031 天空の国の仮説
表へ出るとふらつきそうなほど眩しかった。
例の鮮やかな時計塔はここからも見えている。知らないうちに2時間半も過ごしていたらしい。
それでもまだまだパレードは続いていた。ちょうど目の前の通りを赤い衣装をまとった音楽隊が太鼓やらラッパやらを鳴らしながら颯爽と行進していくところだった。さっきのショーからは入ったのと真反対から出たのだ。
「シロ、気分はどうだ。少しは落ち着いたか?」
「ん?」
黒羽はキケラメティディーギスとの出来事を心配したのだが、シロはいつも通りの笑顔で首を傾げた。
「あ、ああ、さっきのこと? あははは、全然平気だよ。私アタマ良くないし、忘れてることならたくさんあるだろうから」
「……そうか」
忘れん坊なのを気にしているかではなくて、さっき見せられた天空の国の謎めいた話のことを気にしているかどうかが論点なのにそもそもそこからズレていた。
とりあえず本気で何とも思っていないのならそれでいい。けれどそうなれば気にしているのは自分のほうだけということだ。黒羽は気分転換に賑やかな音楽隊を追いかけるように歩き出した。
「さて、行くぞ」
「行くって、クロハネどこいくの?」
「決まってるだろ? 飯だよ飯。俺はずっと腹が減ってたんだ。お前らもなんか甘いもんでも食べたいだろ?」
「おおう、クロハネにしては積極的じゃないかね。このまままっすぐ行って左手に曲がると丁度いいお店があるよ」
「よし、そんじゃ誰が一番に着くか競争だ——お、おう」
調子に乗って駆け出そうとすると体がふわりと浮いた。そのまま抱き上げられ黒羽の背中に柔らかい感触が伝わる。シロがタイミングよく抱っこしたのだった。
「こらこら、人混みで走ったら迷子になっちゃうよ。……私が」
「仕方ねぇな。今日のところは勘弁しといてやるよ。……にしても、こうして見ると結構いろんな種族のやつらがいるもんなんだな」
黒羽に言われてシロもアステリアも音楽隊に視線をやる。
音楽隊で先頭に立ち、笛を吹きながら大きな国旗を振っているのはエルフの若い女性。そのすぐ後ろで太鼓をたたくのが中年っぽい見た目のドワーフ。さらにその後ろでリザードマンやら半獣人やらがラッパを鳴らして馬車を先導し、最後にステッキを自在に操りながらハーピィの少女たちが続いていた。
一通り眺めるとアステリアが黒羽をじぃっと見つめた。
「……そだね」
「解説してくれるんじゃないんかいっ」
「私もよくわかんないし。テヘ」
「そんな真顔でテヘとか言われても」
「クロハネがお腹空いたってばっかり言うから私もお腹すいてきちゃった」
「急にどうした」
「さあ」
くかぁ〜、とアステリアは大あくびした。お腹が空いて頭が働かないのだろうか。
「アステリアちゃん、眠くなってきたの?」
「少しね。私やっぱ上着着ても寒いなぁってなるくらいのが丁度いいのかも。魔法で寒さ凌いでくれるのはありがたいけど慣れないから。あ、この角を左」
「あいよ。面舵いっぱ〜い」
「クロちゃんそれ面舵じゃないよ私の腕だよ」
「うげ、せ、戦位……」
いつものテンションで左へ曲がると何か手提げを持って誰かを探すユーベルがいた。化け物みたいな巨体だから文字通り頭一つ飛び抜けていて人混みの中でも一目瞭然だった。軍服ではなくカーキ色の分厚いコートを着て、同じ色のごわごわの帽子を被る。よくロシア人が被っているような大きなやつだ。世界が違えど寒さ対策を追求すると結局こうなるよう。
彼を見た途端にアステリアが固まるのでそのまま立ち止まってしまっているとこちらに気がついて手を振ってきた。いろいろと大きすぎて周りの人々が子供のようだ。
彼はすぐに駆け寄ってきた。昨日の難しい話をした時とはまるで別人の笑顔だった。
「これはこれは、お楽しみのところ失礼します」
「うわ、ストーカー。このバチクソロリコンキング」
流石に黒羽も同情する酷い言われようだ。
「ちょっ、アステリアちゃん」
「いえいえ、いいんです。いつもこんな調子ですから」
「それで、どうしたの戦位。私、忙しくてよ」
「今日は祭りへ出掛けると言っていたのに防寒着を全部置いていったから届けに来たんですよ。やれやれ、そんな格好じゃ寒いでしょうに。ん? まさか寒くないんですか?」
ユーベルは持っていた手提げから何かを取り出そうとする手を止めて、いつも通りの軍服ドレスのままの一見寒そうなアステリアを怪訝そうに見つめた。
「うん。クロハネ、このくらいの寒さなら魔法で無効化できるらしくて私も何ともない」
「ああ、そうでしたか。すみませぬな、黒羽殿」
「苦しゅうない。でもちょうど良かった。今、アステリアが少し寒いくらいのほうがいいって言い出したとこだったんだ。無駄足にならなくて済んだな」
「ぬぬぬ〜」
アステリアは余計なことを、と言いたげな目でクロハネを一瞥してユーベルの手提げを見下ろした。
「仕方ない。もらってあげるよ」
「やれやれ、お前さんは」
きれいにたたまれた上着を取り出すと大きく膨れていたユーベルの手提げが一気に痩せ細った。真っ白のモコモコとした丈の長いコートだった。
甲斐甲斐しくユーベルが着せてやる。最後に同じく真っ白なロシア帽子をすっぽり被せてやった。
「ほれ、俺も魔法解いてやったぞ」
「おおうっ、久方ぶりの程よい寒さ」
「アステリアちゃん可愛い! 白もすごい似合うね!」
アステリアが褒められているのにユーベルのほうが嬉しそうにウンウンと頷いていた。
「お気に召しましたかな。——では、私はこれで」
「ん、もう行くのか?」
「ええ。長居は無用ですが故。本日は是非祭りを満喫していってください。では、また」
明日は戦争へ出発なのだから軍のトップは本当は忙しいのだろう。用が済んだら失礼でない程度に口早にそう言って踵を返した。そしてあの巨体が人混みの中へどんどん小さくなっていった。
○○○○
あれからは他愛もない会話をしながら18時過ぎまで祭りを満喫した。
土産なんて買っても旅には荷物になる。適当に菓子を食べ歩きながらパレードを見て、大道芸や手品を見て、しかしキケラメティディーギスを見た後ではどれもありきたりに見えた。
シロとアステリアはいい思い出になったようで軍基地に帰ってきても話が尽きることがなかったが、黒羽は帰るや否や調べ事に意識が集中した。
二人はゼゼルの部屋に残して黒羽は直通の資料庫へユーベルに案内された。
ユーベルが資料庫の明かりをつけると、真後ろのゼゼルの部屋とは別世界。石の壁に囲まれた牢屋みたいな空間にずらりと棚が整列していた。もっと図書館みたいな景色を想像していたのだが、書物を管理することしか考えられていない愛想の無い空間だった。
「10年前の地図を見たいとはまたどうしたことですかな。旅にはやはり最新のものでは足らないのでしょうか」
「そんなところだ。まあ、見せてくれると言ってくれてありがとう。かなり助かるってもんだ」
「いえいえ。地図くらいならどうということはありませんのでな。さて、こちらへ」
ユーベルについていくとほんの数秒歩いたところに地図の棚があった。本当に秘密度は低いよう。
ユーベルはあるファイルの背表紙を指先でなぞって手に取り、そしてもう一冊同じようにして手に取ってさらに奥の長机へ黒羽を促した。
ファイルを広げてページをめくり、あるところでこれだと言うように手の平で表面をペンペンと叩いた。もう一冊もペラペラめくってページを開き、見比べられるように置いてくれた。
「こちらが10年前のもので、こちらが現在のものです」
「なるほど、ありがとう」
黒羽は長机に乗り、キケラメティディーギスのショーで聞いた天空の国を探しはじめる。
夜の地方は正確には黒半球といい、昼の地方は白半球というらしい。大陸はほとんど黒半球に集まり、白半球は真ん中がすっぽり海である。ちょうど太平洋みたいに見えるのがイソストゥール洋で、大小いくつもの島々が点々としていた。
黒羽は字を読もうとするとロードの知識を借りてもこの字数では時間がかかるので現在の地図と一つ一つ島々を見比べ、目印になるケビフーヲ島もしくは欠けている島を探していく。
(あ、あった。ケビフーヲ島)
思わず心の中でそう言った。探し出すまでに10分もかけてしまったからなおさら嬉しかった。
確かに現在の地図には無い島が古い地図にはケビフーヲ島のすぐ東に書かれていた。これが天空の国という高山の文明を持つ島に違いない。島の名前は——。
(……。メロウ島)
全身に悪寒が疾る。
どこかで聞いたことのある名前だった。そう、これはシロのファーストネーム。シロはシロ・メロウというのだ。
どうして彼女のファーストネームが天空の国のある島の名前になっているのか。それは全く見当がつかないが、しかしこれで今までの疑問に説を唱えることくらいはできるようになった。
ミラーズはシロの母親のことを知っていて、かつその死因も知っている。そしてシロにはその事実を隠すように全く別の記憶とすり替えられているということも知っていた。だが肝心な隠された事実については、姉妹がシロの母親に何らかの恩がある以外はほとんど全て隠し続けている。けれどミラーズ姉妹はシロに敵対する立場ではなく、寧ろ彼女たちなりに守ろうと必死なのは事実。妹のマリーのほうはシロの身の安全を案じて魔法のローブをわざわざ夕陽の国からサスリカまで届け、姉の方は夜遅くまで毎日タダで勉強を見てくれた他、街で遊ぶ金銭までたんまりと譲ってくれた。
ここで新たに得られた情報の出番だ。
まず、いつのことだかは判然としないがシロはほぼ確実に今や立ち入り不可能の怪域となった天空の国にいたことがある。さらにこの天空の国が築かれた島の名前は彼女のファーストネームと同じメロウ。自分の名前が、自分と関わりのある国のある島の名前と同じなのに無関係とは考えにくい。つまり、シロは天空の国の重要人物である可能性が高いことになるのだ。
ここからがいわゆる説というものだ。
もし本当にシロが天空の国の重要人物であったのなら、ミラーズ姉妹がその権力に世話になり恩を感じることがあっても不思議ではない。さらにその恩を感じている相手がシロの母親なのであるから、彼女が命を落とし娘のシロが残されたのなら恩の内容によっては命をかけてでも守ろうとするだろう。
ここでふと、黒羽は気づいた。ミラーズ姉妹がシロの母親に恩があるのなら、彼女たちも天空の国に足を踏み入れたことがあるのではないか、と。