008 親切な冒険者たち
倒れたラーズはすぐに担架で運ばれていった。
周囲にはいつのまにか人だかりができて、みんなジョッキを片手に運ばれていくラーズを見送っていた。
一部始終を見ていたギャラリーたちは開いた口が塞がらないといった顔でしばらく唖然としていたが、やっと感想を呟く余裕がみえてきた。誰が誰にともなく会話しはじめる。
「すげー、カンストのラーズを、あんな一瞬で……」
「ありえねぇ、なんて猫だ」
「おいおい、レベル999のやつをあんな簡単にのしちまうってことは、まさか、レベル1000ってことか?」
「レベル1000? 何だそりゃ」
「知らねぇのか? カンストのレベル999をさらに超える能力を持つっていう究極の能力者のことだよ。都市伝説だとばっかり思ってたのに、まさか本当にいたとは……」
「何が都市伝説だよ。この国の王様もレベル1000だろーが。誰か一人はレベル1000の人が国側にいなきゃレベル999のカンスト様が暴走したとき手がつけられなくなっちまうだろ?」
「あっ、そうなのか。実在するんだな、レベル1000って」
レベル1000。ギャラリーたちは口々にその単語を口にしていた。しかし、黒羽はロードからもらった知識をもってしても知らない単語だった。どうも現役の頃のロードは神の加護で生まれたときから強かったために一度もレベルを気にしたことがなかったらしい。
ただ、ギャラリーたちの言うことからするにカンストを超える能力を持つ者ということのよう。
自分はレベル1000なのだろうか、と黒羽が何気に気にしていると不意にシロに後ろから抱っこされた。
「おい、何をする」
「に、逃げなきゃ。ラーズの、パーティーが、来ちゃうに決まってるよ」
シロはまだ怯えていた。
黒羽はラーズが運ばれていったほうに目を凝らす。文字通り右も左も分からないような人混みの中はギャラリーたちがラーズを避けて道を開けたままでいたので奥まで見通せた。確かに、シロの言う通りラーズのパーティーメンバーとみられる連中が遠くで何か言い争っているのが見える。けれど彼らは何やら先の尖ったフードを被った黒いローブ姿の魔女のような何者かにどこかへ連れていかれてしまった。と、その様子を見ればシロも「ふぅ〜」と深く息を吐いて胸を撫で下ろした。
「今のやつらだったんだな」
「……うん。でも——」
「ん?」
「さっきのローブの人、誰かな。見たことない人だった」
黒羽の第六感が反応する。不安そうなシロの言葉に胸騒ぎがしたが、結局それが何を意味するのか全く分からなかった。
○○○○
街と呼ばれていたものは建物が立ち並んで人々が豊かに暮らしているような場所ではなかった。外から見えていた巨大な壁の上には実は天井があり、すっかり空を覆って、夕焼け空しかない国に人工的に夜を作ったり、無数の照明で昼を作ったりできるようにされていた。
今は高い天井の照明がちらほらと数えるほどだけが点灯し、夜になりかけの時間帯の薄暗さが作られていた。受付のカウンターに取り付けられた大きな時計はアナログで8時を回ったところ。午後8時過ぎということらしい。それで誰も彼もがビールジョッキを手にして飲み始めていたのだった。
つまり、黒羽はラーズと一緒に、冒険者たちがさあ飲もうかと乾杯したばかりのところを荒らしてしまったわけだ。ラーズは落ちるところまで落ちたからこれ以上悪くなるもあったものではないが、一方で黒羽は一応新人なので印象が悪くなってはまずい。
と、そういう事情を察してか酔っ払いたちが暴れ出す前にあの場から遠ざけてくれた気の利く者たちがいた。
「やれやれ、しょっぱなから大暴れするなんて、いくら強くても良くないよ。世の中色んな人がいるんだから礼儀ってのが大切さ」
たった三人だけで構成した小さなパーティーの冒険者たちだった。今のところ喋っているのはリーダーの魔法使いの少年のみ。両目とも隠れる長めのブロンド髪にそばかすで、茶色いトンガリ帽子で低い身長を誤魔化そうとしているハウロンだ。
席は四つしかないので黒羽はシロの膝に座ってハウロンと向かい合わせで話していた。
「悪かったよ。無駄に暴れ過ぎたな」
「まあ、あの状況でキレるなって言う方が無理があったかもだけどね。とりあえずやりすぎには注意だよ。いやー、にしてもまいったなぁ〜、あの暴れん坊のラーズがこれから女の子なんでしょ? こりゃ傑作だ! はははは!」
ハウロンはトンガリ帽子が落ちないように片手で抑えながら体を大きく反らせ、イスから真後ろに転げそうなくらい笑った。よほどラーズに困らされていたに違いない。一度笑い出したら1分ほどずっと笑っていた。
「ひーっ、ひーっ、あ〜おっかしい——」
「相当清々しいんだな。そんなにあのラーズとかいうガキは厄介者だったのか」
「あーあ、それはもう厄介も厄介だったよ。とんだクソ野朗さ。人が楽しく飲んでりゃテーブルの上を土足で飛び回ってはみんなの頭にお酒をぶちまけたりして、すごい迷惑だったんだ——」
向かって左手側に座っていた、見るからに口数の少なそうなどっしりした色黒の大男グルードの、腹に響くような低い声が会話に入ってくる。
「なんでも、最近になって強力な魔女が味方についたって大喜びでな。もともと迷惑だったのがますます調子づいて余計に手がつけられなくなっていたんだ」
「強力な魔女?」
シロが首を傾げた。黒羽は違和感を感じて彼女の顔を見上げる。
「何だ? 前に言ってた、お前の代わりをやることになった魔法使いと違うのか?」
「でも今、最近って言ってたから、変だなって。だって私がラーズのパーティーから外されたの2年も前だし、流石に最近とは言わないよね」
「ってことは、つまり、お前の次の、また次の魔法使いってことか」
黒羽がハウロンたちのほうを向き直ると三人とも同時に頷いた。
向かって右手側に座っていた、まだ14歳くらいの金髪の、女の子のようにキレイな顔をした少年剣士ルイが言う。
「ボク、お姉さんのことも知ってるよ。まだボクがハウロンから剣を教えてもらいはじめた頃、ラーズのパーティーから外されて街からも出ていっちゃったよね——」
「ゴメンね、ルイは別に君のことを馬鹿にするつもりはないんだ。子どもだから言葉を知らなくて」
勘違いするかもしれないとハウロンが心配して言った。シロは「大丈夫です」と軽く笑ってルイに続けさせる。
「——それで、お姉さんの後にラーズのパーティーに入った人も最近追い出されちゃったんだ。その人もまた街から出ていっちゃった。でもあの人はざまあーないけどね。だってお姉さんのこと——」
「ルイ。それ以上は言う必要のないことだ」
グルードの低い声がルイを止めた。ハウロンが続きを代弁する。
「まぁ、要するに、お嬢さんの上位互換になったぜ、ウヘーイ、ウェイウェーイ! って調子こいてた新しい魔法使いも追い出されたわけだ。そのときはいい気分だったけど、ラーズが調子に乗るからもう、悪いことしかなかったのさ。あんなパーティー、出ていって正解だよ。何が勇者なんだか、ただ戦闘能力が高いってだけじゃないか、ねぇ、そう思わない?」
「え、えへへ。でも、ラーズも私があのパーティーにいた頃は、あんなじゃなかったから、ちょっと複雑、かも」
「あー、そういうパータンか」
「ところで話を戻してもいいか?」
黒羽はずっと新たな強力な魔女のことが気になっていた。だいたいラーズのパーティーとシロとの関係が分かったところでもう満足だった。
「それで強力な魔女ってのは結局何者なんだ?」
「ああ、そうだよね。重要なのそこだよね。でも、これが謎なんだよ」
「謎?」
「ああ。突然だけど周りを見てごらん」
黒羽もシロもハウロンに言われるまま全く同じ動きで周りを見渡した。右を見ても左を見ても人、人、人、人。注文されたお酒やつまみ、唐揚げのような簡単な肉料理などを運ぶタキシード姿のウェイターやメイド服姿のウェイトレスも歩きにくそうに行き来するほど冒険者たちでごった返していた。
「この街の人口密度は見ての通り。これだけの広さでこのザマさ。こんなにも人がたくさんいるというのに、ラーズの言ってる強力な魔女って人は誰も見たことがないんだよ。ご本人が言うには、今僕が被ってるのよりも先の尖ったフードを被ってる、黒いローブ姿の女なんだって。そんな特徴的なフード付きのローブを着た人なんかいたらすぐ分かるはずなのに、何言ってるんだかね。呆れちゃうよ」
「……」
先の尖ったフードを被る、黒いローブ姿の女。黒羽はついさっきラーズが運ばれていくときに見たばかりだった。
《さっきのローブの人、誰かな。見たことない人だった》
はっとして黒羽はシロを見上げる。シロもローブの女を見ていたことが思い出されたのだ。彼女も案の定、幽霊でも見たような顔で黒羽を見下ろしていた。
「あ、こんなところにいた」
「きゃ!」
シロは何者かに肩を叩かれ短い悲鳴をあげた。思わず黒羽もびくりとしたが、シロに声をかけたのはあの赤い瞳の受付嬢だった。
「なんだ、アンタだったのか。脅かすんじゃねぇよ」
「あ〜、ビックリした〜」
「あら、驚かせちゃったみたいね。ゴメンゴメン。怖い話でもしてたの?」
「そんなとこだ」
まるで図ったようなくらいのナイスタイミングだった。受付嬢はおもしろおかしく笑って、シロと黒羽の部屋が用意できたと知らせてくれた。
シロの青ざめていた顔が一変。満面の笑みで黒羽を見つめた。
「おお! 黒ちゃん聞いた!? 新しい部屋だよ!」
「おいおい、単純かよ。もしかしたら危険が迫ってるかもしれねぇんだぞ」
「ん〜、そうだけど、でも嬉しいものは嬉しいじゃん! 黒ちゃん、損な性格ぅ〜」
「あのなぁ……」
そうこう話していると後ろでハウロンが「まあいいじゃないか、今日はゆっくり休んでくるといいよ」とシロの肩を持った。
「けっ、まぁ、家内安全というし、恩人の言うことなら仕方ねぇな。世話になったな」
「えへへ、みんな今日はありがとう」
シロは黒羽を抱っこして立ち上がる。黒羽は上手くシロの肩によじ登って背中へまわり、おんぶの体勢になった。
ひらひらとシロは小さい手を振ってハウロンたちと別れた。ハウロンもグルードもルイもみんなにこやかに見送ってくれていた。