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018 白昼夢

 黒羽たちはさっきとは別の部屋へ案内された。特に荷物は無いからゼゼルの部屋を出たその足で真っ直ぐ来ることができた。

 上ってきた階段は使わず、そのまま二階だ。突き当たりまで進んで角を右へ曲がれば踏みならされて固くなったワインレッドの絨毯じゅうたんが長い廊下に一番奥まで敷かれていた。このあたりこそ居住区画のよう。案内されたのは中間くらいにある部屋だった。ミラーズはチョコレートみたいな扉を押し開け黒羽たちを中へ。

 軍というから医務室とは違ってさぞ監獄のようなのだろうと黒羽が思っていれば、案外内装は上も下も右も左も木。とても落ち着くものだった。が、用意されていたベッドは一台のみ。流石に猫一匹にベッド一台は与えてくれないようだった。


「シロちゃんの着替えはこっちで用意させてもらったわ。気に入ってもらえるといいんだけど」

「大丈夫だ。適当に似合うって言っておけば何でも着そうなやつだからな」

「まぁ、あらあら」


 ミラーズは小さく笑って、二、三注意事項を言い残して出ていった。

 食事は午後一時からで、担当の者が各部屋まで配膳してくれるという。壁の時計を見ればまだ20分ほどあった。

 それから扉はオートロック。黒羽は魔法やら超能力やらがある世界のクセに地味に技術があるのだなと感心した。

 とりあえず、念力で運んできたシロをベッドに横にさせる。まだ昼間なのにちょっかいでもかけない限り起きる気配がない。


《君が眠っている間何日もずっと落ち着きなくしていたから疲れているんだろう》


 ふと、ゼゼルの声が蘇る。

 黒羽はそっと毛布をシロの肩までかけてやった。


「……」


 細く長い白髪が静電気を帯びて綿アメみたいにふわふわしている。黒羽は赤ん坊のように眠るシロの横顔をじっと見つめた。


(……、やっぱり、こいつの顔、ずっと前にもどっかで見たような。……、けっ、まさかなぁ)


 黒羽はベッドを降りて窓際へ。窓はもちろん防寒のため二重で、外は一面の雪景色。もう吹雪いてはいないがはらはらと毛玉のような雪がゆっくり降ってきていた。

 黒羽は体が真っ黒だから窓越しでも外がよく見えた。窓枠に座って遠く遠くを見つめる。

 どれくらいの間かそうして過ごし、飽きたらシロの顔の前に座る。右の前脚を彼女の頬に伸ばした。


「……」


 触れそうになったところで躊躇い、引っ込めてしまった。

 時計を見るとあと5分で食事の時間だ。けれどこの5分が長い。黒羽は永遠にも感じた。

 彼は鼻先がシロの鼻先と触れそうなくらいに暇そうな顔を近づけた。


(んん、やっぱり誰かに似てんだよなぁ。クソ、分かんねぇな。多分前世で会った誰かなんだろうけどなぁ。思い出せねぇ)


 ぱち。


「……あ」


 不意にシロの目が開いた。まるで寝たふりだったかのように。

 シロの青い瞳に静かに慌てる黒羽の間抜け面が写った。


「……んあれ? どしたの、クロちゃん。こんなくっついて。珍しいねぇ」

「に、に、人間観察……」

「人間観察?」


 シロはキョトンとして、笑う。


「今さらすぎでしょ」

「うるせぇ、別に何でもねぇ。それより、もう飯の時間だぞ。俺はちょっと昼寝しすぎたせいで腹が減ってんだ」


 黒羽は逃げるようにベッドを降りて扉の前へ。シロに背を向けてちょこんと座る。


(けっ、さては寝たふりしてやがったなぁ。観察されてたのは俺の方か。一匹で放置されたら寂しがるとでも……)


 後ろの方でシロが体を起こして伸びをし、清々しそうな声を出す。

 黒羽の耳がぴくぴく動く。さっきまで抱いていた感情が寂しさでないならどうしてこんなにシロの気配一つ一つまで気にしてしまうのか。黒羽は自問自答してブンブンと頭を振る。

 扉の向こうに意識を集中させると、下の階からカートを押すような金属音が聞こえてきた。まだ配膳は遠いらしい。猫の聴覚でやっと聞こえる程度の距離だった。


「そんなに待っててもまだかかるよ」

「……ぐぬ、ぬぬぬ」

「来たらノックで呼んでくれるからこっちおいでよ。何すねてるの?」

「すねてねぇよ」

「すねてるじゃん」


 シロがやれやれと微笑むのは見なくても分かった。


「何の話だかサッパリですな」

「じゃあ、こっちおいでよ」

「何でだよ。俺はここにいたいんだ」

「私は、クロちゃんともっと近くでお喋りしたいなー」

「可愛く言ってもダメ」

「え〜。やっと……、ひと段落して落ち着いて来たと思ったのに」


 からかっているのだと思っていたらシロは本気のトーンで落ち込み始めた。結局黒羽は根負けして彼女の方を振り向いた。


「仕方ねぇな。世話の焼ける飼い主だ」

「えへへっ」


 ベッド脇に女の子座りするシロの隣までいくと膝の上に乗せられた。そして、ぎゅ、と包み込むように後ろから抱きしめられた。

 けれど黒羽はじっとして嫌がらない。彼の霊感は、シロの抱いていた孤独な感情を悟っていた。


「……悪かったよ。結構心配かけたのに、扱いが雑だったかもな」

「ごめんね、めんどくさい性格で」

「なんか不思議と気にならねぇから一応大丈夫だ」

「そう? 私、自分でも時々嫌になるんだよ」


 シロのその声は、黒羽の意識にふわりと溶けるように消えていった。まるで起きながらに夢を見ているように、直後彼の目の前にはある光景が広がった。

 それはあの夕陽の国の、あの街の、どこか隅の薄暗く、小汚い場所。奴隷かスラム貧民みたいな薄汚れた者たちが壁際に追いやられている。ある者は冷たい地面に野良猫見たく寝転がり、ある者は魂の抜けたような顔で上を見上げて半開きの口からよだれを垂らし、またある者は空き箱の前で膝を抱えて物乞いをしていた。そしてその中に、白髪を伸び散らかした少女の姿があった。

 今の姿からでは理解しがたいが、彼女は、シロだった。

 死んだ魚のような目で埃まみれの素足を眺めてじっとしている。


「やめろっ」


 黒羽は思わず大きな声を出してしまった。それと同時に白昼夢は消えたが、何か、胸を締め付けられるような嫌な重みが残る。


「どうした、シロ。らしくねぇぞ」

「え? 何が?」


 心配して上を見上げるが、シロは不思議そうな顔で黒羽を見下ろしていた。

 どうもいまの白昼夢はシロが故意に魔法で見せてきたものではなかったようだ。黒羽は自身の霊感で無意識のうちに見てしまっただけだったよう。胸に嫌な感触が残ったのは当時のシロの気分を体験してしまったのだろうと彼は解釈した。


(行く宛てが無くなった時代があったようなことは聞いてたが……、あんなに酷かったのか)


 黒羽が急に黙って何事かを考え込むので、シロが気にして彼の頭を優しく撫で始めるが彼はそのまま頭を悩ませた。

 チョールヌイのことで気を取られていたが灯台下暗し。気にかけてやるべき相手はすぐ近くにもいたことを忘れていた。シロは自分と出会えただけでも充分孤独から解放されていたと思っていたが、それは勝手な思い込みだったのである。

 コンコン。配膳しにきた係りの者のノックが聞こえ、黒羽は我に返った。


「あ、来たよ」

「……ああ」


 ひとまずシロがあまり表にその感情を出さないうちはまだいいかと気持ちを切り替える。

 シロは黒羽を下ろすと扉を開けにいった。


「……ど、どうも」

「はい、お待ちどうさま。熱いから気をつけてね」

「あああ、ありが、とございます」


 なかなかの人見知りっぷりだが配膳に来た割烹着かっぽうぎみたいな格好のしわしわのおばあちゃんは一切気にせず優しく料理をシロに手渡してくれた。おばあちゃんは一通り配り終えると「それじゃあ、ごゆっくり」と孫と話しているみたいに満面の笑顔で言って、また次の部屋へと銀色の配膳カートをからから押していく。背骨が軽く曲がっていてシロと同じくらいの背の低さだった。

 料理はシロが受け取りながらベッドのすぐ横にある丸テーブルに並べていた。早速黒羽は椅子に飛び乗って内容を確かめる。

 シロのも黒羽のも同じ量で、じゃがバターに300グラムくらいのステーキ、それと何かのスープが今回のメニューだった。シロはよく知っていたらしい。それぞれを詳しく教えてくれる。


「これは爆弾芋のじゃがバターで、これはレゲラン牛のステーキ、で、こっちは野菜スープだって」

「スープだけ普通なのか。にしても初めて聞くものばっかりだな。食っても大丈夫……なんだよな」


 知らないものばかりだと取っ付きにくく、黒羽は肉の匂いを恐る恐る嗅いだ。


「もちろんだよ。まぁまぁ高級なやつみたいだし、何回か食べたけどすごく美味しいってば」

「くんくん、くんくん、くんくんくんくんくんくん」

「いやそんな嗅がなくても……」

「つい、匂いが良すぎてな。ふむふむ、なかなか美味そうじゃねぇか」

「でしょ!」


 黒羽は用意されていたナイフとフォークを念力で動かし、人間ばりに器用に肉を細かくして口へ運ぶ。久しぶりの食事がこれほどまでのレベルのものなら、たった一口で彼の頬は落ちてしまいそうだった。


「うめぇな。うめぇうめぇ。……ああ、食った食った」

「はや!?」


 まだシロが一口も食べないうちに完食した。

 最終的にシロが食べきれなかった分も黒羽がもらった。


「どうした?」

「ううん、何でもない」


 全部キレイに食べ終えてシロを見てみると嬉しそうにしていた。


「美味しかったね」

「ああ。満足だ。……何見てんだよ」


 シロはにこにこして黒羽を見つめていた。黒羽はいつも平生を装ってきたが、シロは前世でも今世でも初めて出会ったくらいの美少女である。こうも視線を向けられると流石の元殺し屋でも照れ臭く、我慢できず視線を逸らした。

 視線を逸らした先にはミラーズが届けてくれていたシロの着替えが。


「あ、そうだ。ミラーズがシロにって着替え置いてったぞ」

「着替え?」

「ああ。パジャマかなんかだろ。ちょっと見ておくだけ見ておいたらどうだ?」

「おお、そうだね。後でお礼言わなきゃ」


 シロはベッド脇に移動して着替えを漁り始めた。何かを手にとって「お〜」と感動する。


「クロちゃん! 見て見て! これ帽子だよ! 魔女のやつ! ずっと欲しかったんだ、こういうの!」


 茶色い古びた感じの、それなりに味のある魔女のとんがり帽子だった。大きな縫い目でつぎはぎされていたり、端が破れていたりしているがそういうデザインのようで見るからに新品。シロは早速被って嬉しそうにくるくる回って見せた。


「ほーう、普通に似合うな」

「えへへ、でもこういうのすごく高いはずなのに、もらっちゃっていいのかな?」

「普通に考えて帽子の貸し出しなんかしないだろ。もらっていいんじゃないか?」

「うわ〜っ、……お? これは何かな? おお! ローブだよ!」


 シロが手にしたのは空色のローブだった。目の前に広げてみて目をキラキラさせた。


「着てみたらいいんじゃないか? シロの目の色と同じだからよく似合いそうだ」

「うん! 着替えてみるね!」

「お、おおお、おいおいおいちょっと待て。いきなり脱ぎ出すんじゃねぇ、どっか他のところで着替えろよ」


 急に制服の脇のファスナーを開けて脱ぎ始めるので黒羽は慌てて背を向けた。


「え? 別にいいじゃん。クロちゃんは猫ちゃんなんだから」

「いいや、ダメだ。こういうのは良くない。前にも言った気がするが、お前はもう少し、こう、恥じらいってのをだな……っておい、やめろやっ」

「へえ、前世が人間だとそうなるものなんだ。カワイイ〜」

「誰が可愛いもんか。分かってんならここで着替えんなや」


 ばさっ、ばさっ、と制服がベッドに脱ぎ捨てられる音がする。黒羽は転生と共に女耐性をゼロにした神を呪った。


「けっ、世話の焼ける飼い主だ」

「はい、着替え終わったよ。そんな恥ずかしがらなくてもいいのに。こっちが恥ずかしくなってくるじゃん」

「それで正解なんだよ。……どれ、似合ってるか俺様が直々に評価してやるよ。……おおっ」


 黒羽はシロに向き直り、息を呑んだ。

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