023 シロと黒羽の休日 後編
喫茶店はこじんまりしていた。
窓側にテーブル席が3つあるだけでカウンター席は無い。カウンターの代わりにショーケースがあり、中にテイクアウト用のデザートが並んでいた。イートインよりそっちの方がメインの店らしい。
もちろん照明が灯っているがどこか湿っぽくて薄暗い。店内まで雪雲で曇っているみたいだった。そんな個人経営の、地元民向けの店だ。
店の雰囲気はそんな感じであるうえ、誰もいない。扉が開いていたから入ってしまったがもしかしたら休みだったかもしれない。けれどシロがこわごわ「すみません」と声をかけると厨房の奥から優しそうな顔をしたおじいさんがよろよろと出てきた。深緑のバンダナとエプロンを身につけて……、この人が料理しているようだ。
「おや、いらっしゃい。お嬢さん、お一人ですかな?」
「いえ、この子も——」
おじいさんはシロに抱き抱えられた真っ黒な猫を見て微笑んだ。
「ああ、お二人ですね。お好きな席へどうぞ。ご注文が決まったら、また、お呼びくださいな」
おじいさんは微笑ましそうにニコニコしてそう言うとまた厨房の奥へと消えていった。背を向けたときに見えた髪は赤褐色だった。ゼゼルたちほど鮮やかではないが、サスリカ人の髪は大体赤系の色をしているよう。
シロはおじいさんに言われた通り黒羽を抱っこして窓際の、一番出入口に近い席に座った。
「俺は向こうに座るわ」
黒羽はシロの膝から降りてテーブルの下をくぐり、向かいに座った。
窓際は雪雲を抜けた日の光が入って比較的明るい。黒羽が窓の外の街並みを眺め始めると、すぐにシロが「決まったよ」と声をかけてきた。メニューを広げて、これにする、と指差していた。
「俺はミルクでいい」
「私はミルクティーとアップルシナモンスープ」
「俺に言われても注文取れねぇぞ」
「うう〜」
「ん?」
窓の外からシロに視線を移すと困った顔をして目で訴えていた。
「……俺にさっきのやつを呼べと?」
シロはこくりと頷く。
「さっき人見知りしなかっただろ!? 今更何言ってんだよ!?」
「えへへ、なんか恥ずかしいし。ね、お願いクロちゃん」
「さっきのじいさんは俺が普通の猫だと思ってんだ。それが急に話しだしたら驚きすぎて死んじまうよ」
「んん〜、はぁ〜……」
もう黒羽は窓の外を見て動かない。シロはどうしようもなく、子供みたいにもじもじして、深呼吸して、ようやく呼ぶかと思えばまた深呼吸した。
「よし、呼ぶよっ」
「……」
「すいま……、す」
「吸ってどうする!? はよ呼べや、俺はノドが渇いたんだよ!」
「あははは、ははははは、ゴメンゴメン。なんか変なふうなった」
「わけがわからん」
黒羽に呆れられながらシロはまた心の準備をして、やっとおじいさんを呼んだ。
厨房の奥から「はあい」と嗄れ声で返事があった。しゃっ、しゃっ、しゃっ、と靴の踵を床に擦りながらゆっくりゆっくり出てきて、やっとシロたちのテーブルにたどり着いた。
「ここらじゃ見ない顔じゃの。越してきたのかい?」
「いえ、旅行、みたいな?」
「ほう、そうかいそうかい。達者じゃの〜う」
おじいさんは感心して、うんうん、と頷いていた。
「さて、世間話はこのくらいにして、ご注文を聞こう。どれがいいかね?」
「こ、これと……、これと、これで」
「ふむ、ミルクと、アップルシナモンスープと、ミルクティーだね。ミルクはそちらの猫ちゃんのかな?」
「ああ、はい」
「そうかいそうかい。それじゃ、ペット用の器に入れて用意しよう」
「ありがとうございます」
「いえいえ。では、しばしお待ちくださいな」
おじいさんは震えるしわくちゃの手でメモ帳にオーダーを取り、またゆっくりゆっくり、しゃっ、しゃっ、しゃっ、と靴を鳴らして厨房の奥へ消えていった。
「やればできるじゃねぇか」
「うぬ……。私なんでこんな人見知りなんだろ。話せてもだんだん棒読みになっていくんだよね」
「まあそのうち慣れるだろ。知らんけど」
「慣れる、かな」
「……さあ」
「……」
黒羽は窓の外の空を見上げていた。会話もなんとなく上の空になってきて、シロもとうとう黙った。
まるで猫のぬいぐるみになったみたいに黒羽はひたすらじぃ〜、と空を見上げる。シロも黒羽を、何を考えているんだろう、と見つめているうち頬杖をついて、うっとりしはじめる。
「お待ちどうさま」
どれだけの時間が経ったのか、気がつくとおじいさんがお盆に注文された品を乗せてやってきていた。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、ごゆっくり〜」
おじいさんはスープと飲み物を置くと戻っていった。
その間も黒羽はじっと空を見上げていた。
「クロちゃん、何見てるの?」
「別に。何も見てない」
「ふぅん。変なクロちゃん。……、ミルクきたよ」
「ああ」
ようやく黒羽はテーブルに向かった。
「なんか、頭ん中空っぽにしたら眠くなった」
「ふふ、ダメだよ、眠っちゃ。クロちゃん寝ちゃうと何しても起きないんだもん」
(……。あれ?)
シロの顔をなんとなく見ると、こちらをうっとり見つめていた。なんだか前にも見たことがある光景に感じた。この店に来たのも初めてのはずなのに、前に来たことがあるような。
「なあ、シロ」
「ん?」
黒羽が戸惑っているうちにシロはミルクティーを一口飲み、コースターに戻したところだった。
「黒羽っていう、俺の名前、他に同じ名前のやつなんか聞いたことないよな?」
「うん。どうして?」
「……、じゃ、ハクアって名前は、聞いたことあるか?」
「ううん? 知らないよ。どうしたの?」
「……。そうだよな。いや、何でもない。忘れてくれ」
全て知らないと言われた黒羽は珍しく、寂しい目をした。
それからはミルクを飲み干し、シロがスープとミルクティーを飲み終えるまでまた空を見上げて何も言わなかった。
○○○○
支払いはやはり金のキューブ1つでお釣りがきた。
合計で6ロンと47セビー。単位はよく分からなかったがそれぞれドルとセントみたいなものらしかった。キリが良くなるように53セビーはチップとして払い、93ロンのお釣りを50ロンキューブ1つと20ロンキューブ2つ、1ロンキューブ3つで受け取った。
あの金色のキューブは100ロンの価値があったようだ。50ロンキューブは銀色、20ロンキューブは銅、1ロンキューブは透明な何かの石だった。表面をよく見ると偽装できないようにそれぞれ繊細な模様が描かれていた。長く使っていてもすり減らないくらいかなり深く刻み込まれていた。
注文した品の大体予想される値段と、かかった額を見比べると日本円にして1ロンは100円以上しそうだと黒羽は思った。とすればこの小銭入れの中にいっぱいある金色のキューブは、全部合わせると……。黒羽は考えないように今までの計算を忘れることにした。
「ちょっとお金の使い方が分かったね」
喫茶店を出たところでシロがお釣りを珍しそうに眺めながら呟いた。
「そうだな。とりあえず物騒だからはやくしまえ。多分かなりの額だぞ」
「えっ、わ、分かった」
言われてシロは素早くスカートのポケットにしまって、辺りを見渡した。人目を気にしていたようだがこちらを見ている歩行者は誰もいなかった。
せっかくお小遣いをもらって街に出てきたのだからということで、何か買い物をしていこうという話になり、オレンジの時計塔の裏まで行ってどんどん真っ直ぐ歩いていく。時計塔には裏側にも時計がついていたが、こちらの文字盤は表から見えていたものの反対で黒色をしていた。要するに黒い文字盤が向いている方角へ歩いているとか、白い文字盤の方角にいるとか言うと分かりやすいわけだ。
かくして黒い文字盤の方角へ進んでいくと噴水広場にやってきた。丸い形をした広場で、色とりどりの屋根の小さな屋台が連なる市場が広がっていた。
「なんか色々売ってるみたいだね。食べ物、じゃないのも売ってるみたい」
「お土産か。ちょうどいいな。アクセサリーでも買っていくといいんじゃないか? やっぱりそういうの好きだろ」
「アクセサリー? 何? それ」
シロはアクセサリーを知らなかった。本当に知らないのか呼び方が黒羽の知っているのと違うだけなのか分からないが、会話が成り立たないので彼は「何でもない」と濁した。
けれど実際に屋台でアクセサリーを見つけてこれのことだと黒羽が言っても、シロはやっぱり知らなかった。
「お前くらいの女の子なら例外なく好むんだけどな」
「へぇ。でも、言われてみれば確かにこういうの付けてる人多いかも。あれ、何これ、針がついてるけどどうやって使うの?」
「ピアスだな。耳たぶとかに風穴をブチ空けて勢いよくグッ刺すんだ。痛いぞ〜」
「ええ!? こわ! 私無理だよそんなの。よくやるねぇ」
「ヘソにやるやつもいるな」
「無理でしょ。そんなの、内臓出るって」
「……そんな刺さない」
「ねぇ、クロちゃん」
「ん?」
「こっちは安全ピンついてるよ。こんな大っきいのも耳とかおヘソとかに刺すの?」
シロが手に取っていたのは缶バッチだった。
黒羽はシロの背中にしがみついて見ていて、笑いを堪えるのに必死ですぐに答えられない。缶バッチをヘソにピアスしてみろ、バカ丸出しだ。何がいいんだ。そこまでするくらいならベルトのバックルでオシャレしろよと心の中でツッコミの嵐。
「んなわけ、ねぇだろ。ひぃ、ひぃ、あぁ〜おもしれぇ。こんな、こんなデカイ缶バッチをヘソに、ひぃ、ひぃっ、はははは! 意味が分からん。もう痛そうでしかねぇじゃん」
「そ、そっか、えへへ。だって分かんないんだもん。アクセサリーとかしたことないから」
「いや、でもおかしいって。ははは。お前そんなに天然だったんだな。あ〜、久々だわこんな笑ったの。あ〜」
「じゃあさ、こういうのってどこに付けたらいいの?」
真面目に訊かれたので黒羽はどうにか笑いを鎮めて、やっと答える。
「こういうのは缶バッチっていうんだけどな、普通はカバンにつけるもんだ。お前の場合は帽子でもいいな。別に違和感無いと思う」
「帽子、かぁ」
シロは魔女のトンガリ帽子を脱いでどこに付けようかと見つめる。当たりがついたのか被り直し、缶バッチを選び始める。
「何がいいかな。可愛いのがいいな」
「あ……。あの、あれとかどうだ」
「え?」
黒羽はブロンズ色の肉球を模した缶バッジを見つけて、うっかり勧めてしまった。シロが意外そうにきょとんとして黒羽の顔を見る。そして面白そうに笑った。
「えっ、意外! クロちゃんがそれ言う!?」
「ウルセェ。嫌ならいいんだ。お前がつけるんだからな」
「ううん、クロちゃんが選んでくれたんだもん。可愛いと思ったってことでしょ?」
「別に」
「あはははっ、クロちゃん、なんか今日いつもより可愛いね。どうしたの」
「分かったから、気に入ったんならはやく買え」
漢、黒羽。照れ臭くてシロの顔が見れない。
視線を背けながら前脚を伸ばして肉球の缶バッジをはやく買え、はやく買えとうるさく促し、買わせたのだった。