助手席に痕跡
思わぬかたちで乗ることになった先輩の車。
信号待ちの静かな車内に、フロントガラスを打ち付ける強い雨音が響く。
心地良い沈黙の中、ふわふわとした膝掛けの感触を弄んでいると、ふと傍らの電子煙草の箱が目に入った。
確か先輩は、社内でも名の知れた愛煙家なはずだった。
私の動かない視線の先に気付いて、苦笑いする先輩。
「彼女が煙草の匂い苦手でさ。車はコレで我慢中」
参るよなぁと肩をすくめながらも、ふっと緩んだその表情からは、彼女さんを想う先輩の本心が滲み出ていた。
「……そうなんですね。優しいなぁ」
軽く軋んだ胸の痛みには気付かないフリをしながら
"私は先輩の煙草の匂い好きですよ"と、いらんことを口走らないようにぐっと力を入れた。
持ち主ではない私の足元を温める借り物の膝掛け。
車内で唯一色を持つ膝掛けに、ここには居ない彼女さんの絶対的な存在を感じる。
(いいなぁ、誰かに想われるって。大切にされるって)
そんな私の複雑な胸中に気付くはずもない先輩は、変わらぬ様子で進行方向を見据えてハンドルを握っている。
憧れの横顔を盗み見ながら、私はそっと左耳からイヤリングを外す。
そして素知らぬ顔で、それを左ドアポケットの奥底に静かに滑り込ませた。
……驚いた、こんな昼ドラみたいなことを私がするなんて。
どうせこんなことしたって、きっとどうにもならない。
でも、何もせずにはいられなかった。
助手席に投じたこの一石は、私に何かをもたらすのだろうか。
彼女さんと私の、目には見えない攻防戦。
その幕が開けることを、私ははただ静かに望んでいようと思った。
◆
助手席にきちんと畳まれた膝掛け。
「誰か乗せたの?」
「あぁ、一昨日の大雨の日に会社の後輩乗せた」
進行方向を見据え、いつもと変わらない様子でハンドルを握る彼。
そんな彼を横目に、私は左ドアポケットの奥底でキラリと主張する物を静かに手に取った。
指先で微かに揺れる小ぶりなパールのイヤリング。
その後輩の子はきっと、シフォン生地のブラウスが似合うような可愛らしい女の子だろう。
……さぁ、どうしたものか。こんな昼ドラみたいなことを私が経験するなんて。
彼との関係性は、揺るがないものだとは思っている。
ただやはり、こういったことを目の当たりにすると胸騒ぎがせずにはいられない。
助手席に投じられたこの一石は、私に何かをもたらすのだろうか。
後輩の女の子と私の、目には見えない攻防戦。
それが今、そっと幕を開けた気がした。
小説家になろうラジオの特別企画
「なろうラジオ大賞3」応募作品です。
『助手』を題材にした投稿作品、
少しでもお楽しみいただけますと幸いです。
書き手として、昨年よりも成長出来ていますように!