007 黒羽の能力
瞬間移動をはじめとした一部の魔法は体力を消耗するようだった。同じ距離を移動するのであれば全力疾走したほうがよっぽど楽なくらい。結界なら永遠にでも張っていられるが、やはり全ての魔法が全て息を吸うのと同じようにとはいかなかった。
ただ、自分だけでなく周りの物や生き物も一緒に移動させられることや、例えばロードの部屋のように出入り口の無い、完全に外界からシャットアウトされた空間から抜け出すことには優れていた。
そんなわけで、黒羽はヘトヘトになった。というのも、シロがか弱すぎて少し歩いただけで疲れたと言うので、黒羽も休み休みで散々瞬間移動で運んでやっていたのだった。
「……ああ、夕陽が、きれいだ」
「く、黒ちゃ〜ん、しっかり〜——」
黒羽はアスファルトに大の字で茜色の空を見上げていた。とても癒し系動物の象徴ともいえる猫とは思えない醜態。おまけに目を回していた。
シロはシロで彼の脇に正座して右前脚を握っている。そう、休憩を取るときはなるべく人通りの少ない路地裏へ隠れて気分転換に小芝居をして遊んでいたのだった。
「——ダメだよ〜、死なないでっ、黒ちゃ〜ん」
「……シロ、お、俺のことはいい。はやく、はやく、街へ……、ガク」
「黒ちゃ〜ん! ……そんな、そんな、グスン。もう街は見えてるのに、黒ちゃん、ガクってなっちゃった」
「……ガクってなっちゃた、じゃねーよ。おいおい、俺様の迫真の演技が台無しじゃねぇか」
「ほへ〜、やっちまっただよ〜。てへぺろっ」
シロは自分の頭をコツンと拳で軽く叩き、舌の先を出した。それを黒羽は上半身を起こして、まるで絵に描いたオッサンのように腰をぽりぽり掻き、大きなあくびをして見上げていた。
「あー、はいはい。可愛い可愛い。俺ちょっと寝るわ。ふああーあ」
「いやいやいや、それ全然可愛いと思ってないやつじゃん。笑笑」
「端末も持ってねぇクセに何が笑笑だよ。ってか、そういや驚いたぞ」
「なにが?」
「この世界にもケータイってあるんだな」
「けーたい? およ?」
「端末のことだ。俺が前世でいた世界ではそうやって呼んでたんだ」
「へ〜、おじさま人生経験豊富ぅ〜っ」
「誰がクソ親父だよ」
「そこまで言ってないって」
黒羽はまた大きく口を開けてあくびした。瞬間移動のし過ぎで眠いのは本当だった。
「……で? 端末はこの国だかなんだかじゃ売ってねぇのか?」
「うん。どっかの先進国で売ってるんだって。でもここはそんなスゴイ国じゃないから無いんだお」
「ほーん。……端末だけに」
「ほーん、が、端末?」
「俺が前世でいた世界ではそうも言ったんだよ」
「へ〜、おじさま人生経験豊富ぅ〜っ」
「無限ループは20歳になったらやめるんだぞ」
「えっ、ナニそれ!? それは面白すぎ、笑笑」
「だからやめろや。はははっ、はぁ〜、疲れた」
あのお気に入りの場所から歩き始めておよそ12時間。それも黒羽は何度も瞬間移動をさせられてトレーニングばりに極限の環境に追いやられていた。しかし、そんなときにシロがそばにいたらそれはそれは楽しかった。
疲れが一周回ってカラ元気に代わり、黒羽もテンションが上がってしまいいつのまにかシロとの他愛もない会話に花を咲かせるようにまでなっていた。
移動に疲れたら頭を空っぽにしてシロと雑談して笑い合う。楽しいのはいいが、黒羽はそろそろ笑うのにも疲れるほど限界が来ていた。
「……、黒ちゃん、まだ動けない?」
「ああ。このまま寝たいくらいだ」
「うーん、あ、そうだ。私がまたぎゅぅ〜ってしたら疲れ取れるかな? 黒ちゃんも男の子なんだし」
「確かに嬉しいけどよ、多分窒息死するからそれはダメだ」
「えへへへ、あれ苦しかったんだね、ゴメンね」
そう話しながらも黒羽はアスファルトの上に丸くなり、本当に目を閉じてしまう。本気で寝るつもりだった。
「あああ、黒ちゃん、黒ちゃん。寝ちゃヤダよ、もうすぐなのに」
「……」
「もしも〜し、本当はまだ起きてるんでしょ〜? まだ目ぇ閉じて何秒かしか経ってないよ〜?」
「……」
「……、ま、まさか」
シロは試しに黒羽の両前脚を持ち、彼の体を持ち上げて操り人形のように踊らせてみた。おかげで彼は首がえげつないほどガクガクと振られたが、それでもまだ寝ている。
すると、シロはこれならどうか、これでもどうかとあの手この手で黒羽を起こそうと思考錯誤を繰り返しはじめた。ほっぺたを引き延ばしたり、高い高いをしてみたり、はたから見れば動物虐待だ。しかしそれでも黒羽は起きなかった。
「だ、ダメだ。本当に黒ちゃん寝ちゃってる。はぁ〜、仕方ないなぁ」
黒羽を起こそうとしはじめてから小一時間。やっとシロは諦めて彼をおんぶして歩き出した。
○○○○
街は空に突き刺すような高いレンガの壁で外部と内部とを隔てていた。壁は街を一周ぐるりと切れ目なく取り囲んでいて、中へ入るには入り口でちょっとした手続きが必要である。
シロは黒羽の重い体をおんぶしてどうにか入り口までやってきて、今から手続きを済ませるというところだった。
入り口には高さ3メートルの錆びついた大きな金属の扉が一つ。壁を彫り進んだところにあって薄暗かった。そしてその扉の左手側に窓口があり、中に駅員のような制服を着た係員が座っていた。
係員は細目で小太りの優しそうな中年男だった。眠くなりそうなくらいゆったりした口調で、
「こんにちは。通過をご希望ですかな?」
「はい。私はシロ・メロウで、この子は使い魔の黒ちゃん」
「シロ・メロウさんと、使い魔ですね」
係員は手元の名簿にメモした。
「ではこれで手続きは終了です。今扉を開けますので、入って左手側のカウンターで、受付嬢にレベルを確かめてもらってください」
「はい。ありがとうございます」
ギギギギ、ズドーン。シロが言い終わるか終わらないかくらいで扉が大きな音を立ててひとりでに開いた。
入り口へ向き直り、ゴクリ。シロはツバを飲んで歩みだした。
中へ入ればまるでバーだ。薄暗くてそれなりの雰囲気があった。正面から右手側では丸テーブルが無数に並んでいた。暑苦しい男どもを中心に酒を片手に楽しんでいた。
アルコールの匂いが立ち込めている。そんな中、さっきの係員に言われた左手側のカウンターでは黒を基調としたメイドのような格好の若い受付嬢があくびしていた。
「あの、すみません。えっと、その、わ、私は、シロ・メロウです。レベルの確認をお願いしたいんですけど、いいですか?」
受付嬢は赤い瞳をパチパチと2回瞬き、
「あら、なんて可愛い子なの! はいどうぞ、この紙の上の魔法陣に右手を置いて」
「えへへへ」
シロは小恥ずかしそうに苦笑いしながらカウンターに置かれた紙に手を置いた。カウンターは彼女の口元くらいの高さまであり、黒羽をおんぶした体勢ではたったこれだけの動作も大変だった。
ぽわ〜ん。5秒ほどすると紙に書かれていた魔法陣から白い冷たい煙が上がって、シロは手を離した。それを受付嬢はすぐに回収して確認する。
「はい、シロちゃんのレベルは7ね。街へはお戻りなのかしら?」
「は、はい。色々あったので……」
「きっと大丈夫よ。頑張って」
「あ、あああ、ありがとうございます」
シロはまともに人と話すのが久しぶりでコミュ障全開だった。まともに受付嬢のお姉さんの目を見て話すことができず、全然関係ない床などを見て話していた。
けれど受付嬢のほうは仕事なのだ。淡々と話を進める。
「じゃあ今度はそちらの猫ちゃんね。あら、寝ちゃってるの?」
「寝てても大丈夫ですか? この子何しても全然起きなくて」
「あらあら、可愛いわね。大丈夫よ、その子の右の前脚の肉球をこっちの魔法陣に置いて」
「はい。……よいっしょ、……うん〜っしょっと」
黒羽の重い体を自分の顔くらいまで持ち上げるのに一苦労。どうにか持ち上げて、肉球を紙に置くのは受付嬢に手伝ってもらった。
また5秒ほどすると白い煙が上がり、シロはフゥ〜と言いながら黒羽を降ろした。そしておんぶし直す頃には受付嬢が不思議そうに紙の魔法陣を見つめていた。
「おかしいわね、レベル1から999まで全部ちゃんと読み取れるはずなのに、ほら見て」
「……およよ?」
受付嬢が見せてきた魔法陣には肉球の形に穴が空いていた。受付嬢もシロも一緒になって首を傾げた。
「どうなってるのかしら。こんなこと今までなかったのに」
「……も、もう1回、やらなきゃですか?」
「ううん。不思議なことなんだけど、前に聞いたことがあるの。実はね、前にすごく能力の高い猫ちゃんがいたの。その子のときは能力が高すぎてレベルを魔法陣じゃ測れなかったって。でもその子は白くて毛の長い種類だったらしいから……」
受付嬢が黒羽を不思議そうに見つめる。
シロはその白い毛長猫に見覚えがあった。あの銃を持った男たちに襲われて死にかけたとき、助けてくれた魔法使いの猫。
だがどう説明したらいいか分からず困っていると、背後から誰かの足音が近づいてくるのに気がついた。
「あれ? やっぱりそうだ。誰かと思えば泣き虫シロじゃねぇか。はん、元気してたかよ」
「! ……」
振り向くと赤い髪を炎のように逆立てた青年が立っていた。
「ちょっと、なんてひどいこと言うのよラーズ——」
受付嬢が声を荒げた。しかしラーズと呼ばれた、いかにも性格の悪そうな顔をした男は見向きもしなかった。
「なんだよお前、そんな小汚ねえ猫なんかおんぶしちまって。まっさか、誰もパーティーに入れてくれねぇからって猫拾って戻ってきたなんて言うんじゃねぇよなぁ?」
「……」
シロは涙を浮かべて震え出した。ラーズは一番会いたくなかった、昔のパーティーから自分を外したリーダーだったのである。
「なに黙り込んでんだよ。へん、こんな勇気のゆの字もねぇ弱虫、外して正解だったぜ。お前のせいで大変だったからなぁ。あっ、それともあれか? 謝りに来たっていうことか? そうだよなぁ、散々足引っ張っておいて挙句にゴメンナサイもなく街から出てって、謝らないわけがねぇよなぁ。こんだけ俺たちに嫌な思いさせたんだ。体で払ってもらわなきゃ割に合わねーってもんだぜ? 分かるよな?」
「いや、離して!」
と、そのときだった。一体何が起きたのか、ラーズは下から殴り上げられたように体を浮かせた。腹を抑えてうずくまり、血を吐いてむせる。
「お、お前、何しやがった。……!!」
ラーズはシロのほうを見上げ、戦慄する。彼の前には目を覚ました黒羽が立ちはだかっていた。しかも黒羽の周りには野球ボールほどのサイズの氷の球がいくつも浮かんでいるではないか。
「俺は寝起きが悪くてな。うっかり空気の塊を投げちまった。次からはうっかり氷の塊を投げそうだ」
「な、なんなんだこの猫! ふざけんな! オレはレベル999の勇者なんだぞ! レベルは999でカンスト。つまりオレと同レベルのやつはいたとしてもオレより上のやつはいるわけねぇんだ! よくもこのオレをコケにしてくれたな、後悔してももう遅いぞ。消し炭にしてやらぁ!!」
「黒ちゃん!」
ラーズが右腕に炎を纏い、黒羽めがけて火炎放射のように噴出する。だが——
「よく吠える犬だ」
「う、嘘だ、そんな、ドラゴンですら一撃で葬った技だぞ……」
黒羽は結界も張らず直接ラーズの火炎を受けたが全くの無傷だった。
「さて、次は俺の番だな。そこに正座しろ」
「……な!?」
どういうわけか、ラーズは意思とは無関係に黒羽の言う通りに正座してしまう。しかも金縛りにあったように微動だにできない。
全く身動きのできない顔面蒼白のラーズに黒羽がゆっくりと迫る。彼はラーズの膝の前まで来て、
「女を脅すような男は男じゃねぇよなぁ? お前には女としての人生がお似合いだ。精々、いい女を目指すんだな」
ゴン! ゴン! ゴン! ゴン! 黒羽が周囲に浮かべていた氷の球がラーズの股間に撃ち込まれては爆ぜ、撃ち込まれては爆ぜる。次第にラーズの股間は漏らしたように血で赤く染まり、口からは泡を噴き、彼は白目を向いて無様に倒れてしまった。