きよ」
「アーシア・・・」
ラシードが微笑むと再び唇を塞がれてしまった。どうして口づけだけでこんなに気持ちが良いのだろうとアーシアはいつも思う・・・これ以上欲張ってはいけないと自分に言い聞かせた。
―――氷壁の洞窟路はほのかな光が氷の中から漏れて路を照らしていた。静まりかえった路は体温調節が出来る身体にさえ、魔龍ゼノアの張り詰める冷気を肌に感じるようだった。
(伝説の宝珠か・・・)
伝説の宝珠を魔龍王から奪い取る計画―――ラシードは本当にどうでも良かった。特に宝珠は必要と思わなかったからだ。伝説とは言っても話しに尾ひれが付いたぐらいにしか思っていなかった。しかし急に視界が広がりラシードは息を呑んだ―――
広がった氷洞窟の中央に一本の巨大な氷柱があった。その真上からは神々しいまでにきらきらと柔らかな光が降り注ぎ、氷柱の中に閉じ込められている人物を照らしだしていた。
月光のような・・・そう例えるのが一番だろう。淡い金色の長い髪が静かに降り注ぐ光に映えて風にそよぐかのように氷柱の中で広がり煌きを放っていた。そしてすんなり伸びた脚はまるで宙を歩いているようだった。月光の髪に縁取られた白い花のような貌は幾分青ざめているが今にも瞳を開き話しだしそうだった―――
ラシードはその閉じられた瞳は何色なのだろうかと、ふと思ってしまった。
「・・・なんて・・・」
レンの声にラシードは、はっと我に返った。自分が何かに心奪われていた事に驚いてしまった。何か熱いものが胸の奥で揺らめいた感じ・・・ラカンと馬鹿騒ぎしても、誰もが羨ましがる女を抱いても高揚することの無かった心が熱く高鳴った―――
「アーシア・・・あの時の感動は今でも言葉では語れないだろう・・・」
腕の中で眠るアーシアを見つめながらラシードは呟いた。愛しい恋人の温もりを感じる時は何時もアーシアと出会ったあの奇跡の日を思い出すのだ。
「んん・・・ラシード・・・何か言った?」
アーシアが眠たい目をこすりながら夢心地で聞いた。
「何も・・・でも、もうそろそろ起きた方がいい」
ラシードは自分の胸に擦り寄るアーシアの頭に口づけして言った。
「う~ん・・・もう・・・そんな時間?」
「ああ、もう陽が落ちている・・・」
アーシアは小さく欠伸をしたがラシードから離れようとしなかった。
「・・・もう今日はこのまま此処で眠りたい・・・」
ラシードの胸が大きく上下した。お互いの肌が直接触れ合っているからアーシアにもその様子が良く分かった。ラシードが大きく息を吸い込んで吐いたのだ。
「アーシア、それは駄目だ。カサルアと泊まりは駄目だと約束しているだろう?」
「私は小さな子供じゃないわ!それに同じ城内よ!一人前の大人で危険も無いのにそういう事を言う方がどうかしているわ!兄様なんかまだ恋人でも無かった義姉様の部屋に何度も泊まったりしたのによ!意味が分からないわ!」
ぷんぷん怒るアーシアが可愛いとラシードは思ったがそれを今口にしたらもっと怒ってしまうだろう。男とは勝手で自分は良くても自分が保護する女子供には厳しいものだ。しかしそれがラシードにとって助かるものだった。アーシアも腹を立てていても彼のその気持ちを察して最後には引き下がるのは何時ものことだ。
すくっと、立ち上がったアーシアは無言で散らばっている衣を拾い出した。
「アーシア、怒ったのか?」
「・・・・・・・・・」
「アーシア?」
「別に・・・もう帰るわ」
「アーシア、おいで。浴槽に湯をはっているから洗ってやろう」
「・・・ラシードも一緒に入るの?」
「もちろん」
「本当!じゃあ、お風呂頂いて帰るわ」
アーシアは機嫌を直してラシードに身体や髪を洗って貰った。濡れた髪は瞬く間に乾かしてくれる。もっと時間かけてくれても良いのにと思うアーシアだが、紅の龍の力で髪を乾かして貰うのは彼女だけだろう。
そんな毎日がゆるゆると続いている。時間が止まったかのような変化の無い日々・・・幸せだとアーシアは思いたい。自分が・・・では無くラシードが・・・
(ねぇ、ラシード・・・幸せ?私はあなたを幸せにしているかしら?)
そして二人の時間は急速に動き出した―――
イチャイチャしているのに何だが不穏な様子ですが・・・龍恋シリーズの最終版です。