027 度がすぎる雪合戦
——翌朝。
今朝はなんだか寝心地が悪く、黒羽が最初に目を覚ました。
いつもシロには背を向けて寝ているのだが、まるで金縛りにでもあっているかのような窮屈感。窓にカーテンを閉めているから薄暗くて何が起きているのかよく見えなかったが、目が慣れてくると誰かに強く抱きしめられていたことが分かった。けれどその誰かはシロではない。匂いが違った。
顔がお腹のあたりに押し付けられていて視界が狭い。誰なのか顔を見てやろうにも見れないので黒羽はならば起こすしかないともがくことに。
もぞもぞ、もぞもぞ……。黒羽の動きに呼応して歯ぎしりした。
ごそごそ、ごそごそ……。もう少し大きく動くとその誰かは小さく唸った。
離れようとお腹を押してみたり、顔でぐりぐりしてみたりして感じた柔らかい感触と胴体の細さ、それから唸り声。間違いない、これはアステリアだった。
つまり黒羽はシロとアステリアに挟まれて川の字で寝ていたことになる。それにしても一体どうしてこんな状況になったのか。
黒羽がもがいているとアステリアの腕が緩み、ようやく解放された。
「くか〜……」
なんて呑気な寝顔だろう。アステリアは自分の枕まで持ち込んで軍服ドレスを着たままヨダレを垂れて爆睡している。ここまでくるとうっとうしいを通り越してもはや可愛い。
きっとシロが夜中、勉強から部屋に戻るときに一緒についてきたのだろう。
黒羽はアステリアの腕をするりとすり抜けて、彼女の顔の前に座る。ほっぺたを前脚でぷにぷに突っついてやると薄目を開けた。
「ん、んん……」
「起きたか。どうした、疲れたのか?」
「……。ん?」
アステリアは紺色の瞳を大きく開いたと思えばまたすぐに閉じてしまう。もごもごと眠たそうに、
「ん〜、クロハネ……。おやすみ。くか〜」
「寝るんかい」
「……んん? 何、もう朝なの?」
「ああ」
「どうしたの? ……何でクロハネ、ここにいるの?」
「こっちのセリフだよっ。ここ、お前の部屋じゃねぇぞ」
「……。え、あ、おお。んん〜」
アステリアは体を少し持ち上げて半開きの目で辺りを見渡し、頭をぽりぽり掻いた。そうして彼女の方こそ猫みたいにくわわわ、と大あくびし、ヨダレを拭って、今度は目をこすって黒羽を見つめた。
「クロハネ、とりあえずモフモフさせて」
「いやだ」
「一生のお願い」
「こんなことに使っていいのか」
「ねぇぇー、クロハネ〜。……くか〜」
「……え?」
アステリアは二度寝した。急にパタッ、と死んだように眠るので黒羽は少し戸惑った。モフモフさせてくれないと起きてはくれないらしい。
シロはまだまだ眠り続けるだろうし、このままでは暇で死にそうだ。それにどうせアステリアがいるなら明日の晩極戦争のことなどで色々と話したいものである。仕方がないな、と黒羽はまたアステリアのほっぺたをぷにぷに突っついた。
「……、その起こし方、可愛い」
「やかましい。俺は暇だ。どうせこの部屋にいるなら色々話そうじゃねぇか」
「うるさ〜い。私は寝るのだよ。クロハネがモフモフさせてくれないからいけないんだ。ひとのことはぷにぷにしたクセに」
「仕方ねぇ、モフモフしていいから」
「ホント!?」
アステリアの紺色の瞳が薄暗がりで輝く。気だるそうなのが平常だから余計に嬉しそうに見えた。
そんなに嬉しいかと黒羽は呆れながら再び抱きしめられた。寝心地こそあまり良くないが、シロと違って武器みたいな胸がないからそれほど悪いものでもない。
「あー、クロハネあったかい。でもクロハネって、結構ひねくれてるよね」
「お前は引きこもりみたいだよな」
「唐突に罵り合うじゃん。あ、そういえば、今日はお出かけすることになったよ」
「出かける? どこに?」
「街だよ。私とシロちゃんと、モフモフで」
「その呼び方だけはよせ。……街か」
街ならこの前行ったばかりだから気が乗らなかった。なんなら留守番したいくらいだ。
そう黒羽が思っているとおもむろにアステリアが頭をよしよし撫でてきた。変わったやつだと思っていたが案外人並みな一面があるらしい。
「この前クロハネたちだけ行ったらしいじゃん。私も行きたかった。って、シロちゃんに昨日の夜話したら一緒に行こうってなった」
「でも出発の前日だろ? そんな呑気なことしてていいのかよ」
「いいよ。戦位にも言ってあるし、大丈夫。それに今日はお祭りだからさ。クロハネも来るでしょ?」
「え」
祭りの日程くらいミラーズも知っていただろうに。この前のは下見してこいということだったのだろうか。
兎にも角にも黒羽は祭りと聞いて気が変わった。祭りなんて何十年ぶりだろうか。それもこの世界のものとなればますます興味が湧いてくる。出発の前日というのが少し気に入らないが、黒羽もついていくことにした。
○○○○
この前は瞬間移動で外に出たが無駄な体力を使うのも嫌なので、黒羽は歩いて行くことにした。
アステリアの後ろについて外へ出ると軍基地の周囲は雪が積もって真っ白だった。目の前にはピラミッドのてっぺんを水平に切り取り裏返したような平たく大きな銀色の飛行船が鎮座して、その向こうに目印に打ってつけだった鮮やかな時計塔が見えていた。あれだけのノッポが人差し指サイズだ。30分も歩くのではというくらいの距離があった。
今回はアステリアにも暖かくなる魔法をかけてやった。すると彼女は素手で雪をすくいあげ、不思議そうに見つめた。
「おお、冷たくない」
「このくらいなら俺でもなんとかできるんだ。いつもの身軽な格好でいられて良かったな」
アステリアは支度中、軍服ドレスの上から分厚いコートを着たりマフラーを巻こうとしたりしていたのだが、あまりの鈍臭さに手こずっていた。コートは裏返しのうえ上下逆さまで袖を通すし、マフラーはターバンみたいに頭から顔にかけて巻いて出来損ないのミイラになっていた。足首まで伸びた長い髪が邪魔だったらしい。
「えいっ」
「お?」
ぐしゃ。唐突に雪の球が黒羽めがけて投げつけられ、常に周りを覆っている結界にぶつかって弾けた。
「あ、ずるい。結界ありの雪合戦なんかツマンナイ」
「雪合戦?」
見ていたシロが首を傾げた。今度はそれを見た黒羽が首を傾げる。
「なんだ、知らないのか?」
「うん。雪? でやる遊び?」
「……、あっ、そうかお前」
シロは雪合戦を知らなかった。夕陽の国で育った彼女はそもそも雪を見たのもこの国に来てからだったのである。「えっ、なにこれ、雪っていうの? 初めて見た!」みたいなリアクションはまだ黒羽の療養中に終わっていたわけだ。
(けっ、見てみたかった、初めて雪を見たリアクション。けっ、チクショウ!)
「ひゃ! 冷たい!」
ボフッ! アステリアが作ったのより一回り大きい雪玉がシロに投げつけられて散り散りになった。黒羽が能力を濫用し、念力でサッカーボールくらいの雪玉を作って投げたのだ。しかも当たった瞬間だけ暖かくなる魔法を解いて冷たくさせた。
「はっはっはっは! いい反応するなぁ」
「もう、ひどいよ黒ちゃん。いきなり何するの」
裏切られたような顔。雪合戦を知らないシロは本気でいじめられたと思ったよう。
「こういう遊びなんだ、雪合戦ってのは。投げられたら投げ返す、雪を使った戦闘ごっこみたいなもんだよ。おふっ」
今度は黒羽に雪玉がぶつけられた。結界はシロと一緒に使っていたから、この状態でぶつけられるのは彼女しかいない。
黒羽は顔に引っ付いた雪を振り払って、真剣な顔で、
「バカな真似はよせ。こんなことをして何になる」
「……。ふふ〜ん」
小芝居が始まった。
シロも察して得意げな顔をする。
「ここで会ったが百年目だよクロちゃん! 今日は貴様の命日だ!」
「ええっ、不謹慎だなおい。明日は戦争なんだぞ」
「予行練習だよ! えい!」
「ぐは!」
「やあ!」
「うが!」
「とう!」
「おあぁあぁあぁ〜!」
はたから見ていたアステリアが呆れて「なにやってんの」と呟く。
敢えて避けずに全部受け止めていた黒羽は雪の中に沈んでいた。
「ねーねー、私にも投げてよ。うぬっ」
黒羽が雪から出てきてまたすぐに念力で雪玉を投げた。アステリアの広いおでこに当たって爆ぜ、髪の毛に散った。
サアァァァ……。アステリアの周りをぐるぐると雪が舞い始める。
黒羽は嫌な予感がした。アステリアは天変地異のミルだ。能力を使われたら大変なことになるかもしれない。けれども後悔してももう遅かった。
アステリアの頭の上には巨大な雪玉が作られ、惑星のように浮かんで雪を含んだ風をまとう。
「待て、落ち着けアステリア。戦争は明日なんだぞ」
「……。私も予行練習したいもん。ひっひっひ」
重力に逆らう巨大な雪玉が、雪独特の軋む音をごうごうと鳴らす。こんな恐ろしいものはもう遊びではない。
アステリアが黒羽たちを指差す。するとそれに従うように空中の巨大な雪玉が無数の小さな雪玉に分裂し、いよいよ雨のように射出された。
そんなの全部結界で防御するに決まっているが、それでも黒羽たちは結界の形で埋もれてしまったのだった。