071 人ならざるもの
シュバータとソルマール島の中間地点の海の上に二人の人影があった。
一人はレビ。そして彼の行手を阻むもう一人は、飾り気のない漆黒の軍服ドレスの少女。ショートの黒髪にしらじらと日光を返す白い肌、子供のような小柄な体。一見してか弱い女の子でしかないが、海の上を歩くことができるところを見ればただ者でないのは一目瞭然。彼女の左手には身の丈の倍はあろうかという蟹の爪のような形をした見るからに重そうな刃物が握られていた。
「お前が黒鬼か。何の用だ」
「……」
黒鬼は人形よりも無表情でまるで生き物ではないかのように口を開かない。何も言わず巨大な爪を海に這わせながらレビに近づいてくる。
「どうして、わたしより、つよいやつが、いる」
黒鬼の瞳が気味悪く真っ赤に光った。戦う気なのだろうが、レビは面倒臭そうに無視して彼女を避け、追い越そうとする。するとレビの前に黒鬼が一瞬にして先回りし、再び行手を阻んだ。
「なんだ」
「おまえは、わたしを、ころしたくないの」
「どうでもいい」
「どうして。みんなわたしを、ころしにくる。だから、わたしがさきにころす。いつもそうなのに」
「鬱陶しいな。お前に用はないんだ」
「おまえにきょうみ、わいた」
黒鬼がそう言い終わると同時に空高く激しい水飛沫が巻き上がった。
黒鬼が一瞬にして巨大な爪を振りかざし、レビが一瞬にして彼女の左腕ごと殴り飛ばした。黒鬼の左肩から先と武器は跡形もない。威力に耐えきれず原子のレベルまで分解され、文字通り消滅してしまっていた。
ふらりと黒鬼がよろめき、海の上に浮かぶ。軍が手を焼く少女の姿をした歴戦の怪物が一撃で散ってしまった。
「……。機械だったのか、お前」
黒鬼の胸ぐらを掴んで拾い上げ、右腕もいとも簡単に引きちぎる。人類ではないのか、彼女の傷口からはばらばらと機械のパーツのようなものがこぼれ、銅線らしきものが見え、ぱちぱちと火花を散らしていた。
「うう!」
「痛いのか」
「わたしは、わたしは……」
血は出ないが涙を流して苦悶の表情を浮かべていた。
「しにたく、ない。だから、たたかってた。わたし、もう、しんじゃうの?」
「……。妙なやつだ。死にたくないならどうしてオレに刃を向けたんだ」
「……」
両腕とも失い、胸ぐらを掴まれ片手で持ち上げられ追い詰められた黒鬼はがくがくと体を震わせ始めた。
黒鬼はこれまで食物連鎖の頂点に君臨していた。
最初は勇者と名乗る少年とその仲間たちだった。彼らは剣を抜き、鬼のような形相で突然斬り掛ってきた。だから、抹殺した。
次はあの時の勇者に似た顔つきの少年だった。父親の仇と言って一人で戦いを挑んできた。だから、殺した。
次は全員が同じような鎧を纏った軍団だった。村の平和のためだなんだと叫んで一斉に斬り掛かってきたから全て躱し、指揮を取っていた大男を見せしめに粉々にした。一斉に逃げ始めた残りの者たちは追いかけなかった。
それから何百年と時代が過ぎるほどに自分に向けられる武器は剣から銃に変わり、遠くから狙われるようになった。だが、暇つぶしに弾を全て避けながら一人残らず歩いて殺しに行った。
最近は格好のいい派手な装備に身を包んだ洒落者が時々やってきていた。不思議な能力を使い、殺そうと必死になっていたが、一通りの技を見せてもらって飽きたら首を跳ねた。
黒鬼は何百、何千という殺意を向けられていながら一度もダメージを受けたことがなく、これが生まれて初めての痛みで、生まれて初めて経験する恐怖だった。
「しにたくない。しにたくない。ごめんなさい。しにたくなかったの。ころさなきゃ、おわらなかったの。こんなに、かわいそうなことだったなんて、しらなかった」
「……」
命乞いかと思えば自分の犯してきた罪の重さに号泣していた。
死にたくないから戦うしかなかった。誰かに似ている。
「……」
自分に殺意を向けた黒鬼にレビは腹を立てていたが、もうそんな気分は失せてしまい、そっと彼女を抱きしめた。耳元でうるさく大泣きしている。
レビはどうしても黒鬼の姿がララと重なってしまい、彼女のことを知りたくなった。黒鬼の頭に触れ、彼女の過去を見る。
○○○○
ノアはメロウ島に産まれ、ごく普通の家庭に育った。
母親は優秀な魔女で魔法学校で教鞭を執り、父親は錬金術師で修理屋を営んでいた。
白いショートに赤い瞳。ノアは極度の白子症という先天性疾患を患っていたが、愛らしい目鼻立ちで学校では人気者だった。
朝は母親の声で起き、家族で食卓を囲い、昼は学校で友達と遊び、夜は父親に勉強を教えてもらう。順風満帆の幸せな日々を過ごしていた。
だがそんなある日のことだ。窓を締め切り日光を遮断して眠りについていた頃、ノアは母親の金切り声で目を覚ました。
声のした父親の書斎へ飛んでいき、ノアは唖然とする。
「……父さん?」
木製の机に母親が力なく横たわる。その手前で白衣を血塗れにした父親の背中が見えた。
「残念だよメリー。君ならきっと分かってくれると信じていたのに」
「……!」
父親がこちらを振り返る。その瞬間、歪な金属で置き換えられた母親の顔が露わになり、ノアは悲鳴を上げて腰を抜かした。
悪い夢を見ているに違いないと思った。しかし、父親に腕を掴まれてこんなに痛いのは何故だろう。
変わり果てた母親の姿に恐怖で泣くことも叫ぶこともできない。ノアは壁に用意されていた十字架に磔にされた。
「どうして、どうして……。お父さん、お父さん、お父さん!」
「うるさい! ああ、可愛いノア。私はお前を心の底から愛している」
母親の血で染まった父親の手がノアの頬を撫でる。
「お前は永遠に生きていて欲しい。私なら、この願いを叶えることができる」
「……」
父親は部屋の隅に置かれたアンドロイドを指差した。少しの魔力で超人並みの戦闘を可能にする戦闘兵器の試作品だ。
メロウ島はアンドロイド技術の研究を密かに行っていた。錬金術師はメロウ人にしかいない能力者。彼らの能力はメロウ島における最高の戦力だった。アンドロイド技術を発展させ、大量に生産し、領地を拡大する。国とすら認められていないこの島はこの兵器を利用して領地拡大を企んでいたのだった。
「我々、錬金術師がアンドロイドの研究を行っていることはお前にも聞かせていただろう。我々は長年の研究の末、ようやく一つの結論に至ったのだ。アンドロイドは——」
「……」
「人との融合によって完成する」
「!!」
「そうだ、分かるだろう? ノア。アンドロイドはこれから完成され、お前は不老不死になれる。ああ、素晴らしい! 一石二鳥だ。私の愛しいノアは不老不死となり、永遠の若さを手に入れ、そしてアンドロイドは完成する! この島は国となり、世界を掌握する大国へと進化を遂げるのだ!」
それ以降の記憶は途中で途切れていた。ノアが意識を失ったようだ。
続きは同じく父親の書斎から始まり、彼は死んでいた。
部屋の隅にあったアンドロイドも消えていた。いや、変わっていた。黒いショートに白い肌、赤い瞳。小柄な少女の姿へと。
彼女は静かな生活を求めてメロウ島から姿を消し、海の上を歩いて世界中を彷徨った。絡んでくる輩を殺しているうちに指名手配され、警察も殺し、勇者を殺し、軍隊を抹殺し、国を滅ぼし、いつしか黒鬼と呼ばれ危険視される怪物へとなっていったのだった。
○○○○
レビは黒鬼の身体を治してやった。
両腕はもちろん、ちぎれた袖も吹き飛んだ巨大な爪も元通り。
何が起きたのか分からずに海の上にぺたんと座り、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で呆然としている黒鬼を励ますように、しゃがんで彼女の肩に手を置いた。
「お前はもう、黒鬼じゃない。名前を覚えているか?」
「私の、名前?」
「そうだ」
「……分からない」
「お前の名は、ノア」
「ノ、ア?」
「そうだ」
「ノア。ノア。私の名前。私の名前は、ノア」
自分の手を不思議そうに見つめて何度も自分の名を口にする。しかし人間だった頃の記憶を思い出すことはない。レビが消したのだから。
「お前はもう黒鬼ではない。ノアという、一人の人類だ。だが、お前をこのままにしておいてはまた同じ悲劇が繰り返されるだけだ」
ノアの手を取り、立ち上がらせる。もう彼女の赤い瞳は黒鬼という名には程遠い穏やかなものになっていた。
「これからはオレについて来い。オレが悪だというものは全て悪だ。これからはその刃で悪を滅ぼせ」
「分かった。あなたの名前……」
「……」
「あなたの名前、教えて」
「レビ」
「レビ?」
「いや、オレはもう堕天した身か。レビエルと呼べ」
「レビエル」
「……」
ノアが嬉しそうに微笑むとレビは睨みつけた。
「気持ち悪い。下僕の分際で馴れ馴れしくするんじゃない」
「……ごめんなさい」
レビは自分のあご先を触れて何事かを考え、
「そうだな、下僕か。下僕にしては弱過ぎる。お前に力をやろう。無限に働かせてやる」
「ありがとうございます」
レビがノアの額に手を置き、何事かを唱えると彼女の頭上にレビと同じ黒い輪が現れた。レビはソルマール島を指差した。
「さて、これからあの方角へ向かう。そしてノア。お前の初仕事だ。あの島で黒羽というやつを抹殺しろ」
「クロハネ。抹殺。分かった」
海の上から二人の姿が消えた。
最近、「異世界に告ぐ」という新作も書き始めました。
同じくぼちぼち書いていきます。
よければお願いします。