懐かしさと共に
最初の頃は、みんなの動きはぎこちなかったが、これまで各自イメージトレーニングしていた成果もあり1時間ぐらい経つと、動作やセリフも息があってくるようになってきた。
楽しそうに練習している風景が、広川にはとても新鮮だった。時を超えて、皆が同じ場所に集って、中国語劇の練習をしていると思うと、胸に熱いものがこみ上げてきた。
学生時代の広川にとっては、毎日の練習が緊張の連続で楽しむという感じではなかった。果たしてうまくいくのか、それ以上に自分が最後まで諦めずにやり通せるのかどうか、日々感じていた。当時みんながいた場所で、広川は目をつぶって皆の練習している声を静かに聴いていた。
一通り練習が終わると、法学部棟に行って練習することになった。途中で、最近出来上がった綜合棟が右側に見えた。地上7階建て、地下2階の大きな建物だった。とても綺麗な外観で、そこを通り過ぎる時に、正面玄関で記念撮影をする人たちもいた。昔はここに小さな教室があり、当時の中国語劇はその場所を使って公演していた。その場所があったであろう場所を過ぎていくのは、心境的に少し複雑だったが、大きくなっていく母校の発展にうれしさも覚えた。
そして、そこから少し坂道を上ると縦長の建物が見えてきた。地上14階建てという大きな建物で、広川が大学入学する1年前に完成した。その建物の裏側には、どういった経緯で作られたのかわかららないが、楕円形の広場があり舞台として使用するのに適していて、そこでよく練習をしていた。
1階の広場が舞台で、2階の方から全体を直ぐに見れたので、動きを確認するのには都合が良かった。
広川たちは、その場所に到着すると流れの説明を行い、いよいよ全体の練習をすることにした。みんなは緊張した顔つきになった。運営スタッフは2階に上がり一つ一つのシーンごとに、動きの確認をしていった。上から見ると、やはり動きのちぐはぐさを感じるところもあったが、一通り何も言わずに通していった。
そして、主人公たちが22世紀に戻ってくる劇の最後のシーン練習になった。ここは圓谷が出ていたシーンだった。広川は当初、この圓谷の代役をしようと考えていた。圓谷がいたから、また皆と出会うことができた。だから、自分が彼の代役でやりたいと決めていた。ただ、梅森から届いたその当時の圓谷の気持ちを手紙で知って、最終的にその役を誰かが代役で務めるのは難しいと広川は思った。その圓谷の思いを、表現しながらセリフを言うことを想像すると途中で息がとまり話せなくなりそうだった。
だから、みんなと相談して、圓谷の代役自体を登場させることなく、おじいさんが書いた手紙をタイムマシーンに乗った主人公たちが読むという方法をとった。この流れは当時みんなが考えて様々代替案を出してくれた。手紙の中身も何度も検討して、果たして21世紀に行く孫にあたる主人公にどんな手紙を送るのか、ということを話し合うためだけのトークルームもできた。不思議な空間だったが、22世紀の舞台から見た今いる21世紀にタイムマシーンで来た場合、どんな世界に見えるのか?と考えることは、皆にとっても興味深く、そのチャットルームは意見であふれていた。
このプロセスは、思い返すと、とても大切なことだったと広川は思った。また、劇員の中には、みんなが圓谷の思いを知りつつ、彼がいないこの21世紀の時代で自分たちが、生きているという現実をそこから感じ取り、毎日を大切に生きられるようになったという感想を書いてくれた。
その最後のシーンの最後のセリフが終わると、それを見ていた紗枝が力いっぱい拍手をした。
「みんな、すっごい良かったよ。私、本当に感動しちゃった」
紗枝は涙ぐんでいた。それまで、なかなか話に参加できずにいたのもあるが、とても感情が籠っていた。みんな、その紗枝の言葉に、しんみりしながら照れているようだった。
そこに智恵が割って入るように「うん。良かったよ。最初にしては上出来ね。でも、みんな、まだばらばらだから。このままじゃ、 だめよ」と、厳しめの意見を言った。
1階にいた劇員の人たちは、「わかりました」ときびきびとした声で答えた。
そして、シーンごとに分かれて、さっきの練習を振り返って反省会をすることになった。
それを見ていた江波は、ほっとしたような声で、広川に話しかけた。
「なんとか、なりそうね。息もあってるみたいだし、劇自体としては成立しそうね」
「うん。そうだね。ホントにありがとうね。北海道からわざわざ、来てくれて」
「ううん。そんなことないよ。久しぶりに演劇するのって楽しいなって毎日思ってたんだから。この年になって発見はいっぱいあったよ」
みんなの顔に、安堵の表情が表れていた。今まで練習していたとはいっても、一緒にいたことがなかったので、上手くできるのか不安だったのだろう。口には出さなくても、そんな表情をしていた。
「そういえば、和史君は?広川君は、何か聞いてない?」
和史と同じ学部だった悦子が言った。
「ああ、和史は、今日は来ないって言ってた。仕事で千葉に出張してるみたいで、明日帰ってくるみたい」
「ふーん。そうなんだ。残念」
そんな他愛もない話をしていると、次の練習予定の11時半になった。
今度は少し臨場感を出そうということで、登場シーン以外の人たちは、運営スタッフと同じ2階からそのシーンを見て、どういう風に感じるのか、発言してもらっていった。同じ登場者として、どのように見えるのか、江波が提案した練習方法だった。
今度は、運営スタッフ以外の人たちが、発言していった。あそこはこうした方がいいよとか、あそこはよかったとか、目線が観客の方に向いていないかと、等々様々な意見が出てきた。
そうして、最後のシーンが終わり、当初予定していた午前の練習も順調に終わった。
「それじゃあ、午前の練習はこれまでだから。午後は13時半から各部門ごとに集まって部門活動してから、また3時から練習するからよろしくね。それでは、一度解散」
悦子が、そういうと皆、食堂に向かっていった。シーンごとに、集まってご飯を食べに行ったり、子供が来ていて、一緒に食べに行ったりしていた。
広川は、先に会場に戻ると、現役の演劇部の学生たちが舞台製作をしているところだった。観客席から舞台の両サイドの奥が見えないようにする袖幕や日本語訳を投影するスクリーンが既につけられているところだった。朝は、ほとんど舞台の雰囲気がなかったのが、午前中にほとんどが出来上がっていた。
広川は、演劇部の責任者らしい人に話しかけて、お礼を言った。
「今日は、朝早くから準備してくれて、どうもありがとうございます」
広川は、自己紹介をしながら、お礼を伝えていった。
「どういたしまして。中国研究会の中国語劇は演劇部が毎年準備を一緒にしてきたので、今回特別に行う語劇も関わることができて、光栄です。梅谷さんから色々要望を聞いてやってますが、何か追加であったら、遠慮なく言ってください」
「ああ、どうもありがとうございます。本当に助かりました」
そう言うと、広川は会場を後にして、キャンパス内にあるコンビニでおにぎりを買いに行った。そして、学生センターの前にあるベンチで、おにぎりを食べて、また会場に戻り午後の準備をした。
そして、1時半になると、会場に戻った。
その頃には、会場は出来上がっていた。みんなも集まってきていた。当時の劇員の衣装を作成していた衣装部門、主に舞台作成補助や当日の小道具を手配する設営部門、音響及び字幕部門に分かれて、今までの確認を行っていった。衣装部門と設営部門は、今日までに準備をしていたので、少しの時間で打ち合わせが終わった。
音響及び字幕部門は、今までの話し合いを元に、今日行うことが多かった。音響の点では、劇中に使用する挿入曲は当時の曲を使用しそれを演劇部の方たちと打ち合わせを行った。事前に梅森に渡していた書類をもとに、準備をしてくれていたので、残りはこの後に行う本番前リハーサル時に、劇と音楽とあわせるだけだった。
字幕は、プロジェクターに移すためのデータをノートパソコンに入れて、投影することになっていた。この作業は劇員が話す中国語に合わせて、画面を変える必要があった。この作業は、智恵が行うことになっていた。智恵も少し中国語はできるが、すべて聞き取れることができなかったので、劇員のセリフ練習で、笹武貫太郎と結婚していた中国人の張さんが、智恵の隣に座って合図を出してくれるようになった。
15時になると、舞台で少し練習してから音響や字幕担当や演劇部のスタッフも入って行うことになった。最初のシーンから、袖からの入り方や音響のタイミング、字幕の切り替えのタイミング等を1シーンが終る度に指摘を行い、気を付けるところは、再度やり直しを行った。照明をしてくれる演劇部のスタッフも、劇員との打ち合わせをしながら、どの動きをするのか、台本を見ながら確認してくれていった。一通り終わったころには、もう16時半が過ぎていた。それが終わって、直ぐに通しリハーサルを行う予定だったが、みんな少し疲れているようだったので、休憩して16時45分から行うことになった。