116 相棒
シロは何か、船が大きく揺れたのを感じた。耐えられずその場に尻もちをついてしまったが、モナとメイシーは一緒にベッドの上で気を失ったまま。とりあえず二人は転げ落ちずに済んだ。
二人の姿がはっきり見えたことで、揺れたのと同時に真っ暗だった窓の外が明るくなったことに気が付く。薄暗かったシロの船室内が光るように眩しく見えた。
直後、遠くから爆音が。かなり距離があるように思えたが、それでも窓がミシッ、と音を立ててヒビが入ってしまった。
「! ……くろちゃん」
まさか、船だけ遠ざけて身代わりになってしまったのでは。
胸騒ぎがして、思わず祈るように手を組む。
「!?」
数秒後、ドサッ、と扉の向こうに何か重い物が落ちた音がした。そこは先程黒羽たちが作戦会議に来た、他の個人の船室とも繋がっている中央の広い船室だ。天井にそんな重い物などぶら下げられてはいない。
すかさず扉を開けると、シロは血相を変えて弾かれたように飛び出した。元の姿に戻ったぼろぼろの黒鬼と意識のない黒羽が横たわっていたのである。
きっと気を失う直前に最後の力を振り絞って瞬間移動してきたのだろう。シロは両者とも同時に回復させ始めた。
特に黒鬼の損傷が激しい。なんらかの攻撃を受けたようで黒いミニドレスのような衣服にはまだ火がついていた。シロは火傷もかえりみず素手で揉み消し、舌が渇きそうなほど長い呪文を途切れることなく永遠と唱えながら黒羽と黒鬼の傷を癒していく。甲板でフミュルイが仕切りに唱えていた呪文をもう覚えて、前より素早く回復させる。
それにしても黒鬼の身体は一体どうなっているのか。肌が抉れたところからはもちろん流血も見られるが、筋肉や骨ではなく、機械のようなものが露出して、切れた配線が時々火花を散らしている。まるでサイボーグだが、それで何故回復の魔法が通用するのか、シロにも理解ができなかった。前にも黒鬼のことは治療しているから、フミュルイの呪文が万能であるというわけでもないはず。
黒羽の身体がぴくりと一度だけ痙攣するように動いた。シロは咄嗟にローブを脱いで黒鬼の身体を覆う。
「……っ」
黒羽が薄く目を開けた。
シロは懸命に黒鬼を治療しながら心配そうに目を向ける。
「……コイツ……、せっかく助けてやったのに……」
黒羽が悔しそうに見つめる先で黒鬼は人形のように、まだ動く様子がない。
時間を再開した瞬間、まず盾にしたギーリッヒがシャーデンフロイデの黒い光線をまともに受けて消滅し、黒羽も一度は肉体も残さず消え失せた。だが見かけには消滅した瞬間が分からないほど即座にシャルロンの復活の首飾りで蘇り、しかしシャーデンフロイデの消えかけの光線を浴びそうに。その間、何百分の一秒というごくわずかな時間の出来事だったが、黒鬼には目で追うことができたよう。黒羽の復活の首飾りが砕け散った瞬間に察したのか身を翻し、黒羽を庇ってしまったのだ。挙句、少し間に合わず復活直後の黒羽がダメージを受けてしまったことに気が付くと、痛み分けまでして瞬間移動ができるだけの体力を回復させたのだった。
シャーデンフロイデの黒い光線は消えかけでも威力は相当のもの。黒鬼でも流石にレベル35000の光線には無傷とはいかなかった。シロが黒鬼の身体を横に向けると背中からばらばらとボルトのような物がいくつもこぼれ落ちる音が。すぐに黒い重油のような液体と血のような赤い液体が混ざったものが流れ出し、横たわる黒羽のところまで血溜まりのように広がっていく。
「!」
それを見た黒羽は絶句してしまう。が、シロは対照的に冷静だった。ここからは黒鬼の治療に専念する。
黒鬼を覆ったシロの青いローブは濡れて黒く変色し、その背中へ凸凹に張り付く。下の方は支えるシロの手の中にローブの内側で溢れたボルトのようなものが包まれるようにして溜まっているのが分かった。
本当にシロはたったのレベル7しかない魔女なのだろうか。到底信じられないほど流暢に根気よく呪文を唱え続けてみるみるうちに黒鬼の背中に開いた大きな傷を塞いでいく。
こんな簡単にパーツが溢れるのでは、瞬間移動するまでにも空中から地上へいくらか落ちていっていたはずだが、一体どうやって補ったのだろう。しばらくすると黒鬼の背中で凸凹を作って張り付いていたシロの濡れたローブは平面に。傷が塞がって皮膚まで治ったのだ。
シロは長く続いた呪文の詠唱を終え、袖で額の汗を拭う。目はどう見ても疲れているのに安堵の笑みを浮かべていた。
黒鬼を膝に寝かせて、静かに、火傷した手で彼女の頭を優しく撫でる。
「もう、大丈夫だよ」
「……」
やっとのことで黒羽も起き上がり、よろよろと黒鬼に近づく。
シャーデンフロイデとギーリッヒの脅威は去った。シロの後ろのひび割れた窓から白々とした明るい日差しがぽかぽかと温かく照らす。
間も無く、黒鬼はシロと黒羽に見守られながら薄目を開けた。どこまでも黒く、虹彩と瞳孔の区別がつかない奈落の底のような目。さらに大きく開かれると、黒羽の金色の瞳だけが反射して映っていた。
「くろおに……」
「……ワ……タ、し……は——」
黒鬼は助かった。助かったのだ。それも機械のような声からすぐに人間みのある声に戻って。
黒羽は身体が震えるのを感じた。何かが間違えば本当に全滅するところだったのだ。幸運と偶然の連続に救われ、今に至ったこの奇跡の喜びは心の中だけでは収まりきらない。
「生き、てる……。ちっくしょう! テメーッ! 何かっこよく死のうとしてくれてんだよ!」
「……。それは、わ、たしの、セリフ」
「……ちっ、ふざけやがって」
黒鬼が少し微笑んだような気がした。黒羽はフンッと顔を背け、だが、すぐにシロに向き直る。
「ありがとう、いつも」
「……へ」
突然のことにシロは驚いて声が裏返ってしまった。
「どっから声出してんだよ」
「い、いや、その、そんな、そんなこと、黒ちゃんが言うなんて、珍しいなぁって。へへへっ」
シロは頬を少し赤らめて目を泳がせていた。
「最近になって挙動不審なの治って来たと思ってたんだが、相変わらずだなぁ」
「ええー、ひどーい」
なんだかシロだけ緊張感が薄い。実力と精神年齢がまるで釣り合っていないような……。よく言えば冷静なのだろうが。黒羽は久しぶりに垣間見えた日常にほっと一息ついた。
「ま、馬鹿と天才は紙一重と言うしな。冗談はさておき、本当に助かった」
「えへん! っ、ふう〜。シロちゃんちょっと頑張っちゃったよ、今回。ねっ」
シロが得意げに黒鬼へ微笑みかけたら、彼女はいつものポーカーフェイスをシロのローブで覆った。
「黒ちゃんはもう大丈夫なの?」
「ああ。お前の魔法には劣るが、自力でも少しずつ回復できるようになったからな。さて——」
黒羽は前足で、顔を隠した黒鬼の頭をぽんぽんと触った。
「黒鬼も、ありがとよ。ここでしばらく休むんだ。あとは俺に任せろ、お前ら」
「……」
「え」
黒鬼は無表情ながら少しローブをめくって黒羽を真っ直ぐ見つめる。たった今死にかけたばかりだというのに戦いたいようだ。
シロは言っている意味が分からないようで、きょとんとして黒羽を見つめた。
「もう行くの? 黒ちゃん」
「当たり前だ。たった今、戦況を……。そうだ、念力みたいなもので察知したんだが、アハダアシャラはあと5体も残っているらしい。しかも……、いや、とにかく、こうしてはおられん」
黒羽は余計なことを言いかけて言葉を誤魔化したが、シロは後ろのメイシーたちを気にしていた。
もっと話を逸らすように続ける。
「まだ敵は多いが、俺はラングヴァイレの野郎を今度こそぶっ潰しに行く。黒鬼はもし動けるようになったらベラポネのところへ向かってくれ。血みたいな色の服を着た魔女だ。小柄な女の子を連れている。今ちょうど岩陰に隠れたところだ」
「……。あ、うん」
黒鬼は最初に黒羽と戦った時の記憶を辿って、背後に控えていたベラポネの姿を思い出し、頷いた。
「それじゃ、シロ……」
「……」
黒羽とシロ。相棒同士、真剣に見つめ合う。
「……また、後でな」
「気を……、つけ、てね」
シロの言葉も聞かず、黒羽は行ってしまった。




