EP.12 よそのお家の『朝の挨拶』
朝、ふと胸にあたたかい熱を感じて目を覚ます。
「――ん……」
目に映るのは、淡いピンク色をしたカーテンの閉め切られた部屋。白い壁、棚の上にたくさん飾られた様々な恰好のクマのぬいぐるみ。
見慣れたようで、そのいかにも女子の部屋、といった様子がどこか落ち着かないこの部屋。
来るのは久しぶりだが、この懐に収まる柔らかい感触はそう久しぶりでもない。
だが、それはそれとして――
「咲愛也、何故ここに?」
腕の中に満足そうに収まり、無言でじぃっと見上げてくるのは高校生にもなる幼馴染だ。
「みっちゃん、おはよう……?」
(なぜ、抱き締められるようにして収まっているんだ?昨日俺は咲愛也に腕だけ貸して、仰向けで寝た。そして、咲愛也の呼びかけを耳に入れないように意識を手放したはず……)
まさか、夢遊病か?
ヤバイと思って咲愛也の様子を観察するが、着衣の乱れも特になく、ふたりとも服は着ている。夢のせいにして手を出してしまったということは無いようだ。よかった。
俺は、夜の試練を無事に乗り越えた。
(ふふ。我ながら何という精神力だ。伊達に長年こんな『柔らかゆるゆる好き好きオーラ全開娘』と幼馴染をしていない。俺の幼馴染パワーも中々に極まっているな)
今日は、自分を褒めてもいいだろう。
しかし。その長年の勘が、胸元で期待の眼差しを向ける幼馴染が俺にさらなる試練を与えようとしていることを予感している。
ここで折れては昨日の努力と睡眠薬が無駄になる。
俺は何事もなかったかのように咲愛也を抱き締めている腕をはなそうとした。
その腕を、咲愛也は掴んで離さない。
……嫌な予感がする。
(落ち着け。ここは冷静に……)
「咲愛也、どうした」
「ねぇ、みっちゃん?ウチの朝の『挨拶』って知ってる?」
「朝の『挨拶』?ああ、言い忘れてたな。おはよう、咲愛也」
「おはよう。あのね、そうじゃないの」
「?」
じゃあ何なんだ。
首を傾げると、咲愛也は目を細めて笑う。小首を傾げ、少しいじわるそうに微笑むとさらり、と黒髪がこぼれて俺の胸にふわりと触れた。くすぐったい。
俺の腕を掴むその指をするすると遊ばせて皮膚の感触を楽しんでいるようだ。だが、その目にはまだ冷静さが残っている。これは、小悪魔モードではないだろう。
しかし、油断はできない。
訝し気な顔のまま咲愛也に視線を向ける。
「そうじゃない、とは?」
「ふふっ。ウチではね?朝起きるときは『今日もいい日になりますように』って想いを込めてちゅーしないといけないんだよ?」
「は?家族に?」
「そう。朝起きて、最初に会った人に」
「キス?どこに?」
「ほっぺに。もちろん口も可」
「初耳だが」
「小さい頃は、私が勝手にしてたからね?」
「…………」
言われてみれば、朝からじゃれつかれていたような?
如何せん泊まるのが久しぶりすぎてよく思い出せない。俺、朝は低血圧だし。
だが、高校生にもなって『じゃあ勝手にキスしろ』とも言えないのも事実。
咲愛也の場合、任せておくとどこにされるかわからないからな。
押し黙っていると、咲愛也はゆっくりと唇を開く。
「みっちゃん、こないだ英語の授業で習ったよね?When in Rome、do as the Romans do.」
「…………」
郷に入っては、郷に従え。
しかし――
「その朝の習慣が事実だという証拠はない。咲愛也が口から出まかせを言っている可能性もある」
「私が嘘言ってるってこと?みっちゃんにキスして欲しい一心で?」
「そうだ」
実際、やりかねないだろ。
「ふーん……?」
咲愛也は不満げに目を細めると、ベッドから身を起こした。そして、ピッとドアの方を指差す。
「嘘だと思うなら、確かめてきなよ?」
「は?」
「そろそろお父さんが会社に行くのに起きる時間。リビングに行けば、私の言ったことが嘘か本当かわかるはずだよ?」
「…………」
なるほど。
「だが、哲也さんの朝の時間を邪魔するのはどうかと……」
「別に、トイレに行くフリして少し覗けばいいじゃん?」
「ふむ……」
『ほれほれ』といった表情で急かす咲愛也。
こうなると、俺はひとまず従うしかないのだろう。
「……わかった。少し覗くだけだ。すぐに戻ってくる」
「嘘じゃなかったら、私を疑った罰としてみっちゃんからちゅーすること。いい?」
「なんで勝手に条件が増えてるんだ……」
「疑われて悲しいからです」
「む……」
確かに、そう言われるとぐうの音も出ない。
俺は低血圧の脳に鞭を打ってベッドから這い出した。
トイレに行くフリをして、ついでにリビングへ足を向けると、中から哲也さんの眠そうな声が聞こえてくる。
「ふぁ……おはよう」
「おはよう、哲也君。朝はフレンチトーストでいい?」
「うん。フレンチトーストは咲愛也も好きだしな」
「ふふっ。哲也君も随分甘党になったわね?」
――ちゅ。
(――あ。)
咲月さんが、哲也さんにキスをした。さりげなく、ごくごく自然に。それでいて『好き』がにじみ出るような甘いキス。しかも口に。
(本当だったのか……)
カルチャーショックに胸を抑えていると、寝室から咲夜さんが出てくる。
「ふぁ~……おはよう、ふたりとも」
「おはよう、咲夜」
「ふふ。おはよう、哲也君?今日もいい日だね?お天気もいいし」
「お天気とか関係なしに、お前はいつも在宅勤務だろ?」
「そうでした~おウチ大好きですから~」
「いいなぁ……俺はこれから通勤ラッシュなのに」
「まぁまぁ、元気だして?」
――ちゅう。
今度は咲夜さんが哲也さんにキスした。そうすることがさも当たり前だと言わんばかりの、動揺も躊躇も一切ないキス。無論口に。
そして、哲也さんも微笑んで当たり前のように受け入れる。
その様子を、咲月さんが咎めることも気にすることも全くない。
(なんてことだ……)
咲愛也の言っていたことは、真実だった。
(…………)
驚くと共に、およそ日本では考えられない欧米みたいな朝の光景に動揺が隠しきれない。
妻というものがありながら二人の美女を侍らせて食卓を囲み、なんなら朝から『あーん』なんてされてイチャつく哲也さん。
いくらあの三人が幼馴染で仲のいい方々だとは聞いていても、見ているだけで、フレンチトーストなんぞよりも余程胸やけしそうな光景。
これじゃあ、まるでハーレムだ。
(それにしても、まさか、本当だったとは……)
部屋に戻るのが恐ろしくて躊躇っていると、不意にリビングから声を掛けられた。
「みっちゃん?そこにいるのか?」
ぎくっ。
「起きたなら、こっちに来て少し話さないか?まだ家出るまで時間があるし」
哲也さんは、俺と話がしたいようだ。
決してやましいことは何も無かったというのに何故か気まずく感じてしまうのは俺だけか?
しかし、哲也さんからの誘いを断る権利は俺にない。
それに、哲也さんは咲月さんや咲夜さん同様、俺のことを幼い頃から可愛がってくれる『理想的な父親』の権化みたいな人だ。
言われるままに、扉を開けてリビングに顔を出す。
「……おはよう、ございます……」
「おはよう、みっちゃん?コーヒーどうぞ?」
湯気の出るマグカップをテーブルを置き、笑顔の哲也さんに促されるままに向かいに腰掛ける。なぜかそそくさと去っていく咲夜さんと咲月さん。
あ、俺をひとりにしないでくれ。
というか、哲也さんなんか怖いからふたりきりにしないでくれ。
救いを求めるような目線には、気づいてもらえなかった。虚しく寝室の戸が閉まる。
「コーヒー、いただきます……」
いったい何を話したいのだろうかとドキドキしていると、哲也さんはゆっくりと口を開いた。
「昨日は、よく眠れたかな?」
にこにこ。
俺は、直感した。これは、俺の知らない哲也さんだ。
そして、固まった。
だって俺には――
――なんて答えるのが正解かわからない……!




