067 シュバータ城の幸福な日々
シュバータ王国は古くからモンスターたちとの生存競争を強いられてきた国である。それこそ怪物の国と呼ばれる所以であった。
寒冷な気候であるサスリカと大差ない高緯度に位置しながらも昼間の地域の範囲にあり日光の恩恵を受けやすく、海抜高度も低く、そして石材による街づくりの文化がヒートアイランド現象を誘発するなどの温暖化条件が揃っていることにより冷涼な気候となっていた。
元は海底火山だったものが大噴火を起こしたことにより形成された島国ということもあり、面積の大半を大山脈が占める。燃料も豊富であることから熱気球がこの国の文化的交通手段として名物であり、故に観光産業が発達していた。火山の熱を利用した地熱発電を主なエネルギー源とする数少ない国でもあり、豊富かつ安全で永久的な発電力によって栄えたと言って過言ではない。
だがしかし、豊富な電力により採石機器の発達が早くから進行したことで山岳部の大量の石材は急速に平野部へ街として形を変え、山々には森林が豊かに茂った。森林が広がればそこを棲家とするモンスターたちも一層栄えるようになり、彼らと人類との競争は皮肉にも国の発展と共に激化。現在では人類の生活圏と森林とは境界明瞭に分かれ、森林に近くなるほどに冒険者たちのギルドが防波堤的役割を兼ねて栄えるようになった。
よってシュバータ王国は中心から港へいくほど山脈、地熱発電所および採石場、森林および狩猟区、ギルド街、冒険者学校、居住区、市街地および観光地、港町となっている。
冒険者学校では年に数回、大型モンスターの狩猟大会が開催されていた。参加条件はレベル800以上の者であること。これは上位冒険者とされるレベル667を大きく上回るもので、将来有望な学生であることを意味している。シュバータ王国ではモンスターの危険性と数の多さのためギルドへの参加には17歳からという年齢制限が法律で定められているが、それさえなければ若くして立派に奮闘していたに違いない桁外れの神童も稀に現れていた。
今から4年前、後にも先にも類を見ない伝説的快挙を成し遂げた天才的少年がいた。彼の名はルドルフ・バトラー。若干14歳にしてレベル999のカンストを達成し、狩猟大会中全討伐モンスターのおよそ6割を一人で殲滅するという過去最高討伐記録を打ち立てていたのであった。
ルドルフは純血が既に絶滅した巨人族の血を引く半巨人族という希少種族であり、この年齢にして身長188センチ、体重92キロというかなり大柄な体格。しかし何世代もの時を超えて発現した巨人族の遺伝形質であるその巨体や、魔物を彷彿とさせる赤黒い瞳は幼い頃から人々に忌み嫌われ、小さな村で生まれた彼はついに奇異の目に耐えかねた両親に捨てられて教会の神父の下で育ったのであった。
生まれて一度も怒ったことのない温厚で真面目な彼の性格は威圧的な外見を補って余りあるものであり、成長するほどに向けられる奇異の目は徐々に薄らいでいった。
14歳になる頃には鋭かった目つきも温厚な性格を体現するような優しいものへと彼らしく変化し、大人びた甘い顔つきと数々の武器種を巧みに使いこなす様やモンスターの討伐演習の成果は人々を次々に魅了していった。そうして迎えた冒険者学校での国を挙げての狩猟大会で成し遂げた伝説的大記録だ。これをもってルドルフはシュバータ王国のヒーロー的存在として頭角を現し、法的にギルドへの参加並びにクエスト遠征可能な17歳を迎えるまでの間、王の城の門番として国王に使えることとなったのだった。
ルドルフは様々な武器種を使用可能ということもあり、鎧を着て右手に盾を、左手にランスを装備しながら腰には双剣を携えるという格好で門の周辺の警備にあたった。
山中とは思えぬ暖かな日のこと。門を一人で警備していた彼の元へ一人の幼い少女がやってきた。
「おにいさん、そんなところで何してるの?」
「ん?」
メイシー姫だ。当時6歳。黒い髪は簡単にポニーテールにしただけで、白いソックスは土に汚して、姫というよりは活発な子どもだった。
まるで遊んでもらいたがる仔猫のようなメイシー姫をルドルフは厳しく叱ってやることができなかった。
「これこれ、こんなところへ来てはいけませんよ」
「どうして?」
「この門の外は姫様を食べてしまおうとする恐ろしい怪物がたくさんいるんです。こんなところにいては姫様は食べられてしまいますよ」
「え〜、じゃあさ、おにいさんも危ないよ。一緒にお城に入ろう」
メイシー姫はルドルフの右脚にくっついた。
「ははは、ダメですよ。私はここで姫様を狙う怪物たちを見張らなくては。私まで城に戻っては怪物たちが攻めてきてしまいます」
「え〜、んん〜、じゃあさじゃあさ、おにいさんが私を守ってよ」
「姫様一人をお守りすることはできても、王様や女王様はお守りきれませんよ。だからここで食い止めなくては」
「んん〜、じゃあ、私ここにいる」
「やれやれ」
「だって今、私一人なら守れるって言ったでしょ?」
「……。仕方ありませんね」
「やったー! 今日からおにいさんは私のお友達だからね!」
確かにメイシー姫一人くらいならモンスターから守り切る自信があった。ならば門番をしながらメイシー姫の遊び相手もできることになる。ルドルフはまんまとメイシー姫の誘導尋問に引っかかってしまったのだった。
それからというもの、メイシー姫は毎日毎日ルドルフのところへ遊びにきた。いや、ルドルフに付いて回るようになった。門番はルドルフの他にもう一人いて交代で門の見張りをしていたので、メイシー姫はルドルフが城内で休むときも門番に行くときもトコトコと親鳥の後を追いかける雛鳥のように一緒に過ごした。
ルドルフは一人っ子だったうえ、幼い頃に親元を離れ、神父の下で育った。兄弟もいなければ親と過ごす時間も短く、彼にとって家族ほどに近しく思えたのは優しい神父くらいだった。注がれる奇異の目に苦しんだ日々も神父は涙を流して胸を痛めては親身に支えてくれた。そんな神父とも冒険者学校時代は寮生活だったために長く会うことができておらず、ルドルフがようやく卒業して王城の門番になったと伝えようと教会に帰った頃には棺の中で安らかに眠っていた。
見た目によらず寂しがり屋なルドルフは表に出さずとも悲しみの中にいたのである。そんな彼がメイシー姫との出会いをどうして喜ばないだろうか。
神父はルドルフにある言葉を遺書に残していた。
『優しいことが人とは限らない。しかし、残酷なこともまた、人とは限りません。この世の中であなたは寂しい日々を過ごしてきたことでしょう。だがそれは同時に、世の中には他にもあなたのように寂しい日々を送る人々がいて、あなたのように優しさを求める人があることを意味しています。あなたはその人の気持ちが誰よりも分かる人だ。人を守ろうとしつつ、人に傷つけられることもありましょうが、苦しむことを乗り越えたあなたは、苦しむ人々に救いの手を差し伸べられるお人になってください。大会でのあなたの姿は、その第一歩として立派でした。これで安心して眠れます』
遊び相手を求めるメイシー姫の寂しそうな姿は、ルドルフの幼少期に近かった。寂しい日々を過ごしたルドルフは寂しい日々を過ごすメイシー姫の側にいてあげたいと思うようになり、しつこいほどに名前を呼んではおもちゃのように付きまとう彼女を妹のように可愛がるようになっていった。
ルドルフとメイシー姫は年の差を感じさせないほど仲良くなり、色んなことをして遊んだ。あやとり、折り紙、積み木、しりとり、お絵描き。最近はルドルフが話す童話がメイシー姫のお気に入りである。
今日もメイシー姫はルドルフの膝の上に座り、一緒に門の外の景色を眺めながら童話をねだっていた。
「ねぇねぇ、ルドルフ。今日のお話は?」
「そうだね、じゃあ、今日は遠い遠い夜の国のお話にしよう」
「やった! ふふ〜ん、静かに聞いてるね」
「昔々、寒い国でのこと。この国では一年の間、良い子にしていた子供たち一人一人にプレゼントをくれる優しいおじいさんがいました。おじいさんは子供たちが寝ているときにしか来てくれません。ちゃんとすやすや寝ている子が良い子だからです。おじいさんは赤い帽子と赤いコートを着て、白くて大きな袋にプレゼントをたくさん詰めて子供たちのところにやってきます。でも、おじいさんは歩いてはみんなの家を回ることができません。そこで、冷たい雪の上を滑るソリという乗り物を使わなくてはいけませんでした。このソリはトナカイという大人しい動物が引いて動きます。でも、今までおじいさんを乗せてくれていたトナカイは年をとっていたので、若いトナカイと交代する日が来ました。おじいさんは困りました。年を取ったトナカイは道のことをよく知っていて、どんなに暗い道でも迷いませんでした。若いトナカイは道をよく知らないので迷ってしまうのです。そこでおじいさんはある若いトナカイと出会います。その子だけ真っ赤にピカピカ光るお鼻を持っていたのです」
「うそ!」
「ははは。お鼻ってこの鼻だよ。咲いてるお花じゃないよ」
ルドルフは自分の鼻を指差して笑った。
「分かるよ〜。ねぇねぇ、続き続き」
「おじいさんはこの真っ赤なお鼻のトナカイにソリを引いてもらうことにしたのです。真っ赤なお鼻のトナカイは喜びました。なぜなら他の子たちとは違うこの真っ赤なお鼻のせいでいじめられていたのですから。このお鼻が誰かの役に立つときが来るとは思っていなかったのです。こうして真っ赤なお鼻のトナカイさんは暗い夜道をピカピカに照らし、良い子たちにプレゼントを配るおじいさんの新しい相棒になったのでした。おじいさんは夜道をこのトナカイさんと一緒に通るときは楽しそうに歌うようになりました」
「ルドルフ歌って歌って!」
「真っ赤なおっ鼻の〜♪ トナカイさーんは〜♪ いっつもみーんなーの〜♪ わーらーいーもーの〜♪ でもっ、その年の〜♪ クリスマスの日ぃ〜♪ サンタのおじいーさんは〜♪ 言いまーしたー! 暗い夜道はー、ぴかぴかの〜、おーまーえーの鼻が! 役に立つのさ! いっつも泣いてた〜♪ トナカイさんは〜♪ 今宵こそはと〜♪ よろこびま〜♪ し〜♪ たー!」
「うおおお! すごい! お話がそのまま歌になってる! ルドルフすごい!」
メイシー姫は小さな手をぱちぱちして満面の笑みを咲かせて喜んだ。
今日はメイシー姫と一緒にトナカイの歌を歌ってあっという間に楽しい時間が過ぎ去ってしまった。気がつけばもう交代して城に戻る時間。
メイシー姫はルドルフと手を繋いで城に戻る帰り道、ひとしきり楽しそうにトナカイの歌を歌い終えるとこんなことを言い出す。
「ねぇ、ルドルフ」
「ん?」
「赤いお鼻のトナカイさんとルドルフって、なんか似てるね」
「ええ? そうかな」
「だって私もパパもママも他の門番さんも召使さんもみんな髪の毛もお目々も黒いのに、ルドルフは髪の毛茶色いし、お目々は赤くてピカピカしてるもん。トナカイさんのお鼻も他の子と違って赤くてピカピカしてたんでしょ? そっくり」
「あ、そうだね、気がつかなかった。すごいなぁお姫様は。僕が気がつかないこと、たくさん気づいちゃうね」
「ねぇねぇ、私のことお姫様って言うのやめてよ」
メイシーはむっとほっぺたを膨らませた。
「どうして?」
「だって、へへっ、ルドルフは……、私の、トナカイさんなんだもん」
「……。はぁあ、やれやれ。心配しなくとも、私は最初からメイシーのものですよ」
「うへっ、え、あ、うん」
ルドルフがなんとなく応えるとメイシーは耳まで真っ赤にして急に視線を逸らした。メイシーは立ち止まり、ルドルフの手を両手で握った。
「ルドルフ、あの……」
「ん?」
「ルドルフ、どこにも行かないよね。ずっと! ……ずっと、一緒だよね?」
「ははは、もちろん。だって、今までもずっと一緒だったでしょ? これからも一緒ですよ」
「約束だよ! 約束!」
「はい」
「破ったら、ルドルフは悪い子だからね? プレゼントなんてあげないもん」
「ははは、ええ、いいですよ」
「……。えへへっ、えははっ! もう、早くお城に戻ろ! 先に戻った方が勝ちだよー!」
メイシー姫は嬉しそうに舞い踊るようにして庭を駆けていく。足の遅いメイシー姫の後をルドルフは歩いて追いかけ、城に戻っていったのだった。