079 堕天
黒羽たちは途轍もない爆風に驚いてララの元へ急いだ。
だがすぐに心配は無用だったと悟る。
あのとんでもない爆風は何だったのか。ララは無事だった。しかし、どういう訳か彼女より少しだけ背が高いくらいの銀髪の少年の胸に顔を埋めて泣いているではないか。
それにこの場所はつい先ほどまでは森だったはず。もはや海岸みたく地形が代わり、なんだか波打ち際で抱き合う二人は、いい感じだ。近寄り難く、あと5メートルほどの距離を詰められない。黒羽たちがどう声をかけようか時々口を開けては空気を飲み込んで気まずくしていると意外にも黒鬼が「レビエル」と声をかけてしまった。
少年は気付いていたのか特に驚く様子もなく、それよりは少し困った顔でこちらを一瞥してララに何事かを囁いた。
「……へ? ……? ぎゃっ!?」
ララはこちらに気が付くや否や弾かれたように少年から飛び退いて顔を耳まで真っ赤にした。
「な!? んなっ!? ナニ見とんのじゃ!? 何しに来よったとね!?」
「……一旦合流しようと思ったんだが、いや、なんと言って良いやら」
ララはぐぬぬぬぬ、と歯を軋ませものすごい形相で睨んでくるが、彼女の前を少年が立ち塞いだ。
鋭い紫色の目。口元だけがぎこちなく苦笑いしている。
「すまない、あまり妹をからかわないでくれないか」
「い、妹? ……ってことは、お前は——」
レビじゃ、とララが顔を出して割り込んだ。
「昔、まだ小さかった頃にこの島でゴアに襲われて、私を庇って死なせてしまった兄のレビじゃ。天使に生まれ変わっていたようで助けに来てくれたんさ。正直私もまだあんまり理解できてないんじゃけど……」
「はぁ、てんし? ……げ」
みんな話についていけずに固まっていると、レビは頭上に天使の輪を出現させて見せた。ただし、不気味なほど真っ黒だが。
悪寒が疾る。まるで悪霊を目撃したかのよう。
殺気を感じて咄嗟にドーム形のバリアーを張る。が、何もしてこない。
黒羽は永遠にも感じるほど睨み合った気分だった。けれど実際はララが「二人ともどうしたんじゃ?」と不思議がる程度しか経っておらず、その声に我に返された。
レビはこちらを睨んでいるのか真顔のつもりなのか分からない顔で静かに言う。
「ララはもう少しで死ぬところだったんだ」
「……」
これにはララも凍りついた。
嫌な予感がして誰一人として身動き一つ取れない。
「ララは黒羽、貴様の仲間として行動していたんだよな? 何故、一人にした」
「れ、レビ、違うんじゃ、私が」
この殺気はララも感じているのだろうか。彼女らしくなく足を震わせていた。
「何を震えてるんだ? この陽射しなのに寒いのか?」
「……え?」
「?」
不思議そうに顔を見合わせる兄妹。
「レビ、あの、怒ってないの?」
「怒る? まさか」
微かに、何を言っているのだと言うような表情が見えた。どうもこの殺気や不吉な感覚は意図せず溢れ出してしまっているものなようだ。にわかに信じがたいほどだが。
レビは少し考え、頭の上に浮かべた真っ黒の天使の輪を不可視化させる。するとそれでようやく殺気は感じられなくなった。天使だのと現実離れした話だがこれは信じざるを得ない。
レビは相変わらず感情の読めない無愛想な顔で続ける。
「まあ、ララから言い出した事なら仕方ない。それに相応の事情があったのだろう。寧ろ俺が不在の間、ララが世話になったな」
「お、おう。まあ、大したことはしていないが」
黒羽は猫に生まれ変わった事で、本能が人間だった頃より鋭く警鐘を鳴らしている。何をどうしてもレビには敵わないと。黒鬼よりも数段、いや何倍も格上の存在だ。
(まさか、さっきの爆風もコイツが……。一応敵対する気はなさそうだが、これからどう接したものか)
「レビ」
気まずい空気を断つようにララが切り出した。
「レビ、私のこと、覚え、てるんよな?」
「当たり前だろう」
「何で黒羽のことも知ってるんじゃ?」
黒羽は心臓が飛び出すかと思った。二枚目のバリアーを張った。
「……いろいろあってな」
三枚目のバリアーを重ねる。ドレイクのこともあったんだ。何が起きるか分かったものじゃない。
「黒羽たちは私の仲間じゃけぇ、レビにも仲良くしてもらいたい」
「そのつもりだ」
「……じゃ、じゃあ」
「だが馴れ合うつもりはない。ララ、お前は俺と来るんだ」
「れび……」
確かに、レビにしてみれば保護者同然の感覚なのだろう。そんな彼にララが困った顔で黒羽たちを見つめる。
「レビエル、私は」
「は?」
黒鬼は冷たくあしらわれて固まってしまった。
「誰だ? 知らんな」
「……」
ルナたちが知り合いだったのかと視線を向けると黒鬼は顔を背けた。
ララが二人を見比べて、
「何で、レビのこと知ってるの?」
「さあな。俺も不思議だ」
「レビ、本当にレビなの? なんか、昔と雰囲気がだいぶ変わってしまったような……。なんか、今のレビは、少し冷たい気がするけぇ」
ララがレビの右手を両手で包む。うつむいたまま。
そのララの頭をレビは左手で撫でた。
「俺もいろいろあったんだ。それにあれから十年近く経っている。いつまでも子供じゃないだろう」
「いろいろって何じゃ。何があったらそうなるんじゃ!」
とうとうララが声を荒げた。
レビの手を振り払って大きく退く。
「黒鬼だって、本当はレビの仲間だったとかじゃないんかや? 黒鬼があんな顔するなんて、絶対おかしいけ。それにレビエルってなんさね。エルって何のことなんじゃ」
「堕天したんだ。だからエルと付く方が正しい」
「堕天?」
「そうだ。下界に降りるには妨害する連中は力づくで黙らせる必要があった。天使だろうと神だろうと。片っ端から殺した。だからもう元の天使ではいられなくなった。それだけの話だ。あと黒鬼か。奴は道具だ。お前を面倒見ていた黒羽たちの力を見るためにちょうどよかったから利用した」
「ひ、ひどい……。天使やら神様やらは分からんけぇど、でも、人をそんな、道具だなんて、そんなのレビじゃない!」
「俺はただお前に会いに来たんだ。家族さいれば充分。他には何もいらない。ララだけでいい。そして復讐するんだ。あと残っているのはシュペルファーレンたちだ」
「シュペルファーレン……たち、じゃと? まさか、さっきのみたいなのが、他にも?」
「そうだ。だが心配はいらない。俺だけで充分だ」
「充分って、もし、その間に黒羽たちも狙われるようなことがあったら、どうする気なんじゃ?」
「そりゃあ——」
「それでもしものことがあったらレビのこと嫌いになるけんな!」
「……」
ララは銀色の瞳に涙を浮かべはじめていた。
黒羽もいつだったか、前にララの子供の頃の記憶を見たことがあったから分かる。その記憶の中にいた幼少期のレビと今の彼とはあまりにも違いすぎていた。
優しく面倒見の良かった兄は妹と引き裂かれ、再会を目指す過程で彼もまた生き残った妹と同じように止むを得ず殺戮の限りを尽くし、いつしかその心はすさみ、兄妹愛は歪んだのだ。
「分かった」
レビはしばらく考え、諦めたように呟いた。
「そんなに大事な仲間なんだな。その仲間の身に何かあってララに悲しまれては、それは正しくない。なら、こうしよう、彼らにも力をやる」
「……え?」
「俺が殺したいのはシュペルファーレンだけだ。他のゴミどもの掃除は彼らに任せようというんだ。だがその代わり、事が済んだらまた一緒に暮らそう。どうだ? 見殺しにするのが嫌なら、それで悪くないだろう」
その力とやら、黒羽はそれを得たならレビと必ずや対等になり、ぶっ殺してやると睨みつけていた。