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第1話(天界サイド)

 薬液に浸かった標本や綴じられていない紙は日の光を嫌う。よってその部屋に窓はなく、薄暗い室内や散らかった机の上を照らすのは、無機質な魔術による明かりだ。魔法使いとは塔に棲むものだと言うなら、資料で埋まったこの手狭な研究室もまた、塔と呼ばれるべきものなのかもしれない。


 ここの主は、ぴりぴりした空気を漂わせている青年魔術師だ。朝から数えて何百回目かになる溜め息を吐きながら、麗筆れいひつは紙にペンを走らせ続けていた。そこへ、場違いに明るい少女の声がかけられる。


『ねーねー、麗筆ぅ、どこか行きましょうよ~。ねーってば~』

「………………」

『つまんな~い、つまんないつまんないつまんない~。お仕事なんて放っといて、私をどこかに連れて行ってくださいよ~』

「………………!」


 ちなみに、少女の呼びかけもこれまで何十回となく繰り返されている。いかに麗筆が彼女に興味がないからといって、無視するのも最早限界だった。強く押しつけすぎた羽ペンの先が割れ、インクが滲む。麗筆はわざと大きな音をさせて椅子から立ち上がると、八つ当たり気味に怒鳴った。


「煩いですよ、D! ぼくが好き好んでこんなことをしているとでも? 貴女みたいな本とは違って、ぼくには仕事があるんです!」

『でも、それってぜ~んぶ、始末書じゃん』

「なんですって!?」


 図星を突かれて麗筆は激昂した。Dと呼ばれた少女……もとい意思を持った呪文書インテリジェンスアイテム、ディーヴルも負けじと言い返し、二人は丁々発止のやり取りを始めてしまった。およそいつもの流れである。


 ヒステリックな叫び声を上げる魔術師の名は麗筆。年の頃は二十ほど、不健康な生っ白い肌をしており、背は168センチとそこそこにあるが痩せ型で吹けば飛びそうなひ弱さだ。雪のように白い髪、黒檀のように黒い瞳の持ち主で、いつもすこしくすんだ白い服とカラフルな貴石を鎖にした頭飾りを身に付けている。


 世界最高峰の腕前を自負する眉目秀麗な青年であり、確かに他の追随を許さない実力者だが、それに反比例でもするようにその振る舞いは傲慢。他者の生命や尊厳など、塵ほども気にかけることをしない。世界の危機が迫った際には、その類稀なる魔力と智慧で曲がりなりにも人類の救済に貢献したのだが、損害の方が大きすぎてその後始末に追われる日々を送っている。


 そんな彼の側には、過去にうっかり目覚めさせてしまった魔法の品であるディーヴルがいるわけだが、特に仲が良いわけでもない。なぜなら、ディーヴルの人格はいい子ぶった少女のものであり、実際にはとんでもなく性格が悪い。


 それに彼女は麗筆の頭の中に勝手に話しかけてくるのだが、それを聞かないようにすることは出来ない。つまり、起きている間ずっと、時には寝ていてすら声が聞こえてくるのだ。それだけではない、この性質の悪いマジックアイテムは近くにいる者の心を読む。


 全てを読まれ、全てを語られ、耳をふさぐことも出来ず……常人であれば数日間一緒に過ごすだけで精神に異常をきたすだろう。だがまあ、そこは、最初から正気なんてあってないような麗筆にはどうでも良いことだった。


 彼にとって喋る本は格好の研究材料であり、未だ習得していない知識をこの本から吸収するまではと、今は彼女の仮の主でいるのだった。麗筆は彼女の要望通り、彼女のことをDと呼び、些細な代償を支払っては欲しい情報を得ていた。


 だが、ひとたび邪魔になると思えば何週間でも彼女のことを放っておくのである。今もまた、口喧嘩が収まればDのことなど目にもくれない。彼女にはそれが悔しかった。


『ふーーんだ! いいもん、勝手に遊びに行ってやるんだから!』


 自分では移動も困難な呪文書でありながら、Dは遊びに行くと言う。麗筆はそんなたわ言に耳を貸さなかった。そして文書を完成させた後、ふとDを置いておいた辺りを見てみれば、そこに彼女の姿はなかったのである。


「D……? D、どこにいるんです、返事をなさい」


 静か過ぎるということにどうして気がつかなかったのか。物にあふれかえっている研究室をひと通り探してみて、麗筆はこれがただのかくれんぼではないということをようやく認めた。


「やられた……! まったく、勝手なことを!」


 麗筆はずいぶん前に異なる世界からやってきたマレビト二人を元の世界に送り返したことがある。彼らと親交のあったラディクス族から、最近になって譲り受けたとある品物があったために、またしても異世界への扉を開く準備をしていたところだった。おそらく、Dはそれを利用したのだろう。


 扉が開くとすれば、ラディクスたちが二人のマレビトに贈った腕輪の近くだ。だが、予定と違う行動によって開く場所や時間にはズレが生じてしまうだろう。今からすぐに追っても無事にDを捕まえられるかどうか……。


 やるしかないのは分かっていても、彼女が引き起こすであろう騒動と、それをあの二人に咎められることを思えば自然と足がすくむ。もう一度大きな溜め息を吐いて、麗筆は世界の境界を超える準備に入った。

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