075 仲間たちを
たかがゴブリンとはいえ、状況があまりよろしくない。
まだところどころ炎がくすぶっているが裸足で平気の様子で、ルナの微弱な電磁波も感知できる個体が四方八方を取り囲む。木々の向こう側までいるようだ。ゴブリンの数は数えきれない。
対してこちらの戦力は黒羽、ルナ、チョールヌイの三人。黒鬼はまだ息をするのも苦しそうで、シロはレベル7の非戦闘員。
何が目的なのか、ゴブリンたちはこうして考えている間にも襲撃の時を今か今かとこちらを睨み凄んでいる。
どこかから見張っていたはずのドレイクたちが何の動きも見せないことを考えると、彼らの身にも何かあったに違いない。
こうなれば選択肢は二つだ。
一つは今この場所で黒羽、ルナ、チョールヌイの三人で迎え撃つか、ルナに黒鬼を担いでもらってどうにか逃げるか。狙撃手だからと男手を遠ざけたのは失敗だったようだ。
黒羽は決めた。
「多勢に無勢だが、ここで迎え撃つぞ。黒鬼は瀕死だ。油断せず、俺たちで守り抜こう」
「私もそのつもりよ!」
ルナの威勢のいい返事を「いや」とチョールヌイが制した。
「今倒したゴブリンたちが剣さ持っていてくれたおかげで戦いやすくなったけぇ、みんなはその子連れて逃げるんさ。たったこれだけなら私一人で充分じゃけ」
「え、そんな」
「おい」
流石、黒羽と出会うまでほぼ単独行動で生きてきただけある。指示に背くチョールヌイを制しようとするが時間がない。
黒鬼を連れて逃げるとなれば、ヒーラーのシロはもちろん、結界を張れる黒羽と、黒鬼を担ぎつつ周囲を電磁波で警戒できるルナが必要になる。それに確かに一番体力を残しているのはチョールヌイだ。
チョールヌイが協調性に欠けるならこちらが折れたほうが早い。黒羽は怒りながら意見を呑むことにした。
「それだけの自信があるなら任せるぞ、ヌイ。ふざけやがって。だがあくまで足止めだ。離れられるようになったらすぐ合流しろ。ドレイクたちの身にも何かあったかもしれない」
「分かった!」
「無理しちゃだめよ!」
「大丈夫!」
ルナが黒鬼を背負い、その後ろをシロが治療しながら追いかけて、周りを黒羽が結界で守りながら炎のくすぶる森の中を駆けていく。
強引にゴブリンたちの群れを瞬間移動で突っ切った。この人数だけでもまだそれで精一杯。
黒羽は少し頭が冷えてきた。考えてみれば、今のチョールヌイにも守りたいものが出来たということなのだろう。
少々過酷かもしれないが、自分から具申した以上は信じて任せることにし、ドレイクたちの向かった方角へと急ぐ。
〇〇〇〇
ゴブリンたちから剣をそれぞれ奪い、チョールヌイは久々に双剣使いらしくなった。
ルナの電磁波が遠ざかるとゴブリンたちはじりじりと距離を詰め、四方八方からチョールヌイを囲んでしまった。
とんでもない数だ。一体どこにこれまで潜んでいたというのか。ぱっと見で数百という軍勢。それも小柄なものだけでなく、3メートル近い巨体のものまで何十といる。
だが幼少の頃からこんな状況は既に何度も経験し、皆殺しにし、生き残ってきた。
周囲が全員敵なら全員蹴散らすまで。奪った剣は強度に不安があるが、相手も持っているなら寧ろ替えが効くくらいにしか彼女は思っていない。
息を呑み、剣に風を纏い、銀色の瞳がゴブリンどもの軍勢を睨んだ。
双剣を胸の前で十字に組み、そして―――
弾丸のように飛び出した。
まずは一番手前にいた大柄の個体の首を刎ね、その肩を蹴って宙へ翻る。
しかし連中もとんだ身体能力だ。子供くらいの体で空中を舞うチョールヌイめがけ一斉に跳び上がってきた。
ところがこれがチョールヌイの計算の内。空中では普通、体の向きを変えることさえままならないものだ。ゴブリンたちは風を操り自在に空中を移動するチョールヌイの術中にまんまとはまり、次々と放たれる風の刃に切り裂かれバラバラにあっけなく落ちていった。
さらに飛び散った剣を風で拾い、操り、地上に待機していた何体ものゴブリンたちを串刺しにしていった。
たった数分で70体といったところか。
ひゅん。
矢が不意に飛び込んできた。
やはりといった表情でぎりぎり頬をかすめる。肉弾戦や剣を得意とする個体が散れば弓が残るのは必然だ。そう読んで木々の多い地上へ降りるところだった。
後ろで弓を構えていたゴブリンが風の刃に両脚を切断され木の上から落下。まさか見つかっていたとは思わなかっただろう。
すかさずとどめにその首を刎ねに行き、姿勢を低くして、正面に来たゴブリンたちの軍勢の中へ潜るように飛び込んだ。
地上のゴブリンたちの足首を削ぎながら、上から飛んでくる矢から逃げ回る。肉体派の個体はまだまだ多く地上に残っていた。
弓はかなりの精度だ。矢はそれ自体が銃弾と比べて大きいため風の影響を少なからず受けるはずだが、それでも的確に頭を狙われていた。それも見えないほど遠くから。
矢を持っているやつから始末しなければ埒が明かない。
邪魔な地上のゴブリンどもを時折盾にし、斬り倒しながら肉の道を踏み越えて進んでいく。
ガキン!!
その時だ。
金棒に剣が二本とも折られてしまった。どうして気が付かなかったのか。金棒だとは思わなかったのだ。それがあまりにも錆びすぎ大きすぎたあまり、枯れ木のようにしか見えなかった。
周囲のゴブリンたちが一斉に距離を空ける。
「やるなぁ、おまえ」
「!!」
喋った。
驚いて思わず短い悲鳴を上げてしまう。なんて恐ろしい声だ。こんなに恐ろしい声は聞いたことがない。
見上げると、なんと大木よりも上に赤い目が光ってこちらを見下ろしていたではないか。
一旦飛び退く。
ひゅん。
「しまっ———」
右肩を貫通した。
ひゅん。
左の脇腹。
ひゅん。
左手。
ひゅん。
右手。
それでも声を殺す。ここで叫べば黒羽たちが戻ってくるに違いない。それではまずいのだ、絶対にあの状況の黒羽たちをこんな化け物と会わせるわけにはいかない。
ひゅん。
今度は左の大腿に深々と突き刺さった。
「うっぐあっ。……!!」
どうにか避けようとするも雨のような数。大腿に刺さった矢のせいで動きを止められ、巨大な棍棒が避けられなかった。
中に穴を掘って住めそうなほど巨大な棍棒が既に怪我だらけの体に直撃。ひとたまりもなく、チョールヌイの体が一直線に宙を駆け抜け遺跡の壁に打ち付けられた。
あれは鬼だ。ゴブリンなどではない。
寸前に風で勢を殺したおかげで頭は打たなかったが、体がまずい。風を操って全ての矢を引き抜くと左の大腿と右肩から血が噴き出してしまった。動脈を貫かれていたらしい。
止血するために、抜いた矢をまた同じ場所に突き刺した。
「!!!!!!」
激痛に天を仰いだ。
それでも声をこらえ、涙に歪む景色が更に彼女を絶望に追い込む。倒してきたはずのゴブリンたちが次々と再生し、むくむくと起き上がってきているではないか。
その向こうからさっきの巨大な鬼が大ジャンプで目の前に。チョールヌイはものすごい衝撃に立っていられず膝から崩れ落ちた。
真っ白な体。茶色かと思っていたが、今日までの歴戦で浴びてきた返り血の色だ。頭へ行くほど白く、主に下半身は赤黒く、茶色く返り血や泥などで汚れていた。
チョールヌイは右手と左足に力が入らなくなっているが、風を纏って無理矢理に動かして、穴の空いた両手に剣を握った。
「……だ、だれだか、知らんけど、キサマ——」
「んお?」
きょとんとする絵に描いたような顔の白い鬼。はるか高見から見下ろすその不細工な顔を睨み上げて叫ぶ。
「ここは、私の故郷じゃぞ!!!」
怒声と共に双剣を振るい、一度に無数の風の刃を放つ。
これでダメならもうお終いだ。いくつもの矢を受け、かなりの血を流し、金棒に跳ねられあっという間の致命傷。
ミルをも凌駕する力。とんでもない相手だ。
ここで死んでもこいつだけは今この瞬間に葬らなければ仲間が危ない。無理をするなと言われたが無理をするしかないのだ。
どうせここで死ぬなら死ぬほどの攻撃を浴びせてやろう。
残った体力の限りを振り絞り、白い鬼の巨体を風の刃で襲撃。もはや災害、いやそれ以上だ。周囲の木々もが刈り取られ空を跳びまわる。
後悔などしている場合ではない。悔いなどないはずだ。
今はもう、これほどまでに守りたい仲間が出来たのだから。
力を使い切ったチョールヌイはその場に大の字に倒れた。
辺りは切り飛ばされた木々や白い鬼の体からはたき落とされた大量の粉塵が舞って何も見えない。
「……おね、がい」
泣きながら塵が晴れるのを見守る。
「……おねがい……おねがい、だか、ら——」
塵が晴れてきた。
塵の向こうに巨大な影。
ダメだった。
「……いやだ、いやだ! 死にたくない!」
「……ぬはははははは!」
「!!」
死にたくない、許してくれと命乞いする者たちも作業のようにとどめを刺してきた。どんな気持ちで言っていたのか理解できなかった。
死にたかったから。
ただひたすら、言われたとおりに殺す日々に明け暮れていた。うんざりしていた。
とっとと死んで新しい人生を歩みたかった。だが、常にロドノフ卿に見張られ、自殺することもかなわず、永遠を感じて気を遠くしていた。
ああ、死にたくないとは、こんな気持ちだったのか。
チョールヌイの両脚が金棒に潰された。
悲鳴をあげた。内臓もいくつか爆ぜたのか口から信じられない量の血が弾き出された。
「いたいじゃないか、こむすめ」
「……あが」
白い鬼の体は汚れが取れて灰色にくすんでいた。やつの体は確かに切り刻まれはしたようだが、傷口に不気味な肉塊がまとわりついて再生しはじめている。もはやこの世のものかどうかも怪しいレベルだ。
「……たすけ、て。……助け」
今度は右腕が金棒に粉砕された。
「くろ、は、ね……」
意識が保たれたまま体が砕かれていく。
どうしてこんなことをするのか。
もう痛覚も機能しない。悲鳴も出なかった。
「いや、いやや……。やっと、幸せに、みんなで——」
左腕が砕け散った。跡形もない。
最後の力で、ぼろぼろの右腕がだらりと目を隠した。声を殺して子供のように涙を流す目を。
「まだ、言えてないのに……。ありがとうって、言いたい……。しにたく、ないよ——」
次の一撃は頭か胴体だろう。どちらにせよもうこの体では回復することもできないだろうし、万一生き延びたとしても失った四肢は戻らない。もう二度と黒羽を抱きしめることも、みんなで遊ぶことも、歩くことも、無い。
「……たすけ、て。……あい、たいよ……れ、び」
目の前に金棒が浮かんでいる。
それでももう戦えない。彼女は骨も剥き出しの右腕をだらりと地に落とし、見ているのは鬼でも棍棒でも空でもなかった。
見えていたのは黒羽たちと過ごした日々や、死に別れた義理の兄であるレビと過ごした、遠い遠い、幸せな思い出だった。