094 強者
まだベラポネの卑怯から五分が経過して間もない頃の船では。
ベラポネはシロとフミュルイの制止を振り払い、ララと一緒に地上へ降りていってしまった。
傍らではまだルナによるモナの必死の心配蘇生が続いていた。
心停止からもうすぐ六分が過ぎようとしている。時間が経つほど救える確率は低下していくもの。もう既に五分も経過し、確率は四分の一程度という状況だ。
絶望的とも思えるが諦められるものではない。ルナは胸骨圧迫の回数を数えながら間も無く四回目の電気ショックを行おうとしていた。
ベラポネはモナのためにも自分を犠牲にしたのだろう。彼女がいなくなったことで皮肉にもシロとフミュルイもモナに集中できるようになった。
「あと10回でやるよ。離れて!」
ルナがカウントダウンしながら残り10回の胸骨圧迫を行い、服の隙間から手を入れ直接素肌に触れて四回目の電気ショックを実行。ドンッ、とモナの身体が飛び跳ね、すぐに胸骨圧迫を再開する。
胸骨圧迫は胸の中心にある胸骨部分を最低でも5センチ、最高6センチも沈み込むほど押すもの。心臓が戻っていれば意識を失ったままでもあまりの刺激に指が動くなどの何かしらの動きが見られるはずだ。
「くそ! くそっ、くそっ、くそっ、くそっ!! 戻って来なさいよ!」
モナの身体は動かなかった。
もうルナは500回近くもモナの胸を体重をかけて押し続けている。束ねていた髪も解け、モナの胸に重ねた手は汗と涙で濡れていた。
シロとフミュルイも必死にモナの名を呼んで応援しながら回復魔法を施す。血中へ直接的に酸素を送り込み、手足の血管を収縮させ、ありったけの血液を臓器に集中させる。
あっという間に五回目の電気ショックのタイミングだ。
「お願い……、帰って来て!」
ルナの電気ショックでモナの身体が跳ねた。
と、また胸を押そうとした時、小さく唸り声が聞こえた気が。ルナは胸を押す手を止め、三人で顔を見合わせた。すぐに三人ともで必死にモナの名を呼ぶと、少し、指先が動いた。
「……よかった! ……よかった」
ルナがモナの両肩を抱いて被さるようにして喜びに泣き崩れた。
まだ目は開かず、意識は無いまま。だがモナはルナのおかげでやっとのことで一命を取り留めた。シロとフミュルイもようやく安堵の溜め息をつく。
「ルナ、ありがとう。本当に、お疲れ様。もうあとは私とシロちゃんで大丈夫そうだよ」
「外傷も無いし、体力も回復してきてるから、あとは血流だけ維持すればきっと意識も戻るよ」
ルナはフミュルイとシロに言われて、うん、と小さく頷いて涙を拭った。我に返ったように二人を見つめ、あれ、と不思議そうに辺りを見渡す。
「……ベラポネとしらたまちゃんは?」
モナの蘇生に夢中だったあまり周囲の状況が把握できていなかったらしい。普段はベスティーのリーダーとして一番周りが見えていたはずのルナの様子にフミュルイが少し驚きながら、しらたまは敵を追って、ベラポネはそのしらたまを追って地上へ向かったと説明した。
ルナは上を見上げる。上空で黒羽がラングヴァイレと戦っているのが遠くに見えていた。とても状況を伝えられる様子じゃない。
一方で空中要塞は最初にルナが見た時より高く、真下しか見えていなかった。空中要塞が上昇しているのか。いや、船の縁へ駆け寄って下を見下ろすと雲が近くなっている。船長が意識を失ったせいか、船が少しずつ下降しているようだった。
「やっぱり、船が下がってる。船が下がり切るより先に、地上にいるアハダアシャラたちをどうにかしないと、このままじゃモナちゃんもメイシーちゃんもまた狙われるかもしれない! 私たちも行かなきゃ、今度こそ取り返しのつかないことになる!」
「そんな!」
もうフミュルイが知っているいつものルナだ。誰も気が付かなかった状況を把握し、切り替えて決断している。
フミュルイは驚きながらもどうしたものかとシロとまた顔を見合わせ、ルナに向き直った。
「でもルナまで行ったら、この船には戦える人がいなくなる! いくら黒羽さんのバリアーがあっても、もしものことがあったら——」
「地上にも回復できる人がいないと。傷の手当てはフミュルイさんの方がすごいから行かなくちゃ。ここは私がなんとかするから、任せて」
シロがそう遮って、続ける。
「それに黒ちゃんなら大丈夫。絶対負けるわけないもん」
「シロちゃん……」
普通なら心細いはずだ。フミュルイもヒーラーで近くに戦闘タイプがいなくなる恐怖が分かるからシロのことを考えて言っていたのだが、なんという信頼関係。シロの目には恐怖のきの字もなかった。
フミュルイなら到底考えられない恐怖だ。気持ちが込み上げ、両手に拳を握って涙ぐみながら、
「シロちゃん……。ごめん——」
目を背けるようにして踵を返し、ルナの元へ駆けた。
○○○○
黒羽は驚いていた。
意識して口に出したことが現実になる。何も制限が無いのかはまだ分からないが、死ねと言っても実行されるようで、ラングヴァイレはもがいていた。
黒い靄に全身が包まれ姿がよく見えないが、中で暴れているようで靄の塊が動いている。
あれからしばらく時間が経った。黒羽が少しずつ弱らされていくのかと思って見ていると、急に眩暈に襲われる。
その瞬間、ある言葉が脳裏をよぎった。人を呪わば穴二つ。
頭が痛くなり、腹が痛くなり、吐き気寒気が凄まじい。実行はできるようだが、自分も死ぬことになるようだ。仮に自身も死ぬことになったとしても、サスリカを出るときにシャルロンから譲られた首飾りで一度だけ死を免れるはず。だが自分の能力で死ぬことになった場合までは術者であるシャルロンも想定していたかは分からないうえ、それ以前にとても耐えかねる苦しみだ。前世で肺炎で死んだときはここまで苦しくなかった。おそらくそのときは途中で先に意識を失っていたから分からなかったのだろう。たまらず「中止だ!」と叫んだ。
ラングヴァイレは靄から解放され、黒羽も一緒になってゲホゲホとむせってしまう。お互いに一気に大ダメージを受けてしまった。
「……て、テメェ——」
ラングヴァイレは無理に動こうとして咳き込んだ。どちらが先に動けるかで状況は大きく左右される。黒羽は試してみることにした。
「……ぜ、ぜん、全回復」
「!?」
言うと次第に痛みが和らいできた。ものの数秒でまた戦えそうなくらいにはなったが、やはり回復は苦手分野らしい。そこから全回復まではかなり時間がかかりそうだ。
「拘束」
「……チッ」
今度はラングヴァイレの手足に枷が出現し、空中でその場に固定されてしまった。
さて、どうとどめを刺したものか。そんなものは決まっている。ラングヴァイレには色々と試してピラニア溶液しか効かなかったのだ。
大量のピラニア溶液を出現させるくらいならこれまで同様に念じるだけで充分。ラングヴァイレの頭上にドス黒い雨雲が浮かんだ。
家族を殺され、人生を破壊された恨み、憎しみの相手を一瞬で死なせるような甘い考えは無い。ましてや殺し屋だったのだ。残酷なやり方をするに決まっている。
「せいぜい、俺に殺し屋をやる人生を辿らせた自分を恨むんだな」
「……クソがァァ!!」
ぽつ、ぽつ、とラングヴァイレにピラニア溶液の雨が降る。それも、頭を避けて少しずつ。
一滴で腕に穴が空いて貫通してしまう。
「クソが! クソがァ! ふざけやがって……。死に損ないの分際で!」
右肩がやられて右腕がだらりとぶら下がる。もがきながら、生きたまま穴だらけにされていく。
これで終わる。黒羽は拷問するのも飽きてきて、雨雲をひと塊のピラニア溶液に変えてしまった。これだけ大量に集まるとまるで惑星のようだ。薄橙色の透明な小惑星のごときピラニア溶液の塊が、ラングヴァイレを飲み込まんと頭上から不吉に音もなくゆっくりと迫る。
「クソが! こんなところで、死んで、たまるかよオォォーッッ!!」
「!?」
とんでもない野郎だ。
こんな絶体絶命の状況でラングヴァイレは叫び、その大声だけで爆風を起こしてしまった。頭上から今にも襲いかかろうとしていたピラニア溶液の塊も霧のように粉々に吹き飛ぶ。さらに、どうやって回復するか知らないと言っていたが、今ので傷だらけだった身体も瞬時に全回復した。
ありとあらゆる物質を溶かすピラニア溶液さえ克服したラングヴァイレ。一体こんなものどうしろというのか。