070 十一異端
ソルマール島は天候の変化が激しい島だ。
チョールヌイたちと別行動を取ってしばらくすると雲行きが怪しくなって、雨が降り始め、次第に強くなり遂にはバケツをひっくり返したような土砂降りになった。
だが、ちょうど山の近くまで来たところで雨宿りできそうな洞窟を発見し、黒羽たちはそこでチョールヌイたちを待つことにした。
洞窟は断崖絶壁に空いた横穴で、中は上り坂のように緩やかに傾斜があり水は流れ込んでこない。メイシーが示す方角に都合よくあったものだった。
ドレイクが壁にもたれて座り込む。
「ひとまずここで一服だな。ベラポネさんたちが戻ってきたらそろそろ作戦通り、船で待機してもらうか?」
「そうだな。ララの用事も済んだならもうその態勢に入ってもいい頃だ。モナとベラポネはメイシーと一緒に船に瞬間移動で戻させてもらう。モナは船を操縦して、メイシーはベラポネに方角を教えてやってくれ。ベラポネがテレパシーで俺たちに教えてくれるからな」
「分かりましたっ」
メイシーはモナに続いてこくりと頷いた。
それから十分ほど待つが、雨は弱まるどころか強くなり、洞窟の入り口まで水が迫ってみんな奥へ奥へと避難する。挙句、雷が鳴り始め、メイシーは雷を怖がってルナに引っ付いて顔を隠してしまった。
黒羽は誰か雷を操れる能力のやつがいてくれたらと思い、思い出したようにルナを見つめた。
「おい、ルナ。お前の属性、雷だったよな? なんとかしてやれよ」
「ムリよ。雷を起こすことならできても収めることはできないんだから」
「うわ、すごいありがちなやつ」
「うるさいわね〜、黒羽さんに雷落とすわよ」
「余計に黒い綿飴みたいになるからやめてくれ」
「ふっ、ちょ、それ見てみたいかも」
冗談を言い合っていると「まあまあ、こんな大雨なのに楽しそうね」とベラポネが帰ってきた。しらたまちゃんもチョールヌイも一緒だ。みんなずぶ濡れになっていることだろうと思いきや、ベラポネが魔法で雨を避けて三人とも全く濡れていなかった。
みんな口々におかえりと無事の合流を喜ぶが、ベラポネに人差し指を立ててしーっと宥められる。
「ここに来る途中でゾンビの群れに遭遇したわ。どういうわけか粉々に吹き飛ばしてもしばらくすると全身を再生する不死身だから、雑魚だけど囲まれると厄介よ」
「おお、本当か。血が騒ぐ、いや、それならなるべく気付かれないようにしなきゃな」
黒ちゃんったら……、とシロが隣で呆れて首を振っていた。構わず黒羽は続ける。
「この洞窟、奥に続いてるみたいだ。メイシーもここを進んでいく方向を示している。ここからベラポネとモナはメイシーと一緒に船に俺が船へ瞬間移動させるから、メイシーの言う通りに道案内をしてくれ」
「いいわ。テレパシーで伝えるわね」
「頼む。じゃあな、メイシー。ここまでありがとう。あとは俺たちに任せてくれ」
「うん」
モナが間に入って両手にメイシーとベラポネと手を繋ぐ。と、しらたまちゃんが慌て始めた。
「え、ベラばあ、私は?」
「あなたはみんなと一緒に行くのよ」
「ふえぇ〜」
「今日は好きに暴れていいから、頼むわよ」
「え! いいの!」
「今はダメよ。悪い連中と戦うときだけだからね」
「はーい! わあった! いってらっしゃーい!」
元気に手を振るしらたまちゃんに合わせて黒羽は三人を船に瞬間移動させたが、なんだか爆弾を置いていかれた気分だ。どうしてもベラポネは船に戻すしかないし、ミルのしらたまちゃんは戦力だしでこうする他ないが、何故こうもアステリアのときといいしらたまちゃんといい、ミルは扱いにくい性格が多いのだろうか。
ドレイクも重い腰を上げ、ぱっぱと土を払って立ち上がった。
「さて、じゃあ行くか」
「そうだな。ちょっと試しに一番奥まで走ってきてくれないか?」
「いきなり生贄にすな」
「冗談だ。とりあえず、先頭は俺とララとドレイクとルナの四人で、ヒーラーのシロとフミュルイは後ろについてきてくれ。しらたまちゃんは二人の護衛として背後を注意して見ていてくれ」
「了解であります!」
しらたまちゃんは元気に手を挙げて返事をし、フミュルイに抱っこされた。どう見ても黒羽と同等の戦力とは思えない。
ちょとしらたまちゃんが戦うところを見てみたいと黒羽が思った矢先だ。洞窟の傾斜を上り始めてまもなく、入口が騒がしくなってきた。
一斉に振り向くと、さっきベラポネが言っていたものと思われる、人間の骨にぐちゃぐちゃに肉片が張り付いたようなあまりにも恐ろしく不気味な姿のゾンビたちが列を成して洞窟に攻め込んできていた。鼻の奥を針で突くような激しいアンモニア臭を漂わせ、各々が剣を片手に振りかざし、先頭の体格のいいものが何らかの声を上げると、それを合図にこちらへ一気に走り出した。
「……」
だがしかし、百は超えていたであろうゾンビの群れが一瞬にして洞窟いっぱいの炎の渦に飲まれ、焼かれながら入口へ押し戻されてしまったではないか。
何が起きたのか分からなかった。それもそのはず、今の獄炎はしらたまちゃんが視線を向けただけで放たれたのである。呪文も何もない。ただ睨んだだけだったのだ。
みんな思わず呆気に取られて足を止め、骨の髄まで灰にされたゾンビの山を見つめてしまう。訳の分からない黒いゴミの山のようになってしまっていた。
「あれ、終わっちゃっだ」
「色々、なんか必殺技とか用意してただろうに」
「なぁ、黒羽。これさ、オレ、必要かな? 帰ろうかな」
「とりあえずお前は狙撃しといてくれればちゃんと出番あるって、多分。俺もそうだな、今日から普通に飼い猫になろうかな」
「なんかもうさ……、もいいよな? はははは」
「二人ともしっかりするさ」
チョールヌイに怒られてしまった。
相手が弱すぎたにせよ、これだけの戦力があれば安心して後ろを任せられる。
黒羽、シロ、チョールヌイ、ドレイク、ルナ、フミュルイ、しらたまちゃんの六人と一匹は暗い洞窟をさらに進んでいくのだった。
○○○○
黒羽たちがソルマール島へ上陸する少し前のこと。
サスリカのユーベルのもとにゼゼル隊長らしき人影が基地の外にあるとの知らせが入った。
統合幕僚長室でユーベルとアステリアは不意の知らせに顔を見合わせた。ユーベルは兵士に訊く。
「どういうことだ?」
「はっ。見張りによりますと、外の雪の上で一人、佇んでいるとのことであります。しかし——」
「しかし?」
「何故か抜刀し、じっとこちらを見つめているとのこと。どうも様子がおかしいのです」
「……」
ユーベルが眉を歪め無言で立ち上がる。「戦位……」とアステリアが不安そうな声を出すが、ユーベルは「待っていなさい」と制し、太刀を持って兵士に案内させた。
兵士は玄関に残し、一人で外へ出ていくと確かにゼゼルらしき人物がこちらを向いて立っていた。
歩み寄っていくほど異様な雰囲気が感じられる。几帳面な彼らしくなく赤い髪は伸び、いつもの白い甲冑は装備せず見慣れない白の軍服を纏い、見たことのない白の太刀を無造作に握っていた。表情は無く、静かにユーベルが話のできる距離まで来るのを待っていた。
「どうした、ゼゼル。どうも単純に生還したというわけではないようだな」
「そうだとも。私は君に、とっておきの知らせを持ってきたんだ」
ゼゼルの目つきはまるで別人のように悪魔めいたものだった。
ユーベルも太刀の柄に手をかける。
「ほう。聞かせてもらおう」
「フフ。十一異端がこの世に降り立った」
「……貴様」
「君も知っているだろう? 世界を改める十一の聖者のことを」
「何が目的だ」
ユーベルが凄みを利かせるとゼゼルは白い太刀の切っ先を彼に向け、不敵な笑みを浮かべた。
「世界の統一だ。この世に在る全ての魂を葬り、天界と魔界に分配する。そして、天と魔の戦いに終止符を打つのだ。邪魔なのだよ、善にも悪にも染まらないどっちつかずのこの世界は。天界、人間界、魔界という三つの世界を一つに統合し、十一異端によって統治する、真の平和の世界、理想郷を築くのだ」
ゼゼルは太刀を下ろし、
「だが——、君たちは永きにわたり行動を共にした誼だ。まだこちら側へつく機会を与えてやらんでもない。いかがかね、ユーベル。悪を断ち、誠の正義を追求するという利害は一致しているはずだが。不死身の君がいつまでこんなところで害虫駆除を続ける気かね? 我々と共に世界を変えないか?」
「断る」
答えると同時にゼゼルに斬り掛った。
ユーベルの黒い太刀とゼゼルの白い太刀が交差し、火花を散らした。
「生きて帰ってきたかと思えば、まさか悪魔に魂を売っていたとは。夢物語も大概にするんだな。悪を罰し、市民の平穏を守るのが我らの務めだ。それがなんだ。善良な市民さえ強引に殺戮し、あの世で平和を築く? 貴様の企んでいることは、単なる殺戮に過ぎん」
「ふうん、残念だよ、ユーベル」
「!!」
目の前から一瞬にしてゼゼルの姿が消えた。同時に雪が赤く染まる。
ゼゼルは瞬く間にユーベルを斬りつけ、彼の背後まで踏み込んでいたのだった。
「どれだけ斬っても死なない肉体。斬られ過ぎて脳は端から端まで腐ってしまったのか?」
ユーベルの胸から白い刃が貫く。
背後から彼の頭を鷲掴みにし、耳元で囁く。
「いつまでもこの能力が君のものだとは思わない方がいい」
その時だ。
はるか後方から何かの咆哮と共に凄まじい殺気を感じ、ゼゼルが身を翻すと彼の鼻先を岩のような氷の塊が掠めていった。
アステリアのハンマーだ。怒髪天の如く黒い髪を逆立てる剣幕でゼゼルの脳天めがけ追撃を狙うも地面に落下し、降り積もっていた雪を煙幕のように巻き上げた。
「よせ、アステリア!」
ユーベルが止めに入るももう遅い。
「う!」
ゼゼルの白い太刀はアステリアの細い胴体を貫き、背中から突き抜けた。
不死身の肉体でない者では貫かれた痛みは全神経を焼くようなもの。たった一撃で毒を巻かれた虫ケラのように手足を痙攣させ、しかしそれでも太刀を握るゼゼルの手首に掴みかかって必死に抵抗しようとしていた。
ゼゼルはもう、以前の温厚な彼ではない。今の彼はもう、悪魔そのものだ。
人の苦痛を悦とするように笑み、アステリアを串刺しにしたまま天へ持ち上げ、より深々と傷を抉った。とうとう激痛に耐えかねアステリアの絶叫は途絶えてしまった。
「安心したまえ。まだ生きているよ。何故か? 何故だと思う?」
「……」
「君のせいさぁ。僕は今、君を貫いた。君を貫いたこの剣に、君の不死身が宿り、この不死身の剣でこの娘を貫いた。この娘は今、もう、死にたくても死ねないのだよ!」
ゼゼルは甲高い気味の悪い笑い声を上げ、アステリアの腹に根本まで突き刺さる太刀を空に円を描くように振り回す。
「ああああえあああ!! 戦位! 戦位!」
「ははははは! これはいいオモチャが手に入った! おまけにこの娘はミルなのだ。面白い、面白い実験が捗りそうだ! さあ、ユーベル。返して欲しければソルマール島に来るんだ。君の魂と引き換えに返してあげてもいい。それまでこいつの精神がもてばいいがな!」
「待て!」
ゼゼルの太刀はただの刃物ではない。まるで魔物が宿っているかのように、斬られれば全身の神経が焼け落ちるような激痛が襲う。不死身の能力を奪われたユーベルが朦朧とする中、ゼゼルはアステリアを拷問するまま一瞬にしてどこかへ姿を消してしまった。