第12話(天界サイド)
一気に喋り終えると、そこでふっと会話が途切れてしまった。雨のサーキットでのクラッシュ……死亡事故だってないわけではない。まさかとは思うが、魂のままフラフラとさまよい、世界の壁を超えてやってくるというマレビトが自分たちのことだとすればどうだろう。実はあの事故で二人とも死んでしまっているのではないだろうか。そんな苦い懸念が頭から離れないのである。
話をすべて聞き終えた麗筆は、どこかここではない場所を見やりながら考え事をしているようだった。口の中でブツブツと呟いている。
「ひとつだけ聞きたいんだけど、僕たち、死んでないよね? 送り返してくれるのはもちろん、ありがたいんだけどさ、死体で帰ることになる……なんてことだったら……!」
「よ、よせよ、ハール……」
咎めるアレイレルの声にも力がない。周りのラディクスたちも直接口には出さないもののお通夜ムードだ。
「勇者様たち、死んじゃったんですか……? 元の世界に帰っても、ダメなんですか……? それならずっと、ここでわたしたちと暮らしましょうよ! わたし、一生懸命おうちを作るのを手伝います、ごはんも作りますから!」
「キャロッテ……」
「気持ちはありがたいが……」
「だって、だって! 勇者様、死んじゃ、嫌です……!」
キャロッテやその妹たちがハールとアレイレルの足元にすがりついた。しくしくと泣き始めたこどもたちの姿に、大人たちも大きな目を潤ませている。そんな空気を台無しにするように無神経な声が響いた。
「えっ、別に貴方がたが死んでるなんて、ひとことも言っていませんよ? まぁ、死にたいなら止めませんけど~?」
「………………」
「……は~や~く、言えよ、そういうことは!」
「痛っ!! なんです、勝手に勘違いしたのはそちらでしょう?」
拳骨を食らって心外そうな麗筆であった。
アレイレルたちを送り返すにしても、色々と準備が必要だと麗筆が言い、二人は顔を見合わせた。さっきまで物騒なことを言い、物騒なことをしでかしてきた青年である、彼の拘束を解くということは即ち、武器を与えるに等しい。
「治療もさせていただきたいのですがね~。ハールさんとやらに蹴られた足、絶対にヒビが入ってますよ。それに、シルヴァ族たちも癒してやらねば。アレイレルさんがずいぶんと暴れてくださいましたから……!」
「含みのある物言いだな?」
「いえ、別に」
アレイレルが握り拳を作ってから、大きく肩を回す。麗筆は短く否定した。言っていること自体は正しいし、傷ついたこの世界の者たちを癒せるのも、二人が帰るためのゲートを作れるのも麗筆だけだ。どのみち縄をほどいてやらねばならないのだった。
「どうする、手の一本でも折っとくか?」
「やめてください、足とはわけが違うんですよ! どちらか片方傷ついても治療ができなくなりますよ……」
「しょうがないな~」
鉄の輪を外された麗筆は、しばらくゴソゴソと自分の体を確かめていたが、やがて立ち上がって慇懃無礼にお辞儀をしてみせた。
「では、とくとご覧あれ、これが癒しの力です」
そしてシルヴァ族の男たちに向き合った。麗筆の洗脳が解けてなお無口な男たちである。毛深い肌をしているので劇的な変化は見ることができなかったが、麗筆が集中して両手の平をかざした後に立ち上がった彼らは、さっきまで大怪我で唸っていたのと同じ鹿とは思えないほどだった。続いてラディクスたちにも同様に癒しの技を使い、麗筆はアレイレルの方へとやってきた。
「無駄とは思いますが、治癒の術を試してみても?」
「ああ。やってみてくれ」
麗筆が手をかざしても、アレイレルの怪我にはやはり効果がなかった。……もしもこの世界で命にかかわる重傷を負っていたらと思うとそら恐ろしくなる。
「ふむ。どうあってもこちらの術には引っかからないようですね。残念ですねぇ! もし術に掛かるなら貴方がたを留め置いて頭の中身をすっかり取り出して研究できたんですのに! はぁ、車を使った危険な競技の詳細をもっと知りたかったなぁ~」
「おい、こいつヤバイぞ」
「魔法効かなくて良かった……」
アレイレルとハールはそうやってコソコソと囁きあったのだった。
二人を元の世界に戻すための準備には約二時間ほどかかるという。それに落ち着いた場所も必要だということで、ラディクスたちの集落に移動することになった。案内された先には不思議な光景が広がっていた。映画の世界か遊園地のアトラクションか、丘の斜面のあちこちにカラフルな扉が立てられており、そこだけポッコリ土が盛り上がっている。
「ようこそ、みなさん。我らラディクスの邑へ!」
「お~、可愛らしいな」
「でもやっぱり、小さかった……」
いつかのアレイレルの予想は正しかったのである。ラディクスの集落は暴力的に追い出されたにしては綺麗だった。踏み荒らされたような場所もあったが、埋め戻されている。シルヴァ族たちが整備したのだと思われた。洗脳されていてすらこうも紳士的とは……ハールは改めて麗筆の非道さを噛みしめ、彼らの代わりに鉄拳制裁を下しておいた。(シルヴァ族の制裁だと麗筆が死んでしまいそうなことと、シルヴァ族たちだとまた魔法で操られるかもしれないことがあってのことだ。ちなみに当のシルヴァ族にはやんわり断わられた。)
ラディクスのおかみさんたちが残り物を掻き集めて宴会の準備をしている間、シルヴァ族やラディクスの男たちは宴席を作るために石を運んできたり木箱を組み合わせたりしていた。アレイレルとハールは子守だ。パピルスのような目の粗い紙に車の絵を描いてやったり、簡単な歌を教えてやったり。逆にこの世界のことを色々教わったりもした。帰ってからはきっと使わないであろう知識だったが。ちなみに、族長のションダが持つという地図は二人の想像とは違って、大きな麻布に鮮やかな糸で刺繍されたものであり、芸術品のような美しさを持っていた。
肉類は少ないながらも、美味しい食事とはずむ会話。この世界で過ごす最後の時間はとても楽しいものになった。麗筆が呼びに来るまでがほんの少しの間に感じたものだ。ハールもアレイレルも、握手やハグをしてションダたちと別れの挨拶を交わしていった。
「ふふ、最後に言い残すことはありませんか?」
「嫌な言い方はよせ!」
「……本当に反省してるのかなぁ」
麗筆は肩をすくめてみせた。シャラリと頭飾りが揺れる。
「しばらくは、そうですね、五十年ほどはおとなしくしていますよ」
「ずっとおとなしくしてろ! 平和的な解決をはかれ!」
「善処します」
「コイツ……」
麗筆は言う。
「陽の気をどこかへ逃がすという案はあまり現実的ではないのです。今回は貴方がたの移動によって危機的状況は脱しました、しかし、次もそうとは限りませんからね。約束はできかねます。ただ……できるだけ彼らに迷惑のかからない道を模索しましょう」
「そうか……。まぁ、頑張ってくれ」
「言われずとも! さて、貴方がたは突発的にこちらへやって来たわけですが、異界へ渡ると言うよりは、気がつくと元の場所にそのままの状態で戻っていることになるでしょうから、心構えはしておいてくださいね。
それと、時間も少しだけズレます。すでに起こったはずの出来事が貴方がたの目の前に現れるでしょう。後は……言わずともわかりますよね?」
二人は顔を見合わせ、黙って頷いた。
「それでは……」
「勇者様がた! 勇者様がた、お元気で……。ハール様、アレイレル様……」
「キャロッテ、ありがとう。キャロッテたちも元気でな」
「わたし、お二人のことをけっして、けっして忘れません。いつか物語にして、長くラディクスたちに伝えます! 絶対に……!」
「嬉しいな……じゃあ、頼むよ」
ハールはキャロッテの頭を撫でると、立ち上がって麗筆に合図した。麗筆が朗々と呪文をうたいあげると、闇色の空間が口を開けた。
「それじゃあ、さよならだ!」
「元気でな!」
旅人たちの帰還をキャロッテは涙を拭いてしっかりと見詰めた。誰もが口々に別れの言葉と感謝の言葉を繰り返していた。




