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017 潜入(地図あり)

挿絵(By みてみん)



 黒羽が椅子に戻って聞く体制になると、ゼゼルは席を立ち、背後の壁に描かれている世界地図の前に立った。

 地図に描かれた地形は黒羽が覚えている前世の地球のものとは全く違っているが、流石に北極と南極が存在するのは共通していた。最も大きな違いといえば、地図中に明るい地方と暗い地方が半々の割合で色の明暗で描き分けられているところだ。また、暗くなっている地方にはその中央辺りに北極や南極のように白く描かれているところがあった。おそらくこの暗い地方は永遠に夜の地方なのだろう。そしてこの中央に描かれた白い範囲は日が当たらないせいで気温が低く、雪国になっているということを意味しているのだろうと黒羽は思った。

 ゼゼルが指し棒を持って解説しはじめる。


「見たこともあるかもしれないが、とりあえず、これがこの世界の地図だ。この明るい色の地域は日が当たっている昼間の地方で、暗い方は当たらない、夜の地方だ。そして、この間まで君達がいたのはそのちょうど間くらいのこの辺り、夕暮れの地方だ」


 ゼゼルは地図のど真ん中よりやや北を指していた。黒羽の前世の記憶では太平洋の真上だった。そこには三角形をした島があり、その周りを無数の小島が取り囲んでいる。夕陽の国はここだったのだよ、とゼゼルは一番大きい三角形の島をぐるぐると棒の先で囲んで見せ、北西へと先端を動かした。棒の先は昼間の地方に入った。


「それで今いるここがこの、サスリカだ」


 そこは夕陽の国と海を挟んだ大陸の一部だった。ゼゼルはここからここまでがサスリカなのだとさっきと同様にぐるぐる囲んでくれるが、これがかなり広い。地図の北の端で北極の一歩南はこの星を一周するくらいの長細い大陸が横たわっているのだが、それが全てサスリカらしい。つまりサスリカには一つの国の中に昼間の地方も夕暮れの地方も夜の地方も全て含まれていることになる。大陸の形は違うものの、ロシアみたいだなと黒羽は思った。


「なるほど、だいたい位置関係は分かったよ。それで、ロドノフとかいうやつがいるのはどの辺りなんだ?」

「やつらがいるのは……、ここだ」


 ゼゼルは棒の先をゆっくり滑らせ、夜の地方へ、そしてその中の白い範囲へ移動させて止まった。


「ここは北極や南極とは別で夜の地方に存在する第三の極地、晩極という地域だ。夜の地方は日が当たらないせいでただでさえ気温が低いのに、ここは寒すぎて土地が凍りついている永久凍土でね、とても生き物が済むような場所ではないんだ。だからこそああいう連中にとっては絶好の隠れ家というわけなのさ」

「けっ、これみよがしなくらいに悪党らしい隠れ家だな。気温はどのくらい低いんだ?」

「暖かいところでマイナス70度、寒いところでマイナス90度を下回る。ほんの数回呼吸するだけで肺が凍って出血するくらいの寒さだよ」


 いつのまにか覚醒していたシロが口を横へ細長くして苦笑いを浮かべている。無理もない、ゼゼル自身も解説しながら同じような顔をしていた。

 シロが訊く。


「行く方法はあるんですか?」

「ああ、一応ね。うちには気温による影響を無効化する魔法が使える魔女がいるんで、その人にその魔法をかけてもらえば心配はない。けど、50時間で効果が切れてしまうから、例えば上空とかから正確な座標を見極めて降下するとかしないとかなりキツイだろうね。今は偵察隊が大体の範囲を絞ってくれてはいるんだが、まだもう少し絞らなきゃならない。で、彼らが準備をしてくれている間に軍は協力者を血眼で探しているというわけだよ」

「そこで偶然俺たちを見つけて今に至ったってんだな」

「そういうことさ」


 ここまで話してゼゼルは椅子に戻った。ひと段落したというような深いため息をついて続ける。悩み深そうに声を低く小さくした。


「我々は今回の襲撃を晩極戦争と呼んでいる。実は歴史的に、昼間の地方と夜の地方は、平たく言って仲が悪くてね。明暗の差がそのまま理解の差のごとく対立しているんだ」

「ほう。だいたい言いたいことは分かるぞ。晩極の周辺の国々も連中に加担しているってことだろ?」


 難しい話がはじまった途端に隣から寝息が。さっきまで少し喋っていたのにシロはもう夢の中だ。


「連れが失礼するな」

「ははは、いいんだ。君が眠っている間何日もずっと落ち着きなくしていたから疲れているんだろう」

「……、そう、なのか。まあいい。で、そういうことなんだろ?」


 黒羽は何も聞かなかったように続けた。


「ああ。……、これは単なる悪党の討伐に終わらない。きっと嵐になる。だからどうかな。とりあえず僕らの晩極戦争に協力してもらえるのであれば、ロドノフ卿たちのところへ寒さ対策もある程度確保して連れて行くことができる。是非ともお力添えをと思うのだが」

「んん……」


 黒羽は低く唸った。


「いくつか聞きたいことがあるな」

「何でも聞いてください」

「まず、さっき昼間の地方と夜の地方は対立していると言っていたが、このサスリカはデカすぎて両方あるよな。話からしてサスリカは全部昼間派だと思うが、その認識で合ってるか?」

「ああ、いい質問だ。答えはノーだよ。きっぱりこの地図の明暗の境目で派閥が分かれていて、サスリカは昼サスリカと晩サスリカで分かれて対立している。一つの国なんだが晩サスリカは独立を訴えてバルベルンというちょうど境目辺りの地域に巨大な壁まで設けてしまっているよ。ちなみにバルベルンの壁のあるところは夕陽のサスリカなんだが、この壁でキレイに二分されてるよ」

「……ほう」

「まぁ、だいたい昼夜の境目の夕陽の辺りはどこも治安が悪いよ。君たちがいたところは島国だったから偶然そうではなかったろうけど」


 黒羽はサスリカが一つの派閥にまとまっているのかどうかだけ知れればそれで良かったのだが、世話焼きなのかゼゼルの話が止まらないので遮るように次の質問を投げかける。


「で、愚問かもしれないが」

「何でしょう?」

「この晩極戦争の目的はロドノフ卿一人の抹殺か?」

「……」


 どうしたのかゼゼルは渋い顔をした。

 彼は軽く唸って眉間にしわを寄せながら、


「一応、そういうことでは、ある。先にも話した通り環境が環境なだけあって時間制限もあるし、もし早い段階でロドノフ卿を倒せてもそれ以上の長居はしない考えだ。一気に多くの犠牲を出しかねないからね」

「最悪、ロドノフさえ倒せればいいということか?」

「そうだね。でもロドノフ卿へ行き着くまでに邪魔する者があればもちろん容赦はしない」

「そうか。まぁ、そうだよな」


 サスリカはロドノフ卿を倒したいのはもちろんだが、この考えではやはりチョールヌイは晩極戦争に巻き込まれざるを得ない。ロドノフ卿を最優先としてくれているのだから可能性が全くないわけではなさそうだが、サスリカと組んでも結局彼女の救出は至難の技というわけである。

 黒羽は悩んだ。下手にチョールヌイは見逃してくれなどと言えばそれはほぼサスリカへの宣戦布告である。そんな都合のいいことはできまい。サスリカと組めばサスリカの兵にチョールヌイまで殺されかねない。戦地で急にチョールヌイを庇おうものならそれは裏切りというのである。


(かと言って、サスリカと組みでもしない限り近づくことさえできないか。どうしたもんか)


 黒羽は後脚で頭を掻きながら考えていた。が、ふとあることを思いついて顔を上げた。


「そうだ、このサスリカ側にはどれくらいの戦力があるんだ? 例えば、ミルが何人いる?」

「ん〜、ミルは、いるにはいるんだけど……、今のところ一人しかいないよ。彼女はかなりの自由人で軍も手に負えないから、今回の作戦にも参加させるかどうか決めかねているんだ」

「ほう?」


 黒羽は単にかなり凄腕のミルがいますと言われるより面倒臭そうな気がした。

 黒羽が思ったのは、もしもサスリカのミル、もしくはミルに相当するような者が少ないのであれば、所詮は軍に所属するのだから人間的な思考や感情を持っているはずで、ならば事情を説明すればチョールヌイ救出側に勧誘できるかもしれないのでは、ということだった。それができればサスリカを裏切ったところで戦力は"こちら"が上になり、万事解決といく希望がある。

 しかし、何が軍も手を焼くほどの自由人だ。黒羽はいつかの死神にことごとく道を阻まれている気がした。


「どうかな。ここで協力してもらえるとサスリカの戦力が大きく増えることになる。なにも君達だけに戦ってもらうわけでもないんだ。ちゃんと仲間も用意するさ」

「待て待て。俺はその自由人なミルに興味がある。決断は彼女に会わせてもらってからにしたい」


 ゼゼルは品格に似合わず「マジかよ」とでも言い出しそうに嫌な顔をして部屋中の部下たちと顔を見合わせた。

 普通ならどうしようかなどと緊急会議になったりするところだろうが、事が大きすぎるのかみんな不安そうな顔を見合わせるだけで誰も一切言葉を発しない。


「……、え、そんなにヤベぇの?」

「ははは……、はぁ、それはもう」


 ゼゼルは作り笑いもできない程らしい。笑顔の消え方が尋常ではなく、地獄に堕ちたかのようだった。

 けれどサスリカは喉から手が出るほど黒羽が欲しいようだ。ゼゼルはやれやれと呆れて首を振り、そして頷いた。


「仕方ありません。では後日こちらへお招きしますので、それまでお待ちください」

「分かった。じゃあ、今日はこのくらいで」

「ええ。では、今後ともよろしくお願いします」


 ゼゼルは扉の前で立ち控えていたミラーズに目で指示を出す。黒羽はぐっすり寝ていたシロを起こさずに念力で宙に浮かべ、ミラーズの後について部屋を後にした。

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