065 姫の意思
シュバータ王が腹を立て血眼で探し始めることは間違いないが、もはや黒羽たちの居場所を突き止めることは不可能である。
黒羽は船まで瞬間移動したらそのまま船ごと雲の上へ更に瞬間移動させ、実にメイシー姫を連れ去ってから10秒後にはもう空の上。シュバータの領域を出てしまっていたのだ。
「どうしてこんなことを。今ならまだ間に合います。シュバータに戻ってください」
エルドは慌てていた。
本来ならシュバータ王に面会して、話を聞き、メイシーは城に残るよう説得してようやく出発となるところをその全ての過程をすっ飛ばされたのだ。エルドは額を冷や汗に濡らして凄むが、黒羽は猫のクセに胡坐をかいてまるで動じない。
「どうして戻る必要がある」
「いくらなんでも姫を同行させるのは危険すぎます。御身に何かあったらどう責任を取るおつもりですか」
「処刑でも拷問でもなんでもされてやるよ。だがそんなことをすれば動物愛護団体が黙ってねぇぞ。ははは」
「いい加減にしてください。我々はシュバータ王から雇われている身ですよ。あなたのやっていることは謀反以外の何でもありません。分からないんですか」
「仕方ないだろ猫なんだから。まあそんな冗談はさておき、シュバータ王に雇われてる身だと言うんならどうしてシュバータの姫の意思をそんなに蔑ろにするんだ。それこそ謀反じゃねぇのか? シュバータ王には何も言われてないだろ」
「シュバータ王にはまだ面会されていないでしょう。面会もしていなければ何も言われていないのは当然でしょうが」
「だからそのまま面会せずに来たんだろうが。都合がいいから。それに王もそんなに娘が大事ならどうして訳の分からない門番だけつけて目を離してる。本当に大事ならずっと一緒にいるはずだろ? そんなクソ親父の意見なんかあてになるかよ」
「クソおや……、なんてことを言うんですかあなたは」
「ま、今さら引き返したところで処罰されるのはお前も同じだぞ」
「んな……」
「だってそうだろ? まんまと連れ去られちゃったんだから。なんなら自分までこうして一緒に連れ去られてるわけだし。王からしたらお前がついていながらどうしてこんなことになったんだって話だろ。姫を同行させるのが嫌なら、本気で阻止したいならなんで姫もお前もこの船に来ちゃってるんだよ。引き返したらお前こそ処刑だろうが。人が情けで連れてきてやったっていうのに」
「くっ……」
エルドは苦汁を飲んだ。
確かに何もできないままメイシーと一緒になって連れ去られてしまったのは大失態。しかし、彼はまだ諦めない。
「私は処罰されても構いませんよ。それでも姫を危険に曝すことはできません。第一、あなたは重大な勘違いをしている」
「ほう?」
「姫の意思を尊重して同行させる決断をされたようですが、我々は王の意思によってのみ行動することが義務。姫の意思が王の意思に反する場合、当然、王の意思を優先しなければなりません。王とは面会していないから王の意思が分からなかったというのは言い訳以外の何でもない。あなたはただ姫のワガママに付き合って危険に曝そうとしているだけですぞ」
黒羽に迫るエルドの腰巻装備にメイシーが掴みかかる。
「ワガママじゃないもん!」
「……」
メイシーは必死の形相でエルドを見上げていた。
「どうしてみんな私の気持ちを全部否定するの? どうしてパパの言うことばかり優先するの? これじゃまるで、私はモノみたい」
「……姫」
小さな手がめいっぱいの力でぐいぐいとエルドの腰巻装備を引っ張る。小動物みたいに黒い円らな瞳は涙に濡れていた。
「……お願い。やっとつかんだチャンスなの。パパの言うことを聞いてたってルドルフは見つけられないわ。ある程度の方角は教えられても距離は分からないんだもん。今までに捜しにいってくれた部隊はみんなどうせ正しい位置が分からなくて断念してるのよ。ルドルフの居場所が分かる私が一緒についていかなきゃ話にならないわ」
「ですが」
「エルドだって引き返したらどうなるか分からないのよ。もう、誰にもひどい目に遭って欲しくないわ」
「……」
とうとう根負けして肺いっぱいの深いため息をついた。エルドはそのまま崩れるように腰を下ろす。
はたはたと重い音で船の帆がなびく。冷たい風が耳元を吹き抜けていく。しばらく静寂が続いて、エルドは口を開いた。
「全く、なんということだ。でもまあ、もう何を言っても無駄なのは分かりました。ただ、運良く生きて帰ることができたら覚えておいてください、姫。あなたは目先のものに囚われ、周りが見えなくなりやすいということを。まだ幼くとも、あなたの後ろにはシュバータという一つの国があるのです。今回だってあなたのために我々や黒羽さんたちも、最悪死ぬ可能性があるんですよ。現実は御伽噺みたいに上手くいきません。あなたの考え方はまだまだ短絡的すぎる。自覚するべきです。無論、黒羽さんもですよ」
「やれやれ、どこまでも気の強いやつだ。ま、とりあえず退っ引きならないことが分かればいい。こんなとこにいても難だ。みんな中に入ろう」
船に瞬間移動で乗り込んでからずっとエルドとの論争が続いていたのであまり気にしていなかったが、船を運転するモナ以外は全員が甲板に集まり二人と一匹の会話を見守っていた。
ようやく皆は船室へ入り、腰を落ち着けるのだった。
船はメイシーが示す方角、東へと進んでいた。
○○○○
エルドはドレイクが部屋へ案内してやった。船室へはドレイクだけが戻ってきてエルドは自室から出てくる気配がないと言っていた。
船室にはエルドとモナ以外の全員が集まって、メイシーからクエストの詳細について聞くことになった。
メイシーはソファに座ってもらい、彼女の左右にシロとフミュルイが寄り添う。他の皆は床に円卓を囲み円を描いて座った。メイシーに落ち着いて話してもらうため、ベラポネが気を利かせて魔法で紅茶を用意してくれた。
黒羽が切り出す。
「ではまあ、色々と慌ただしくなってしまったが、落ち着いたところで簡単に自己紹介としよう。俺は黒羽。前世の記憶を持つ猫だ。前世はこことは違う世界で人間として生きていた。今では猫にはなったもののこうして仲間に恵まれ、シロとチョールヌイとのベスティーを組むリーダーをしている。船長のモナと軍人のドレイクは善意で協力してくれている。じゃあ、次はシロ」
「私はレベル7しかない弱い魔女だけど、黒ちゃんのおかげでなんとかなってるから、一緒に頑張ろうね」
「次はララ」
「私は、ええと、よ、傭兵です。よろしく」
「次はドレイク」
「オレはサスリカの軍人だ。黒羽たちは一応戦友だからってことで縁があるから協力してるよ。デカイ戦争も乗り越えたオレたちがついてるんだ。頑張ろうな。てなわけで次はルナさん」
「ルナでいいわよ。そういえばあんまりしっかりした自己紹介してなかったような。ま、私はレイトラっていう夜中の国の出身のレイトラ人とフォイ人のハーフよ。お母さんは私を産んですぐに死んじゃってて話したことがないわ。で、小さい頃に戦争が起きて、フォイ人のお父さんに連れられてこの国に逃げてきたの。冒険者になったのは賢者の石を見つけて戦争のない世界にするためよ。今ではフミュルイとベラポネさんとしらたまちゃんと四人でベスティーを組んでるわ。黒羽さんたちとはフォイで知り合って、仲良くなったから今回のクエストにも協力するの。みんなレベル上げたいしね。よろしく。じゃ、次はフミュルイ」
「メイシーちゃん、大丈夫? そんな、私たちに緊張することないよ。肩の力抜いて、リラックスリラックス」
「は、はい」
メイシーは城の中で育ち、ほとんど外に出たことがないのだろう。今さらながら緊張して、膝に拳を置いて肘をピンと張り、肩に力を入れて固くなっていた。フミュルイに背中をさすってもらって少し良くなった。
「私はマーキュラムっていう鋼の国と、ケビフーヲっていう砂の国のハーフで、ケビフーヲの漁師町で育ったの。役割はヒーラーをしてる。よろしくね。次はベラポネさん」
おっとりした口調なのを自覚しているのだろう。これだけの台詞でルナと大して変わらない時間をかけていた。
「私はフォイ生まれのフォイ人魔法使いよ。何か困ったことがあれば気軽に話しかけてちょうだい。よろしく。次はしらたまちゃんだけど、この子は」
「私にも自己紹介させてよベラばあ」
「あら、そんなこと言う」
「ひぃっ。ごめんなさい」
「いいわよ、続けて」
「お、わ、私は〜、キツネ! ほら! キツネの妖なんせ!」
しらたまちゃんが尻尾を見せるとメイシーの強張っていた顔が「おお」と緩んだ。
「うそ、しらたまちゃん可愛い〜!」
「えへへ、照れちゃうよぉ。モフモフしていいよ」
しらたまちゃんはメイシーのところに駆け寄り、顔や髪をモフモフさせる。
「ええ、あなた、人なの? 動物みたいで可愛い。信じられない」
「えへへ、ありがたや。ねぇ、メイシーちゃんいぐづ?」
「あ、あの、私、10歳、です。メイシー・シュペルハイムです」
まだしらたまちゃん以外には緊張するらしい。面白いくらいに改まった。
「え! 私、近い! 私14だよ! ……でも、メイシーちゃんのほうがお姉さんみだい」
しらたまちゃんが言いながら珍しく恥ずかしそうにする一方、メイシーは、え、年上だったんだ、という気持ちが顔に出てしまっていた。見た目はしらたまちゃん以上に幼いが、その割に精神年齢が高そうなのは王家の英才教育の賜物に違いない。
ひとまずここにいる全員は自己紹介が済んだので本題に入る。
「まあみんな大体、話の流れからも察していると思うが、さっきから話に出ているルドルフという人が捜している相手ということで違いないな」
「うん」
「メイシー、ルドルフさんはいつ頃から行方が分からなくなったんだね」
「一年くらい前。モンスターの討伐作戦に出てから戻らなくなったの」
「一人で行ったのか?」
「ううん。大勢、たくさんの兵士たちと一緒に行ったの。でも、みんな死んじゃって、ルドルフだけ遺体が見つかってないって聞いて、生きてるって信じてるの」
「……なるほど。そういうことか。それは確かに諦めきれねぇよな」
「うん」
話しながら込み上げてしまうようなので、黒羽はメイシーが落ち着くのを待って続ける。
「その討伐しにいったモンスターはなんてヤツか分かるか?」
「シャルバベルキン。忘れないわ。遠くの島の親玉が手下にシュバータを時々襲わせてたの。ルドルフはその親玉のシャルバベルキンを倒しに行って、帰ってこなくなったの」
「シャルバベルキン、聞いたことがあるわ」
流石は凄腕の魔女、ベラポネだ。
「ゲテルモルクスと同様、推奨レベル999の天災級生物よ。カンストの冒険者や軍人が束になっても苦戦するくらいの厄介なやつよ。私たちもミルがいるものの、油断できない相手ね」
「そんなに手強いのか。ということはつまり、今回のクエストはシャルバなんたらってのとの戦闘が予想されるわけだ」
「でも分からないわ。この一年目撃報告が一切無いの。もっとまずいのがいるかもしれないわね」
ルナが「千里眼で確かめてもらえない?」と提案するとベラポネは「もうさっきやったわ」と言って首を横へ振った。何も見えなかったらしい。
「話が変わるようだが、どうしてメイシーはルドルフの居場所が分かるんだ?」
「ううん、私にもよく分からない。何というか、気配がするの」
「ひょっとして、スキルを持ってたり?」
黒羽にはルナが何を言っているのか分からなかった。
「スキル?」
「私たちは大抵、魔法や結界、火や雷、水、風とかの属性能力、それに剣術や体術とかの物理戦闘能力で戦闘に臨むけど、たまに未来予知とか一時的に無敵状態になるような特殊な能力を持つ人がいて、実際のレベル以上の戦闘能力を発揮することもあるの。そういう特殊能力をスキルと呼んでいるの」
「サスリカの戦位もそうだ」
ドレイクも加わった。
「戦位はレベルが700程度しかないのに一定期間不死身になる能力があるからミルが相手でもほぼ互角くらいになっちまう。あれもスキルってわけだ」
「なるほど。ということはメイシーがルドルフの居場所が分かるのは、千里眼的なスキルがあるから、かもしれないってことか」
「おそらく、聞いた限りではほぼ間違いないわ。……でもあんまり戦闘向きではないわね。戦闘に入ったらなるべく安全地帯に留まってもらった方がいいわ」
「ベラポネさんの言う通りね。船を上空に留めておいて、待機してもらうのはどう? それで私たちだけ地上へ降りて、ベラポネさんの水晶を介して上空のメイシーちゃんから詳しいルドルフさんの居場所を教えてもらう」
「司令塔をやってもらうのね。そうすればルドルフさんだけでなく厄介な的の接近も察知できるかも。名案だわ」
ルナとベラポネはライバルのような関係だという話だったし、実際あまり会話しているところを見なかったが、作戦会議となると息がぴったりだ。
「ありがとう、メイシー。あとは俺たちで作戦を練る。フミュルイさん、悪いが、メイシーをモナのところへ案内してやってくれないか」
「そういうのはしらたまちゃんに任せた方がいいわ。この子が一番戦闘能力が高いから」
「わーい、ベーラばっぱに推薦されたあ〜。じゃ、やばっせ」
メイシーはしらたまちゃんに手を引かれて甲板へ。
やばっせ、というのは「行こう」という意味なのだろう。メイシーはキョトンとしながら船室を出ていった。