115 決死
これまで黒羽は何度、本当に死ぬかもしれないと思ったことだろう。だが今度という今度は、やられてたまるかと心底思った。
シャーデンフロイデの攻撃が当たれば自分が死ぬだけでは済まない。船に乗っているシロも、モナも、メイシーも、そして黒鬼も、一気に全滅するのだ。
目の前で家族を失ったあの日のことは何度生まれ変わっても忘れないだろう。あの悲劇をまたも繰り返すのか。
声に出したことや、頭で念じたことが現実になる能力を発現したばかり。まだ何ができて何ができないのか手探りで、初めてのことは賭けもいいところである。
それを生きるか全滅かのところでやることになるとは。
「……」
もう二度と声が出なくなってもいいとも、自分だけなら死んでもいいとも思った。それだけの思いで喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
そうじゃなきゃできなかったのか、そうでなくてもよかったのか、それは分からない。ただ、どうやら止めることができたらしい。この世の時間というものを。
シャーデンフロイデが放った黒く禍々しい光線は黒鬼の目の前まで迫ったところでぴたりと停止。シャーデンフロイデも、無数のコウモリの化け物になったギーリッヒも、全てが凍ったように止まってしまった。
黒羽自身も目を丸くして辺りを見渡す。自分でやっておきながら何が起きたのか理解に困った。
時間を止めることなど卑怯でもなければできないのではと思っていたのに、そうでなくともできてしまったのだ。
(……まじか、まじかまじか。うっそだろ)
いつまでも驚いている暇はない。どれだけこの止まった時間を維持できるか分からない以上、すぐにでも行動しなければ。
けれど身体が動かない。黒羽の身体も例外ではなく、動くことができなかった。
ならば瞬間移動ならどうか。とりあえず船を戦闘に巻き込まれないよう遥か遠くへ移動させてみると、実行できた。
瞬間移動なら完全に0秒のうちに行うことができる。止まった時間の中でもできるのはそのためだろう。黒羽は新しくバリアーを足元に作らずとも足場なしに空中で停止した状態になった。
あとは黒鬼だ。彼女をシャーデンフロイデの攻撃から遠ざけなくては。
(……は?)
黒羽は黒鬼と共にシャーデンフロイデの光線の横へ瞬間移動したつもりだった。しかし、どういうわけかその黒い光線が途中でぐにゃりと折れ曲がり、瞬間移動した黒羽と黒鬼の目の前に動いてしまっている。一緒に光線まで瞬間移動させたつもりはないというのに。
まさかシャーデンフロイデかと黒羽だけさらに瞬間移動し、その表情を見てみる。しかし、シャーデンフロイデは真っ直ぐ目の前を睨んだままだ。
もう一度黒鬼を瞬間移動させる。今度は自分から少し離れたところだ。
(これは……)
やはりそうだ。黒い光線は黒鬼から離れない。
分析、と念じてみる。
この黒い光線、狙った相手に必ず命中するというものだった。おそらく、シャーデンフロイデは全滅させるために一番都合のいい位置にいた黒鬼を必中の対象に選んだというところだろう。つまり、時間を停止させても、瞬間移動を駆使しても、黒鬼は助けられない。
(どうすればいい、どうすれば、考えろ!)
必死に考えるが、時間停止がいつまで続くか分からず焦ってしまう。焦れば焦るほど頭が回らなくなる。
せっかく寸前のところで時間を止めることができたのだ。必ず何か、黒鬼を助ける方法があるはず。黒鬼はまだ死んだわけではないのだから、きっと。
(くそ、何か思い付け! 賢くなれよ俺の頭!)
強く念じ、黒羽ははっとする。
図らずして偶然にも黒羽は自分の頭脳を高めた。そして名案を思い付いたのだ。
(ギーリッヒ、一体になれ)
念じると大量のコウモリに変身していたギーリッヒが一体だけになった。ギーリッヒは本来、一体である。ただ変身で複数体に分裂していただけだったのを元に戻すのなら死なせるわけではないため、ラングヴァイレのときのように道連れにされそうになることもなかったのだ。
空を覆っていたコウモリの大群は消えたが、光も停止しているため何も無いのに暗く陰になっている不思議な光景が出来上がった。結局空は見えず、コウモリの身体があったところが真っ黒になって、さながらここだけ夜のよう。
(ギーリッヒ、黒鬼と光線の間に入れ)
一体になったコウモリの姿のギーリッヒが黒鬼と黒い光線の間に入った。これで時間が再開した瞬間にギーリッヒも死亡する。
あとは、思い切りだけが必要だ。黒羽はギーリッヒと黒鬼の間に入った。
このシャーデンフロイデの光線がギーリッヒの身体一つで受け切れるかどうか。それを越えられたとしても黒羽が身代わりになれば黒鬼は庇えるかもしれない。
いや、そもそも黒羽は死ぬつもりだ。ここで黒鬼を助けることができたとしても、レベル35000のシャーデンフロイデはどうにもならない。憎きラングヴァイレを殺すために取っておきたかったが、シャーデンフロイデには死ね、と念じて道連れにするしかないだろう。無条件でそう言えば苦しんで死ぬことになるため、ラングヴァイレに言った時のようにとても耐えられるものではなく中止を余儀なくされるが、黒い光線を受けることで瞬時に死ぬのなら問題はない。
あとはシャルロンの復活の首飾りが機能するかどうか。それですぐに復活できたとしても黒い光線がまだ残っていれば復活したそばから死ぬことになるが、もう賭けるしかない。
まさかここへ来てシャルロン頼みになるとは。念の為、復活の首飾りを分析してみる。安心だ。肉体が跡形もなく消し飛んだとしても、必ずその場に完全な状態で復活する魔法が瞬時に発動するようになっているらしい。もっとも、2回死ぬことになりかねないが。
黒羽は最期に黒鬼へ振り向いた。あまり他人の心は分析するものではない。ずっと戦闘ばかりだった孤独な黒鬼が、仲間のためにと身を挺してくれたのだ。ますます見捨てるわけにはいかなくなった。
ここで死んだとてシャーデンフロイデもギーリッヒも即死させられる。充分に意味のある死に様になることだろう。
黒鬼はやっと出会うことができた味方と死に別れるのが相当嫌そうな顔だが、仕方がない。
(じゃあな、黒鬼。お前は報われてくれよ)
黒羽は心の中で大きくため息をついた。
問題は多い。シャーデンフロイデの攻撃をギーリッヒと復活の首飾りをもってしても受け切れるか、死ねとは言わなくても念じるだけで効果を発揮するのか。
それでもやるしかない。覚悟を決め、光線へ向き直る。
(死ね! シャーデンフロイデ!)
黒羽の身体とシャーデンフロイデの身体に、ラングヴァイレの時と同じ黒い靄がすぐに出現。念じても効果を発動することができた。
遂に、時が来る。
(……、動き出せ!)
黒羽が念じた瞬間、止まっていた時間が動き出した。
止まっていた光も進み始め、空が眩しさを取り戻す。その中を黒い光線が筆で一本線を力強く殴り書きするように突き抜け、ギーリッヒと黒羽、黒鬼を飲み込んだ。
ギーリッヒの身体が溶けるように砕け散り、黒羽の肉体も、跡形もなく消滅してしまった。
シャーデンフロイデも黒い靄に包まれ、何が何だか理解する間も無く完全消滅。青い空に天使の輪と悪魔の輪が途方もなく広がりながら消えていった。
止まっていた時間の中で何が起きていたのか、黒鬼は知る由も無いまま、天空から地上へと吹き飛ばされていく。
大空に一筋、涙がきらきらと線を引いて輝いていた。