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勇者は魔王を殺せない

作者: 黒宮涼

 目が覚めると泣いたあとがあった。最近はいつもそうだ。理由はわからないが、夢を見て泣くのは吉兆の印だと神官が言ったので信じることにする。まぁ、その夢も覚えていないのだが。

 僕はベッドから起き上がり、いつもの通り使用人を呼ぶ。それから、気が付いた。 


「そうか、いないんだった」


 僕は途方に暮れてしまって、しばらくその軋むぼろいベッドの上から動けなかった。


 十五歳になった日。僕は神託を受けた。それは僕にとってとても恐ろしいものだった。十日後、僕は旅立たねばならなかった。僕は恐怖でその日が来るまでずっとベッドの上で布団に包まって怯えていた。


「勇者様。起きていますか」


 こんこん、と扉を叩く音とともに誰かがそう言った。この低い声は神官のリテだ。僕の声が薄い扉の向こうまで聞こえてしまったのだろうか。そう思ったとたん、恥ずかしくなった。お城にいたころは、こんなに扉も壁も薄くなかった。分厚い扉の向こうには僕の声も届かなかったのだ。


「勇者と呼ぶなと言ったろう。僕は王子だ。リヒト王子様と呼べ!」


 僕はそう叫んで、再び布団に潜ろうとする。


「それは困ります。勇者リヒト様。あなたはもう、王子ではないと再三申し上げたはずです」


 神官の声が耳に響く。そうだ。僕はもう、王子様じゃない。王位継承権もない。ただの勇者だ。だから何だ。そんなこと突然言われて納得できるはずないじゃないか。


「失礼します」


 神官がそう言って扉を開けて部屋に入ってくる。鍵もついていないのだ、この部屋は。僕は布団で自分の体と顔を隠す。すぐに匂いがつんと鼻を刺した。


「ほこり臭い。もう嫌だ。こんなところ。一刻も早く出たい」

「わがままを言わないでください。ほら、宿の人が朝食を用意してくださっています。早く支度してください。それとも、自分でできませんか。支度」


 嫌味ったらしく言うものだから、僕は「うるさい」と一言。布団から飛び出る。


「すぐに着替えるから、部屋を出ていけ」

「はいはい」


 呆れたようにリテが返事をして踵を返す。

 僕は指をもたつかせながら急いで寝間着のボタンをはずす。なんで僕がこんなことをしなければならないのだ。こんなもの使用人たちにやらせればいいのに。と思いながら苛立ちを隠せない。


「ああ。もう。リテ!」

「はいはい」


 まだ部屋にいたリテが仕方なしにこちらに戻ってくる。


「はいは一回でいい!」


 屈辱だ。完全に馬鹿にしている。それくらい僕にだってわかる。リテは僕より五つ上の青年だ。肩まで伸びた髪の毛がうざったい。昔から彼はこうだった。僕に対しては隙あらば嫌味を言ってくる。


「これからは自分でやれるようになってくださいね。少しずつ練習していきましょう」

「嫌だ」

「練習していきましょう」


 リテが気持ち悪いぐらいの笑顔で繰り返した。顔は笑っているが内心は苛立っているのがまるわかりだった。

 リテの手によって無事にボタンはすべてはずされ、僕は寝間着を抜いで服に着替える。これまた王宮時代に着ていたものとは雲泥の差で、金色の装飾はすべて外され、ただの布切れとしか思えない服だった。僕は嫌だなぁと思いながら、これしか着るものはないので渋々袖に腕を通した。それから革の手袋をはめ、革の靴を履いた。


「鎧はつけないのですか」

「あんな不格好なのつけられるか」

「でもつけたほうが安全です。旅の途中で装備も整えなければなりませんね」

「大丈夫だ。僕は勇者なんだろう。そう簡単に死ぬわけがない」


 その自信はいったいどこから来るのか。自分でもよくわからなかった。でも神託を受けた時、勇者としての力を得た気がしたのだ。気がしただけかもしれないけれど。


「仕方ないですね。これを羽織ってください」


 渡されたのは緑色の外套だった。


「またぼろ布か」

「違いますよ。これは守りの魔法がかかっているんです。大神官様から頂きました。どんな攻撃からも守ってくれます」

「ふーん」


 僕はそれを言われたとおりに服の上に羽織ることにした。


「あとこれとこれをつければ、立派な勇者に見えますよ」


 リテが差し出したのは、剣と盾。まぁ確かにそうなのだが。重い。とにかく重い。僕はリテにそれを返す。


「こんな重いもの、持ち歩けるか。もっと軽いものをよこせ」

「そんなことを言われましても。勇者は剣と盾と決まっていますから」

「どこの知識だそれは」

「勇者伝説というものがありましてですね」


 またそれか。と僕はうんざりした。子どものころから散々聞かされた話だ。なんでも今から千年前。伝説の勇者が現れ、魔王を倒して世界を救ったらしい。


「その伝説ではもう魔王は倒されたんだろう。なんでまた復活するんだよ。復活なんてしなければ僕だって今頃は……う」


 泣きそうになる僕の頭を、リテが父のように優しく撫でた。気持ち悪いのですぐに振り払う。


「子ども扱いするな」

「リヒト様は本当に、扱いづらいですね」


 リテはそう言って嘆息した。


   ***

 

 城を出て一週間が経った。

 僕とリテは山間の街で屈強な戦士を仲間にした。名をトウザブロウと言った。長いうえに変な名前だった。トウザブロウは僕に剣を教えてくれた。僕は見様見真似でそれを覚えた。僕が訓練を受けている間、リテは僕のほうを見ながらずっと微笑んでいた。まるで親が子どもを見守るかのような眼差しだった。しかし、僕がトウザブロウの得物である大剣を持たせてもらったときに、あまりの重さに体の重心を持っていかれてひっくり返ったときには、可笑しそうにけらけらと声を上げて笑われたことは一生根に持ってやる。

 山間の街を出て二日目。僕たちは野営をしていた。


「どこぞの王子が勇者になったと聞いたときは、いやはや大丈夫かと思ったが。案外忍耐力もあるし、物覚えもいい。剣をあっという間に使えるようになったときは感心したぞ。これは期待できそうだのう」


 かっかっか。とトウザブロウが笑った。歳は僕の父上よりは若いはずなのに、同じ笑い方をするので毎回驚く。


「あなたが一緒に来てくれて本当に助かります」


 火に焚き木をくべながらリテが言った。


「僕は毎日、へとへとなんだけどな」


 うんざりしたように僕は言った。


「なあに。旅をしていればおのずと体力もつく。さあ、肉を食え」


 押し付けるように僕に焼きたての大きな丸鶏を押し付けてくる。僕は嫌な顔をしつつも、それを受け取る。先ほどトウザブロウが仕留めてきた野鳥だと僕は知っている。それゆえに食べるのは気が引けた。下ごしらえをするその光景を見たとき、初めて見るものに僕は吐きそうになった。

 しかし、ここにはナイフもフォークもないというのに、どうやって食べろというのだ。

 そんなことを考えていると、トウザブロウが丸鶏にそのままかじりついた。僕はそれを見て一瞬戸惑ったが、このまま食べないでいても腹は減る一方なので勇気を出してトウザブロウの真似をした。

 涙が出るほどおいしかった。

 僕から見たトウザブロウは、とても野性的な印象だった。何をするにも豪快で、品性のかけらもなかった。

 山間の街を出て一週間が経つころには、そんなトウザブロウにも慣れ。僕は丸鶏にかぶりつくことさえ躊躇しなくなっていた。


「この渓谷を超えれば、かつて魔王の城と呼ばれた場所に着きます。そこにはおそらく魔王がいます」


 リテが古い地図を見ながら言った。

 このころにはもう魔物と呼ばれる人を襲う生き物が、道を徘徊している地域に足を踏み入れていた。魔王の城が近づくにつれ、強い魔物が現れるようになった。魔王の魔力の影響下にあるせいだろうとリテは言った。

 僕は渋々重い鎧を身にまとい、剣をふるった。怪我をすれば神官であるリテが白い魔法で治癒してくれた。

 僕はどんどん強くなっていった。自分でもそれがわかる。

 リテの魔法でレベルを見てもらうと、レベルは五十九だった。これは戦闘経験を数値化したものの度合いで決められる。ある一定の経験値が溜まると、レベルとして換算されるのだ。


「まだまだですね」

「何がまだまだだ。お前はどうなんだ」

「私は見ての通りです」とリテが示したのは彼のレベル。なんと八十。

「ずるいぞ。いつの間にそんなに上がったんだ」

「私もまだまだですよ。トウザブロウさんの数値を見てください。ほら」


 見ると、トウザブロウは百二十。


「倍ですね」とリテは言った。


 トウザブロウが強いのは知っていたが。まさかここまで差があったとは思わなかった。

 勇者であるはずの僕がまだ五十九。トウザブロウが百二十。

 僕がトウザブロウをじっと見つめていると、彼はまた父様と同じ笑い声をあげた。


「気にするな。お前たちだって旅の初めよりずっと強くなったじゃないか」

「それでも。僕は悔しい。明日は僕一人で魔物と戦う」

「何を言っているんですか。危険すぎます。あなたより強い魔物がこの先もうじゃうじゃいるのですよ」

「うるさいっ。大体リテ。お前の魔法。詠唱がいつも遅いんだ。だから僕が狙われたときに対応が一歩遅れるんだ。お前が防御の魔法をかけてくれていたら、僕だって大怪我しなくてすんだんだぞ」

「ぐっ。それは反論できませんね。判断力が乏しいのは、自分でも自覚しています」

「それからトウザブロウ。お前はいつも敵を見つけたとたんに走り出すのはやめろ。体力があるからって一人で特攻すると何かあったときに対応が遅れてお前が危険だ」

「かっかっか。よく見ておるのウ。よい作戦参謀になるやもしれぬの」

「ああ。私もそれ、思っていました。リヒト様ってば意外な才能があったんですね」

「う、うるさいっ」


 褒められても嬉しくなかった。

 このままでは魔王と戦うのに心もとない。

 翌日。僕はまだ熟睡中のリテと、見張りのはずが寝こけていたトウザブロウが起きないようにそっと野営地を出た。

 もっと。もっとだ。経験値を取得して強くなろう。僕は昨夜の宣言通り、一人で魔物を倒すために狩りに行くことにした。

 渓谷は歩くのにも一苦労だった。大きな岩や石がごろごろと道を塞ぐ。

 しばらく歩くと小石の中に何かが紛れているのに気付いた。


「なんだこれ」


 それは翡翠の石だった。太陽に透かすとキラキラと光った。よく見ると、他にもあった。小石に紛れていて気づくのが遅れたが、それは陣を描くように故意に置かれていたもののようだった。


「あれ、これまずいんじゃ……」


 そう呟いた瞬間だった。

 魔物の雄叫びが聞こえ、足元がぐらぐらと揺れ始めた。


「な、なんだ?」


 地面から何かが盛り上がってきて、やがてそれは姿を現した。

 魔物だった。それも巨大。それでいて強そうな。

 陣はもしかしたらこいつを封印していたものだったのかもしれないと気づいたときにはもう遅かった。

 僕はそいつの伸ばした手に掴まれて、その強い力で押しつぶされそうだった。


「くっ。離せ」


 息苦しい。もがいても意味があるとは思えなかった。鎧にひびが入るどころではないだろう。これ以上力を入れられては、僕は本当につぶれてしまう。


「誰か。助け……」


 一人で息巻いて出てきたのに、このざまじゃあ。誰も助けに来ないかもしれない。不安がよぎる。

 僕はこのまま死ぬのかな。勇者なのに。

 そう思い、諦めそうになった次の瞬間だった。

 雷のような衝撃が、体中をかけめぐった。いや、というより文字通り雷が落ちた。別に天気が悪かったわけではない。だからおそらく魔法だ。誰かが魔法を放ったのだ。


「うわっ」


 僕は魔物に放り投げられた。結構な高さから。僕はトウザブロウから教わっていた受け身を取ろうと身体を丸める。


「……まったく。不用意に結界を触るんじゃないわよ」


 誰かが言った。

 受け身をとる必要などなかった。僕の体は落下する途中で時が止まったかのように停止した。つまり僕は今、空中で浮いている状態だ。


「いや。あんなの結界だなんてわかるわけないだろう。もっと大きい目印を置いておくべきだ」

「そう。あんたはこの場所に、ここに魔物が封印されていますよ。という看板を立てておけっていうのね」


 僕の目の前にいるのはとんがり帽子をかぶり、マントを羽織った女性。先ほどの魔物は雷で焼け焦げて気を失っているようだった。こんなことができるのは魔法使いだろう。


「あ、それいい。わかりやすい」

「はぁ。あたしの魔法で浮かせられているのに。大した度胸ね。今ならあたしの意思であんたをあの川底に沈めることだってできるのよ」

「そんなことをしたら、魔王を倒せなくなるぞ。魔法使い」

「もしかしてあんた、例の勇者なの?」


 魔法使いの言葉に、僕は頷いた。

 魔法使いは僕を地面にゆっくりとおろした。


「あんたの仲間はどこ? いるんでしょう。あんたみたいなのが一人でこんなところまで来られるわけがないわよね」


 その言葉に僕はむっとした。


「僕は勇者だぞ。言葉使いから改めてもらおう」

「呆れた。なら言うけれど、あたしは魔法使いよ。しかも世界一のね」

「自分で言うのか」

「あんたこそ」


 僕らは互いにあきれ果てた。どうもこの魔法使い、そりが合わなさそうだ。

 僕は肩をすくめて魔法使いとは別の方向へ首を向けた。目も合わせたくなかった。

 どれ位の時間そうしていただろう。向うも何も言わないので、一瞬だけ魔法使いのほうを見る。彼女も僕と同じことをしていたらしい。首を僕とは反対に向けていた。

 僕は思わず吹き出した。


「……なによ」


 魔法使いは僕の様子に気づいたのか、ゆっくりと顔を正面へ向けた。


「だって、僕ら。同じことしている」


 そう言うと、魔法使いも僕と同じように吹き出した。


「何それ」


 そんなこんなで、僕と魔法使いは仲良く? なり、僕らの野営地へ一緒に戻ることになった。


   ***


「リーヒートーさーまー。いったい今までどこにいっていらしたんですか」


 着いて早々、眉をつり上げたリテがそう言って出迎えてくれた。

 まぁ、怒っていて当たり前か。何も言わずに出て行ったのだから。


「あら。あなたのお仲間、ご立腹みたい」


 隣にいた魔法使いが僕のほうを見たので、僕は肩をすくめた。 


「かっかっか。まぁ、良いではないか。こうして無事に帰ってきたのだから」


 トウザブロウは笑っていた。彼は怒っていない様子だった。


「一応、謝っといたほうがいいんじゃない? 相当心配していたみたいだし。ねぇ、勇者様」


 背中を叩かれたので、僕は渋々リテとトウザブロウに向かって謝る。


「す、すまなかったな」

「すまないと思うなら、今後こういうことはやめていただきたい。――ところでそちらのお嬢さんは?」


 リテがつり上げていた眉をおろして、魔法使いのほうに視線を向けた。


「彼女の名はカマド。自称世界一の天才魔法使い」と僕は紹介する。


「あんたね。自称は余計よ。まあ天才って部分は褒めてあげなくもないけれど」

「自称が嫌なら、世界一だって証拠を見せてほしいな」

「今は見せられないわ」

「ほらやっぱり自称じゃん」

「うるさいわね」


 カマドと僕が言いあっている横でトウザブロウは楽しそうに笑っていて、リテは何故か頭を抱えていた。僕は首を傾げた。


「リテ?」


 何かをぶつぶつ呟いている。


「……いや、まさか……」


 それから僕の視線に気づいたのか、リテはこちらを見て微かに口角を上げてみせた。

 リテはこの魔法使いカマドについて何か知っているのだろうか。なんとなくそう思った。


「私は神官のリテ。こちらはトウザブロウと言います。もしよろしければ、あなたも私たちの旅にご同行願えますか」


 リテは軽く自分とトウザブロウを紹介すると、カマドに向かって丁寧に頭を下げた。カマドは腰に手を当てながら言った。


「最初からそのつもりであたしはここに来たのだけれど」

「は?」


 カマドの言葉に、僕は思わず声を上げた。

 驚いたと同時に、だから一緒についてきたのか。と納得した。


「あんたたち勇者王子様御一行でしょう。この先の案内兼黒魔法使いの仲間が必要よね。それに……あんただってそのつもりでここに来た。違う?」


 カマドに対して、頭を上げたリテは何も言い返せない様子だった。

 いつになく真剣な表情で、リテはカマドを見ていた。


「あなたは、どこまで知っているのですか」

「どこまでも。知っているわよ。何せあたしは世界一の魔法使い。この先のことも全部知っているわ。それはあなたもでしょう。神官リテ。すべて知っていて勇者を魔王のところへ連れて行くのね」


 カマドが敵を見つけたときのトウザブロウと同じような目つきでリテを見る。


「神のご意思ですから」

「ふざけているわ。そんなもの本当にいると思っているの」

「なんとでも言ってください。私はあくまでも神官の役割ですからね」

「可哀想な人だわ。正直気は乗らないけれど、進むしかないってことも知っているからね。一緒に行ってあげるわ」


 僕には二人が何の話をしているのかわからなかった。

 カマドが僕のほうを見る。


「あんたもこんなやつが神官で可哀想ね」

「そこは否定しない」


 カマドの言葉にそう返すと、トウザブロウがいっそう大きな声で笑った。



   ***


 かつて魔王の城と呼ばれた場所には、今は小さな村があるだけだった。城だったものは取り壊され、跡地として石碑が建っているだけだった。


「魔王! どこにいる!」


 僕は叫びながら村に入っていった。


「私はここよ」と声が聞こえたような気がした。

 

「よく来たわね。いらっしゃい。何もない村だけど、ゆっくりしていって」


 石碑の前に立っていた少女が、そう言った。

 肩まで長い髪の毛。黒いドレス。どこぞのお姫様と見まがうほどの美しさだった。


「あの」


 どこかで見たことがある気がした。

 いや、それよりも今この少女は何と言った。


「魔王は……」


 僕は当惑するしかなかった。

 村には少女以外の誰もいない。それどころか、道中にいた魔物が村に入ったとたん一体もいないのは、どういうことだろう。


「何を言っているの。いるじゃない。目の前に」

「は?」


 カマドの言葉に、僕は気の抜けた声を出す。

 目の前の少女が、魔王?

 拍子抜けだった。あれだけ意気込んでここまで来たのに。

 魔王というからには、大きくて恐ろしい今までに見たこともない魔物だと思っていた。それがふたを開けてみたらこんなに貧弱な見た目をした少女だなんて――。


「今回の旅はどうだったかしら。少しは成長できた? ……なんて、こんなことをきくのはおかしな話ね。成長していなかったら何の意味もなくなってしまうもの」

「どういうこと?」


 僕が首をかしげていると、魔王は驚いたような顔をして言った。


「あら。もしかして何も知らないの?」


 僕は頷いた。

 魔王がリテ。トウザブロウ。カマドの顔を順番に見ていく。


「まさか何も言っていないの? あなたたち。それとももしかして、記憶がない? 神託を受けたからここまで来ているはずよね」


「ええ。あたしは神託を受けているわ」とカマドが頷きながら言う。


「俺も受けたな。内容は忘れたが」とトウザブロウが顎に手を当てながら言う。


「私も受けましたが……。神託の内容はリヒト様には伝えていませんね」とリテが顔をしかめながら言う。


 僕は驚いて目を丸くしていた。神託を受けたのが、僕だけではなかったようだ。


「何でみんな黙っていたんだよ。そんな大事なこと」


 リテもトウザブロウもカマドも僕と目をあわせてくれなかった。代わりに魔王がほほ笑んだ。


「そう。なら私の口から言うわ。私たちはみんな、転生を繰り返しているのよ。もちろん。勇者のあなたも含めてね」


 僕は魔王の言ったことに驚きもしなかった。

 転生を繰り返している? 彼女は一体何を言っているのだ。そんなものは当たり前である。僕たち人間はみんな何かの生まれ変わりであると、幼いころから神官に教わってきた。何を今さら言っているんだ。

 困惑した表情をしていると、魔王は続ける。


「でもただの転生じゃない。ここにいる私たちはみんな、ひとつの魂が同じ役割を持って繰り返し転生しているのよ」

「役割?」


 魔王の言葉に僕は首をかしげる。


「始まりは――。こことは別の世界の二人の男女からだったわ。彼らは一緒に死んでこの世界に転生した。魔王と、勇者として。生前二人は恋人同士だった。でも二人にその記憶はあったから、困ったことになってね。勇者は魔王にとどめを刺せなかった」


 僕はその話を疑問に思う。


「ちょっと待ってよ。僕の知っている勇者伝説だと、勇者は魔王を打倒したって……」


 何かがおかしい。僕の知っている物語と違う。


「あら。そうなの。それは捏造ね。都合が悪いから改変されたのね。誰かさんによって」


 そう言いながら、魔王はリテの顔を一瞥する。

 リテは顔をそむけた。何かやましいことがあるかのようだった。


「もう終わりにしたかったんです。こんなこんなこと。勇者には今度こそ、魔王を倒してもらわないと困るんです。なので、リヒト様には嘘を教えてきました。それは、認めます。でもあなただってもうこんなこと何百回も続けたくないでしょう。こんな馬鹿げたこと」


 リテは吐き捨てるように言った。魔王はもう一度リテを見ると顔をしかめる。


「馬鹿げたこと? あなたそんなふうに思っていたの」 

「そうですよ。そもそも勇者のパーティーになんか入るんじゃなかったと心の底から思っています。あのとき勇者が魔王にとどめを刺していればこんなことにはならなかったのに」

「リテ。落ち着きなさい」


 カマドが興奮したリテをなだめる。


「あのとき魔王にとどめを刺せなかったのは、俺らも同じだろう」


 それまで黙って見ていたトウザブロウが口を開いた。


「のう。勇者よ。今の話を聞いて、お主は魔王を殺せるか。今のお主は、どうやら生前の記憶がない様子。殺せるか?」


 みんなの視線が、僕のほうへ向けられていた。

 僕はたじろいでいた。確かに僕には生前の記憶がまったくない。神託を受けても思い出さなかったくらいだ。今後も思い出す可能性は低いだろう。


「僕は――。勇者になんてなりたくなかった。王子として生きたかった」


 僕は剣を鞘から抜く。

 魔王にはなんの思い入れもない。むしろ迷惑な存在だと思う。


「そう。なら終わりにしましょう」


 魔王が呟く。彼女は何も抵抗しなかった。彼女は祈るように両手を合わせ、僕の前にひざまずいた。彼女自身も、転生を終わらせたいと願っているのだろうか。それはわからない。でも今僕が彼女に剣を振り下ろせばすべてが終わるような、そんな気がしていた。

 僕の剣を持つ手が震えていた。緊張しているのだろうか。いいや、違う。剣を構えた瞬間、僕はすべて思い出していたのだ。僕はこうして何百回も彼女を殺そうとして、失敗している。それを思い出したら自然と生前の、彼女に対する感情が僕の心を布のように覆っていった。


 ――好きだ。彼女のことがどうしようもなく、好きだ。


 僕の目から涙が頬を伝って流れていく。


「リヒト様。何をしているのです。殺してください。早く!」


 僕が魔王を殺すのに躊躇していると、後ろからリテが叫ぶ。


「やっぱりダメなのね。今回も」と魔王は言って、息を吐いた。


「ごめん」


 僕は魔王に向けて謝る。それから剣を投げるように捨てて、魔王に抱きついた。


「僕にはできないよ」


 僕はそう言いながら、魔王を抱きしめる両手に力を入れる。


「リヒト」


 魔王は僕の名を呼び、そして抱きしめ返してくれる。

 今まで通りなら、この後は神の使いやらが現れてまた転生させられるはずだ。そして案の定、神の使いはどこからともなく現れる。


『二百九十九回目の転生は失敗に終わりました。三百回目の転生を開始してください』

 それは機械音ともとれる無機質な声だった。


「私はもう転生しない!」とリテが叫ぶ。


『それはできません』


 神の使いがリテのほうに顔を向ける。


「なぜですか。私たちは一体いつまで転生し続けなければならないのです」

『勇者が魔王を倒すまでです』

「それなら二人がいれば十分だろう。なぜ私たちまで巻き込んだのです」

『その質問には以前、答えました。勇者には一緒に旅をする仲間が必要なのです』

「それならば、代わりの仲間を探せばいいのではないですか」

『それはできません。あなた方ではないと意味がないので』

「だからその理由は――」

『時間です。転生を開始します』


 神の使いはリテの言葉を遮った。

 僕たちは光に包まれる。僕は意識を失うまでずっと魔王の身体を抱きしめていた。次の転生でも最後にはきっと彼女を殺せない。殺したくない。僕はそう思いながら薄れていく意識の中、神の使いの笑った顔を見たような気がした。


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