072 黒鬼、襲来
洞窟を登り進めていくと、徐々に雰囲気が変わってきた。
ごつごつとしていた岩肌むき出しの壁はレンガ造りに。足場も平らに舗装され、明らかに人工的な景色に変わった。壁には濁台がかかる。
しらたまちゃんに火を灯してもらおうとするも空気が湿っていて、やっと火がついてもすぐに消えてしまった。
暗い。目をつむったように。
湿度も高くて不快でならない。
進行方向は発達した嗅覚と聴覚で黒羽が一番察することができる。いくつも修羅場を潜ってきたチョールヌイはそんなものが無くともこの暗闇で平然と隣を歩いていた。彼女が時々ルナとドレイクに「こっちじゃ」と小さく声をかけて誘導してくれる。その二人にはきついようだ。けれど二人とも虚勢を張るタイプ。チョールヌイに誘導されなければ方向が分からない様子なのに「大丈夫?」「そこ足元気をつけろよ」などと最後尾のシロとフミュルイに強がって声をかけていた。それでもこわごわ歩みを進めるシロとフミュルイ。そんな二人をよそにしらたまちゃんは呑気に最後尾をついてきていた。
ドレイクは遂にしびれを切らしてしらたまちゃんに言う。
「なあ、燭台がダメでも、何とかしてあかりを灯せないか? しらたまちゃんの能力とかでさ」
「しょうがないな~」
黒羽としては隠密行動にはもってこいの環境だと考え始めていたところだったが、止める間もなくしらたまちゃんが得意げにヒトダマを浮かべた。
「「できたんか~いっ」」
ルナとドレイクの声がきれいにはもった。
ぼんやりと周りが照らされ、長く続くレンガ造りの地下廊下が浮かび上がる。みんなのやれやれという顔も橙に染まった。
ここからはしらたまちゃんのヒトダマが先導してくれる。この不気味な景色にお化けのようにゆらゆら揺らめいて、けれどしらたまちゃんらしく浮かび方がなんだか呑気だ。
黒羽は何も言わず明かりを頼りにまた進みはじめる。
みんなほっとしたのか、それならそれで道が長すぎて会話する気にもならず黙々と進んでいく。
しばらくして、やっと少し拓けたところに出た。
何もないだだっ広い空間だ。
しらたまちゃんがヒトダマの一つを遠くに飛ばし、さらに大きくして空間の広さを確かめる。だがこれがかなり広い。乗ってきた飛行船でもぎりぎり収まりそうなくらいだった。
広々としているのはいいとして、ただ、ここで行き止まり。
ここまで来て引き返すわけにもいかない。
黒羽が強引にこのまま正面の壁へ新しくトンネルでも堀り進もうかと考えていると、上空の船で待機しているベラポネからテレパシーが送られてきた。
『誰かが正面から向かってきているわ。気をつけて』
「正面?」
黒羽がまさかと思って耳を澄ませ、隣でチョールヌイも身構える。
すると確かに、まだチョールヌイの耳には聞こえないくらいではあるが、正面の壁の向こうからかすかに音が聞こえてきていた。
少しずつ近づいて大きくなる。たくさんの悲鳴のような叫び声、人間のものではないであろう、獣のような。そして何かが炸裂する音……。
誰かが周囲の障害物も獣も全てをなぎ倒しながらこっちへ向かっている。
「本当だ。何かこっちに来るぞ」
ものの数秒でドレイクたちの耳にも聞こえるくらいになり、とうとう洞窟に地響きが伝わってきた。
「な、なに!? 化け物が壁の向こうから来るの!?」
後ろでルナも驚きつつ身構え、その横でドレイクは案外無言で冷静に銃を構えた。
一体何が迫ってきているのか。どうしてここへ来るのか。ゾンビの大群にしては大した迫力だ。きっとそんなものではなく、巨大なモンスターに違いない。
敵はもう壁一枚の向こうだ。体当たりしているのか、ドン、ドン、と、腹の底に響くような音が密室空間にうるさく反響する。衝撃が加えられる度に壁が砂を撒き散らし、軋んで、さらに亀裂が。
「来る」
そうしてとうとう分厚い壁が木っ端微塵に破壊された。待ち受ける黒羽たちの前に姿を現したのは、だがしかし、想像していたような大柄のモンスターなどではなかった。
黒髪の小柄な少女が、たった一人。
けれど拍子抜けするような相手ではない。しらたまちゃんも怯えているのかヒトダマが急に小さくなって、不気味な薄暗闇に赤い眼が光る。
身の丈を超えるほどの何か、棍棒とも鉄の塊ともつかない武器を細い片手で引きずり、いかにもただ者ではなかった。白い肌に、端が焦げたような真っ黒の飾り気のないドレスを着て、悪魔を彷彿とさせる不吉なオーラを放つ。表情もなくただこちらをじっと見つめて立ちふさがった。
あのベラポネが焦る。
『今すぐそこから逃げて! 黒羽、それは黒鬼よ。戦っていい相手じゃないわ』
「いや、もう、遅いらしい」
(こいつがあの黒鬼か。こんな小娘のクセになんて怪力していやがる)
黒鬼はどこからともなく島に現れるや、行く手を阻むゾンビたちや大型のモンスターたちを軽々と殲滅し、山には風穴を開け、ありとあらゆる障害物を強引に突っ切って直線距離でここまで来たのだった。
黒羽の霊感がいち早く事態を察知して頭の中で警鐘を鳴らす。片手に引きずっている金属質の塊は剣にも銃にも変幻自在。おまけに島のどこへ瞬間移動しようにもあっという間に追いつくスピード。黒鬼の能力を悟ったところで、分かったのはただここで戦うしかないということだけだ。
島中を瞬間移動で逃げ回っても追いつかれ、船に逃げようものなら待機させているメイシーたちを巻き込むだけで、他国まで逃げても逃げた先の国が地盤ごと消え失せることになりかねない。到底ここで出てきていい相手ではないだろう。それでも避けて通る道はないようだった。
黒鬼が重い武器を引きずって火花を散らし、近づいてくる。
黒羽は全員を覆う結界を張った。いつもならシロ一人を守るために使うメインの結界だ。いくらなんでもそう簡単には破られまい。まずは守りに徹して様子を伺う。
「黒羽を、殺しにきた。誰が、黒羽?」
「俺だ」
何故黒羽を知っているのか。驚く一同に構わず、名乗った瞬間に金属音が炸裂。咄嗟の判断で自分とみんなとで結界を分割し、後方へ瞬間移動させた。
結界を分割する直前に重い打撃を受けてしまったせいでみんなも少し衝撃波を結界越しに受けてしまったかもしれないが、これが無ければ、移動させていなければ、危うく全員叩き潰されていたところだった。
「けっ、少しは会話くらいしろよな」
この結界に打撃が通じないと分かれば今度は槍にぐにゃりと変形。投げるように突き刺してきた。それでもダメだと分かれば今度は大砲だ。
問答無用で怒涛の連撃。名乗り出ていなければ後方へやったみんなも狙われていただろう。
と、後方から弾丸が黒鬼を狙って飛んでくる。ドレイクだ。相当遠くまでやったはずなのにどうやって見ているのか、確実に頭を狙っていた。
そんなもの通用しないというように、のらりくらりとゆらゆら揺れて弾道を目で追うこともせず黒鬼は全て難なくかわしてしまう。未来でも見えているのか。
そして大砲も防げたと思えば今度は弾丸を避けながら爆撃だ。勢いのあまり武器をどんな形に変えたかも分からない。凄まじい爆風に洞窟が耐えきれず弾け飛び、空が開けてしまった。
爆発の反動で黒鬼自身も遠く後退し、大量の砂煙でお互いに見えなくなる。
どうにか持ちこたえた。こうもあっさりとパーティーを散らされるとは。
砂が晴れてくると、表情が分かりにくいが黒鬼は黒羽の結界の強度に驚いたようだ。黒羽は黒鬼の火力に唖然とし、お互いに驚嘆した顔を見合わせた。
今頃気が付く。光が差し込んでいる。視線は黒鬼を睨んだまま意識を上へ集中すれば、空を覆っていた積乱雲は今の攻撃で掻き消され、船は最初よりはるかに高い位置まで押し上げられていた。まるで天災だ。これでは上空のメイシーたちも危ない。
もう少し戦いやすい相手なら色々と文句なり嫌味なり悪態をつきながら戦う黒羽だが今回の相手は度がすぎる。無言で戦闘に集中し、作戦を練る。
まずはシロを上空の船に瞬間移動させる。そして他のみんなはこれから行こうとしていた方角へ瞬間移動させて先回りしていてもらう。全員でかかるにも相手が悪い。
この二つを同時に行うとともに、今自分たちに使っているこのメインの結界を黒鬼に移動し、閉じ込める。黒鬼の移動速度はマッハを軽く超えて、ならば動体視力もそれなりに高いに違いない。狙うのは黒鬼が瞬きをした一瞬だ。もうこの相手の隙といえば瞬きの瞬間しかない。
黒羽はこの作戦はテレパシーで全員に共有。黒鬼からはただじっと睨み合っていただけに見えたことだろう。
黒羽は瞬きを待ち、黒鬼を睨み続ける。
まだ瞬きをしない。まだ瞼は動かない。
まだか、いや、今か、それとも次の瞬間か。
時間が停止したかのような永遠を過ごし、ようやく黒鬼の瞼は動き出す。
一ミリ、また一ミリと閉じていく瞼の動き。ヘビのそれをも上回る猫の動体視力は完璧に一回の瞬きを捉えた。
今だっ、と心の中で叫んだ。
シロは上空の船へ、他のみんなは先回りした遠くの場所へ。瞬間移動は成功だ。
だがしかし、結界での封印は少し間に合わなかった。
黒鬼は瞬きと同時に武器を大筒のエネルギー砲に変形して肩に担ぎ、黒羽に発砲。たった一回の瞬きの間にこれだけの動作をするとは。
厄介な。考えてか癖なのか、次の動きを考える間は瞬き一つせず、隙ができる瞬きの瞬間には攻撃することで補っているという訳だ。
強いとその名が知れ渡る相手はやはり一味も二味も違う。
砲撃は黒羽に頭の先から直撃し、小さな身体は弧を描いて吹き飛び、壁に激しく叩きつけられてしまった。
結界を張り替える一瞬の隙を逆に突かれてしまったのだ。
念のためにと自身の体表を合金に変化させて防御力を稼いでいたが、それでもギリギリ一命を取り止めたくらいの威力。
今の攻撃で吹き飛びながらも無理矢理に黒鬼を結界に閉じ込めることに成功こそしたが、これでどうにかなったと言えるのだろうか。
上空に逃がしたシロがベラポネのテレパシー能力を応用して、この遠距離にもかかわらず回復の魔法をかけてくれている。体が温かい。が、立ち上がれるようになるまでにもかなりの時間がかかりそうだ。
回復までに黒鬼に結界を破られれば、死ぬ。
これまで何度と神の存在を呪ってきただろう。流石に今回ばかりはそれが裏目に出るか。
黒鬼は狭い結界の中で武器をチェーンソーのように変形させ、結界の切断を試みはじめた。火花が自分に降りかかるのも気にせず、真顔で黙々と作業に取り組む。
なんて嫌な音だ。前世の暴虐は今世でどう足掻いてもひっくり返せなかったらしい。
死刑囚の死刑はある日突然に執行されるというが、なにもこんなに幸せな思いをさせた後で執行しなくてもいいのに。
未だ動けない黒羽の前で、結界が突破された。
ミルを凌駕する戦闘能力の怪物と聞いてはいたが、ここまでだったとは。
グルルルと唸る刃はもう目の前。けれど、なぜか、黒鬼はトドメを刺そうとしない。
「私は、どうして……」
「……?」
「どうして、黒羽、殺す? どうして……」
一体どうしたというのか、黒鬼は一人で戸惑いはじめた。
「殺せと、言われた。だから、殺す? どうして。黒羽は、何を、したの」
あと少し。あと少しで立てそうだ。
「他のは? 他のは殺さなくて、いいの?」
さては、力はあっても脳が足りないのではないだろうか。やはり日頃から悪いことはあまりやるべきではないようだ。
「……。まあ、いいや」
自問自答していたかと思えば突然、ギロチンみたいにチェーンソーが振り下ろされた。だがもうそこに黒羽はいない。
流石にまだ結界も瞬間移動もできないが、その場から退くくらいはできた。
「お前……、誰かに言われて来たのか。誰の差し金だ」
「言わない。私はただ、黒羽を殺せと言われた。だから、殺す」
(傭兵か? いや、そんな馬鹿な)
雇われていたならより強力な何者かがいることになる。こういったあまり言葉が通じないような奴であればなおさら金で動くまい。
黒鬼の武器が変形する。
今度は何に変わるか。ハンマーか、刃物か、大砲か。
黒鬼の武器は彼女の右腕に融合し、巨大なハサミに変化した。
「けっ、加減のできねーやつだ」
一旦、距離は置いたものの、死期が伸びたに過ぎない。結局は絶体絶命というところなのに、黒羽は防戦一方でだんだんイライラしてきた。
こんな短時間でこのダメージ。能力もまともに使えなくなってしまっては本当にただの猫だ。
黒鬼が迫る。
「クソッ、しょうがねぇなぁ……」
ハサミは黒羽の首を跳ねようと、視界いっぱいに大口を開けた。