第2話 このセカイと彼女の話
【呪いの地】
半分は海に、もう半分は森に囲まれた荒地。
それは決して植物が生きることなく、たとえ、乾燥に強く、雨に強く、どこでも生えるような雑草であっても、その地に顔を出すことはない。
別の土壌を持ってきて植えても、すぐに枯れてしまい、森との境目は区切られたようにくっきりと別れている。
その地がなぜ【呪い】とされるのかは分からない。誰かは魔女の悲恋の呪いだといい、誰かは土地の主が怒り狂った憎しみと言い、また誰かは神の涙の跡だと言う。そして、そのどれもが荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい、作り話だと言う研究者達が、未だ解明に至っていないのが、この【呪い】だ。
僕の居るこの屋敷は、そんな地のど真ん中にぽつんと建っている。
間違っても人が入って来ないこの地に。
◇◆◇◆◇
朝。まだ日が昇りきっていないが、レオは同室の青年をを起こさぬよう静かに動き出す。
この屋敷は、三つの棟が、廊下の橋によって繋がっている。向かって右の棟がレオたち使用人の寮、左が館の主人ヴィオレットの生活棟、そして真ん中が共用棟となっている。
支度を終えたレオは、寮の自室から管理人室へ向かう。
ノックをして返事が聞こえたことを確認し、そっとドアを開けた。
奥の執務机には、初老の男性がいる。
レオが入ってきたことに気づくと、書類から顔を上げ、微笑んだ。
「おはよう御座います、レオくん。今日はまたお早いですね」
老成した穏やかな声につられ、レオの顔も和らぐ。
『今日の分を書きに来ました。あと、昨日の書きかけも』
レオの言葉に、男性はにっこり笑うと棚から一冊の日記と、ペンを取り出した。
レオはそれを受け取ると、手前の机に陣取り、昨日のページを開いて続きを書いていく。
書いている様子を見ていた男性は、感心したように言った。
「レオくんの文字は綺麗ですねぇ…」
褒められレオは照れたようにはにかむ。
声の無いレオの少ない伝達手段の一つ。文字は、彼にとって大事な物なのだ。
書き終わったレオは、パタンと日記を閉じる。
と、同時に、部屋の掛け時計がぼーんと鈍い音を鳴らす。
その音を聞くと、レオはいつも通り男性に日記を預け、一礼して部屋を出た。
◇◇◇◇◇
長く大きな机に、豪華そうな椅子が並ぶ。
共用棟の食堂にはぞろぞろと人が集まってくる。
レオは同室の青年を見つけ、彼の隣りに座った。
広い食堂にはレオを入れて10人。屋敷の大きさに反して少ないが、その半数は屋敷の手入れ管理を担当している。
「皆さんお待たせいたしました〜」
たった一人のシェフ、アルトががらがらと料理の乗ったワゴンを運ぶ。いい香りが食堂に漂い、皆顔を綻ばせる。
アルトはヴィオレットの元いた屋敷からついてきた一人で、買い出しが週二回、食料の乏しいこの屋敷でも、とても美味しい料理を出してくれる。
今日のメニューは、かぼちゃのポタージュに、焼き立ての麦パン、そして豚肉の燻製だ。
全てヴィオレットの食材の余りで作られているが、そうとは思えないほどしっかりとした食事で、1日の楽しみと言っても過言ではない。
アルトはいくつかの皿に軽く触れると、パチンと指を鳴らした。すると触れられた皿はふわりと浮き、長く大きい食堂の机の上を滑るように移動すると、レオたちの前で止まった。
レオは、おお……といつもの事ながら感動してしまう。
「魔法使い」というものは、庶民にとってはお伽噺の一員だが、貴族階級、もしくは貴族に仕える者たちの一部は、魔法を使うことができ、魔法使いとはとても身近に在る。
正確には「魔術」といって、魔力がないと使えないようなのだけどそこら辺はあまり分からない。
そしてアルトは、元宮廷魔術師の父をもつ貴族の生まれで、浮遊魔法なるものを使える。
聞いたときには何の事やら全く分からなかったから、初めて見たとき、レオは随分と驚いた。
皿に何か付いているのではと不思議がるレオを、皆が微笑ましく見ていたのもいい思い出だ。
一度、何故貴族のアルトがここで料理人なんてやっているのか、聞いたことがある。
「うーん……自分しか、お嬢様に料理を作れないから、かな?」
困り眉で笑う彼に、レオはチョークを走らせた板を見せる。
『アルトさん以外にも料理を作る人はいますよ?』
それを見たアルトは少し眼尻を下げた。
「自分と同じように料理を作る人はいっぱいいる。自分と同じように魔法を使える人もいっぱいいるよ。でも自分のように魔法と料理ができて、かつこんな辺鄙なところに行けるような物好きな貴族は、そうそういないから。」
それに、と少しトーンの落ちた声で言う。
「お嬢様は、自身を護る術がない。だから、自分は少しでもお嬢様の刃と成りたいんだ。」
それはとても強い決意のはずなのに、その瞳には悲しい色が浮かんでいた。
◇◇◇◇◇
屋敷も準備を終えた頃、館の主人が起きる。
メイド長のビネットはドアをノックし声をかける。
「お嬢様、朝で御座います」
すると程なく、内側からノックが返される。レオ達が一歩下がると控えめにドアが開けられ、さらりとした銀髪が覗いた。
ヴィオレットが部屋から出てくると、ビネットとレオは一礼し、挨拶を述べる。
「お早う御座いますお嬢様。朝食の準備ができておりますので、こちらへ」
ビネットがキビキビとした動きで前を歩き、その後ろをまだ眠気の残ったような足取りでヴィオレットが付いていく。レオはその更に後ろを歩く。ヴィオレットが歩くたび、鈴の音色が響く。
ヴィオレットは、自分の位置を示すために鈴をつける。シンプルながら精巧なデザインのその鈴は、ヴィオレットが呪いを持っていることの証であり、彼女をこの屋敷に縛る鎖なのだ。
人に触れられない【死の呪い】。触れた相手だけでなく自身をも死に至らす最悪の呪い。それを持つ少女は九年間、その鎖に縛られている。
だから、この屋敷には掟がある。彼女の半径1メートル以内に近づかないこと。屋敷内は走らないこと。曲がり角では一度向う側を確認する事等々。
自身を守るために、主を守るために。この鳥籠は、狭く小さく作られていた。
「レオ?行くわよ?」
ヴィオレットに声を掛けられ、かなり距離が離れてしまっていたことに気づく。
慌てて追いかけ、咄嗟に口を動かした。
(はいっ!)
レオの声にならぬ返事は届いただろうか。
長くて短い一日が始まる。
◇◇◇◇◇
上流階級の子どもは、基本的に貴族高等学院で基礎教養を学ぶ。そこで貴族同士のコネを広げたりするらしいのだが、呪い持ちのヴィオレットの存在は隠されており、かつ人に触れられないため、学院には入学できない。
そのためこの屋敷には三人の教師がいる。
「は~い、じゃあこの問題わかる人〜」
おっとりとした声で話すのは見るからに優しそうな若い女性。
彼女はミリアン先生。語学や教養を教えてくれる。いつものんびりおっとりしているため、授業中眠くなるのはご愛嬌だ。
「じゃあ〜レオく〜ん」
「!!」
急に当てられワタワタする。急いでチョークに手を伸ばすと答えを書いていく。恐る恐る見せるとどうやら合っていたようで先生はにっこり笑顔になった。
横ではヴィオレットがワタワタしていたレオを見て笑っていた。ひどいものだ……。
さて、なぜ使用人であるレオがヴィオレットと一緒に授業を受けているのか。時間は少し遡る。
最初は、レオはお付という形でヴィオレットのそば(と言っても見える範囲というだけだが)に控えていた。
授業が始まる。
ヴィオレットがうつらうつらし始める。
ヴィオレットが教科書を盾に寝る。
起こそうにも触れられず声も出せずでレオにはどうしようもない。
先生は、困ったようにレオを見ると、なにか閃いたようだった。
どこからか机と椅子を持ってくると、ヴィオレットから離れた部屋の端に置く。
そしてレオに座るよう促すと、目の前にヴィオレットと同じ教科書を置き、教壇に戻る。
「レオくんは文字の読み書きは出来るわよね。今までの授業も聞いてたわね?」
優しい声でにっこり聞いてくる、なんとなく無言の圧力を感じコクコクと頷くレオ。
「それじゃ、十四ページを開いて、この問分かる?」
(……え?)
戸惑うレオ。が、どうにか頭をフル回転させ、自分がすべき行動を考える。
指示通り一四ページを開き、手元の石板にチョークで答えを書いていく。
掲げる様に恐る恐る先生に見せると、先生は少し大きな声を出した。
「あら!レオくん正解です!やっぱりちゃんと聞いていれば分かるものですよね〜」
その目はヴィオレットに向いている。が、笑っていない。怖い。
その視線のせいか、ヴィオレットが起きた。
そして、こっちを見て、先生を見て、え??となっている。
しかし先生は混乱するヴィオレットを置いてさくさく進めていく。それでいいんだろうか、恐らくいいのだろう。
やっと状況を把握したらしいヴィオレットは、姿勢を正し、ちらりとレオに視線を向けたあと、真っ直ぐに先生を見た。なにか燃えている。
先生が、その様子を見てにやりと笑ったのをレオは見ていた。
そんな訳で、レオはヴィオレットと一緒に授業を受けている。
ミリアン先生の手回しは素早く、いつの間にか、先生の授業だけでなく、老師と教授の授業も受けられる事になっていた。
邪魔ではないのか不安だったが、レオがいると、主たるヴィオレットは授業中寝なくなるらしい。
ヴィオレットの役に立っているという事でメイド長も許可をくれた。
教授と老師とは、もう二人いる家庭教師の呼び名だ。
教授の名前はダンテ=ヴェルニ。
でも彼は教授と呼ばれる事を好む。
なんでも某有名大学院の教授をしていて、名前より役名のほうが馴染みがあるんだそう。
彼の授業はとても面白い。よくレオ達に考えさせる。
まあほとんど正解を出せることは無いが、彼は言う。
「勉学とは、正解が全てでは有りません。そして、間違う事も又、正解と成ることもあります。興味を持ち、思考し、ゴールへ辿り着かんとする。その過程と努力が、評価されるべき点なのです」
やっぱり大人は、経験の量が比べ物にならない。
老師は、見た目70代のお爺ちゃん先生だ。
昔は東方の国に派遣され勉強していたらしい。
でもいつの間にか、教わるより教えるような構図になったらしく、現地の人から呼ばれていたのが、《老師》。
この屋敷には彼の孫娘のメイドが居るが、彼女でさえ自身の祖父の名を知らない。が、特に不便はないらしい。
老師曰く、
「わしの名はとうの昔に置いてきた。今のわしはただの老人じゃ。そんなに気にせんでも、老師という名も気に入っとる」
だそう。
気にならないといえば嘘になるが、本人が気にしていないようなので深追いはしない。
老師は元が仏頂面なせいか、メイド数人から怖がられている。だが、彼を知る人から見れば滑稽である。
彼の性格は、明るいとは言い難いが、優しく、丁寧で、この年代のご老人によくある頭の固さも無い。
幅広い知識を持ち、掃除担当の使用人から《師匠》とも呼ばれている。
老師の授業は、その幅広い知識を活かし、ヴィオレット達が興味を持ちやすいように誘導し、積極的に発言させる。
老師の穏やかな声を聞いてもヴィオレットが寝ないのはそういう事である。
ヴィオレットの一日の殆どは、この三人による勉学に費やされている。
本家から離れたため、貴族特有のしがらみや教育がないのもそうだが、知識をつけることにも、理由がある。
「お嬢様には、武器を持ってほしいのです。武器と言っても武力だけではありません。階級でも、財力でも、知識でも。何でも良いのです。一つ、人に誇れるものを、一人の人間として持てる能力を、持ってほしいのです。」
ビネットは、ヴィオレットが何故勉強ばかりするのかと尋ねたレオに、そう言った。
決意のこもった、強い瞳だ。
「お嬢様の呪いが解けた時、異質を嫌う貴族社会がお嬢様の力になるとは思えません。どこで生きるにしろ、お嬢様には後ろ盾が無いのです。何もせず、ぬくぬくと籠に閉じ込めているのでは、未来は拓けませんから。私達にできる最大限のサポートを、お嬢様にはしてさしあげたいのです」
彼女は貴族であるが、魔法が使えない。
彼女は、ずっと存在を隠されてきた。
人を殺すような呪いを持っていたから。
彼女を知らない者たちならば、誰が聞いても、彼女に好意的に関わろうとはしないだろう。
だから、作るのだ。
その多くのマイナス要素を補える位の「武器」を。
いつ何があっても後悔しないために。
◇◇◇◇◇
「レオ?聞いてる?」
ヴィオレットが心配そうに椅子から声を掛ける。
レオは意識を現実に戻すとにっこり笑って頷いた。
そして、ヴィオレットがレオに向けて広げていた物を見る。
「きれいでしょう?頑張ったのよ!」
そこには美しい蝶の花園の刺繍があった。
ひとつひとつの羽がグラデーションになっており、かなりいい出来だとレオでも分かる。
『凄いです。とても美しい刺繍ですね。ですが』
「?」
『いつ、やったんですか?もしかして、夜遅くまでやってたり?』
「!!」
すっと目をそらすヴィオレット。
一定の距離を保ちながらも笑顔と石版の文字で圧をかけるレオ。
ミリアン先生の技はしっかり習得済みである。
圧に負けたヴィオレットは、目を逸らしつつも観念したように呟いた。
「……早く完成させて見せたかったの。終わらないのは、嫌だったから」
レオはしゅんとしたヴィオレットを許しそうになるが、メイド長の「甘やかさない」という言葉を思い出しなんとか文字を綴る。
『お嬢様はメイド長の言いつけを守れないお方なのですか?これをビネットさんが知ったら、明日のおやつは……』
「そっ、それは嫌よ!もう、しないわ。約束するから……」
焦り、しゅんとなって、上目遣いで見つめてくる。
ころころ変わる表情に、レオはふと笑みが溢れた。
初めて彼女を見た時、なんとなく、人形のような、静かでおとしやかで、表情が少ないような、そんなイメージを持ったけれど。
ヴィオレットは、レオが思っていた何倍も、人間の、年相応の女の子だった。
負けず嫌いで、潔くて、明るく前向き。
くるくる変わる豊かな表情。
よく喋る、よく動く。
この屋敷の誰よりも生き生きしていた。
そして多分、この屋敷の誰よりも、無理をしている。
呪いのせいで体が弱く、少しでも体調を崩せば、生命力が呪いに負けて死に至る。
今は、まだ動ける分元気なようだが、レオが来る少し前までは、ずっと寝たきりの時期で、もう起き上がらないかと思われていた程らしい。
そして何時またそうなるか分からない。
見えない未来への不安、いつまた動けなくなるのかという恐怖、呪いという枷への憎悪……そんなモノを笑顔に塗り込め、彼女は、明るく気丈に振る舞っている。
無理は禁物、彼女の辛さを少しでもこぼしてほしい、でも。
今のままの、明るい彼女が良いとも、思ってしまう。
(多分、僕は現実を見たくないんだ)
だって彼女はレオの恩人なのだから。
刺繍を見つめたまま、また黙り込んだレオに、ヴィオレットは言葉を連ねる。
「ほら、最近は魔力も安定してきてるの。レオのおかげよ。わたしが具合悪くなるのは、魔力のゆらぎのせいだから、安定してれば多分大丈夫よ」
柔らかく微笑み、レオの目を覗く。
レオがヴィオレットに初めて挨拶した時の、きれいな笑みだ。
けれど、それでもレオは安心することができない。
その瞳には柔らかい色が浮かんでいるが、レオにはそれがどうにも儚く思えてならなかった。
〈屋敷の人々は、皆、呪いが解けるその日まで、お嬢様にはお体を大事にして頂きたいのです。〉
屋敷に勤め始めた日、ビネットはそう言っていた。
だから、ヴィオレットがどれだけ大丈夫と言っても、めったに無理はさせず大事に大事に生活させている。
〈呪いなんていつ解けるかわからないもの。私にとって大事なのはいつも今よ。〉
ヴィオレットは、毎日を命懸けで生きている。死と隣合わせでなお笑っている。
それが、どれだけ辛く怖い事か、レオはその言葉でやっと分かったのだ。
ヴィオレットにとって、呪いは生まれた時からずっとある鎖なのだ。
その鎖が切れるいつかなんて待っているよりも、一日一日を後悔しないように生きることのほうが、彼女の生きる意味を持たせてくれるのだ。
どちらの言い分ももっともで、どちらもヴィオレットを生かすものだ。
選ぶならば、今か、未来か。
レオは選んだ。というか、決めていた。
初めて彼女を見た時から。
彼女の幸せを願い、
彼女の望みを叶え、
彼女の、生きる意味をつくることを。
レオは、仕方がないと息を吐いた。
『今回だけですからね。しっかり寝て、授業を寝ずに受けたら、少し僕から打診してみますから』
レオの言葉にヴィオレットが目を輝かせると、後ろのドアからノックの音がした。
「お嬢様、夕食のお時間です」
「はーい!」
聞き慣れたドア越しのビネットの声に、椅子を立ったヴィオレットは明るく返事をした。
◇◇◇◇◇
コチ、コチと振り子時計が一定のリズムを刻む。
レオは今日の分を書き終わると、日記を閉じようとして、やめた。
ぱらぱらとめくり、あるページで止めた。
レオには夢がある。
人を助けられる人になりたい。
母も、父も、里親も、皆誰かを助けていた。
少しでいい、ちょっとでも救いとなれたら。
自分が救ってもらえたように。
彼女の隣に死に神を見た時、レオは決めた。
彼女の呪いを解こうと。
今まであまり強い感情を抱かなかったレオの、初めてと言える強固な欲。
腹の奥が熱くなり、ぐっと力が湧いてくる。
この感情を、この感覚の理由を、レオは知らなかった。
パタンと日記を閉じると、レオは部屋を出た。




