073 翻弄
ガギィィンッ、と、しばらく尾を引くような激しい金属音がうねりながら響いた。
巨大なハサミはこの至近距離で空を切ったのだ。黒鬼ははめられたことに気づいてさっと振り向き辺りを見渡す。
切った瞬間に黒羽の体は煙に変わってふわりと消えた。
まだ何者かの気配はあるが姿はどこにもない。
ぽつ、ぽつ、と、再び雨が降ってきた。
降り注ぐ雨に髪を濡らしながらまだ警戒している。
黒鬼の武器が動く。ハサミがどろりと溶け、手を離れて、さらさらと大量の墨汁のようになって空中を舞い始めた。流れるように飛び回り、そのほとんどが球体のバリアーとなり黒鬼の身体を包み込む。残りは数万もの針になって、辺りを偵察するように黒鬼を中心に渦巻きはじめた。
守りは完璧だ。
ようやく、どこからともなく低い声が。
「そろそろ、第2ラウンドといこうか」
「どこにいる。一体、いつから、私に幻術を……」
やはり黒羽は近くにいる。
宙を舞う針が速くなった。大量の針で辺り一帯をくまなく探すも、全く黒羽が見つからない。
「そんなことをしても無駄だ。貴様は俺に砲撃を繰り出した瞬間から、ずっと眠っているんだからな」
「……っ」
そう、黒羽は砲撃すらも受けていなかった。
時間は黒鬼の瞬きを見計らっていたときに遡る。
つまり黒羽はシロたちを瞬間移動させるなんてこともしていない。
その瞬間にやっていたのは仲間の瞬間移動ではなく、黒鬼への幻術だったのだ。黒鬼はあの瞬きのタイミングで直ちに昏睡状態に陥れられ、以来、一度も目を開けることができていなかった。
黒鬼が優勢に見えていたこれまでの戦闘は全て、その実力をうかがいつつ欺くための茶番だったのである。
今、現実では天井に大穴など空いてはいない。爆撃から先は黒羽が作り出した幻術の空間での出来事だ。
黒羽やシロ、ルナたちは全員、広く薄暗い地下の密室で黒鬼のすぐ目の前にいた。
大剣を握ったまま、目を瞑り、眠ったまま気を張っている黒鬼の前に。
幻術は効いているはずだが、それでも黒鬼は臨戦態勢を崩していなかった。故にこの状態でも迂闊に攻撃できたものではない。
「クソ、なんて奴だ」
銃を構えるドレイクの額から汗が滴り落ちる。
ひとまず幻術が効いたお陰で戦い方は少し知れたが、攻守ともに抜群の性能。
黒羽がは幻術の中での光景をテレパシーで共有していたが、それもただの情報共有に過ぎないレベルの強さだ。
「なっ!?」
「!」
なんと、大剣を握る黒鬼の手が動いたではないか。
幻術にかけられ眠らされていながら、どういうわけか大剣を持ち上げて正面に構えてしまった。
まだぎこちないが幻術に適応してきている。
いつ幻術が解けるか知れない。考えている時間はそう残されていなかった。
「少々強引だがな、今のうちだ」
黒羽が大きく息を吸い込むと同時に、チョールヌイ、ルナ、しらたま、ドレイクが身構え、シロとフミュルイは退いた。
「一斉攻撃だ!!」
黒羽は最大火力で黒鬼の周囲を爆破。そこへチョールヌイの風の刃が複数追い打ちをかけ、その風で一瞬煙が晴れた。
黒鬼が武器を黒い球のようにしてバリアーにしている。まだ無傷だ。
間髪入れずルナが電磁砲を、しらたまが火炎を放射。あれだけ暗かったのに地下とは思えないほど昼間のように眩しく光に包まれた。
そうしているうちにも背後からシロとフミュルイが回復させてくれる。
全員、何度も何度も攻撃を繰り返す。攻撃してはチョールヌイの風で煙を晴らし、攻撃してはまた、と。
黒鬼はやはり手強い。黒羽が幻術の世界に意識をやってみて確認するが、黒鬼はまだ術中にいる。それなのに、現実でも黒鬼は戦えるというのか。
しかしこれだけ一方的に攻め続けたのなら少しは効いているに違いない。そうでなければ困る。
これ以上繰り返しても消耗するだけだと、一旦攻撃をやめさせた。
少し明るい。
いつの間にかこの現実の天井にも大穴が空いていた。攻撃を中断してから遅れて雨が降り注ぐ。
天井の大穴の先は黒い雨雲だ。晴れ間が見えてきているがまだ薄暗い。煙も相まって黒鬼の様子が見にくいが、バリアーにはあれだけやって傷一つ無かった。
表面が水みたいに波打ち、さらさらと流れ落ちて中から目を閉じたままの黒鬼が現れる。
最初と何も変わらない。液体に変化したバリアーだったものはまた大剣に姿を変え黒鬼の手の中へ。
こちらにはミルが三人もいるというのに、一体どうなっているのか。
とうとう黒鬼が、赤い眼を開く。
「……」
「やむを得ん。こんな卑怯な手は、使いたくなかったんだがな」
黒羽が呟くと、黒鬼は一瞬にして姿を消した。
黒鬼を地中深く深く、この星の中心の核まで瞬間移動させたのだ。
この世の物質で身体が構成されているのであれば確実に分解されるほどの天文学的なレベルの高温環境。
これで倒せていないのであれば黒鬼はもはやこの世の生き物ではない、はずだ。
もし時間稼ぎにしかなっていないのであればまずい。黒羽は今の黒鬼の瞬間移動で消耗し、天井の大穴を抜けて地上に全員で脱出するのでやっとだった。
○○○○
ソルマール島のどこかの地下空間。
サスリカから連れ去られてきたアステリアは硬い石の床に放り捨てられた。
今の今まで太刀に貫かれていて、アステリアの腹部には風穴が。出血がひどく瀕死の様子で力無く転がった。
そんな彼女にゼゼルが歩み寄り、残酷にも顔を踏みつける。アステリアの血で赤く染まった白い太刀の切っ先を美しそうに眺めた。
「素晴らしい。これが不死か」
足下に横たわるアステリアの青白い顔を見下し、勝ち誇ったような顔で自身の指を斬りつける。赤い血が染み出した。
「……」
少し経った。けれど、どうしたのか、傷は全く治る気配がない。
「どういうことだ。不死の能力は確かに引き継がれたはず——」
べちゃ。
水風船を踏み潰したような感覚がした。見るとゼゼルが踏んでいたはずのアステリアは消え、ただの水溜りになっていた。と、その水がひとりでにすうう、と、ある一箇所に流れ、やがてむくむくと人の形を作った。
「アス、テリア。貴様、一体……」
呆然とするゼゼルにアステリアは大あくびをかます。
むにゃむにゃと左手で目を擦り、右手の袖から氷の玉を取り出す。ひょい、とゼゼルの前に転がした。ただの氷ではなく、音もなく着地。水に沈めたガラスのように透明で大気に溶け込み、こんなもの、地下の薄暗がりでの目視は厳しい。それにゼゼルはこの状況で繰り出されたあくびする間抜け面に気を取られて全く気が付けなかった。
「ゼゼル、今ね、不死身なのまだ戦位だよ」
「な、なにを言う。そんなはずはない!」
「だって私、分身だもん。本体はまだベッドの上でゴロゴロしてる」
「!! くっ……きっ……」
ゼゼルははめられたのだ。馬鹿だと思っていたアステリアに。
殺せば能力を奪える。だが不死身はやはり例外だったのだ。
憤怒に顔を歪め太刀を強く握りしめて鬼のようにアステリアを睨みつけた。が、そのアステリアはゼゼルにあっさりと背を向ける。
「外出るの面倒だったからなんとなく分身を出したんだけど、まさかこんな事件だったとは思わなかったよー。あー、大変なお仕事拾っちゃったあー、でも戦位に褒めてもらえるー。仕方ないなー、テキトーに解決しちゃおー」
この上なくなめた態度で煽られ、ゼゼルの怒りは頂点に。
怒鳴るのも忘れる勢いで太刀を振ろうとするが、その時、彼の足に何かが触れた。
先ほどアステリアが転がした氷の玉だ。これがぶくぶくと膨らんでいく。
「な、なんだコレは! 待て、どこへ行くアステリア! 貴様!」
「バイバイ、ゼゼル。ごちそうさま」
「!? ……」
足下に広がった水溜りから巨大な何かが飛び上がった。まるで別の世界と繋がっているかのように。
化け物である。身体が氷でできているようで見えにくい。ゼゼルの倍ほどもの体格のある大魚だ。
天井を抉りながら宙返りして、真っ逆さまに落下し、ゼゼルを頭から丸呑み。そのままの勢いでもと来た水溜りの中へ跡形もなく消えてしまった。
長い間お待たせしてすみません。
お待ちいただきありがとうございました!
お陰様で復活できました。
今後ともよろしくお願いします。