004 招かれざる客
ベッドの縁に座ったシロは左手側で丸くなっている黒羽の背中を赤ん坊でも寝かしつけるようにゆっくりゆっくり撫でながら、しばらくどこから話そうか逡巡していた。茜色の夕焼けに包まれて黒羽がうとうとしはじめた頃、ようやく彼女は口を開いた。
「私ね、小さい頃おばあちゃんと二人暮らしだったんだけど、一旦病気になったら何もできなくて、ただ弱っていくのを見てるしかなかった。でもどうしても助けたかったから必死で回復魔法の勉強したの。でも、やっぱり間に合わなかった」
「……、なるほど。それで回復魔法が得意な魔女になったわけだ」
「うん」
黒羽には他人事にしか聞こえなかったが、シロはなかなか続きを話し出さない。思い出しただけでこの悲しみようだ。よほど大切だったらしい。
黒羽は柄にもなく励ます言葉を探した。
「でも、お前が勉強してくれたおかげで俺のときは間に合ったぞ。ものは考えようだ」
「そう、かな。ありがとう」
「小恥ずかしいからやめてくれや。あ、そういえば、ずっとお前に聞きたいことがあったんだ」
「え、なに?」
「お前、今高校生か? この辺に高校があった覚えがなくてな、ずっと不思議だったんだ」
「ああ、コレ?」
シロは胸元をつまんで見せた。つい黒羽も見てしまい、すぐに視線を背けた。彼女の胸が豊満すぎてその程度の仕草ですら本能を刺激したのだ。
(……、恐ろしい胸だ)
「そうだよ」
「ああ、ちょっと、訳あって街から離れることになっちゃって、それで周りに溶け込もうと思って着てるの」
「最近買ったのか?」
「うん。どうして? 可愛いかな? えへへ」
「その服買うまで下着で過ごしてたのかと思ってな」
つい先程、黒羽の血で制服が汚れてしまって洗濯中だからという理由で下着でいたのは事実。この制服を買う前ならずっと下着だったんじゃないかと思うのは当然だ。
シロは顔を真っ赤にして恥ずかしがった。
「うへ? いや、いやいや、そんなわけないじゃんっ。私そんな変態じゃないよ」
「お前ならやりかねないだろ。少なくとも、最近会ったばかりの俺にそう思われるくらいの変態ではあるぞ」
「もうっ、私も女の子なんだからね! ひどいよ黒ちゃん」
「はいはい。そんで? どういうわけで街から離れることになっちまったんだ」
「む〜っ、はひゅう〜」
シロはリスみたいに頬を膨らませて、一息にしぼませた。
そして黒羽を自分の真っ白な太ももに寄せた。彼の背中を時折激しく撫でては優しく撫で、また激しくしては優しくする。恥ずかしさを紛らわすためか挙動不審になっていた。
ようやく落ち着いてさっきの黒羽の質問に答えはじめる。
「私、おばあちゃんが死んじゃった後、おばあちゃんが元気だった頃に必死で貯めて遺してくれてたお金で試験を受けて、ちゃんと一人前の魔法使いになったの。街にはギルドっていうのがあってね、攻撃が得意な剣士さんとか、防御が得意な結界師さんとかとパーティーを組んで、世界中の魔物や、警察では手に負えないすごく悪い人たちと戦うの。私も回復担当のヒーラーとしてパーティーを組んで、何年も一緒に冒険して、それで黒ちゃんを喋れるようにもできるような回復以外の魔法もちょっと使えるようになったの」
「ふぅ〜ん。なるほどなぁ。で、その仲間はどうしたんだ?」
「……、私ね、パーティーから外されちゃったの」
黒羽の背中を撫でていたシロの手が止まる。彼女の顔を見上げたら、視線は悲しげに床に落とされていた。
「どうして……。何年も一緒だったんじゃねぇのか?」
「そう、なんだけど。私じゃ、力不足だからって。仕方ないんだ、私、恐怖を感じると全く魔法が使えなくなっちゃうの。体が震えて、それどころじゃなくなるの。だからいつも防御が得意な結界師さんに守ってもらいながら攻撃担当の人たちを回復させてた。でも、結界師さんが攻撃を受けたら……」
「何も防御するものがなくなって、怯えて、攻撃担当を回復させられなくなるわけだ」
「うん。しばらくはそれでもどうにかやってたんだけど、でも私よりずっと勇敢な魔法使いの人が現れてね、私よりずっとすごい魔法使いだし恐がりじゃないしで、下位互換の私は外されることになったの」
「シロ……」
シロは涙を堪えていた。青い瞳は濡れた宝石のよう。話す声は話すほどに揺れていた。
「ごめん、黒ちゃん。私弱虫だから、すぐ泣いちゃうし。こういうのも嫌われてた。黒ちゃんも鬱陶しいよね」
「泣くのは女の仕事だ。好きにすればいい」
シロは手の甲で涙を拭い、軽く鼻を吸って、落ち着くまで少し時間を要した。黒羽はその間、シロの太ももに頬を預けたまま静かに待った。
再び、シロの左手が黒羽の背中をゆっくり撫ではじめる。
「……、パーティーから外されちゃうとね、街からも出ることになるの。基本的にどのパーティーにも所属してない人はメンバーを募集してるパーティーに応募したりするんだけど、外された経験があると厄介者扱いで、どこのパーティーにも嫌がられちゃうの。パーティーに所属してないと住む場所ももらえないし、もう、いろんな意味で居場所がなくなっちゃって」
「許せねぇな。何年も一緒にいた仲間を追放したってことだろ? それに、そういうのってイジメられたりとかもするんじゃねぇのか?」
シロは縦に首を振った。
「私、見た目がいいって、ただ生きてるだけで女の子からは嫉妬されるし、男の人からは危ない目に遭わされそうになるしで、街で一人になってからも可能性にかけて我慢して過ごしてたんだけど、やっぱり耐えれなくなって逃げてきちゃった。それで、この街外れに来て寂しくしてたら、黒ちゃんに会ったの」
「そうだったか。ただの高校生かと思ってたら結構大変だったんだな」
黒羽は心底同情していた。
マフィアの一員だった彼からはとても考えられないことだ。悪人ではあれど仲間は自分よりも大切な家族だったからである。それを追い出して、そんな思いをさせるようなことはあり得なかった。黒羽自身、何人の仲間を助けるために敵のアジトを壊滅させたか知れない。
「お前の仲間だったやつらを悪く言うのも難だが、とんだ外道だな。何人もいて一人もお前を庇おうとしなかったんだろ?」
「うん。そういう文化だから」
「信じられねぇ。会ったらただじゃおかねぇ」
「……、ふふっ」
出し抜けにシロが笑い出す。今の話の流れからどうして笑いに繋がるのか黒羽には分からなかった。
「何がおかしい」
「ううん、ごめんごめん。言ってることはカッコいいんだけど、黒猫ちゃんの姿で言うとなんか可愛くて」
「あのなぁ……」
「えへへっ、カワイイって言われるの嫌いだったよね。ごめんごめん」
「ふん、まあいい」
コンコン。不意に誰かが扉を叩いた。小気味良い音は狭い部屋に響き、黒猫はすぐに嫌な予感を感じた。
シロは何も気づかず立ち上がって扉に近づいていく。
「誰だろ、こんなところに」
「待て! 行くな!」
その瞬間、脆い扉はいとも簡単に勢いよく蹴破られ、すぐ手前まで来ていたシロを弾き飛ばした。
「おい、大丈夫か!」
「う、うん」
シロはベッド脇にまで飛ばされたが、幸い大きなケガはなかった。
黒羽は蹴破られた扉の向こうを睨みつける。するとそこには、白スーツを着た大柄の中年男を筆頭に、黒ずくめの男が二人立っていた。
「よお、探したぜ、お嬢ちゃん。昨日はうちの弟が世話になったらしいじゃねぇか。こいつはその礼だ。ありがたく受け取んな」
「黒ちゃん!」
白スーツの男は拳銃をシロに向けた。
コンクリートに囲まれた狭い部屋に禍々しい銃声が響く。それも一発のみならず、二発、三発、四発、五発、六発と続いた。
「……シロ」
「……」
シロは咄嗟に身を翻して黒羽を庇っていた。黒羽をぎゅうっと強く抱きしめ、自分が盾になり、六発もの銃弾を全て背中に受け止めてしまった。
何発かは腹まで貫通したが、シロの胴体で減速し、真っ赤な筋を描いて弾が床に転がっている。
「……よかった、黒、ちゃん」
「……」
突然の出来事に頭がついていかない。シロは黒羽を庇い、その場に崩れてしまった。動脈も撃ち抜かれたようでみるみるうちに血だまりが広がっていく。
猫の霊感のある黒羽の目には、シロの体から生気が薄らいでいくのが見えていた。
「逃げ、て。お願い、はやく……」
シロの呼吸はもう既に浅い。力を振り絞ってそれだけ言い、まるで支えを失った操り人形のようにぐったりとしてしまった。