昔来た道
次の日、広川は6時頃に起きた。ホテルのカーテンを開けると、まだ暗く静かな様子だった。広川は、眠い眼をこすりながら洗面所へ、歯磨きをしに行った。まだ眼は半分つぶった眠気眼のままだったが、目の前にある鏡に映る自分をぼやっと見ながら、ほとんど感覚だけで歯ブラシを動かしていた。何往復か歯を磨き、全部の歯を磨き終わると、コップに水をいれて口を濯いだ。口の中で水をくちゅくちゅと濯いで、水を吐いた。そしてハンドタオルで口元を拭いた。そして顔を蛇口に寄せて、洗って鏡を見ると、さっきよりは目が覚めた自分がいた。広川は、頬をパンっと強く叩いた。
そして、ベッドルーム戻り自分のカバンから、今日持っていく書類の整理をし外出用のカバンに入れなおした。ホテルの近くにあるバス停から大学までは15分ぐらいかかるので、少し時間はあった。集合は8時だったが、早めについていたほうが良いと思い、広川は早めに出発するようにした。
昨日は夜に着いていたため、人通りが多くて、そちらのほうに気を取られていたが、早朝ではまだ薄暗く駅近くの人は少なかった。その分、町並みが多く目に入った。学生時代や卒業後2年目に来た時とは、街の雰囲気は大きくは変わっていなかったが、よく見ると所々はテナントが変わっており、学生時代によくいっていたスーパーがあった場所はすでに、小綺麗なカフェになっていた。時の変わり具合に、興味と一抹の寂しさを感じながら、バス停に向かって歩いていた。
しばらくすると、大学行のバスが来たのでそれに乗った。まだ早い時間帯だったので、それほど人は乗ってこなかった。少し待って、定刻になるとバスが出発した。過ぎていく町並みを見ながら、学生時代の頃を懐かしく感じた。途中に橋が架かっているところに近づくと、土手が見えた。広川は、学生時代の天気のいい春の日に友達と寝転んで日向ぼっこしたことをふと思い出した。窓は締め切っていて、外の風はまだ冷たい感じで、夜露がまだ残っていたが、広川はそこを通るとき、その場所の匂いがバスの中に入ってくるような気がした。
その匂いにしばらく酔いしれていると、トンネルが見えてきた。広川が学生時代に、作られたトンネルだった。車線の両隣に自転車と歩行者用の広い道が通っていた。このトンネルができるまでは、駅まで市街地を通る狭い道が中心で、道路と一緒の道で、交通面で危ないところもあったようだが、広川が大学3年生の頃にこの道も整備されていた。当時、広川は自転車しか持っていなかったので、家から大学までの道のりは、自転車で通っていた。夏の暑い中、自転車に乗って大学に行って、図書館に行っては、劇のシナリオ作成のために、本を読んだり、演劇部の人たちに演劇の仕方を学びに行ったりしたことを思い出し、くすっと笑った。
当時、広川がシナリオを書き終わり初めて智恵や副部長の柿谷裕子達に見せた時に、「内容は、悪くないけど、関西弁が多いよ。浩司。」とダメ出しをされて、東京出身の裕子にシナリオの原本に出てくる登場人物がすべて標準語で話すようになった。その当時は意識はしていなかったが、関西出身の広川のシナリオは、関西弁のオンパレードだったことを感じた。そんなやり取りが、頭の中で駆け巡っていた。
そんなことを思い出しながら、そのトンネルを通ると、直ぐに大学の正門が見えてきた。ここの道は、学生時代のままで、梅の花が少しずつ咲いているのが見えた。ピンク色の梅と少し曇り空でかすかに見える朝焼けの太陽のグラデーションに、広川はしばらく心を奪われた。そして、バスが正門近くのバス停に停まり、広川はバスを降りて、少し坂を上ると大学の正門が見えてきた。
広川は正面に入ると少しずつ続く階段を上っていった。途中で道のそばにある図書館を見上げた。図書館に続く長い階段も、今更見てみると結構きつくて、当時よくこんな坂を往復していたなと思うぐらいきつそうだった。そういえば、ここの階段は大学祭の時には、絵画部が一段ごとに紙を貼っていて遠くから見ると、その当時流行っていたアニメやドラマの俳優の顔を作っていていたことを思い出した。
図書館の傍を過ぎると、左側に少し大きな道路があり、街路樹が並んでいる道が続いていた。その途中で、4階建ての教育学部棟が、立っていた。大学創立から、建設された建物で、もう45年も立っているためか、他の建物と比べて少し年季が入っていた。ただ、広川は変わらぬところにあるその建物に、迎えられたような気がしてうれしかった。