041 冬将軍
いくらミルとはいえどもカンストが束になってかかればひとたまりもないはず。
文字通りサスリカの総力を結集したこの一撃なら流石に効くに違いない。
不意をついた四方八方からの総攻撃。この一瞬を制したのは、しかし、ロドノフ卿だった。
驚く間もないような状況でありながら、ドレイクと雪の中から飛びかかった九人の隊長たち一人一人に的確に靄の塊を射出。ロドノフ卿には隙も無ければ死角も無かった。
攻撃に徹していた隊長たちはほぼ全員が防御する余裕もなく、真っ向から攻撃を受け吹き飛ばされた。
「これで勝てる。そんな心の声が聞こえてきたよ。やれやれ、いつまで夢を見ているのやら」
もはやこの雪原に立っているのはロドノフ卿ただ一人。他は全員雪原に転がり悶えていた。
反射的な攻撃だったように見えて今の一撃は殺傷能力抜群の充分に威力のあるものだった。自分の強さを誇示するためなのか全て急所は外していたが、当たりどころが悪ければ一撃死するところだ。
「残念だったねぇ、君ももう少しでヒーローになれたのに」
「……っ」
ドレイクが胸倉を掴まれ持ち上げられる。彼も血を吐いて満身創痍の状態。だがそれでも彼の赤い目はロドノフ卿の不気味な仮面を睨み、銃口を首筋に押し当てた。
「やめろ、みんなには、手を出すな!」
首筋の致命傷を抑えてチョールヌイが庇おうとする。
敗北。この状況を一言で表すならこの二文字だ。全員がやれるだけのことをやって擦り傷一つつけられなかった。
「うーん」
ロドノフ卿は片手でドレイクを吊るし上げ、片手で頬を掻く。
「そうだ、じゃあこうしようか。ヌイが諦めて一緒に帰るって言うならこの人たちはこのままにしてもいいよ。ただし、もちろんそれなりの罰は受けてもらうけどね」
「……」
悔しさに溢れていたチョールヌイの顔が恐怖に染まった。が、彼女は迷わずこう応える。
「わ……、分かりました」
「バカヤロウ!!」
ドレイクは痛みも忘れて激怒し、銃口をロドノフ卿からチョールヌイに向けた。
「てめえをこんなクソ野郎にくれてやるぐらいなら今ここでこのオレがぶっ殺してやる!! 今まで散々暴れてきたくせに正義面してんじゃねぇぞクソアマがぁ!!」
「ああ、ああうるさいうるさい。耳元で叫ばないでくれよ。声、出なくしちゃうよ?」
ロドノフ卿がドレイクの首を絞め始める。力を振り絞って発砲するも靄の盾で呆気なく弾かれた。
「やめて! やめてってば! 罰ならなんでも受けるけ、放して! 放して!」
チョールヌイが必死に止めるも、ロドノフ卿は聞く耳を持たずドレイクの首を絞め続ける。ドレイクも手足をばたつかせ抵抗するが、少しずつ、動きが鈍くなっていく。
「……!」
あと少しでドレイクの息の根が止まるというそのとき、突然の猛吹雪が彼を包んで連れ去った。
いや、連れ去られたのはドレイクだけではない。その場にいたロドノフ卿以外の全員が忽然と姿を消していた。
吹雪はすぐに収まり、白い雪の煙の中から連れ去られたサスリカの隊長たちとチョールヌイが現れ、そしてそこにはアステリアとシロの姿もあった。
シロはチョールヌイを膝に寝かせ治療を始め、アステリアは氷のハンマーを握ってロドノフ卿を睨んでいた。
「おや、君はさっきの泣き虫ちゃんじゃないか。パパは元気かい?」
「喧嘩を売る前に、周りを見たほうがいい」
アステリアの握るハンマーから稲妻のような閃光が放たれる。雪原を這うようにして電流が駆けると、触れた雪原がなにやらもぞもぞと蠢きはじめた。どさっ、どさっ、と雪を蹴散らし、2メートルも超える氷の巨人たちが地上に這い出してきたではないか。
「何だ、これは……」
これにはロドノフ卿も圧倒されてしまう。現れた氷の巨人たちの数は軽く千は超えている。見上げるほどの巨体が群れを成してロドノフ卿の前に立ちはだかった。
「このガフーリ湾の水を原料にして魔法で作った巨人たち。これだけ水があれば無限に作り出せる。今までよくも戦位やみんなを……。絶対に許さない!! ロドノフ卿を倒して! 冬将軍!!」
氷の巨人たちが猛々しく咆哮する。
本来なら体力の消耗が激しいためにアステリアには使うことのできない魔法も、シロが常に回復させてくれるおかげで自由自在だ。
シロとアステリアの合体技で生み出された氷の巨人たちは次々にロドノフ卿を叩き潰しにかかる。
いくつもの丸太みたいな硬い氷の腕がロドノフ卿を殴りつけ、彼は靄の盾で防ぐ。しかし恐ろしい戦闘能力だ。彼はこんな集団リンチの状態でもまだ反撃する。氷の巨人の拳を靄の盾で防御したら、その瞬間に靄の盾を靄の塊に整形して射出。つまり氷の巨人は殴ったそばから拳を粉砕されるわけだ。
氷が砕かれる破裂音はあたり一帯に響いて、距離の離れているアステリアたちのところまで聞こえるほどだ。ロドノフ卿を四方八方から囲む氷の巨人たちが襲いかかっては砕かれ、襲いかかっては砕かれていく。
ロドノフ卿が倒れるのが先か、氷の巨人たちの全滅が先か。いや、後者は不可能に近い。なぜなら氷の巨人は砕かれてもまたすぐに再生するのだ。しかも一度アステリアに作り出されたらあとは氷の巨人自体の能力で一人でに動く。彼らを再生するのにアステリアの体力はもはや関係ない。彼女が魔法を解かない限り不死身なのだ。
やがて、体力の尽きたロドノフ卿が空高く殴り上げられた。彼が雪原に落下すると、もう氷が粉砕される音は聞こえなかった。今までの死闘が嘘のように静かになった。
ロドノフ卿は敗北した。とうとう晩極戦争は終わったのだ。
氷の巨人たちが道を空ければ、その先でロドノフ卿は雪原に雪まみれで仰向けにぐったりと倒れていた。
「アステリア」
背後でユーベルの声が。アステリアが振り向くと意識を取り戻したユーベルがドレイクに肩を支えられていた。
「……戦位。……。終わったよ、全部——」
「……」
ユーベルも助かって脅威も去った。アステリアは固くこわばっていた頬が急に緩んで、今にも泣き出しそうなほど嬉しそうに微笑んでいた。
なんと誇らしいことだろう。ユーベルは思わず大きく息を吸い、深い深い、溜息をついた。
ユーベルは何事かを言ってやろうとするが、何かに気づいて開きかけた口を閉じる。チョールヌイを治療していたシロが泣いていたのだ。
「どうした」
ユーベルが訊くとシロは首を振った。彼女は泣きながら応える。
「あと少しなのに。……傷口は、塞げたけど、出血がひどくて、もう、どうにもできない。……今の私の力じゃ、助けてあげられない。体が弱りすぎてて、誰かにちゃんとした回復魔法を使ってもらわないと」
チョールヌイはシロの治療も虚しく、彼女の膝の上で弱り果てていた。彼女の周りにユーベルとアステリア、そしてサスリカの隊長たちが集まってゆっくりと跪く。
ドレイクは声をかけてやろうにも言葉が見つからず、静かに唇を噛む。チョールヌイはもう呼吸も浅くなり、虚ろな目で彼を見つめていた。
「どうして……、泣いてるの。……ドレイク、みんなも」
「……」
「わ、たしは、どうして——」
止むを得ない理由があったとはいえ、散々悪虐の限りを尽くしてきた自分が死に際にこれだけの人たちに泣いて看取られるとは夢にも思わなかっただろう。
とても報われない。地獄のような日々を送った挙句こんな最期を迎えるなど。ドレイクが雪を強く握り締める。
「こんなの、あんまりじゃねぇか。どうしてお前が……。頼む、どうにか、何でもいいから奇跡でも起きて、助かってくれよ! お前だけは……、死んじゃだめだろう!」
「まったくその通りだ。奇跡を起こしてやろう」
どこからか低い声が聞こえてきた。
その場にいた全員がさながら突然の物音に驚いた小鳥の群れのように声のしたほうを向く。彼らの見つめた先には、黒羽とミラーズの姿があった。
「ミラーズ! 貴様、よくものうのうと出てこれたな!!」
「待て」
顔を見るなり激昂するドレイクをユーベルが止めた。
「黒羽殿もいるんだ。話を聞こう」
「時間がないから単刀直入に言うが、この重罪人と急遽、いわゆる司法取引をする。ここでチョールヌイを助けられるのはこの女だけだ。胸糞悪いが、チョールヌイをこのままにするくらいならまだコイツに賭けたほうが可能性がある」
「お願い! もう、何でもいいから、先生、早く助けて!」
教え子のシロに泣いて言われてミラーズも微かに残っていた良心が痛んだようだ。一瞬視線を逸らしつつチョールヌイに近寄っていく。すぐ側まで来るとセルゲイ・レオンの銃口が向けられた。
「少しでも妙な動きをしてみろ。絶対に楽には死なせてやらねえからな!」
「……」
「大丈夫だ。コイツにとっては四面楚歌なんだ。そんなことは百も承知だよ。それに、シロはこの女にとって大事な存在らしい。ほら、お前の大事なシロが悲しむ顔はこれ以上見たくねぇだろ?」
目には目を、悪には悪を。生半可な悪では黒羽には足元にも及ばない。
前にはサスリカの隊長たち、後ろには黒羽と氷の巨人たち。ミラーズは逃げも隠れもできない。言われるがままに大人しくチョールヌイの治療を始めた。
みるみるうちにチョールヌイの顔色が良くなっていく。消えそうに浅かった呼吸もほんの数分で深くゆっくり落ち着いたものになった。
「……終わりました」
おそるおそるミラーズは治療が終わったことを告げるが誰も反応しない。
チョールヌイが自ら体を起こすとそこでやっとみんな胸を撫で下ろした。と、不意にミラーズが氷の巨人におもちゃみたく掴み上げられる。一際大きい巨人が彼女を掴んでいた。
「おい、待て。この巨人は何だ。コイツをどうする気だ」
「食べる」
慌てる黒羽にアステリアがあっさり応えた。
「この人の記憶が欲しいんでしょ? どうせ拷問しても何も言わないよ。私が食べればこの治療の能力も記憶も全部手に入る。ていうか、最近全然食べてないから単純にお腹空いた」
「待て、アステリア! みんなは見慣れてないんだ!」
「……」
ユーベルのおかげでミラーズは九死に一生を得た。彼女は氷の巨人の口の中にいる。あと一歩のところでゴクリと飲み込まれるところだった。
「なるほど、巨人を使って相手を丸呑みにできるのか。でもこんなやつ食ったら腹壊すぞ」
「ごめん」
シロも驚いて口を塞いでいたから黒羽がなんとか冗談で気を紛らわせようとした。
ミラーズは相当怖かったのだろう。氷の巨人に咥えられたまま気を失っていた。
そこへもう一体の巨人が今度はロドノフ卿を片手にやってきた。黒羽たちの前に無造作に放り捨てられるが、苦しそうに首だけ少し動く。虫の息だがまだ意識があるようだ。
「……ヌ、イ」
呻くロドノフ卿の仮面をドレイクが銃の先で剥がす。とうとう、ロドノフ卿の素顔が明らかになった。
露になったロドノフ卿の髪と瞳の色、骨格は全て、チョールヌイがよく知る民族のものだった。
「……あ、あ、アルシュタル人——。どうして……」
銀色の光沢ある髪と瞳はチョールヌイと同じ、アルシュタル人の特徴。ロドノフ卿はアルシュタル人だったのだ。
どこを見ているか分からない虚ろな目を必死にチョールヌイに向ける。
「チョールヌイ、ロド、ニナー。……私は、ゴア・ロドノフ。お前の——」
大量の血を噴出する。次の一言が最期だ。
「お前の、実の兄だ。——シュペルファーレンを……、シュペルファーレン・ロドニナーを、殺せ!!」
ロドノフ卿はそう言い残し、力尽きた。彼の死と同時にまた新たな謎が発覚したのだった。