068 私のルドルフ
ルドルフが門番に抜擢されて3年。彼は17歳、メイシーは9歳になった。
クエスト遠征も可能になり、これまでに二度、簡単なクエストで遠征経験を積んでいた。最近の遠征は先月で、まだ城へ戻って半月ほどだった。
メイシーはルドルフが遠征に出ている間、ずっと彼の無事を祈って待つ日々を送り、帰ってきた時は一番に駆け寄って迎えた。
近頃は国内は平和そのもので、何事もない穏やかな時間がゆったりと流れていた。
今日もルドルフとメイシーは門の辺りで身を寄せ合い、遠くの街の景色を眺めていた。
空は赤い。まるで夕焼けのように、それも恐ろしいほど。
前回のクエストの間、このシュバータ付近に新たな危険モンスターの出現が疑われ始めていた。どのような姿をして、どのような能力を使い、どのように戦うのか、情報は無に等しい。ただ、調査部隊による情報では近隣諸国の神話に登場するモンスターと酷似しているとの話が挙がっていた。そのモンスターの名は、シャルバベルキン。カニやクモのような節足動物に近い骨格をした非常に長い脚を持つ異型のモンスターである。立ち上がると胴体は雲をも貫いたと語られており、活動期には背中から生える二本の煙突のような噴出口から排出される大量の煙で空が赤く染まったと伝えられている。
こんな風変わりな風貌をしたモンスターは二つと無い。加えて伝説のとおりに空が赤く染まっていることからギルドは先日シュバータからも調査部隊を派遣していた。
ルドルフは悲しげな目で遠い赤の空を眺めていた。膝を枕にして眠ってしまったメイシーを心配そうに見下ろし、仔猫のように撫でる。最悪の事態は免れるよう祈っていた。
「お疲れ、交替の時間だ」
背後から同じ門番のヘルマーという青年の声がした。
ルドルフは振り返って指でシーっとやると、ヘルマーが何かを持っているのが目に入った。彼は聞かれる前にルドルフに差し出した。
「姫様はもうお休みか。よっぽどお前の膝は心地いいんだな。たまにはオレも寝かせてくれよ」
「ははは、気持ち悪いこと言うなよ。……」
ヘルマーの馬鹿げた冗談とは裏腹に彼が持ってきた手紙は深刻なものだった。
シュバータの調査部隊がシャルバベルキンを確認、交戦し、壊滅。8割が海の塵と化し、2割が重軽症を負いながら帰国。翌日には生存者の半数以上が救命できず死亡し、結局12名しか生き残らず、およそ200名が犠牲になったとの知らせだった。また、軽傷あるいは無傷で済んだのはたったの3名の隊長格のみ。要するに隊はギルドの主要人物を守ることに徹し命からがら一目散に逃げてくるという事態にまで追い詰められていたということである。
「今はシャルバベルキンとあの黒鬼が交戦中らしい。あの空が赤いのは連中のせいだ」
「黒鬼が動いているのか。何者なんだ、シャルバベルキンというやつは」
ヘルマーもルドルフの隣に腰を下ろした。
「まあ、オレたちはこのまま黒鬼が勝ってくれるのを祈るしかねぇ。やれやれ、とんでもない時代に生まれちまったもんだな。あの水平線の向こうで、世界の厄介者同士がバトルしてやがる」
「間違ってもシュバータには来ないで欲しいものだな」
ヘルマーはだらしなく仰向けに寝転んだ。
「まったくだ。ったく、やっと彼女ができたってタイミングでよくも数千年ぶりに目覚めてくれやがった。どんだけ神様はオレに独り身のまま死んで欲しいんだろうなぁ」
「死なないさ」
「ん?」
もはや呆れて笑うしかないと言いたげな顔のヘルマー。彼がルドルフを見上げると真剣な顔で国からの手紙を握りしめていた。
「死なせない。そんな馬鹿げたやつに狂わされてたまるか」
「そうだな。でももうオレは半分諦めちまってるよ」
「どうして」
「どうせオレらはいつか死ぬんだ。何度も命拾いしてきたことだし、むしろ今まで長生きできて良かったくらいだよ。ま、お前はそうはいかねぇだろうけどなぁ」
ヘルマーはメイシーを見てそう言い、座り直した。
「オレはお前より4つ上だ。お前くらいの時はいつも上手くいくことを期待して戦ってたもんだ。でも悪いことは言わねぇから、……、今度こそは死ぬと思って悔いのないようにやるべきことを今のうちに全部やっといたほうがいい。分かるな?」
「……」
「分かった顔だな。さ、姫様を起こして、とっとと城へ戻れ。腹も減ったろう、お疲れ様」
シュバータの調査部隊が壊滅したということは、黒鬼が敗北、もしくは撤退した場合はルドルフやヘルマーも連合国軍として出撃を余儀なくされる可能性がある。これは金の都合だ。相手が国ではないのに軍が編成される場合、シャルバベルキンの肉が高級食材にでもならない限りは戦争のように黒い利益すらも発生することはない。資金は使った分だけ海の塵として消えて損害ばかりが増えるのだ。だが連合国軍を結成すればお互いの国の経済力や技術力を補い合うことで損害をある程度抑えることが可能となり、より長期戦に強くなれる。調査部隊の被害の甚大さと、黒鬼ですら苦戦を強いられているこの時点で長期化が予想されるため、王に使える城の門番といえど駆り出されることになりそうであった。
ルドルフはメイシーを起こさないように上手く背中に負ぶり、ヘルマーと門番を交替して城を目指して歩く。もう目の前というところでメイシーが目を覚ましてしまった。
「ルドルフ、ありがとう」
「……。いえいえ。よく、眠れましたか?」
「うん。ん? どうして立ち止まるの?」
「……」
ルドルフはその場にメイシーを降ろした。
メイシーと向き合うとルドルフが言うより先に彼女が察した。
「そっか、帰ってきたばっかりだったのに」
「どうして、分かるのですか」
「だって、ルドルフ、いつも遠征に行くとき悲しそうな顔するんだもん」
「……」
夕陽のような赤く染まる空の下、メイシーは細い腕でルドルフを抱きしめた。
「私、ずっと待ってる。ルドルフが無事に帰って来ますようにって、お祈りして待ってるから。きっとルドルフはまた元気に帰ってこれるよ。だから、そんなに心配しないで」
「メイシー……」
ルドルフもメイシーの小さな体を抱き返した。
「そうですね。……。いつか、メイシーに聞かせたことがありました。真っ赤なお鼻のトナカイのお話」
「覚えてるよ」
「私は真っ赤な目のルドルフです。他の人には無い目をして、優しいあなたと出会った。きっとまた、必ず無事に帰ってきて、そうしたら……、どんな暗く不安な未来も私が見通して、あなたを導きましょう。あなたをどこまでも、どこまでも遠くへ連れて行きたい。このお城の外の広い世界へ、一緒に」
「それって……。うん。はい。どこまでも連れて行って。約束だよ、ルドルフ」
あるところに小さなお姫様がいました。
彼女には大切な人がいました。初めて出会った日からずっと一緒。そしていつしか二人は固い絆で結ばれるようになりました。
しかしそんなある日、彼はお姫様のために恐ろしい怪物に立ち向かうことになります。彼の無事を祈り、城に残されたお姫様はずっと彼の帰りを待ち続けました。けれど待っても待っても彼は戻りません。一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、半年が過ぎ、彼はもう二度と戻らないという心無い噂も立ちました。それでもお姫様は待ち続けます。
赤く染まっていた空は彼がいなくなってから明るい快晴の空に変わっていました。一年が過ぎ、お姫様の目にはどんな青い空も真っ暗に見えています。お姫様はまだまだ待ち続けます。ただ一心に、この暗闇をも照らすようなきれいな赤い目をした彼の無事の帰りを祈って。