丸兎昔語り 長生きな兎
兎の寿命って8年くらいなんですけどね。
*1 午の刻=正午ごろ。
*2 二朱金= 現代価値で1万円程度。
鶏を六羽、籠に入れて。前掛けに薄い茶色の兎を入れて歩く茂助。
若旦那が言った。「いつか店を再建する、それまでこの金で暮らしておくれ、再建出来たら真っ先に呼ぶからね茂助」 そんな事を言っていたが、店の再建は無理だと思っている。
どんなに励んで再建したとて、侍崩れの盗賊が居なくならなければ、また同じ事が起きると……
大旦那の言った言葉を思い出しながら歩く。
「どう足掻いても、侍の世の中じゃ何も変わらんか……。」
聞いている者は、兎と鶏だけ。
茂助が故郷に帰ってくるのは十三年振りの事。
兎一羽とボロ着しか持たなかった少年は、兎一羽と鶏六羽、数着の着物と隠した四十九両の金子。
「なあ、トトよ。私と分かって貰えるだろうか?知っている者が一人も居無かったら、何処に行けば良いと思う?」
峠を抜ければ集落が見えるはずなのだが、故郷へ向かう足取りは重かった。
兎が神になった理由
茂助が集落に辿り着いた時は、午の刻(*1)を回った頃だった。
この頃の人間は、一日二食だった為に農作業に勤しんでいる。
「ありゃ誰だ?見た事あるような気がするんだが……」
「侍でも無いのに綺麗な着物を来とる奴なんて見た事ある訳ねえだろ。」
見た事があるような気がするのは茂助の叔父にあたる男、茂兵衛の弟の茂作。
それを否定するのは茂助の実母である、郷。
茂助は、遠目に気付いていたようで、郷を見付けて真っ直ぐに向かってきたのだが。
「おっかさん、ただいま帰りました。」
茂助が郷におっかさんと呼ぶも……
「あれ?お前は茂助か?何しに帰ってきた。」
茂助は言葉に詰まる。
言葉を選べない茂助に、郷が罵声を浴びせる。
「あんたが江戸で働いてなきゃ、ワシらみんなが飯が食えん。さっさと江戸に戻って働け。」
「郷!息子が帰ってきたと言うのに、何を言う。持っているのは鶏だろう。土産を持って帰ってきたのに、その言い草は無いだろう。」
郷の声に驚いた鶏が茂助が背負う籠の中で暴れたようで茂作が気付いたようだ。
「茂助、覚えとるか?俺は茂作、お前のとうちゃんの茂兵衛の弟だ。」
「お久しぶりです、茂作叔父。ただいまです、おっかさん。」
茂作の言葉に即反応して挨拶をする茂助。
江戸の大店で働いて居た時に身に付けた、条件反射のようなものである。
五合瓶も二本目が殆ど無くなって、マルトさんがお茶を飲み始めた。
俺も飲んでるんだけど、知覧の深蒸し茶というお茶らしいが、とても美味しい。
「言い忘れてましたけど、茂助さんが江戸で働いて居た頃の給金って、どれくらいだったと思います?」
江戸時代と言っても景気の善し悪しで違うはずだもんなあ、わからん。
「全くわからないです、お恥ずかしながら。」
「一番貰っていた頃で、年に三回、初夏と初秋、正月に二朱金(*2)一枚ずつですよ。」
あれ……将軍家御用達の蝋燭問屋なんじゃ?もっと貰ってそうなのに。
「給金は全部使って構わないから、村に食い物を届けて欲しいと言いましてね。全てを麦や米に替えて村に届け続けてたんです茂助さんって。」
「何故にです?そりゃある程度仕送りするのならわかりますが、全部でしょ?理由なんてわからないです。」
マルトさんが哀しそうな顔になった。
「飯も食わせて貰えるし、着物も毎日ちゃんとして貰ってる。村のみんなが腹一杯食べられる事がやりたい事だから、給金は全て使って下さい。と言いましてね。若旦那様も大旦那様も、茂助のやりたいようにやらせなさいって言ってくれてたんです。」
「それでですか……。」
凄いな茂助さん、俺には無理だと思うぞ。
村に帰ってきた茂助を江戸に帰そうとする母や周りの大人達。そんな大人達に茂助が声を張り上げて、村でやろうと思った事を話す。
「食い物は、一年二年くらい買えるだけの金子を貰ったから心配するな。その金子が尽きる前に鶏を増やす。増やした鶏を食うと侍達が何を言うか分からねえ、けど卵を宿場町に売りに行けばいい。そうすりゃ金になる。金になれば食い物が買える。」
「アホな事を言ってねえで、さっさと江戸に帰って働きな。あんたが働かねば、皆が飢え死にだ。」
実の母親に帰れと言われた、しかし帰る所など何処にも無いのだ江戸には。
「俺が奉公に入った店は、皆殺しにあった。助かったのは、その日に出ていた三人だけだ。だから帰る所なんて無い。一年分は食い物を先に用意する。その時に、俺がやってる事がダメだと思ったら追い出してくれ。」
茂助の言葉に、しぶしぶ了承する村人達。
茂助が村を出た時には、二十三人だった村人の数が、茂助の稼ぎを貪って三十九人まで増えていた。
なんだかなあ……わかるんだけどさ、あの頃の田舎ってさ……
「びっくりしましたよ私は。だって子供が増えてるんですもん。一人や二人じゃないですよ、25人もですよ。」
「あれ?16人なんじゃ?」
ん?増えたのは16人だろ?違うのか?
「老人が死んで、子供が増えてるんです。」
うわぁ……茂助って童貞だろ?確実に……
村人は他人の金で、子作りに励んでたのか……
茂助が村に帰ってきて六年の月日が流れた。
茂助が持ち込んだ鶏は、千を超える数にまで増えた。
世話をする人間が足りぬと、近隣の村を周り口減らしに売られる子供を茂助自ら赴いて買ってきた。
売られた子供達は、卵を売った金で身なりを整えられ、住む場所を整えられ。腹一杯飯を食える。
毎日鶏の世話があるが、売られる前と比べることなどしても無駄な程に良い生活を送っている。
江戸に帰れと叫んだ母も、今では茂助の所持する鶏が産んだ卵を食うのが一番の楽しみになっている。
この村で鶏を飼いだして、毎年恒例になった事が二つ。
一つは。
年貢を納める時に来る侍と小者達が、前藩主で現将軍様より渡された、年貢を三公七民にせよと書いてある書状を見て、茂助に対して下手に出たこと。
今では、年貢の米を荷馱に乗せて足早に帰るだけである。
もう一つは。
棚田の近くに一体の地蔵を置いた事。
死んだ兄を供養するためだったのだが、いつの間にか年に二回、地蔵の周りで小さいながらも祭りをするようになった。
「おお!成功したんですね養鶏が。それに年貢を軽くして貰ったなんて凄いじゃないですか。」
「ニノさん、あなたが田崎和信さんだった頃の地元の話でしょう……忘れたんですか?」
あっそうか。そう言えばそうだな……と言う事は……
隣村より嫁を貰い、二人の子供に恵まれた茂助は、今年で三十を数える歳になっていた。
「なあ、トトよ。今年の祭りも終わったなあ……」
飼い始めて二十二年、幼い頃より常に共に居続けた兎も、既に寿命が来たようだ。
普通の兎であれば七年も生きれば長生きなのだが、この兎は既に二十三年近く生きている事になる。
「もう動けねか、お前は長生きだったなあ。」
家の庭に設えた小屋に横たわり、細く息をする兎を撫でている。
「なんか村の方が騒がしいな。トトよ見てくるから、俺が居ない間に死ぬなよ。」
その言葉が茂助がトトに掛けた、最後の言葉であった。
ああ、そこから先は知ってる、小学生の頃に学校で習った。
死ぬんだよな茂助さん……
拷問の後に、磔にされてさ。
既に尻尾が二つに分かれてるマルトさんですが、兎の尻尾って短過ぎて、分かれてる事に気付いてない茂助です。
あと二回で、丸兎昔語りも終わります。
読んで貰えて感謝です。