074 刺客
黒鬼は空中にいた。
たった今まで黒羽たちが目の前にいたはず。なのに突然天を仰いで落下していく。
「……ああ。こんなことまで―――」
ワープさせられたことに気が付けば、地上の黒羽を探そうとくるりと身を翻した。
まだ雨雲より上にいた。すぐに煙のような黒く分厚い雨雲に飛び込み、体を濡らしながら抜ける。
そろそろ地上が見えるだろうと思いきや、何者かに背中を蹴られる感触が。
一体何者なのか、爆発的な強さで、また瞬時に景色が変わってしまう。
何か硬いものに叩きつけられ頭も打ったようだ。意識までは失わなかったが、少し朦朧としてしまう。
にしてもこんなに地上まですぐに到達するとは。
いや、まだ地上ではない。
青白く、半透明で、眩く反射する氷のような床にうつ伏せで倒れていた。ここに叩きつけられたらしい。
頭を重たそうにゆっくりと立ち上がった。
空中要塞。小さな雨雲が下を流れるのが微かに透けて見えていて立ち眩みがしそうだ。
辺りを警戒して見渡す。正面は壁が無く開口部で、上は遥かに高い天井。正面の開口部から放り込まれてきたのだろうか。
右は、左は、どちらも半透明の壁。そして振り返れば、二つの人影があった。
「……誰」
一人は見るからに人類ではない。全身が真っ白のリザードマンだ。
犬のように鼻が突き出た顔、3メートルほどもある巨体と、それを覆う長い髪。分厚い鱗に覆われ、太く長い両腕は地面に届いてしまう。がっしりした足腰で、尻尾はヘビのよう。
黒鬼ははっとした。
「オマエは……」
「ほう、 どこかで会ったかね?」
男と女が同時に喋るような不気味な声。これほど分かりやすい化け物はいない。
黒鬼は武器を大鎌に変形させて構えた。
どちらかというと隣にいるやつの方がまずい。
銀色のストレートの髪で、黒い帯で目隠しし、まるで身を守るつもりのない水着みたいな鎧をまとう。露出度が高くとも色気の薄い無口な女だ。左手には血のように赤い巨刀を、引きずるくらい無造作に握っていた。
ごくり。
黒鬼ののどが鳴った。
「一体何を」
黒羽たちが黒鬼に感じていた緊張感を、今は黒鬼が感じている。
すた、すた、すた……。申し訳程度でも鎧は着ているのに裸足。銀髪の女が握る巨刀は引きずられるそれだけで音もなく床を切っていた。
どこまで近づく気だ。
互いの刃渡りほどは離すか。いや、更に詰め寄る。
銀髪の女は黒鬼の肩に触れた。
「私はシュペルファーレン。あれはシャーデンフロイデ。まずは礼を言いなさい」
なんという殺気か。黒鬼が動けない。
下手に動こうものなら何をされるか。
黒鬼もはるか昔から脅威としてその名が知れ渡っていたが、その彼女でさえ認知していない、彼女以上の存在。今の今まで、どこで、何をして過ごしていたのか。
「無愛想な子ね」
その声で現実に引き戻され、瞬間、黒鬼の大鎌が左手から右手に移る。
横一文字。シュペルファーレンをすっぱり切り裂いたのだ。
同時に大きく後ろへ飛び退いたが、今のはまずかったかもしれない。
「!!」
人の形をした化け物だ。
確かに上半身と下半身が別れたはず。直撃だった。それなのになぜ何事もなかったようにその場に立っている。
切りつけて散った火花は何だったのか。なぜ肉体を切りつけて火花が出るのだ。
黒鬼は電磁バリアをまとった。黒羽がやっていたのを見よう見まねでやってのけ、今度は瞬時に姿を消した。
シャーデンフロイデのヘビのような目がシュペルファーレンを見下ろす。
「……いいのか?」
「ああ。……もう少しだけ、挨拶しましょうか」
二人が見つめる足元の透明な床。その下には日が照りはじめたソルマール島が透けて見えていた。
〇〇〇〇
黒鬼は地上に落ちた。
何があったのか、辺りは火の海。大雨で濡れていた地面から水が蒸発してもくもくと白煙が立ち上る。
黒鬼は深傷を負い、前のめりに力なく倒れていた。
瞬間移動で上空のシュペルファーレンたちから逃れたはずだったが、彼らは何らかの方法で瞬間移動を妨害。途中でまた空中に放たれ驚愕する黒鬼に致命傷を負わせたのだった。
「……おい。……おい」
ぼんやりと開いた黒鬼の瞳に、やたらと目付きの悪い黒猫の姿が写る。
黒鬼を遠ざけた黒羽たちは地上へ脱出し、偶然にも何者かがはるか上空から地上へと叩きつけられる瞬間を目撃したのだった。
黒鬼はこの短時間で、先程の戦闘までとは人が変わったかのよう。ぼんやりしていて覇気がない。
黒鬼が周りを見渡す。黒羽の後ろではチョールヌイとルナが安堵の笑みを浮かべ、黒鬼の背後ではシロが回復させてくれていた。
「……これ、は。……き、きさ、ま。……どうして、わたしを―――」
「だめ、まだ動かないで」
無理に体を起こそうとする黒鬼をシロが押さえた。何度も不意を打たれ、もうシロ程度の力で足りるほど。
黒羽が淡々と答える。
「どうしてって、死にそうだったからな。俺も流石にそこまでやるつもりは無かったし、とか言って」
「……。くっ……」
黒鬼が下唇を噛んだ。
殺すつもりだった相手に慈悲をかけられるなどさぞ不満なことだろう。
(マグマにまでぶち当たるほど深いところに移動させたはずだったんだけどなぁ。単純にまだそこまでの移動をさせるのは難しかったわけか)
絶対に殺すつもりだっただろと言いたげにチョールヌイとルナが後ろで笑っていたが、黒鬼の顔を見て切り替える。
ルナが言う。
「とりあえず、私たちの周りは黒羽がバリアーで守ってくれてるし、その外側は私が微弱な電磁波であなたをこんな目に遭わせた何者かの気配を探ってるわ」
チョールヌイも続く。
「いつまでこうしていられるか分からんけど、今は体を休めるんさ」
黒鬼は黒羽の結界と、その外側でパチパチと時折小さく爆ぜる電撃を一瞥し、まだ訝しげに黒羽を見上げた。
「あと、さん、にん……」
「……はあ?」
「まだ、あと三人いただろう? ……どこにいる」
「偵察に出したが? でもお前、一人だろ? そんなこと聞いてどうする」
「……いや」
話しているうちにも黒鬼はみるみる回復してシロの横に座れるくらいになった。しかしまだ息が苦しそうで、冷や汗をかいてシロに寄りかかっている。
(俺と戦ってたときは全く消耗してなかったはず。それがこんな短時間で……)
「黒鬼、一体何があったんだ? 答えられるか?」
「……分からない。気がついたら、わたしは———」
「敵襲よ!!」
ルナの声で全員振り返った。
黒鬼をやったやつらか。
同時にチョールヌイが結界から飛び出す。素手に風を剣のように纏い何かを切り裂いた。
背の低いゴブリン二体だ。
「なんじゃコイツら! こんなの昔はいなかったはずじゃけんどなぁ」
「倒してから驚くなよ。てか、なんだ、二体だけじゃないか」
「いや、私の電磁波の範囲ギリギリに、まだ、沢山いる。距離はあるけど……、囲まれた」
目を凝らすと燃える木々の奥に無数の小さな人影が。黒羽は心の中で舌を打つ。
ルナの電磁波の及ぶ範囲ギリギリに集まっているということは、その微弱なエネルギーさえ感知できる個体だということ。そして今チョールヌイが反射的に倒した二体は偵察に来たのだろうが、どうしてここまで近づかれるまで気が付けなかったのか。
電磁波の外側にいるゴブリンたちはただ者ではなさそうだ。
〇〇〇〇
ドレイク、フミュルイ、しらたまは地上へ出て黒鬼を目撃した後、黒羽の指示で高台に登っていた。
遺跡のような景色。さっきまでいたのは岩をピラミッド状に積み上げた建造物の中だったようだ。
頂上には一本の塔があり、火の見やぐらみたいに小部屋が作られていた。ちょうどいい。少々狭く蒸し暑いが三人とも中へ入り、ひとまず黒羽たちの様子をこの場所から伺うことに。
「はぁ、はぁ……。結構登りましたね」
フミュルイだけ肩で息をしていた。額の汗を拭いながら続ける。
「それにしても、こんな高さから黒羽さんたちが見えるんですか? ドレイクさん」
「ん? ああ、ンまっ、狙撃手だからな! 黒羽たちはあっちに進んでたから、多分この方角だろう」
どすっ。ごすっ。
ドレイクは銃の先端を壁に突き刺し、穴を二つ空けた。
一つは銃口を出すための。もう一つはのぞき穴だ。銃の先端が尖っていたのはこのためか。
「え、いいんですか!? 壊しちゃって」
「しょうがないって〜。気にしてる場合じゃねぇよ。あ、いたいた」
黒羽たちはちょうど黒鬼を見つけ、シロが治療を始めたところだった。
「すごい! 目いいんですねっ」
「まあな」
加えて援護対象を見つけたらものすごい集中力だ。はやくもしらたまちゃんが伏せるドレイクの背中の上に寝転んでヨダレを垂らしてウトウトしているが、それでものぞき穴の向こうから目を離さない。
「……すぴ〜……、すぴ〜……」
「オレは黒羽たちを見てるから、フミュルイさんは後ろを見ててくれない?」
「分かりましたっ。……すごい集中力」
それからしばらくして、地上で黒鬼が目を覚ました。
回復してきてシロに寄りかかっている。
見渡す限り、まだ周囲に異常はない。
「ドレイクさん!! うむぐっ!」
「「!!」」
悲鳴に近いフミュルイの声にドレイクとしらたまちゃんは弾かれたように振り返った。
すでにフミュルイは人質になり、首筋にナイフを突きつけられている。
「……そんな! どうしてここに!!」
フミュルイを人質にとった男は、ドレイクに見覚えのある顔だった。