036 再戦
チョールヌイの剣が深くユーベルの胸を突き、背中まで貫いてしまった。
流石の大男もこれには絶叫するだろうとチョールヌイも思ったに違いない。微動だにしないユーベルに目を白黒させた。
「……」
「正解したなら、もう少しいいものをくれてもいいんじゃないのか。本当に死んだらどうするつもりだったんだね」
胸の真ん中を貫かれ、心臓も無傷では済まないはず。それなのに血の一滴も流れず、ユーベルは胸に刺さっている剣を素手で掴んで引き抜く。まるで手品だ。チョールヌイもしっかり剣を握っておきながら呆気にとられてされるがままに剣を抜かせてしまった。
「は、離せ! 離せや!」
剣に掴みかかるユーベルの手からも全く血が出ない。無理矢理に振り払おうとチョールヌイが暴れても彼は握ったまま。
双剣のもう一方がユーベルの首筋を狙って水平に空を切る。しかしこちらも掴まれてしまった。
「アステリア。シロさんと黒羽殿を避難させろ。黒羽殿が目を覚ますのを待て」
横目で指示され間髪入れずアステリアはシロと黒羽を庇うように抑え込む。その瞬間、周りの雪が二枚貝のように大きく盛り上がり、ぱくりと二人と一匹を包んで地中へ引きずり込んでいった。
○○○○
数分後。
黒羽はようやく目を覚ました。
なんだかいつもより寝心地が悪く、あまりよく眠れた気がしなかった。
目を開いて最初に見えたのは灯し火だった。どこか暗い空間を焚き火がぼんやり照らしていて、まだ夢の中にいる気がした。何がどうなっているのかいまいち分からない。深い雪の地面に穴を掘って隠れたような空間だが天井もしっかり固そうな雪で覆われている。雪の密室だった。
火に向こう側で手をかざしているアステリアを見つけると、彼女が灯しているのだと分かった。両膝を立てて座り、両手を伸ばして雪の上に直接火を灯し、少し困った顔をしていた。着ている軍服ドレスのスカートがところどころ焦げたり濡れたりしている。何かあったようだと黒羽は悟った。
「あ、クロちゃん? クロちゃん! 起きたの!?」
「?」
頭の上からシロの声がした。ずっと目が覚めるのを待ち望んでいたような声だった。
「おはよう。あんまりよく寝れなかったな。で、ここは何なんだ」
「アステリアちゃんが作った避難空間だよ。クロちゃんが寝てる間に襲撃されて——」
「今は外で戦位が戦ってる。私たちはちょうど雪の中に隠れたところだよ」
「……。ったく、一人前に困ってんじゃねぇよミルのクセに。けっ、まだ寝起きなのに、仕方ねぇなぁ、行くか」
黒羽はシロの膝から降りて上を見上げる。耳を澄ませると音の反響でユーベルと誰か小さな何者かが対峙している様子が窺えた。
チョールヌイだ。黒羽は心の中で舌を打つ。
「けっ、あまりいい状況じゃねぇな。うーん……、少し時間を戻してみよう」
「「えっ?」」
シロとアステリアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
気がつけば二人の前にはチョールヌイに遭遇する手前の景色が広がっていた。
ただ外に瞬間移動したのではない。正面にはぐったりとした牙のモンスターが横たわり、ユーベルを先頭にして近づいていくところだった。
時間を戻すと黒羽は言ったが、戻ったのは場所などで、記憶はそのまま。黒羽もまた眠った状態に戻るわけではなく、起きたまま。完全ご都合主義なタイムスリップだ。
先頭のユーベルも驚いて足を止める。
「こ、これは……」
「起きたら状況があまりよくなかったようだったから、少し前の段階に戻させてもらった。戻せるだけ戻したぞ」
「なんと」
シロに抱かれている黒羽に振り返ったユーベルの目に、ついさっき殺されたはずの兵士たちの姿が写る。全員蘇って皆驚愕していた。
「全員配置につけ!!」
体を突き抜けて飛んでいくようなゼゼルの声が背後で響いた。
何が起きたのかは分かっていないだろうが、蘇ったのなら攻撃に備えるべき。凄まじい判断力で兵士たちをまとめ上げ、作戦通りの態勢をとらせた。
「ある程度やりたいと思ったことはできるらしいな。俺の能力なら。さて、これで作戦を実行できる。あの小娘は俺たちに任せてくれ」
「ありがとう。恩に着る」
ユーベルはキョトンとしているアステリアを連れてすかさずゼゼルのところへ駆けていく。
これでどうにかチョールヌイの相手ができる。軌道に乗った。
なんて便利な能力なのだろう。黒羽は能力を与えてくれたロードに感謝した。
黒羽が寝ていた間、夢の中にロードが現れていた。
ロードは白猫のミルに生まれ変わった、シロの母親。シロを助けた黒羽に自分を食べさせることでミルの能力を譲り死んでいた。
黒羽の夢にはここへ来て初めて出てきた。夕陽の国の地下に魔法で作った密室のロードの部屋が夢の世界の舞台だった。黒羽は人間用のベッドの上から部屋を見渡していた。正面のキッチンから白い毛長猫のロードがこちらを見ていた。
「やっと夢に出られた。シロと仲良くやってくれてありがとうねぇ」
「……そうか。そうだよな。そりゃ死んだら夢に出ることもあるだろうなぁ」
「困惑しているな。大丈夫だ。私は望んでお前に喰われたのだよ。恨んだりしちゃいないさ」
「アンタには色々と聞きたいことがある。ミラーズ姉妹がアンタに恩があるって言っていた。どういう関係なんだ。それにシロの忘れているらしい記憶の中の、空から見下ろしたような街の景色。あれは一体どういう状況なんだ。どうしてアイツはその記憶をきれいさっぱり忘れてんだ。アンタは全部知っているはずだ。なのにどうしてその記憶だけ俺に共有されていないんだ」
「まあ待て。私も教えてやりたいのは山々だが、こうしてお前と話していられる時間も限られている。まずは目先の危険に対処しなくてはな。今は私の能力の使い方を知る方が先だろう」
夢の中では思うように行動することができなかった。結局これ以上シロのことについて問い詰めることができず、様々な能力の使い方だけを一方的に教えられた。
せっかくのチャンスだったのに何一つシロの謎に関するヒントが得られず黒羽は不満だったが、ロードの言う通りまずは目先の危険をどうにかしなければならない。
完全ご都合主義のタイムスリップも夢の中で教えてもらったものだった。ものは霊体となったロードが起こす心霊現象であるらしい。そう何度もできることではないようだが、おかげで態勢は整った。
先程ユーベルがチョールヌイと対峙していた牙のモンスターの頭の辺りまで近づくと、彼女も身構えていた。
黒いローブに身を包み、バサついた銀髪と鏡のような銀の瞳が夜闇に薄く発光していた。自分の身の丈ほどもある長い双剣の側面に黒羽とシロの姿が反射していた。
「随分とコケにくれよるなぁ。猫のクセに生意気じゃけんねー」
「相変わらず田舎っぽい口調に似合わず派手な顔してんな。オシャレデビューは最近したばっかりか?」
言いながらシロから離れて彼女を結界で保護し、チョールヌイと睨み合う。
作戦ではゼゼルをはじめとする戦場医務官たちが協力してくれることになっている。もっとも、裏切り防止のためだが。
ゼゼルたちが来る前に黒羽は仕掛けてみることにした。
「本当は殺しなんか嫌で嫌で仕方がないんだろう? もうこんなことはやめるんだ、ララ」
「……!」
あからさまにチョールヌイは動揺した。もうこの世の誰も知るはずがない自分の本当の名前を呼ばれるとは思わなかっただろう。
たった今の今まで双剣を構えて飛びかかりそうな勢いでいたのに、かたかたと双剣を震わせて一歩退いた。
「……だ、誰。どうして私の名前を。そんなこと、あるわけが——」
「レビからお前を助けるように言われて来たんだ。お前の幼馴染だろ? 話は聞いている」
もちろん全くの嘘だ。
問題は上手くいくかどうかだ。この世界には特殊な能力を使う輩など星の数ほどいる。他人の記憶を悟る能力があっても不思議ではなかろう。
「嘘や! そんなはずがない! だって、レビは、もう——」
チョールヌイの目が鋭く吊り上がる。
「私の記憶さ読んだんさね。許せやん! 薄汚い野良猫風情が、ぶっ殺してやらぁ!!」
殺気を感じて咄嗟に結界を張るとその瞬間にガラスが割れるような音がして、たった今張ったばかりの結界が粉砕された。
野生の動体視力でも見えないほどのスピード。ロードの自慢の防御力を誇る結界を一撃で粉砕する火力。返って怒らせてしまったらしい。
チョールヌイは双剣で黒羽の結界を切り払っていたようで左半身をこちらに向けていた。嫌な予感がした。
ガシャン! と音を立てて二回目の結界も同様に粉砕される。チョールヌイはまだまだ体を右へ左へ回転させ三回目四回目と休む間も無く黒羽を斬り付け結界を破壊していく。
「おいおいおいおいおい! 危ねえって!」
「な!!」
チョールヌイの双剣が何かに刺さって動かなくなる。黒羽は空中に柔らかい結界の球を二つ作り、あえて切らせたのだ。
「一か八か賭けてみろよ。俺たちがお前にとって敵なのか味方なのか。どちらにせよあのふざけた仮面の野郎にいいようにこき使われてんのよりはマシじゃねぇのか?」
「……」
うつむいて、少し間が空いた。
「じゃあ、助けてよ。助けれるもんなら。私は、生きるためには、こうするしかないんさね!」
「ちっ!」
突然の突風。チョールヌイは自分で自分の体を突風で吹き飛ばし、黒羽の拘束から逃れて彼の後方まで飛び退いた。
数十メートルもの高さからひらりと音もなく雪原に着地。ひとまず続けて攻撃に出る気はない様子。怒りとも悲しみともつかぬ感極まった震える声で話を続ける。
「私は生きていなきゃいけないさね。レビやみんなの分まで。ただ、生きていたいだけさね。なのに、どうして……。どうしてこんなに殺さやな生きられんかや!!」
チョールヌイの双剣が蒸気と電撃をまとう。まるで小さな雷雲に覆われたようだ。
彼女の両目が空中へ一直線に銀色の光の尾を引く頃には、黒羽の結界をまたしても破り、吹き飛ばしていた。
まるで動きが見えない。以前とはまるで違うスピードだ。流石に速すぎて避けきれなかった。斬撃は結界で受け止めたものの、剣がまとっていた電撃が結界の裂け目から直接黒羽を襲った。
雷に撃たれたように激しく吹き飛び、火だるまになった黒羽が雪原に横たわった。