幼い弟子が成長したらイケメンになって私を溺愛してくるんですが
「殺し、て、やる……!」
かすれる声を絞り出しながら、少年は私に剣を叩きつけてきた。
まだ五歳の彼にとって、その剣は身長よりも大きく、ただ持ち上げるだけでも一苦労だろう。
なのに何度も何度も振り下ろした。
彼の瞳には本物の殺意があった。
それを見て私は安堵する。
きっと、この子は私を殺すために生きようとする。
どんな理由でもいいから、まずは生きて欲しい。
疲れて倒れてしまう彼を抱きとめながら、私は自嘲する。
私は『白騎士』なんて大層な称号を持っているのに、この子の父親を助けてあげられなかった。
だから罪滅ぼしに……いや、たんに自分のプライドを守りたくて、この子を生かそうとしているだけ。
本当は、このまま死なせてあげるべきなのでは?
私のプライドのために生きてもらうなんて間違っているのでは?
別の選択肢が頭をよぎる。
けれど、抱きしめたこの小さな体はまだ温かい。
見捨てるなんてできなかった。
私、アンリエッタは人ではあるが人間ではない。竜人だ。
二十歳くらいの女性の外見をしているが、巨大なドラゴンになることもできる。
そして、もうすぐ二百歳になる。
そこらにいる人間より遙かに強いけど、寿命が長いからそれだけ沢山修行できたというだけで、血が滲むような努力を重ねたわけではない。
竜人は排他的な種族だ。
ほかの種族とほとんど交流を持たない。だから幼い頃の私は、故郷の里から出たことがなく、世界はどんな姿をしているのか毎日想像し、そして毎日脱走を企てていた。
見かねた父親が一度だけ、キシーナという町の小さなお祭りに連れて行ってくれた。
そこは青くて可愛い花が咲き誇る美しい場所だった。
ワスレナグサ、というらしい。
父親としては、外の世界を一度見せてやればそれで気が済むと思ったのだろう。
しかし私はまるで気が済まなかった。
むしろ憧れは強くなり、ついに里を脱走するのに成功し、今に至る、というわけだ。
竜人のくせに人間に混じって生きる私の名はいつの間にかそれなりに有名になって、五色の一つ『白騎士』の称号をいただいてしまった。
私は特別目立ちたがり屋ではないけど、褒められて迷惑に感じるわけでもなく、その称号をありがたく頂戴し、誇りに思うようになった。
ある日。
冒険者ギルドを通じて、私に依頼が来た。
『不確定都市』の探索に行く冒険者パーティーの助っ人だ。
そこは六大ダンジョンに数えられる超難所。得られるアイテムが貴重な分、現われるモンスターが強い。そして建物の配置と形が変異を続け、昔の情報がまるで役に立たないという奇妙な場所だ。
一流冒険者の集団でも一瞬の油断で……否、油断しなくても運が悪ければ簡単に命を落とす。
だからそのパーティーは、私を護衛として雇おうと思いついた。
白騎士アンリエッタがいれば絶対に大丈夫だ。そこが不確定都市であろうと安全に探索し、成果を持ち帰ることができる――。
そんな油断が彼らの顔に浮かんでいた。
「雇われた以上、私は全力を尽くします。ですがダンジョンで『絶対に安全』などありません。そして承知の通り、ダンジョンでの死はたんなる死ではなく……動く死体になって他人を襲い、更にアンデッドを増やしてしまう。それを忘れないでください」
私は念を押す。
けれど油断は色濃いまま。
彼らには半端に実力があって、前にも不確定都市から生還した実績がある。その経験が逆に思考を曇らせている。
「お前たち。たるみすぎだぞ。白騎士が油断できないと言ってるのに、俺たち凡人が油断していいわけないだろ。気を引き締めろ」
一人だけ私の言葉を真剣に聞いてくれた人がいた。
三十歳くらいの男の剣士だった。
「悪いね、アンリエッタさん。俺たち、ここんところ調子がいいから、変に自信がついてしまったらしい。まあ、あいつらもプロだ。現地に行けば、ちゃんと緊張感を取り戻すさ。だから見捨てたりせず、よろしく頼む。俺は絶対に死にたくないし、まとまった金を手に入れたいんだ」
その人は、もうすぐ二人目の子供が産まれるという。
ここで一つ大金を手に入れて、しばらくは奥さんと新しい子のそばにいるつもりらしい。
「元気な子が産まれるといいですね」
「ああ、まったく。それが一番の望みだよ」
そして不確定都市の探索を開始し……結果、一人死んでしまった。
モンスターの奇襲。
私でさえ察知できなかった。
「どういうことなんだ白騎士! お前がいるから安全だと信じていたのに……あいつはな、もうすぐ二人目の子供が産まれるんだぞ! 残された家族はどうなるんだ!」
「お前が殺したようなものだからな!」
冒険者たちは私に怒りをぶつけた。
だから初めに言ったはずだ。私と一緒でも絶対安全なんてありえない。決して油断するな。そう念を押した。
けれど反論する気になれなかった。
なぜなら死んだあの人だけは、決して油断なんてしなかった。
なのに死んだ。守ってあげられなかった。
それどころかモンスターの攻撃対象がたまたま彼だったというだけで、もしかしたら死んでいたのは私だったかもしれない。
私は思い上がっていた。
口では慎重論を唱えながらも、自分だけは絶対に大丈夫だと思っていた。
なんだか、あの剣士を身代わりにして生き延びたような気持ちになってきた。
私はただ頭を下げ、冒険者たちと別れた。報酬を受け取らなかった。
そして一人で不確定都市に戻って、剣士のアンデッドと戦い、その死体を破壊した。
剣を回収して、遺族に届ける。
せめてそのくらいしないと、自分で自分を許せそうになかった。
方向音痴の私は何度か道に迷いながら、なんとか剣士の故郷に辿り着く。
なんと彼の妻は病で死んでしまったらしい。お腹の子供も一緒に死んだ。
そして一人残された五歳の息子は、このところ、ほとんどなにも食べず、ただ死を待つように膝を抱えて動かないという。
「まあ無理もないよね。お母さんが死んで、産まれるはずだった新しい家族も死んで……そこにお父さんも死んだって知らされたんだ。テオドールにはもう頼れる人がいない。どうにかしてあげたいけど、近所に住んでるってだけで血が繋がらない子の面倒を余裕はないし……」
町の人はそう言っていた。
テオドール。それが剣士の息子の名前だ。
私はテオドールのところに走った。
ベッドの上で膝を抱え、生きながらに死体のような匂いを放つ彼を見て、言葉を失った。
肩がかすかに動いて呼吸をしている。だから辛うじて生きている。
けれど骨と皮だけにやつれていて、なにより瞳にまるで光がない。生きたいという意思が欠片もなかった。
これでは次の瞬間に死んでしまってもおかしくない。
だから私は床に剣を突き立て、できるだけ悪人の顔を作って、こう言った。
「これはあなたのお父さんの剣です。私が殺して奪いました」
その瞬間、死を待つばかりだったテオドールの体内で、魔力が爆発的に広がった。
魔法で身体能力を強化し、剣を持ち上げ、私の頭に振り下ろしてきた。
防御障壁で防いだから軽い衝撃を受けるだけですんだが、そうでなかったら私は確実に死んでいた。
そのあともテオドールは何度も何度も振り下ろしてくる。
光がなかった瞳に、強烈な殺意がみなぎっていた。
「殺し、て、やる……!」
長いこと水さえ飲んでいない彼は、声がすっかり枯れていた。
本当なら指一本動かす体力さえ残っていないはず。
それを気迫だけで剣を振り続ける。
私は身じろぎもせず、ただ耐え続けた。
やがてテオドールは限界を迎え、剣を落とし、前のめりに倒れていく。
私はそれを抱きとめて、なんと声をかけようか悩む。
この子は私への殺意だけで辛うじて命を繋ぎ止めている。それを消してはいけない。
「殺、す……お前、は、絶対に、俺、が」
「ええ。殺せるものなら殺してみせなさい。絶対と口にした以上、成し遂げるまで死んじゃ駄目ですよ」
私は祈るように呟く。
それがテオドールにどう届いたかは分からない。
彼はついに気絶してしまった。
彼の体を拭いてやり、新しい寝間着を着せた。
しばらくすると目を開けてくれたので、心底からホッとした。
私はお粥を作る。
長いこと一人旅をしているから簡単な料理くらいお手の物だ。
「なんの、つもりだ。お前の作ったもの、なんて、食べない」
ああ、うん。そう言うだろうと思った。
毒が入っていると疑っているのではなく、本当に単純に、私が大嫌いなのだ。
そう誘導したのは私だが、作った料理を食べてくれないのは悲しい。なにより食べないとテオドールは死んでしまう。
「私を殺すんでしょう? なら力をつけないと。そんな状態でなにかできると思ってるんですか?」
一呼吸置いてからテオドールは頷く。
私はスプーンでお粥をすくって、ふーふーと吐息で冷ましてから、彼の口まで運ぶ。
ゆっくりとだけど、全部食べてくれた。
自分の料理を誰かが食べてくれる。
私はそのことに少々場違いな喜びを感じた。
体を綺麗にして、お粥を食べて少し血色がよくなったテオドールは、結構な美少年だった。
目つきが悪いのが玉に瑕だが、それは私に対する感情がそうさせているのだろう。
「テオドール。お父さんかお母さんから、魔法の手ほどきを受けたことは?」
「……ない」
「では、無意識に強化魔法を使ったんですね。私への殺意で。飢餓状態なのに、自分の身長よりも長い剣を持ち上げられたのは魔力のおかげです。この大陸で生まれた子供は総じて強いですが、それを踏まえても、あなたには魔法の才能があります。」
「魔力……それがあればお前を殺せるのか、白騎士」
「この世界には、私よりも強い存在が大勢います。あなたも鍛えれば、そうなれる可能性があります。だから、私はあなたの師匠になろうと思います」
「俺は強くなったら、お前を殺すぞ」
「はい。いつでも不意打ちして構いませんよ。ですが、その『お前』とか『白騎士』という呼び方はやめてください。あなたは教えを請う立場なのですから。私を『師匠』と呼びなさい」
「なんで俺が、お前を師匠なんて」
「師匠と呼ばないと、魔法を教えませんし、一緒に連れて行きませんよ」
「……師匠」
テオドールは戸惑うように呟く。
私は自分でそう呼ぶように強要したくせに『師匠』という響きに緊張した。
弟子を取るなんて想像していなかった。
まして、こんな小さくて可愛い男の子。
こうなってしまったら、私はテオドールの命に対して責任を持たなければならない。
ここまでは義理だったが、これからは義務だ。
私は緊張すると同時に、高揚もしていた。
ずっと一人で生きてきた。誰かに対して責任を負うなんて二百年近く生きて初めてだ。
私はテオドールと一緒に生きていく。
何年続く関係か分からないけど、そういう相手ができたと思うと少しドキドキする。
「はい。よく言えましたね、テオドール」
私は自分を殺そうとしている少年を、つい笑顔で撫でてしまった。
変な奴と思われていないか心配だ。
テオドールを弟子にしてから五年が経った。
彼は私を殺すために次々と魔法を覚えていった。その上達速度はこちらの想定を超えていた。
ただ魔法の修行ばかりしていたのではない。
色々な町や村に行って、彼に広い世界を見せた。
森で狩りをして野宿した。山の温泉に入った。海で泳ぎを教えてあげた。
これだけ歩いても、世界の極一部しか見ていない。広い大陸の中の一地方を巡っただけ。そして大陸は世界にいくつもある。
そう語ってあげるとテオドールは目を丸くしていた。
「ねえ、師匠」
「なんですか、テオドール」
とある夜。
二人で焚き火を囲んでいると、ふと彼が話しかけてきた。
「俺、もう師匠を殺すつもりはないよ。アンデッドになったお父さんを止めるためだったんでしょ。生きる気力がない俺に復讐という目的を与えるための演技だったってのも分かってる」
「……あなたはもう十歳ですものね。そのくらい説明しなくても分かっちゃいますか」
「うん。けど分からないこともある。俺と師匠は血が繋がっているわけじゃない。なのにどうしてこんな親切にしてくれるんだ? 師匠は五年も俺を育ててくれた。その理由が分からない」
「……正直に言えば、最初は私のプライドの問題でした。あなたのお父さんは私の目の前でモンスターの攻撃を喰らって死にました。守ってあげられず、プライドが傷つきました。それで私一人が不確定都市に残って、お父さんの死体を壊して、剣を回収して、遺族に届けようと。せめてそのくらいしないと自分を許せませんでした。次はあなたに対する同情でした。あなたは父親だけでなく、母親と、生まれるはずだった新しい家族まで失ったと町の人から聞きました。あのときのテオドールを私は放って置けませんでした。それで悪役を演じようと」
「あのときの師匠の笑顔、本当に邪悪だったよ」
「そんなに、ですか? 演技が失敗するよりはいいですけど……そんなに怖い笑顔でした……?」
私が嫌そうにするのを見てテオドールは面白そうに笑った。
五年前、初めて会ったとき、この子はもう二度と笑えないんじゃないかと思った。
けれど屈託のない子供らしい笑顔を浮かべてくれるようになった。
それだけで私のしたことは無駄じゃなかったと思えた。
「だけど師匠。俺はもう死のうと思っていない。危険を冒さなきゃ、多分、一人で生きていく力もある。なのにまだ一緒にいてくれる理由はなに?」
「……テオドールは私と一緒にいるの、もう嫌になっちゃいました?」
これからは一人で生きていく。テオドールがそう決意したなら、ここでお別れだ。
そう言われるのが嫌で、怖くて、私は恐る恐る尋ねる。
「そんなことはない。絶対にない。照れくさいけど……俺、師匠が好きだ。家族と同じなんだ」
テオドールは頬を赤らめながらも、私を真っ直ぐ見つめて答える。
私の不安は、撃ち抜かれたように砕けて消えた。
「ありがとうございます! 私もそうです。いつの間にかテオドールと離れるなんて考えられなくなって、弟がいたらこんな感じかなぁと思って。あなたも同じように思っていてくれたんですね……ああ、ホッとしました」
「でもさ……」
でも。なんだ?
心底から安心したあとに、突き落とすようなことを言われたら、私の心は耐えられないかもしれない。
「……俺たち、血が繋がってない。なのに家族みたいに思うなんて変じゃない?」
なんて子供らしい素朴な疑問!
また私の心が撃ち抜かれる!
「変じゃないですよ。だってお父さんとお母さんは血が繋がっていませんけど、家族でしょう? それと同じですよ」
「ああ、ああ! なるほど!」
テオドールは満足そうに頷く。
血が繋がらなくても家族。お父さんとお母さん。
私は自分の言葉をじっくり考え直し、なんだか恥ずかしくなってきた。聞きようによってはテオドールに結婚を申し込んでいるように聞こえやしないだろうか。
もちろん、まだ十歳の彼はそんな風に思わないだろうけど。もう何年か経って、あのとき師匠が気持ち悪いことを言っていたとか感じるんじゃないか――。
そう心配するのは私の考えすぎだろうか。
テオドールは成長するたび、ますます美少年になっていく。
幼い少女を自分好みの女性に育てる小説をどこかで読んだが、それの男女逆バージョンをしている気分になってくる。
二百年近く生きてきて、初めて異性を意識して、その相手が十歳の子供だなんて……我ながら危なすぎる。
テオドールが十五歳になった。
魔力はかなり成長し、魔法の技術も一流と称して差し支えない。
そして手足が伸びて、すっかり大人っぽくなって、けれどまだ子供っぽさも残っていて。
まさに絵に描いたような美少年だ。額に入れて飾っておきたくなる。
血走った目で「殺す」とか言っていたあの日が、とても懐かしい。
師匠と弟子で、姉と弟。そんな関係をずっと続けていた。
五年前のように、お互いぎこちない言葉で確かめ合わなくても、私たちはすっかり仲良しさんだ。
ところが、ところが。
「師匠」
「はい、なんでしょう?」
「好きだ」
どうしたわけかテオドールは、わざわざ口に出してきた。
「はあ、どうも。私も好きですよ、テオドール」
なにを今更と思いつつ、私は素直な言葉を返した。
「そういうんじゃなくて。家族としてではなく。いや、別の形の家族になりたいというか。好きの種類が違う。俺は師匠が……」
テオドールはいつかのように頬を赤らめながらも、真っ直ぐ見つめて語ってきた。
「……っ! 駄目です駄目です!」
さすがの私も、最後まで聞かなくても彼がなにを言いたいのか理解した。
そして封印していた感情がドッと溢れ出してくる。
いくら美少年でも、いくら懐かれても、恋したらいかん。
そう思って恋愛回路を切断していた。なのにテオドールのせいでまた繋がりそうになってしまう。
「私は師匠で、あなたは弟子です。私は姉で、あなたは弟です。家族愛です。恋愛ではありません。あなたはきっと自分の気持ちを勘違いしているんです。同年代の女の子ともっと交流すれば相応しい人に出会えるはず……そうですよ、あなた、私以外と交流がなさすぎです。もっと交友関係が広がれば、私なんか恋愛対象にならないはずです」
テオドールはまだなにか言っていたが、私は耳を塞いで、宿の自分の部屋に引きこもった。
その夜は悶々として眠れなかった。
「師匠。好きです」
断り続ければそのうち諦めてほかの女に流れると思っていたのに。
テオドールは二十歳になってもまだ同じことを言っていた。
しかも、ほぼ毎日のように言ってくる。
私も私で、いい加減慣れればいいのに、言われるたびに悶々としてしまう。
おかげで寝不足が続く。
悶々々々々々々々々々々々々々々々々々。
もぅ!
「あのですね……前にも言いましたよね? 私、人間じゃないんですよ。竜人なんですよ。種族からして違うんです」
「知っている。けれど、知ったことか」
なんか格好いいこと言ってる……。
というか顔が近い。その美形な顔をあまり近づけるな。この弟子、私を落とす気か!? 落とす気かぁ……。
「……歳の差を考えてください。私はじきに二百歳。あなたは二十歳。十倍ですよ、十倍。人間からしたら、お婆ちゃんってレベルじゃないですよ」
「そんなもの気にしたこともない。師匠は出会った頃と変わらず、ずっと美しい。外見だけでなく、内面も可憐だ」
あああ、顔が熱い。
もの凄く真っ赤になってる絶対。恥ずかしい。誤魔化せない。
けれど乗り切ってみせる。私は白騎士アンリエッタ。潜った修羅場の数が違うのだ。
「可憐って……年下のくせに生意気です……」
もちょっと突き放せよ、私。
これじゃ受け入れちゃってるよ!
いっそ攻撃魔法をぶっ放すか?
でもここは宿だ。町中だ。お尋ね者になってしまう。
私は後ずさって弟子から逃げる。が、すぐ背中が壁についてしまった。
なら右か左に逃げれば……。
「師匠、ちゃんと答えてくれ。俺はあなたが好きだ。愛しているんだ。立場とか種族とかではなく、師匠が俺をどう思っているのか答えてくれ!」
テオドールの両腕がドンッと壁に突き立てられ、私の頭を挟んでしまった。
これが噂に聞く壁ドン! しかも両手で!
逃げられない!
というかテオドール、背が高い。
ちょっと前まであんなに小さかったのに、いつの間にか私より頭一つ分も大きくなってしまった。
人間の成長は早い。早すぎる。
それだけ早く死ぬんだ――。
「ズルいです……!」
「逃げようとする師匠が悪い」
「いいえ、悪いのはテオドールです! こんな……格好良く成長しちゃって……それで毎日のように好きって囁いてきて。私、頑張って断ってるのに! ズルいです! これじゃ……私だって自分の気持ちを抑えられないじゃないですか……」
「じゃあ、師匠も俺を好きなんだな……?」
「好きですよ。あなたに告白されるずっと前から好きです!」
もうヤケクソだ。
「俺が告白するずっと前? つまり、あれか? まだ小さかった子供の俺を好きだったのか?」
「そ、そうですよ……」
「犯罪じゃないか」
「だから駄目だって自分に言い聞かせてたんですよ! なのにテオドールは成長して、ますます格好良くなって……そんなテオドールに好きって言われ続けたら、私、おかしくなってしまいます――」
突然、息ができなくなった。
テオドールが自分の唇で私の唇を塞いできたのだ。
ふごぁっ!?
喋れない状態でよかった……絶対、奇声を出していた。
「おかしくなってしまえばいい」
「む、無責任に言いますね。人間は長生きしても百年くらいしか生きないでしょう。竜人は千年生きて、ようやく貫禄が出てきたとか言われるんですよ。テオドールがいなくなっても、私はずっと生きていくんですよ。それに耐えろと?」
「俺も長生きする。寿命を延ばす魔法、アイテム、薬……方法は色々とあるはずだ」
「それでも限度が……」
「なら死んでも生き返ってやる。転生という概念があったはずだ。記憶を保持したまま生まれ変わる……成功したという実例は知らないが、概念がある以上、誰かが試したんだろう。俺と師匠で成功させよう。俺は何度でも生き返って、アンリエッタの隣に立つ」
「だから……そんな格好いいことを格好いい顔で言うのはズルいです……」
「ズルくない。俺は好きだと告白した。アンリエッタは好きだと答えてくれた。なのに、まだ逃げようとしているアンリエッタのほうがズルい」
「でも、でも……人間と愛し合うのは、竜人にとって禁忌とされていて……それは寿命が違うから悲しい思いをするのが分かりきっているからで……あと、人間と竜人の間に子供ができたって話を聞いたことありませんし……」
「そうか。子供が欲しいのか。アンリエッタが知らないだけで、できるかもしれない。頑張ろうな」
「~~っ! 言っておきますが、師弟関係がなくなるわけじゃないので。普段はちゃんと師匠と呼んでください。名前で呼ぶのは、特別なときだけです」
そうだ。
線引きは重要だ。
師匠として主導権を握らねば。
「特別なときって、具体的に?」
「……デートとか……あと、えっと……子作りのとき、とか?」
まあ、そういうときは名前で呼ばれたい。
「分かった。師匠」
そう、それでいいのです――と、したり顔で言うつもりだった。
「……い、今はアンリエッタで……いいです、よ」
気がついたら、なんかそんなことを呟いていた。
私はベッドに押し倒される。
「あの……あの! ……今更ですけど……私、あなたの十倍も生きてるのに……男性と、お付き合いしたことがなくて……こういうときの作法とかまるで分からなくて……年上なのに、師匠なのに、リードして差し上げるのは無理なので……むしろ不快な思いをさせてしまうかもです……」
「不快になるわけがない。俺はアンリエッタのそばにいられるだけで幸せなんだ。肌を重ね合わせられたら、幸せ過ぎて死ぬかもしれない」
「死なれたら困ります! や、やっぱり今日はなしで……心の準備が……」
「駄目だ。逃がさない。それに、初めてなのは俺も同じだ。上手くいかなくても、まあ、なんだ。二人で学んでいこう」
「は、はい……よろしくお願いします……えっと、その……私、痛がって『やめて』とか『もう無理』とか言っても、絶対にやめないでくださいね……覚悟決めたので……最後までできないほうが……嫌です」
私の心配は杞憂だった。
痛みなどまるでなかった。
その代わり、次の日の昼間を過ぎても腰が抜けたままで起き上がれず、もう一泊分の宿代を払う羽目になった。
「私の弟子はケダモノでした……」
ベッドから起き上がれない私は、天井を見つめてボンヤリと呟く。
「……『やめて』とか『もう無理』とか言っても絶対にやめるなと言ったのはアンリエッタだ」
「そうなんですけど! そうじゃなくて! あれは痛くても頑張るという決意表明で、あんな……あんなメチャクチャにしろという意味じゃないですから! あと今は師匠と呼びなさい! 弟子のくせに生意気な!」
「そうか。ところで……今夜は大丈夫そうか?」
「こ、今夜もするつもりなんですか!?」
「むしろ、毎晩」
「そしたら私、ずっと腰が抜けたままで寝たきりになるじゃないですか!」
「二百歳だからな。仕方ない。大丈夫、俺が守るから」
「格好いい顔で言っても駄目です! え、ちょ、まさか今から!? ……そんな風に育てた覚えありませんよっ!」
次の日は、午前中のうちに宿を出た。
私は根性で平静を装っていたが、ロングスカートの下で膝が生まれたての子鹿みたいに震えていた。
テオドールが私の弟子かつ恋人になって、五年が経った。
大陸中の図書館を巡って古い知識を得たり、ダンジョンに潜って未知のアイテムを集めたりした。
やはり人間を千年以上生きながらえさせるのは難しそうだ。
だけど焦りはない。
まだまだテオドールは若いし、試行錯誤する日々が楽しかった。
あるとき私は、今いる場所が子供の頃の思い出の場所に近いと気づいた。
しかも季節が丁度いい。
「ねえ、テオドール。行きたい町があるんです。キシーナの町っていうんですけど、そこでもうすぐお祭りがあって……」
「祭り? なにか特別な祭りなのか?」
「ええっと。ワスレナグサの花が町全体に咲いていて、とても綺麗なんですよ」
「そのワスレナグサは特殊な品種なのか? 薬草成分があるとか、香りでモンスターを寄せ付けないとか」
「いいえ。普通のワスレナグサです。青くて小さくて可愛い花。キシーナの町自体も、どこにでもありそうな小さな町。ぱぁぁっと咲き誇るワスレナグサを見ながら、みんなで踊ったり、お酒を飲んだりするお祭りです」
「もっと有名で規模の大きい祭りがいくらでもあるのに、どうしてそこなんだ?」
「私が子供の頃……それこそまだ十歳とかだったとき。お父さんと一緒にそのワスレナグサ祭りに行ったんです。竜人って排他的なんですよ。竜人こそがあらゆる人の中で最も優れていると固く信じていて、そのせいか、ほかの種族とあまり交流しません。なので私は、竜人の里から出たことがなくて、世界はどうなっているんだろうと想像を巡らせる少女でした。想像だけでは我慢できなくなって、何度も里を脱走しようとしては大人に捕まっていました。子供が人間の文化に染まるのが嫌だったんでしょうね」
「……たんに方向音痴の子供を心配しただけかもしれないぞ」
「そ、その可能性も大いにありますけど……とにかく、私があんまり外に行きたがるので、お父さんがワスレナグサ祭りに連れて行ってくれたんです。一度行けば気が済むと考えたんでしょう。でも私は外の世界をすっかり気に入ってしまいました。そのあとも脱走にチャレンジし、ついに成功し、今に至るというわけです」
「よく一人で迷子にならずに旅ができたものだ」
「迷子にはなってますよ。進み続ければ、どこかの町や村につきますから。なんとか生きてます」
「恐ろしい旅の仕方だ……」
「あはは。それで、ふと久しぶりに見たくなったんです、ワスレナグサ祭り。テオドールと一緒に思い出のお祭りを回って、新しい思い出を作りたいなぁって」
「好きな相手にそういう言い方をされたら、頷くしかないじゃないか」
「あとですね……久しぶりにお父さんとお母さんに会いたいと思いまして。けど、家出したまま百数十年も帰ってないので、一人で里帰りするのは緊張します。一緒に来てください。で、両親に紹介しますから。私の大好きな人です、って」
「それ、俺のほうが緊張するやつじゃないか」
「……駄目、ですか?」
上目遣いでテオドールを見つめる。
彼がこういうのに弱いと、この五年で学んだ。
私だってやられっぱなしじゃないのだ。
「駄目じゃない。むしろ嬉しい。なにせ竜人の里は、冒険者ギルドも魔法師協会もどこにあるか把握していない。竜人の導きがないと入ることができない土地なんだろ? そこに行ける機会を逃してたまるか。それに――」
テオドールは微笑む。
「俺もアンリエッタの両親に会いたい。娘さんをください、って」
ああ、うん。
やっぱり、やられっぱなしかも。
「えへへ。テオドール、大好きです。ちゃんと長生きしてくださいね。私より先に死んだら駄目ですよ」
人間は長生きしてせいぜい百年。魔法や薬を駆使しても最長記録が二百年。
竜人は何千年も生きる。
だから私のお願いは、無茶振りなんてものじゃない。
けれどテオドールは笑って頷いた。
「分かってる。どっちが長生きするか競争だな」
春が近づいている。
ワスレナグサが咲き誇る季節だ。
確か、その花言葉は『私を忘れないで』。
もしテオドールが約束を守れなくて、私を残して逝ってしまっても、彼との一つ一つの思い出を決して忘れない。
まあ、それはそれとして、全身全霊で私より長生きさせますけどね。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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テオドール視点の長編を連載しています。
切ない展開もありますがハッピーエンドで終わります。
キリのいい10万文字まで書きためているので、こちらもよろしくお願いします。
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