063 嵐は止み、嵐が来る
ロードは寝ている間に貴重な情報をいくつもくれた。だが、それで疑問が晴れたというよりはむしろ増えたと言った方が正しいくらいだった。
中でも特に急を要するのは、ドレイクの物質的ミルだろう。今は危険性は無かったにせよ、将来的にそれがドレイクにどんな影響を及ぼすか知れない。せめてどんな能力があるのかくらいは知っておくべきと黒羽は思っていたが、これがどう調べたら良いものか。ロードの推測ではドレイク本人も言いにくいもののようだし、それでは聞くに聞けない。だからと言ってベラポネに相談するのもまた違う危険が伴いかねない。彼女はこの中で最も物質的ミルに明るいが、それを管理している国際ギルド連盟とも関わりが深いのだ。万が一にも強引にドレイクから取り上げられてしまうことがあっては彼の為にはならない。
黒羽は誰に相談することもできず悶々としながら朝食を終えた。すると、意外なことにベラポネから呼び出された。
他の誰もを遠ざけ、一人と一匹で廊下の隅まで来た。
「何だ、話って」
「みんなが気にして見にくるといけないから単刀直入に言うわ。この家のどこかに、物質的ミルがあるみたいなの。それもおそらく、ドレイクが関わっているわ」
「んなっ、なんだってぇ!?」
ベラポネがあんまり悩み深そうな顔をしていたので場を和ませようとふざけてわざとらしく驚くと睨まれてしまった。
「知ってたの?」
「そんな睨むなよ。俺は霊感で知っただけだ」
「ああ、そうなの。なかなかすごいのね、あなたの霊感とやらは」
まるで黒羽の夢の中まで見透かしているような口ぶりだ。もう黒羽は全て見通されているものとして話を続ける。
「まあな。でもどうする? 俺はそれのことをずっとお前に相談しようか悩んでたんだが、気づかれてたんじゃ仕方がない。一応俺としてはそれが本当に今も将来的にも無害なのかどうか調べたいと思っているんだが。ただ、強制的にあいつから取り上げられてしまうのだけは避けるべきと思う」
「違いないわ。でも、物質的ミルというのには例外なく手を焼くものよ。ギルド連盟も今すぐ確保しなければならないほどでもない限りは動きたがらないほど。私が報告したところで強制没収とはなりそうもないわね」
「そうなのか。ならひとまずは安心だ」
「でもあなたの言う通り将来的にどうなのかという問題は重要ね。ドレイクや彼のお父さんに好ましくない影響が出てからでは遅いわ」
「そのうち本人の口から聞ければいいんだがなぁ。そうだ、今はモナが一番仲が良いだろう? どうにかスパイみたいなことしてもらえないだろうか」
「あの子も無理そうね。なんなら、あの子自身も気が付いているわ」
「え、そうなのか?」
「水晶で確認したの。今このことを知っているのは私とあなたとモナさんだけよ。あの子ったら昨日の夜のうちに部屋まで偵察に行ったみたい。よくやるわ」
「そんなことまで水晶は見通せるのか」
「千里眼で探せる範囲の人なら一ヶ月前の記憶まで見られるわ」
「えぐ。じゃあ俺の夢の中もみんな知ってるか? やっぱり」
「……。ごめんなさいね。物質的ミルの第一人者としてはこのくらいする義務があるのよ」
「いいさ。その方が話が早い。話を戻すが」
「ええ、モナさんは口止めに近い形で退けられてるわ」
ベラポネは「はぁ〜あ」と呆れて首を振った。
「物質的ミルはいっつもこんな感じよ。完全に詰んでるわ。まあ、あの人次第だけれど、望みは薄い。それに、あまりこのことには触れない方がいいかもしれない」
「どうして?」
「ドレイクさんの妹さん、いないかもしれないの」
「それは、どういう?」
「……。少なくともこの家にはいないわ。どこか違う場所にいるか、それとも、……亡くなっているか。その辺りはどう? 霊感があるなら生きてるかどうかは判断できないもの?」
「いや、流石に死んじゃいないだろう。それなら霊感ですぐに分かるはずだ」
「誰かに憑依してても分かる?」
「……。それは、知らないな。今までそんな状況に出くわしたことがない」
ベラポネは残念そうな顔をした。
「じゃあ、否定できないのね」
「あまり信じたくねぇな。でもどうしてこの家にいないと分かった? それも水晶か?」
「そう。モナさんの記憶では、ドレイクさんは妹さんの部屋にいたらしいの。それに彼以外に気配は無かったようよ」
「部屋を取り替えっことか? んなこたぁねぇか」
「様子を見るしかないかしらね」
「うーん」
黒羽は猫のくせに胡坐をかき、前脚を組んで眉間にシワを寄せた。しばし考え込み、小さい頭にしてはいい案が浮かんだ。
「そうだ。ドレイクをどこかに連れ出して、その隙に部屋を見に行けばいい話じゃないか?」
「……。うう〜ん、危険ね。相手の能力が未知数な以上、強引な手段は避けるべきよ。物質的ミルの厄介なところだわ」
一蹴されてしまい黒羽はキョトンとする。
「んなら、もうだめだ。無害なのを祈るしかない。ん? なんの音だ?」
黒羽の耳には低く長く続く音が聞こえてきた。
「どうしたの?」
「なんか、船の汽笛みたいなの聞こえないか? って、これ、俺らの船の汽笛か?」
黒羽とベラポネは顔を見合わせた。
音を聞いたみんなも何事かとバタバタしている。やはりここにあるはずのない黒羽たちの船の汽笛のようだ。そのうち誰かが玄関から出ていった。
「どういうことだ、俺たちも行こう」
「ええ」
居間の前を通り過ぎる頃にはもうみんな玄関に向かっていて黒羽たちは最後尾だった。
一歩外へ出ればことの全貌は明らかに。遠くの海の上の空を二艘の飛行船が飛行していたのだった。片方はやはり黒羽たちの船。そしてもう一方は見知らぬ黒い小型の飛行船だった。
「え!? 私たちの船! 一体どうして」
モナも心当たりがないらしい。
みんな何かあったのかと口々に話しながら港まで近づいて待っていると、黒い小型船だけが錨を海に下ろし、誰かが降りてきた。
一人はフォイのギルドマスター、ティオーレだった。米粒くらいにしか見えない距離だがこちらに気がつくとすぐにお辞儀した。そしてもう一人、こちらは見知らぬ男性。モナが着ているのと似たスーツみたいな形状の制服の黒いものに身を包んだ体育会系の青年だ。肩幅がティオーレの倍はある。帽子を目深にかぶって顔はよく見えないが女のような清潔な肌をしていた。彼もまたティオーレに続いてお辞儀して砂浜をこちらに歩いてくる。
彼らは目の前まで来ると、ティオーレがこう切り出した。
「お疲れ様です。シュバータとの間で発生していた嵐が収まりましたので、お迎えに上がりました」
「申し遅れました。私、シュバータより参りました、伝令のエルドと申します。お休みのところを押しかける形になってしまい大変申し訳ございません」
エルドは帽子を脱いで改めてお辞儀した。黒髪黒目の白人だった。
黒羽とルナが前に出る。
「俺たちが一応このベスティーのリーダー役だ。俺が黒羽、こっちがルナ」
「初めまして。私たちも協力させていただくわ。よろしく」
ルナはエルドと握手した。
「クエストを受けたのは俺だ。こちらこそ手間をかけさせてしまった」
エルドはリーダーが猫だということにさぞかし驚いたのだろう。ましては喋っている。目を白黒させていた。
「ああ、ええ、いえ、我々こそお世話になります。恐縮でございます」
「船を持ってきてくれたということはもうシュバータに向かう準備が、そちらはできているということか?」
物質的ミルはお預けにせざるを得ないようだ。ティオーレが頷いた。
「黒羽様方さえよろしければ、いつでも出発できます」
「あ、ちょっと——」
ドレイクが手を挙げた。
みんな一斉に見るので気まずそうに苦笑いして言う。
「すまねぇ、オレちょっと用意に時間かかるわ。5分だけくれねぇか?」
「私たちは構いません。黒羽様方の飛行船を降ろさなくてはならないので丁度良いくらいでしょう」
ドレイクの父親も「行ってこい」と促した。物質的ミルの扱いに違いない。ドレイクは「先に行っててくれ!」と家の中に戻っていった。
他のみんなは特に荷物もなく身軽で戻る必要がなかった。
急な出発にはなったが今すぐ戦闘などという話でもない。シロやしらたまちゃんなどは「お邪魔しました!」と呑気にドレイクの父親に手を振ってその場を後にしたのだった。
○○○○
フォイの街外れの水辺に一人の少年の姿があった。
羽毛のように跳ねる銀髪の上には一切の光を反射しない禍々しい輪が浮かんでいる。レビだ。とうとうフォイの街の付近まで降りてきていた。
堕天使の輪だけならどうにか集中することで不可視化できる。首や手足に残った枷も破壊しきることができた。だが天界の白い独特の装束だけはどうしようもない。金がなくとも食べるものには困らないが着るものには困ってしまう。
水面に映る自分の姿を見て考えていたが、どうしようもないからには仕方がないと諦めたのか、そのまま街へ出ていった。
「ララの気配はここにあった。もう、いないのか?」
捜し始めてどれだけ経っただろう。捜せど捜せど見つかる気配がなく、そんなことを独りごちた。
格好のことも気にしていたがこの国は飛行船の発達の中心となった国でもあり国際交流が盛んである。レビの格好もどこか遠くの国のものと思われているようで誰も気にする民はいなかった。おまけに常に怒っているような目つきだ。話しかけてくる者は愚か、大抵遠ざけられていた。
だが、珍しく行く手を阻む連中が現れた。偶然か必然か、これが黒羽たちが初めてフォイのギルドに来たときに絡んだ色黒の大男たちだった。
幅の広い道の中央を歩いていた男たちのど真ん中をレビが突っ切ろうとした形だ。今回ばかりは、普通ならレビが悪いのだが。
「何か用か」
先に絡みにかかったのはレビの方だった。
「なんだこのチビ。糸くずみてぇな体しやがって」
取り巻きのバカどもがゲラゲラ笑い出すがレビの表情は変わらず、無だ。
「何の用だと聞いている。用がないならそこをどけ」
「はぁ? オレ様にどけってか? てめぇ、ガキのクセに調子乗ってんじゃねぇぞ」
壁のような体を前に傾けて威嚇してくるが、それでもレビの視点はさっきから真っ直ぐ前を向いたまま。まるで眼中にない。
「ここじゃ人目が多い。場所変えようや」
「は? 何で」
これには今までふざけていた取り巻きも頭に血を上らせ、レビをぐるりと囲んだ。
拳の骨を鳴らし、地面にツバを吐いて、ガンを飛ばしてくるが、それでもレビは動かない。
「じゃあここでいい。やっちまえ!」
リーダー格の男の怒声で一斉にレビに殴りかかる。が、全員最初の一発目で動きを止めてしまった。
効かないなんてもんじゃない。レビの体がまるで石のように硬く、暴力を振るった自分たちの体のほうが痛んだのだ。殴りかかった者は手の骨を粉砕し、蹴飛ばそうとした者は足がひん曲がった。痛みのあまり誰も立っている者がない。みんな毒を撒かれた虫ケラのようにうずくまってもがいてしまう。
「テメェ! なんて硬ぇ体してやがんだ!」
「そうだ、用がないならこちらから聞かせてもらう。オレに似た銀髪の背の低い女がこの国に来なかったか」
「……。知るかよ! とっとと失せやがれ!」
レビが拳を握るのを見た取り巻きの一人が「待ってくれ」と半泣きで声を上げた。
「あ、アニキ、あいつじゃないっすか」
「は? どいつだよチクショウ」
「ほら、この前の、ギルドで会った黒いローブの女っすよ。チョールヌイみたいな」
「あ! あのガ、あいつか!」
レビは拳を解いて「知ってるのか」と問う。
「ギルドにいるかもしれねぇ。ほら、あの建物だ。少なくとも行ってみる価値くれぇあるだろうよ。はぁー! イッテェー!」
男がギルドを指差した手は折れた方の手だった。痛そうにしてうずくまり、顔も背けた。
「……。そうか、あそこだったのか。分かった」
レビは礼も言わず男たちを尻目にフォイのギルドへ踵を返す。
ゴロツキはあまりの力の差にまともにケンカにもならなかった。ケガの痛みもただ骨が折れたのより何倍も不自然に痛み、冷や汗をかき地面を舐めながらレビの後ろ姿を見送るのだった。