第一部<紅の龍>天龍王の婚礼
「龍恋」の総括的な続編です!色々、私の大好きなシーン盛りだくさんでお届けします(笑)シリーズ最後のストーリーです。思えば「龍恋」は私が一番最初に書いたものなので、好きなものいっぱい詰め込んで書き始めましたからシリーズ完結は少し寂しいですが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
―――アーシア、私を忘れて欲しい・・・だが私は君を忘れはしない・・・いつまでも、いつまでも・・君を愛するだろう・・・例え君から憎まれようとも――
ラシードは、砂漠の街・離龍州に一人立っていた。年中砂漠気候のこの土地は吸い込む空気も肌に触れる風も乾いている。いつ来ても好きになれない土地だった。渇いた自分の心が更に渇くような・・・そんな気分にさせられるのだ。それにアーシアを危険な目にあわせてしまった苦い思い出がある。今でも彼女を失ってしまったと思った絶望を忘れられないのだ。それを思い出す度に、心の奥底で冷たいものが流れるようだった。
ラシードは砂塵の舞い上がる彼方へ瞳を細めて見た。この向こうに尋ね人はいるのだ。出来たら・・・というよりも二度と会うつもりも無かった者と会う。ラシードは重い溜息と共にその場所へと向ったのだった・・・
ゼノアを斃した最初の年は新しい世界が始まったばかりで問題も山積みだった。ラシードを始めとする四大龍達も全州で奔走していた。
そして二年目。やっと新体制も軌道に乗り始めた―――
他の四大龍達もそうだがラシードも、寝泊りする場所があればいいと言って青天城に住んでいた。アーシアはというと、カサルアの義理の妹という扱いになっていた。もちろんそれは一般的な表向きの話だ。彼女は永年封印されていたのだから当然天涯孤独の身の上。哀れと思ったカサルアが妹として迎えたという筋書きらしい。だからアーシアはうんざりする程、カサルアから甘やかされている毎日だった。
そんな日々、アーシアは最近ラシードの様子がおかしいと思っていた。何か思い悩んでいる感じなのだが聞いても誤魔化されていた。そして何処に行くとも告げず数日、姿を消したのだ。誰に聞いても何処に行ったかは知らなかった。
こんな事は今まで無かった。任務でも必ず出かける前には顔を見せていた。それなのにいつの間にかいなくなったのだ。アーシアの胸に不安が過ぎり出した頃、ラシードが帰って来た。
「ラシード、おかえりなさい。何処に行っていたの?何も言わなかったから心配していたのよ」
アーシアは少し不安そうに、そして嬉しそうに尋ねた。
「ああ、すまない。言うほど大したものじゃなかったが色々重なって遅くなった。心配かけたな」
「そうなの・・・でも良かった!ラシード、元に戻ったみたい!最近、変だなぁーと思っていたのよ。でも今はすっきりとした顔をしているもの。本当に良かったわ」
ラシードはふっと笑った。彼はどちらかというとあまり笑わない。皮肉な笑みは得意だが本当に笑むことは珍しいのだ。だがアーシアにだけには良く向けられる。父親を裏切ったと思っていた宝珠の母を憎み、宝珠を・・そして女をラシードは憎んでいた。愛を渇望しながらも愛を信じなかった彼の心を開いたのはアーシアだった。彼女に出会いラシードは救われたのだ。
花のように微笑むアーシア――この二年でいっそう美しさが増し光り輝くようだった。その眩しさにラシードは瞳を細めた。
「ねえ?ラシード。もうすぐお兄様の結婚式ね。楽しみだわ。それにラシードが選んでくれた、私の衣が出来上がっていて昨日着てみたのよ」
「出来ていたのか。それは見られなくて残念だったな」
「ふ~んだ。ラシードが早く帰って来ないからいけないのよ。だから当日まで見せてあげない。ふふふっ」
アーシアは楽しげに話しかけながら胸の中では安堵していた。ラシードを信じていない訳では無い。だけど前に一度、心を確かめ合った後にも関わらず、ラシードが彼女から離れようとしていた時があったのだ。それは自分がゼノアの血を受け継ぐ息子だという事を恥、それをアーシアが知れば自分も憎まれると思ったからだった。だが、アーシアは全てを知っていてラシードに愛を誓っていた。そのすれ違った心が重なり合った今は何の障害も無い筈だった。アーシアはその時の事を思い出し不安だったのだ。ラシードの素振りがその頃の再現のようだったからだ。しかし普段通りのラシードの様子に憂いは吹き飛んだようだった。今は兄カサルアとイリスの婚礼に若い娘らしく心が浮き立っていた。
そしてその婚礼の日がやって来た。
アーシアは身支度をしていた。今回ばかりはカサルアもイリスの事で頭がいっぱいの様子でアーシアを構っていなかった。いつもなら着る衣まで指図に来るだろう。とにかくカサルアはアーシアを着飾らせるのが昔から好きだったのだが、今はイリスが一番のようで彼女にべったりなのだ。アーシアとしてはやっと甘えん坊の兄から解放されてせいせいしているところだった。
(ほんと!龍って宝珠を着飾らせるのが好きよね。あのイザヤだってそうなのだものね)
先日ルカドから今回着る衣を見せて貰った時の事を思い出していた。一般的に宝珠は着飾るものだが、それはほとんどが女性だからそれも分かる。しかしルカドは可愛いと言っても男の子だ。もう男の子というのには語弊があるかもしれない。少年期を抜け始めた彼はもう少女と間違うものでは無かった。しかし逆に可憐さが消えて際立つ綺麗さが出て来たようだった。一般の女型の宝珠より綺麗だろう。
そしてイザヤが用意した衣というのが・・・確かにそんなルカドには似合い過ぎるぐらい似合うと思う。しかし形は女物では無いがその煌びやかさと華やかさといったら男物ではありえ無かった。聞けばルカドの盛装はいつもイザヤが用意するらしいのだ。
アーシアはそれを見せてもらった時、凄いね、としか言えなかった。普段ルカドに対してそういう素振りを見せないイザヤもやっぱり龍なんだなあ、と実感したものだ。
(まあ・・人のこと言えないけれどね・・・)
アーシアは着替え終わった自分の姿を鏡で映して見た。基本的には光沢のある白の地色なのだが、真赤な花の刺繍を効果的にあしらった一見大人しく見えて実は派手な衣だ。それはラシードが選んで仕立てさせたものだった。飾りも紅玉をふんだんに使って有り、かなり豪華な仕上がりとなっていた。普段のアーシアなら絶対に選ばない配色だが仕上がって見れば意外と良かった。ラシードの見立てに間違いは無かったのだ。
アーシアはこれを選んでいた時の事を思い出して頬が熱くなった。ラシードが生地を手に取りアーシアの身体にそれを巻きつけると囁いたのだ。
「此処と、此処、それと此処にも・・・紅い花を咲かせよう・・・きっと綺麗だろう。でも一番綺麗なのはアーシア君だ―――」
そう言って店の主人の目を盗み、口づけをしたのだった。
その時ラシードが優しく触れた場所に紅い花の刺繍が入っている。布越しに触れられた胸や肩が熱く感じて今思い出してもドキドキするのだ。
アーシアはふふふっと笑った。
「ラシード、喜んでくれるかしら?」
着飾るのは好きじゃないがラシードが喜ぶから苦にはならなくなった。久し振りの盛大な祝いの席で宝珠もここぞとばかりに着飾るだろう。いつもなら張り合うとかそういう気持ちは無いアーシアだったが、一番綺麗だと言ってくれたラシードの為に一番になりたかった。もちろん、主役である花嫁のイリスの次に―――
アーシアはイリスの付き添いを頼まれていたので花嫁の仕度場所へと向った。ところがその扉の前でカサルアがうろうろしていたのだ。
「兄様、ここで何をしているの?」
「ああ、アーシアか。仕度がまだだからって入れてもらえなくてね」
着飾ったアーシアを見て何も言わないカサルアは珍しかった。
アーシアはクスリと笑った。まあ仕方が無いだろう。他を優先し続けた兄がやっと自分の為に手に入れた人なのだ。
「じゃあ私も手伝ってくるわ」
アーシアはそう言って扉の中にさっと入ると、カサルアの目の前で扉を閉めた。でも少し思い立って隙間を少し開けると情けない顔をしている兄を見た。
「言い忘れたわ。今日の兄様とても素敵よ!ふふっ、じゃあね」
再び、パタンと閉まる。
「アーシアが褒めるなんて雨でも降りそうだな」
カサルアを迎えに来たイザヤが丁度その言葉を聞いた。
「雨が降りそうですか?晴れの日に雨はいけませんね。ラカンを呼んで雨を遠ざけさせましょう。通り雨ぐらいなら私が雨雲を吹き飛ばすとか・・・」
真剣な顔をして言うイザヤの肩をカサルアは笑いなが叩いた。
「天気は全く心配ないよ。さあ行こうか!ここで粘っても入れて貰えそうにないからな。神殿で待つとしよう」
一方、室内に入って行ったアーシアは続きの間の扉を開けた。
「おめでとうございます。イリスさん。うわぁーきれい!」
窓辺の明るい場所に腰掛けていたイリスは微笑んで振向いた。その純白の衣はこの日の為に特別に織り上げられた豪華なものだ。飾りを省いてその生地の良さを十分に生かした衣はイリスの繊細な美しさを引き立たせているようだった。それに幸せそうな表情がいっそう輝きを増している。
「アーシア、ありがとう。あなたも素敵よ」
「兄様ったら扉の前でうろうろしていたのよ。早くイリスさんを見たかったのでしょうね。でもきっと見た途端、ぽか~んと馬鹿みたいに口を開けてぼうーとするわ」
イリスは苦笑した。
「言い過ぎよ。私こそあの方を見て立ち尽くしてしまいそうよ」
「んんー今日の兄様は妹の私が言うのも何だけれど、かっこ好かったわ」
「〝今日の〟なの?今日だけでは無くカサルア様はいつも素敵ですよ」
「はい、はい。そういうことにしておきます!どうしようもない兄ですが、どうぞ宜しくお願い致します。あんまり甘やかしたら駄目ですからね。ビシッと叩かないと、ずーっと甘えますよ」
イリスは軽やかに笑った。あのカサルアを甘えん坊だと言うのはアーシアぐらいだろう。しかしイリスもそれは分かっている。千年という長き暗黒の時代を支配した魔龍王を斃して多くの龍達を従え、新時代を創っている彼は他人に弱さを見せない。本当は寂しがり屋で、いつも安らぎを求めているのにだ。それぞれが過酷な人生の中、唯一の楽園を見つける。出逢えるのは奇跡だと言うものも多い。イリスはもその奇跡に今とても感謝していた。ずぶ濡れの傷付いた金色の龍と出逢ったその奇跡―――
イリスはこの数年を思い返して微笑んだ。
「アーシア、あなたとラシードもそろそろではないの?それこそあの人の機嫌が悪くなって大ごとでしょうね。それとも泣いて大変かしら?」
アーシアはぱっと赤くなった。
「私達はまだそんな・・・宝珠にとは申し込まれたけれど・・それもまだだし・・・」
「まあ、あのラシードが?意外ね。それだけあなたを大事にしているのでしょうね」
イリスが〝あのラシード〟と言うのも無理はない。ラシードの来るもの拒まず、去るもの追わずの女性遍歴は有名だった。それでアーシアも一時悩んだ事もあった。元々寡黙なラシードだがアーシアへの愛情表現は雄弁だ。それでも確かにラシードから求婚はされていなかったのだ。理由があったとしても長年抱き続けた両親の有り方に彼は未だ、厭ましく思っているのかもしれないとアーシアは思っていた。
時を告げる鐘が鳴り響き、いよいよ婚礼の儀式が始まる。先に神殿の控えの間で待っていたカサルアがイリスを見た時は、アーシアが言った通りの状態となった。アーシアは、ほらね、と思った。そしてその後、イリスを抱いて放さないカサルアから彼女を救出するのが一苦労だった。
それからアーシアは婚礼が始まる前にやっと自分の場所へ行く事が出来た。彼女は親族として一番前だがその横は上位の席で、四大龍の四人と各州の州公もしくはその代表が座していた。アーシアは自分の席に着く前にそうそうたる顔ぶれに目礼して座った。
それに気が付いたラカンが大げさに手振るのをイザヤから制されていた。レンは苦笑しながらアーシアに微笑んで同じく目礼した。
(ラシード?)
ラシードの様子がおかしかった。目を合わせようとしないのだ。視線が合ったと思ったのにすっと前を向いていた。
(どうしたの?ラシード・・・)
何となく広がる不安をかき消す大きな鐘の音と共に婚礼が始まったのだった―――
儀式は滞りなく終わり、幸せそうな新郎新婦を送り出した後、出席者は次ぎの祝賀会場となる場所へと向っていた。
アーシアも立ち上がるとラシードの所へ向おうとしたのだが、宝珠好きの州公オーガにその行く手を阻まれてしまったのだった。いつもならラシードがそんな隙を与えずアーシアを攫って行くのだが今回は様子が違っていた。ラシードはチラリ、と彼女を見たがイザヤに何か耳打ちをしてその場から立ち去ってしまったのだ。
アーシアは驚いてしまった。そして彼女を救い出してくれたのはイザヤだった。
「オーガ公、歓談中に申し訳ございません。アーシアを花嫁が呼んでおりますので失礼致します」
「え?花嫁が・・・それでは仕方ありませんな・・・アーシア殿、それではまた後程」
オーガは渋々去って行った。
「ふぅ、助かったわ、イザヤ。憎めない人なんだけど相手をすると疲れるのよね」
アーシアは可愛らしい顔をしかめて言うと、イザヤも同じような顔をした。
「我々も同様です」
「ねぇ、ラシードは?あなたに何か耳打ちしていたでしょう?」
アーシアは不安げに訊ねた。
「・・・・貴女を彼から救い出して欲しいと言って行きましたが・・・まったく何を考えているのか・・・」
イザヤにしては珍しい言い方だった。思っても余計な事を言わないのが普通だ。そのイザヤが何を考えているのかと言わせたもの―――この後すぐ判明したのだった。
それはアーシアの目を疑うものだったのだ。