058 空 の 旅 とは
——翌日。
以前からドレイクはフォイに着いたら実家に寄りたいと言っていた。そんなわけで、今日は彼が実家で民族料理をご馳走してくれるというので好意に甘えてお邪魔させていただくことに。
ただ、遊びに行くにしても子供ではあるまいし、四人と一匹という大勢で上がってもよいものかと黒羽は気にしていたが、それどころかルナたちも含めて八人と一匹でも歓迎できるという。
昼過ぎ、みんな支度を済ませてギルドの外に集まった。
「で、どっちへ行けばいいんだ?」
「ん?」
黒羽は歩いていく気だったが、訊くとドレイクは一瞬きょとんとした。
「ああ、歩いて行けるような距離じゃねぇから送ってってもらうんだ。交通費は全員分オレが持つから心配しないでくれ」
「なるほど、結構遠いんだな。電車とかバスとかか?」
「電車? なんだそりゃ」
「ん?」
バスはサスリカの街で見かけたが、電車はこの世界にはない様子。
「ああいや、なんでもない」
「この国はサスリカほど発展してねぇからバスはねぇよ。最近は海域の嵐のせいで風が強いから飛行船も飛ばねぇし、こういうときは鳥を使うんだ」
「鳥?」
シロも首を傾げた。
ルナが説明を代わる。
「一羽で最大二十人も運べる大きな鳥で、リージヒハークって言うの。低空飛行ができるから飛行船ほど風の影響を受けないのよ。雨と雷には弱いけどね」
「ま、空飛ぶバスみたいなもんだな」
「「「へぇ〜」」」
チョールヌイもリージヒハークを知らなかった。黒羽とシロと声が被っていた。
「ねぇねぇ! 早く行きゃんせ! 早く鳥乗りた〜い〜」
いつまでもこんなところで話していても仕方がない。しらたまちゃんも痺れを切らしてベラポネとフミュルイの腕を掴み、二人の間でぴょんぴょん飛び跳ねうずうずしていた。みんなリージヒハークの乗り場まで移動する。
10分ほど歩くと小高い丘の上に着いた。天辺に赤い旗が立っており、その手前に十五人くらいが既に並んでいた。
昨日に増して風が強い。少し寒いくらいだし、赤い旗がバタバタと激しく音を立ててなびいていた。
間も無く、空の彼方から何かがやって来るのが見えた。鷹くらいの大きさになってもまだはっきり見えない。鳥の姿をしていることは間違いないがまだまだその姿は大きくなる。まだ大きくなるのかというほど近づいてきてようやく丘の上にやってきた。これが想像の5倍は大きい。リージヒハークが作る影で丘が暗くなるほどの巨体。よくこんな巨大生物が空を飛べたものだと不安になるくらいだ。
リージヒハークは脚に大きなカゴを掴んでいて、その中には固定されたイスが並んでいた。まるで学校から教室を引っ張り出してきたみたいだ。ホバリングしながらまずカゴだけ器用に地面につけると自分自身はその上に乗って翼を閉じる。カゴが踏み潰されそうで恐ろしい有様だった。
羽ばたいている間は風が強すぎて姿を眺めている場合ではなかったのでこれでようやくじっくり観察できる。しかし、大きさを除けば人間界にいた鷹と大差ない。顔つきは凛々しく、目つきは丸くて案外穏やか。全身が茶褐色で時々白い毛が混ざってまだらになっていた。
「おら、乗った乗った。次はナダム、次の次はケイアン、次の次の次はバーシャブジャンだ。止まらなくていいとこがあったら言ってくれよ! その方が早く安く上がるぜ」
リージヒハークは言葉を話した。インコみたいにちゃんとノドの奥から声を出しているらしいが、こちらは意味まで理解して話している。
「おお、喋れるのか」
「……それ黒ちゃんが言う?」
「あ、確かに」
黒羽は猫ではあるものの、猫として扱われるのがなんだか腑に落ちなくてむすっとした。
リージヒハークは前に並んでいた人たちをカゴに乗せると黒羽たちを見つめた。
「お前らは乗らねぇのか? イスには座れねぇが、オレなら運んでってやれるぜ」
みんな乗るか乗るまいか目で訴え合う。だが立って乗るのなら、しらたまちゃんが怖がるといけないということで次を待つことになった。
リージヒハークは親切に次はもうすぐ来ると言い残してまた大空へ羽ばたいていった。
「いや〜、何度見ても大きいですねぇ〜。圧倒されちゃいます」
と、モナ。手で庇を作ってだんだん小さくなっていくリージヒハークを見送りながら感心していた。
「やっぱ飛行船やってると結構見かけんのか?」
「ええ、一応、同業者ですので、まあ」
「?」
ドレイクが話しかけるとモナは視線を背けた。
ちょんちょん、と黒羽がドレイクの背中を突っつく。彼が振り返ると声を小さくして、
「お前、いつのまに……」
「……。!? ば、バカか!? んなわけねぇだろ!?」
「いや、これは間違いねぇ。猫の霊感がなくても分かるぞ。まさかこんなに早く、いや、なんなら昨日初めて会ったばっかりでこれとは」
「分かった、もう分かったからせめて今はやめてくれっ。距離が近すぎる。……。お前、今自分がどんな顔してんのか分かってんのか? 猫ってこんなに生意気な表情もできたのかってくらいいやらしい顔してんぞ」
「なん……だと」
「二人とも何話してるの?」
シロには女の勘というものが無いのだろうか。黒羽を抱っこしながら間近でここまでの会話を聞いても何も気づいていない。
「いや、別に。えっと、何て言おうかな……。そうだ、新しい必殺技を考えてたんだ」
「絶対ウソ」
列の後ろでルナが吹き出した。フミュルイと一緒にヒソヒソ笑っている。その脇でしらたまちゃんが大あくびして、ベラポネは咳払いした。偶然にも間にチョールヌイがいなければご本人まで会話が届いていたに違いなかった。
「あ、次んさ来たよ」
チョールヌイは何も聞いていなかったようだ。顔を赤くして慌てるドレイクを尻目に、話の流れをぶった切って空を指差した。
ほどなくして首に白いモフモフとした飾り毛を蓄えたリージヒハークが目の前に降り立った。茶褐色の羽毛は白っぽくなっていて瞳は先程のと比べると勢いがない。どことなく老いて見える。
「こんにちは、お若い方々。今日はどちらまで行かれますかな?」
「ゴホンッ。ケイアンまで」
「ご利用ありがとうございます。ささ、どうぞ中へお入りください」
やはり壮年のリージヒハークだ。器用に脚でカゴの扉を開けて歓迎してくれる。
黒羽とシロが乗り込もうとしたところでモナが壮年のリージヒハークを見上げて立ち止まった。
「あれ? グライツさん?」
「ん? おや、そういうお嬢さんはモナ船長ではございませんか。はっはっは、これはなんと、ご無沙汰なことで。陸を歩いておられるところを見るのはますます久しぶりですな」
「ちょっと用事があったもので」
「なるほど。ああ、これは失礼。皆さまの貴重なお時間を粗末にしてはなりませぬ。ささ、たまには船長も他の船でお寛ぎなさいませ」
「あ、ああ、ごめんなさい」
モナとこのグライツというらしい壮年のリージヒハークは知り合いだったようだ。
グライツに急かされてモナは黒羽とシロの隣のイスに申し訳なさそうに座った。
後ろの席からしらたまちゃんの子供っぽい声がする。
「気にするこたぁなかんせ! せっかく会えたんだもん、もっと話せばいいちゃ」
「そうですよ、私たちもぜんぜん気にしませんから」
しらたまちゃんやフミュルイに女性陣がウンウンと続いた。
グライツの嗄れた声が響く。
「はっはっは、お優しい方々ですな。それならば、空を飛びながらでも昔の話をお聞かせ致しましょう」
次の瞬間、みんなフワッと全身から力が抜ける。グライツが一度だけ大きく羽ばたくとそれだけで地面から遠く飛び上がっていた。四角いカゴは木造だが、壁だけでなく床にも窓がついていて見方によっては身一つで宙に投げ出されているような気分にもなる。足下の地面がみるみる遠くなって、かと思えば滑空して民家にぶつからない程度の低空飛行に移った。
「おお〜、すっげ〜! ねぇねぇ見て、シロちゃん。めっちゃ高い!」
「ごめんムリ。真下は流石にダメみたい」
飛行船から下を見下ろすのは平気だったのに真下となるとまた違うのか、シロは早くも青い顔をして上を見上げていた。グライツの昔話を聞いている場合ではなさそうだ。
カゴの中の様子など知る由もないグライツはのんびりと話を始める。
「最近は嵐の影響であんまり高くは飛べませんからねぇ。今日はいつもより低く飛んでおります。さて、もう空の旅は安定状態に入りました。では、モナ船長のお話をさせていただこうと思いますが、はてさてどこから話せばよいやら。ああ、そうです、モナ船長の試験の時のことをお話致しましょう。ははは、あの頃は石のように固く緊張して初々しかったですねぇ」
「まってグライツさん。シロさん全然安定状態に入ってないよ」
「うぅ、黒ちゃん、どうにかしてぇ〜」
「くふ、はははっ。面白いからもうちょっと見させて」
「えぇ〜……」
「私は当時、試験監督もしておりましてね——」
モナやシロの声はカゴで遮られてまるでグライツに届いていない。
黒羽も気の毒になってきたので酔ってしまったシロを魔法で治してやる。相当気持ち悪かったのだろう、酔いが覚めた途端に眠ってしまった。
結局、グライツの話はというとモナが飛行船の中で話していたことと見事に被り、新しく知ることがあったとすれば彼が試験監督をしていたということぐらいだった。
ドレイクの地元であるケイアンに着くまでのおよそ20分間の空の旅はシロの犠牲とグライツの話の一方通行で爆笑の嵐に終わった。一番の戦犯は黒羽だ。シロが顔を青くしているのを見て腹を抱えて笑っていたのだから罪深い。シロが酔いを覚ましてもらってからすぐに眠ってしまったのも半分は失神みたいなものだった。チョールヌイは一人で床の下の景色を見下ろしてはしゃいでいるし、黒羽とルナとしらたまちゃんは笑い転げているし、モナは本気で困っているし、ドレイクとベラポネ、フミュルイは始終呆れていた。空の景色を楽しんでいたのはチョールヌイくらいだ。
なんだかんだで移動の間を面白おかしく過ごしてケイアンに到着し、グライツは翼で手を振るような仕草をして「良い一日を」と大空へ去っていった。
あっという間の20分間だった。シロは目を覚ましたものの今ので一気に疲れたらしい。
「もう、ひどいよ黒ちゃん」
「ごめんなさい。ヒゲ、引っ張るのやめてください。痛いです。もうしませんから。んあァァ〜〜!! ヒゲ! ヒゲ抜けるって!!」
「お前が悪い」
「これはクロハネが悪いわね」
「ちょっとやりすぎでしたよ」
「酔ったのも失神したのもお前の事情だるォォォ!?」
ドレイクも地元に仲間を招いて早速悲鳴がこだまするとは思わなかっただろう。
しかしこれは黒羽が悪い。彼はシロにヒゲを引っ張られて両ほほをおたふく風邪みたくパンパンに腫らした。そしてこの後トドメにこの顔でドレイクの家族に挨拶するのである。