055 イメージチェンジ
ルナとフミュルイ、シロとチョールヌイ、黒羽の四人と一匹でおやつタイムだったのだが、黒羽がチョールヌイの膝の上でウトウトしていた間に楽しい時間は終わってしまっていた。一日が長すぎて気怠いと思っていたら知らないうちに寝ていたのだった。
目を覚ました時には外にいた。シロに抱えられて伸びた毛並みを涼風に吹かれていた。
黒羽の金色の瞳が少しずつ開いてくる。細く開いたくらいで黒羽は誰かに顔を覗き込まれているのが見えた。チョールヌイだ。
鼻先を人差し指で突かれて「ふがっ」と変な声を出してしまった。
「何しやがる」
「おー、寝起き悪いんさな。寝起きさ悪いのに目ぇまだとろんしとんで」
「ふがっ、ふがっ、おい、やめろ、ふがっ、おい、もう分かったから、ふがっ、アアーーッ!」
好き放題に鼻先を突かれてこっちは気分が悪いのにみんなが笑うから余計にむしゃくしゃしてくる。
黒羽は顔を横にブンブン振ってチョールヌイの人差し指を振り払った。
「けっ、おかげで目が覚めたよ。で、おやつタイムはどうしたんだ。ここはどこだ。この俺様をどうする気だ?」
「クロちゃん、おやつの時間は寝て過ごしてたんだよ」
頭の上からシロの声が残念なお知らせを伝えてくれた。
「……。なぬ」
「クロハネ、丸くなって気持ち良さそうじゃったけんね、そのまま寝かしといたんさな」
「いやだるいだるい。クソだるいやつじゃねぇか」
せめて意識を保ったままで団欒したかった。楽しい時間を寝て過ごしてしまうとは、黒羽はやってしまったと思った。
「……もう帰ろう」
「ごめんて。そんなん言わんといて。あんなぐっすり寝られちゃったらどうしようもないんじゃが。これからルナさんたちがフォイの街さ案内してくれるけんね、まだ帰るには早いだよ」
「ん〜」
黒羽は目をしょぼしょぼさせ、大あくびをして口をむにゃむにゃする。暖かい日差しと涼しい風が心地よくて日向ぼっこみたいで、気を抜いたらまたすぐに寝そうだった。
「シロ、時々揺すってくれ。寝そうだ」
「いいよ」
「おっ、おっ、もういい、おっ、そんな感じだ。もういい。もういいって、やめろ。おっおっ。……。よし、目ぇ覚めたわ」
少しでいいのに必要以上に激しく揺すられた。いじられてリアクションするとますますいじられるに違いない。ほぼ無反応でどうにかスルーした。
とりあえず、ルナたちはあれだけ親切にしてくれたのにここで帰ってしまっては申し訳ない。こうしている間にもルナとフミュルイは一歩離れたところからこちらを微笑ましそうに眺めて待ってくれていた。
黒羽はルナとフミュルイに言う。
「すまん。待たせたな」
「あれれ、帰りたいんじゃなかったんです?」
案外フミュルイがからかってきた。
「帰りたいなんて言ってないぞ」
「言ってましたよ」
「あくびだ」
「エーッ!」
フミュルイとルナがお腹を抱えて笑いだす。自分が言った冗談なのに黒羽もつられて笑いだしてしまった。
「もういいから、行くならさっさと行こうや。ははははっ」
「いや私ダメだよ、あはははっ!」
「まって、帰ろって聞こえるあくびってどんななのよっ、はははは! ねぇ、しんどいよクロハネさん。あーもう、はははは! かっかっかっかっか!」
爆笑するルナの笑い方でさらにつられてフミュルイの笑いが止まらなくなる。
もう慣れたのかシロとチョールヌイはどうにか笑いだすのを堪えていた。
「待て待て、笑いすぎだ。そんなに面白くはないだろ」
「あー、もう、はあ、はあ……。ルナはともかく、私は普段からこんなに笑うことないから、ほっぺたの筋肉が攣りそうだよ。くるしー」
「ね、フミュルイがこんなに笑ってるとこ久しぶりに見たんだから。今のは流石に不意打ちすぎたよ」
ルナが笑いすぎて目尻に浮いた涙を拭って、
「まあその、何で外に出たかって言うとね、さっきおやつ食べてた時にララちゃんを美容院に連れてってあげようってことになったの。今のままじゃ、ね、分かりやすいし、また絡まれると面倒だから」
「なるほど。あっ、待て、でも換金がまだだ」
気を遣ってくれたのはありがたいが、所持金がサスリカの通貨ではフォイで使えまい。換金所で一手間いるはずだ。だがシロが言う。
「それならさっき私がやっておいたよ。クエストの受付でできた」
「お、よくやった。褒めてつかわす」
「えへん! シロちゃんよくできましたぞよ」
「だいぶ調子いいなお前ら。テンションマックスで色々と準備もできてるってことか。んじゃ、行くか」
ルナに「よし、じゃあ着いてきて」と先導してもらい、フォイの街を目指しはじめる。
どれだけおやつタイムが長かったのか、時刻は19時を回っていた。日差しは夕陽の国に増して強く照っている。四六時中これだけ明るいと寝ることにも苦労するのだろう。途中で民家を見かけると窓を雨戸のようなもので既に閉じているところもあった。民家もギルドと同じくプリン型の木造建築で、窓が多く、屋上には給水タンクが取り付けてあった。窓は風通しを良くして暑さを凌ぐため、給水タンクは水道設備が整っていないためだろう。偶然、大柄の男たちが家々の給水タンクへどこからか汲んできた水を大きな容器で運んできては補充している様子が見れた。給水タンクへ水を補充する仕事があるらしい。
ギルドでギルドマスターが近くで嵐が起きていると言っていた。そのせいか高いところでは風が強いようで木々が揺れて葉や枝をこすり合い、わさわさと心地よい音を立てている。どこにいても森林浴のできるいい国だ。
道は舗装されていなかった。大きなトカゲみたいな動物が引く荷馬車が地面にタイヤの線を引いてすれ違っていく。さっきから見たことのない家畜が多い。
もうしばらく行くと道も広くなり、市場に到着した。野菜や果物、魚介類が大量に並んでいる。当たり前のようにケースなんて無く、活き活きと日の光を直接浴びていた。値札は全部手書き。大口の手提げを持った村人たちがこんな時間でも買い出しに集まっていた。朝も夜もない世界だからこそ見られる光景かと思えばそういうわけでもなく、単にこういう非常識な時間帯ほど安く売られているせいなのだそうだ。
冒険者なら村人たちからチヤホヤされて買い物をしていかないかと呼び止められそうな気がしていたのだが、全員私服かローブ姿だからかそんなことはなかった。ルナによると冒険者を狙って襲撃しようとする輩がたまにいるようで、罪のない村人たちを争いに巻き込まないようにするために冒険者と分かるような制服や称号は存在しないそうだった。
市場の途中で大きなハサミの形の看板が壁に取り付けられた店が現れた。市場や周りの建物などと比べると清潔感がある。冒険者も多く利用するためだろう。ルナが「着いたわね」と言って店に向かっていく。やはりこの店が目的の美容院だった。
「あら〜! こんばんは〜! 可愛らしいお嬢さんたちね〜!」
中へ入ると酒樽みたいな体型をした人当たりの良さそうなマダムに出迎えられた。ピンク色のシャツに白いエプロンを巻いて、特大のボンレスハムが喋っているみたいだ。
ルナが話してくれる。
「おばちゃん久しぶり。今日はこの子のイメチェンに来たんだ」
おばちゃんはチョールヌイを見るなり「まあ!」と目を輝かせた。チョールヌイが覚悟してゴクリとツバを飲むのも彼女には見えなかったようだ。
おばちゃんはチョールヌイに近づいてばさついた銀髪に触れる。
「んー、少し傷んではいるようだけど、それでもツヤツヤでキレイな髪ねぇ。お顔もこんなに小ちゃい。いいのかしら、まるでお人形さんのお手入れをするみたいだわ」
「……」
おばちゃんのあまりの不細工さに絶句しているチョールヌイにやっとルナが気づいた。
「大丈夫よ。この人は芸術スキルを持ってる能力者なんだから」
なるほど、その芸術性のために自分自身はこんなに芸術的な不細工になったわけか。ルナの一言で黒羽は思わずそう考えてしまい、クスっと笑ってしまった。
「あら、何をそんなに怖がっているのかしら? 恥ずかしがり屋さんなのね。お姉ちゃんにも側にいてもらいましょうね」
「……私か」
猫の聴覚でやっと聞こえるくらいの声でシロが呟いた。おまけにチョールヌイはおばちゃんにもう手を掴まれながらシロのほうを振り向いてウルウルした目で必死に訴えている。黒羽は可笑しくて可笑しくてシロの背中に隠れて声を出さないように笑っていた。
チョールヌイとシロ、そして黒羽はルナとフミュルイにひらひらと手を振られて見送られ、おばちゃんに着いていった。
イスに座らされるチョールヌイ。正面の鏡には鳥の巣みたいにバサバサの髪をした恐怖に怯える少女が映る。おばちゃんが慣れた手つきで体に布を被せたり髪にスプレーで水をかけたりしている間に諦めたようでチョールヌイはきゅ、と目を閉じて大人しくなった。
だがしかし、これが何ということだろう。華麗なハサミさばきでバサバサだったチョールヌイの髪が整えられていき、あっという間に大人っぽい左右非対称なショートヘアが出来上がった。仕上げのシャンプーでばさつきは綺麗さっぱりしてサラサラの髪に生まれ変わってしまった。
「ほーら、もう目を開けていいわよ」
「ん、んん……。えっ」
恐る恐るチョールヌイが目を開けて、鏡を見つめて固まる。
「なんこれ! すっげ! 誰!? おーっ!」
「よく似合ってるわ〜! 目つきがいい具合に悪いから、こういうカッコいい感じの髪型がいいと思って。正解だったわね! 大人っぽくなったじゃないの〜!」
「すっげ! すっげ! なんじゃこりゃ! これ私!? おー! ほへ〜!」
大喜びで色んな角度で鏡を見てはしゃぐ。
印象が大きく変わって、目つきの悪さも可愛げがあるように見えるようになった。これで誰もチョールヌイを以前のように凶悪犯として見る者はいまい。
「もう椅子から降りていいわよ」
「うん!」
おばちゃんを振り返って満面の笑みで椅子から降りた。
なんだか黒羽も見ていて嬉しくなってきてしまう。人として生きていなかったチョールヌイが、今ではこんなにも子供らしく明るく笑えるようになって。
「なあクロハネ! シロちゃん!」
少し前までのチョールヌイを思い出していると不意に呼ばれて我に返った。
「ん?」
「ふふっ、なあに?」
「どう? 私だって、分かるかやー?」
恥じらい俯いて訊くその姿はもはやチョールヌイではない。今の、チョールヌイだ。あるいはこれこそがララとしての本当の姿なのだろう。
黒羽はまさか唐突に立ち寄ることになった美容院でこれほど感動させられるとは思わなかった。まったく喜びがどこに落ちているか知れない。
「けっ、俺たちには分かるに決まってんだろ。バカには分からねぇよ」
「うん! うん! ララちゃんすごい、前より明るくなった感じするよ! 可愛い!」
「ホント!? やった! ありがとう、おばちゃん!」
おばちゃんは喜んでもらえて良かったと微笑み、見送ってくれた。
外見こそとんでもないが、その腕は本物だった。どうしてこんな田舎にこれほど凄腕の美容師がいるのか訳が分からないレベルだ。
おやつタイムこそ逃したが黒羽はそんなことなどどうでも良くなるほど満足していた。こんなにチョールヌイが明るくなれる日が来るとは、初めて会った頃からは到底考えられない。
帰ってからドレイクがどんな顔をするか楽しみでならなかった。