みんながいたから
広川も、会場の中で飲み物をとりながら、反省点や確認事項を整理していった。時間の無さに少し焦りはあったが、メモに書き出していくと落ち着いていくのを感じた
ただ、劇の最中の音響や照明がタイミングよくできてこそ、劇が出来上がるという点はわかっていたものの、たった一日で合わせるのは難しいと思った。演劇部の方たちも慣れているとはいえ、肝心の劇員のタイミングと合っていないのも気になった。
そこで16時45になってから、再度1シーンごとに、さっきの反省点や確認事項の確認の意味を込めて、再度練習を行うことにした。練習が、長引いてきているのが、気にはなかったが、演劇部の責任者も「いいものにしていきましょう!」と快く賛成してくれた。
「そうですね。悪いけどみんな、協力してください。宜しくお願いします」
そして、練習を行いながら、気になる所をメモにとりシーンが終わることに照明や音響係と意見交換しながら、練習を進めていった。少しずつ呼吸はあっていたが、劇員の入り方や動作と照明や音響があっていない部分もあったので、それを一つ一つ話して調整していった。細かい作業で、皆真剣な顔つきになっていた。ただ、みんな文句を言うこともなく、地道にやっていった。
ある程度、出来上がってくると、演劇部の責任者と語劇の運営スタッフで相談して、通しリハーサルを行うことになった。
広川と他の運営スタッフも舞台袖に行き、みんなで円陣を組んで、気合を入れて行うことになった。
「広川君。何か合言葉決めてよ」
元子が突然言った。
「うーん。突然言われても。そうだな…」
みんなが笑った。
「それじゃあ、普通だけど”語劇チーム”ファイトってのはどう」
「普通すぎるよ」
智慧がつっこんだ。皆も、そのやりとりに笑いがこぼれた。
「まあ、それでいいんじゃない。みんな」
みんなは仕方なさそうに笑いながら賛成してくれた。
「それじゃ、行こうか。語劇チーム。ファイト!」
広川が気合を入れて言うと、みんなも続けて、"ファイト"っと掛け声をかけて言った。さっきの少し緊張した雰囲気が和らいだように、劇員たちは、それぞれの場所に足取りも軽く向かっていった。
広川たちも、舞台を降りて、階段で上っていった。元子が、演劇部の方に合図を送ると、音楽が流れ始めて、暗い舞台が徐々に明るくなってきて、最初のシーンに出てくる恵子と修たちが出てきた。 そうして、最初のシーンが終わり、順調に次のシーンに移っていった。
全部で、8シーンあったが、一通り流していった。途中の5シーン目は、緊張してセリフに詰まる人もいたが流れが停まることがなく、なんとか最後のシーンまで進むことが出きた。
リハーサルが終わると、既に7時になっていた。リハーサルの反省や確認をしたかったが、レセプション部門が、用意してくれていた夕食ができている頃だったので、広川たちは演劇部に今日のお礼を伝えて、明日の本番前のリハーサル時間の確認をして会場を出ていった。
学生センターの近くにあるプリンスホールというエレガントな響きの建物は、簡単に言うと食堂だったが、食堂の割には、どこか優雅な雰囲気で食べることができる所で華やかだった。そこに、中国語劇スタッフ用の食事が用意されている最中だった。広川たちは、カウンターまで行って自分の分の料理を取りに行って、席まで運び、椅子に座った。みんなが、料理を取り終わると、食事を始めた。
皆は練習で疲れていたが、やっと食事ができて喜んでいる様子だった。一緒に付いてきていた劇員の子供たちも、劇の話をしたりして盛り上がっていた。親のセリフや動作を真似してはふざけて親をからかっている子供もいた。その光景がほほえましかった。
一通りご飯を食べると、談笑が始まった。楽しそうに話をしていると、学生時代当時の中国語劇の練習や出来事に話であちこちに花が咲いた。ふいに後輩の坪原仁志が広川や智恵たちに質問した。
「そういえば、広川さんたち運営スタッフの中で、当時後輩である僕たちに話せない出来事とかありましたか?」
運営スタッフたちは、お互いに顔を見合わせて、苦笑いしながら、智恵が話し出した。
「そうねえ、もう時効だから言ってもいいかもしれないけど」と広川の顔をちらっと見て、続けていった。
「やっぱり衝撃は広川君の失踪未遂事件かな」
「広川さん、失踪してたんですか?」
坪原と他の後輩たちは智恵の話にビックリしている様子だった。
「しかも、なんと本番当時の朝に急に連絡が取れなくなったの」
そういうと、皆のえーと驚きと笑いが入り混じった声がフロアに響き渡った。広川は、気まずい感じはしたが、苦笑いをしながら智恵の話を聞いていた。
「実は、当日運営スタッフは8時に会場集合予定だったの。広川君以外は8時前には到着してたけど、広川君が来るの、遅いねって言ってて、さすがに8時5分になった時に、私が電話したら電話も通じなくなって、メールしても返事もなくて大騒ぎしていたの」
智恵がそこまで言うと、広川は苦笑いの声が大きくなった。当日は劇員は9時集合だったが、運営スタッフは8時集合だった。
「それで、みんなで広川君も疲れているんだろうって言っていて、他のスタッフで話をしていたら、早くきた後輩たちもいて、8時50分に電話をしたら、やっと広川君が電話に出てくれたの」
そこまで、智恵が話すと広川は笑いながら話し始めた。
「あの時は、本当に奇跡的に、智恵の電話で起きれたよ。ホントに助かった」
そういうと、他の人たちも笑い出した。恵子が笑いながら言った。
「そんなことがあったんですね。本当に危機一髪のような話ですね」
「ホント、一歩間違えれば失踪だよ」
悦子も、のっかるように言った。
「うん。起きたら8時50分で、それから大学に向かっても自転車で15分かかるし、余裕で遅刻するか、どうしよかって思ったけど、とりあえず着替えをして大学に全力で向かって到着したら、みんなが発声練習してて、俺やっちゃったなーって思ったよ」
頭を掻きながら、広川が言った。
「そうだったんですね。当時は、広川さんは演劇部の人たちと打ち合わせに行ってから、練習にくるって、悦子さんが言ってたから、てっきりそうだと思っていました」
みんなが、懐かしそうにその場を思い出しながら、飲み物を口に運んでいた。
「色々あったんですね。なんか、当時の話を聞けて良かったです」
「そういってもらえると、ありがたいなあ」
広川は照れ笑いをしながら、話し出した。
「実はさ、本当はあのまま、行かないでおこうかなって一瞬思ってたんだ」
広川がそういうと、智恵たちも驚いた様子で顔をして広川を見た。
「最終日の前日にも語劇の公開演劇をしたと思うけど、思った通りにできなくて公開演劇後に反省会をした時も、上手くできなかって泣いていたり、落ち込んでいたりしてる子もいて、申し訳なかったなって思ってしまって。それから、運営スタッフで話をして家に帰った後、実はさ、やっぱり中国語劇の運営委員長なんて、やるんじゃなかったなって思ってたんだ。それで横になって色々考えてたら、今までの疲れもあってか、そのまま寝てしまってたんだ」
その話を聞いていた、みんなはしんみり話を聞いていた。広川は、みんなの顔を見ながら話を続けた
「あの時、電話を出た時も、智恵の声が電話越しに聞こえたけど、まだ寝ぼけてて、「今行く」って言っただけで、電話をきったんだ」
智恵は、「そう言えば、そうだったね」と小さく言った。
「あの時、やっぱり行かないでおこうかと一瞬思ったんだ。智恵たちがいるのなら、大丈夫だとか思ったりして。そんな考えもよぎったよ」
そういうと、ひと呼吸ついて広川が話を続けた。
「でもさ、何と言うか、みんなの練習の風景とかで頑張ってる姿を思い出して、自分でやると決めたんだから今日一日だけは、どんな格好でも最後までその場にいようと思って、立ち上がって着替えをして、大学の会場まで向かったんだ。それで、皆が一生懸命に発声練習してるのが、聞こえてきて、普段と同じように挨拶して、遅れて「ごめんな」って言ったら、皆が、「演劇部の人たちと打ち合わせをしてたんですよね。ありがとうございます」って、言ったとき、ああ、悦子たちが僕のために嘘をついてくれたんだなっってわかったんだ」
「まあ、でも運営委員長が遅刻なんて言ったら、みんなのテンションが下がるというか、仕方がなかったのよね」
智恵が言った。
「そうだよな。でも、結果的に頑張って行ってみてよかったよ。最終日の演劇はとても良くて、僕も舞台袖から見てても生き生きして、来てよかったと思いながら、涙をこらえるのが精一杯だったよ」
「そうだったんですね。何か、すごい複雑な気分ですけど、こうしてまた皆で集いあえたのは、その時広川さんがあの場にきてくれたお陰だと思うので。とても不思議な気分です」
「そうだな。あの時は、電話をくれなかったら、あの場所には行けなかっただろうかららね」
「当然でしょ。運営委員長が当日来ないって、ひどすぎるでしょ。今は笑い話だけど、当時は本当に怒りを通り越して焦りしかなかったわよ」
そう言うと、智恵は苦笑いをした。
「そうだな。本当にありがとう」
そして、顔を上げて、皆の顔を一人一人見ながら、言った。
「今回も、皆には本当に協力してもらって。本当は、ここに来ようと思ったのも、少しの戸惑いもあったけど、皆がいてくれてから、集うことができたと思うんだ。圓谷が、この場所にいないのはとても寂しいことだけど、圓谷を思うとき、皆の心に圓谷はいると思うんだ。だから、皆もあの時の気持ちで一緒に明日一日も頑張ろう」
そう言うと、思いがけず、拍手が起こった。
「そのとおりね。皆頑張ろうね」
しばらくすると、食事も終わった。そして明日の予定を悦子が伝え始めた。明日は午前8時に集合して、8時30分から練習開始で、9時15分からリハーサルで、11時から本番という日程だった。そして、まだ20時過ぎだったが、明日も早い集合なので、このまま解散することになった。
運営スタッフも、皆を安心させるために、解散した。何かあればグループの中で発言をすることになった。広川はホテルに帰って、ほっとしているところに、智恵から電話があった。広川は、今日の進め方で、何か問題でもあったのかと思いながら、着信ボタンを押すと智恵が話し始めた。
「あのさ、今日は、お疲れ様」
「ああ、お疲れ様。何か、あったっけ?」
「いや、特にはないんだけど、あの話をしてごめんね。嫌なことを思い出させたんじゃないかな?」
「あ、そういうことか。いや、全然気にしてないよ。だってもう、昔のことだし」
「それなら、良かった」
「それに、むしろ感謝してるんだ。ずっと、あの時の事を皆にも謝りたかったし、智恵たちにもありがとうって言う機会がなかったから。言えてよかったよ。本当にありがとう」
「感謝だなんて。私たちは、別にそんなつもりで、言ったんじゃないから。だって、浩司、あの時も私たちが帰った後、演劇部と深夜まで打ち合わせをしてたんでしょ」
「そんなことないよ。本当に智恵たちには助けられたよ。あの電話がなかったら、当日はいけなかったと思うよ。本当にありがとう」
そういうと、少し沈黙が流れた。
「ま、浩司がそう言うなら、いいけど。それじゃあ、明日は大事な日になるから、今度は遅れないようにゆっくり休んで、8時に待ち合わせで」
「ああ、また明日。宜しくね」
そう言って電話をきった。スマホを見ると、グループチャットに皆のメッセージが入っていた。そのグループとは別に、和史からもメッセージが入っていた。
“明日は、見に行くから、今日は早く寝ろよ。また会えるのを楽しみにしてる”
広川は、それらのメッセージを見ながら、明日の本番への緊張と期待を胸に、ゆっくりと眠りについていった。途中で思い出したようにスマホで午前6時にアラームをつけて、またベッドに入り、部屋の電気を消した。