114 悪の天使
レビに唆された名も無き悪魔は本当に魔撃を扱った。
得体の知れない能力を持つ魔撃の黒い靄にまんまと全身を包まれてしまったレビに、名も無き悪魔は笑いを堪えられない。
「何ダ、口程ニモ無イジャナイカ、フフフフフッ」
靄はまるで巨大なアメーバのようにうねうねとレビの周りを這い回る。いかにも悪魔の奥の手らしい悪趣味な能力だ。
魔撃を使ってからしばらく。レビはまだ何もできずにいる。
暴れたり叫んだり、抵抗する様子さえもない。何もできなくなってしまったかのよう。
靄は時間が経つほどに大きくなっていく。レビが相当な能力者であるせいか、捕食に時間がかかっているようにも見える。
「……」
時間が長く感じるだけだろうか、それとも本当に長いのだろうか。
何かがおかしい。レビに魔撃を使い、動きも封じたというのに、まだ名も無き悪魔のシュペルファーレンの身体は拘束されたままだ。
「ナッ!?」
あり得ないことが起きた。
名も無き悪魔は驚愕に言葉を失ってしまう。
黒い靄が次第に晴れてきて、やがて、レビの姿が隙間からちらつくように。完全に晴れると、レビは全くの無傷で何事もなかったかのように一歩も動かずその場に現れた。
「どんな能力かと思えば、必ず相手に取り憑く効果か。持て余している暇を必ずという言葉の意味について考える時間に充ててみたらどうだ」
「ソンナ、何故ダ!」
魔撃が全く通用していない。そればかりか、どんな効果なのかまで悟られてしまった。
失敗するはずがない、必ず成功する魔撃だったというのに、それで効かないとはまるで意味が分からない状況だ。
シュペルファーレンの身体から黒い悪魔の輪と翼などが全て消え、何かヘビのようなものが一目散に逃げ出していく。
しかし……。
「ハ、放セ!」
「竜の姿だったんだな」
「ヤメロ! 見逃スト言ッタダロ!」
一体どうやったのか、小さな黒いドラゴンの姿をしていた名も無き悪魔は、次の瞬間にはもう首を掴まれてしまっていた。
「悪魔のくせに天使を信じるな。じゃあな」
「シュペル——」
呆気ない最期だ。シュペルファーレンに助けを求める暇もなく、体内に大量のエネルギーを流し込まれ跡形もなく爆散してしまった。
我に返りすぐに状況を察したのか、シュペルファーレンが目の前に。助けようとしたのだろうが、拘束から無理矢理脱出してからでは寸前のところで間に合わなかった。が、レビの腹に至近距離で青白い光を放ち彼を吹き飛ばす。長い戦闘時間の中でようやくまともに攻撃が当たった。
「ちっ、よくも足掛かりを」
今の攻撃で空中要塞はほとんどが消し飛び、レビは空中に投げ出された。
もはや空中要塞はシュペルファーレンが立っている周りしか残っていない。真っ青な大空に雲の海原が広がって、何も遮断するものがない太陽の光が矢のように降り注いでいた。
投げ出されたレビは、やはり無傷。何食わぬ顔で身を翻して空中に静止した。
レビはシュペルファーレンに向き直ると目を疑う。レビには考えられないことが起きていた。
名も無き悪魔を失い、能力が半減するかと思いきや、寧ろその逆。シュペルファーレンの天使の輪は輝きを増し、しかも数が増えて同心円状に二重に大きくなっていた。二股に伸びた銀色の翼のような髪は光を反射するだけでなく自らも発光しているよう。
天使や悪魔には階級がある。天使はより高位になるほど人の姿から離れていく。最終的には怪物のような姿にまでなるが、シュペルファーレンもその兆しが現れていた。
右の頬の一部と手足には白銀の鱗が出現し、ドラゴンのように爪の鋭いものへと変貌していたのだ。
無垢のシュペルファーレンはレビより上の上位天使だったのである。
「どうして貴様のようなクズの極みが上位天使なんだ。天使の器もないくせに」
全くもって不可解だ。不可解極まりない。
シュペルファーレンはララの悲劇の元凶である女だ。実の弟であるロドノフ卿には人攫いをするよう諭し、そして実の妹であるものの既にレビの義理の妹となっていた幼いララを強引に連れ去った。子供だったレビはララを庇った際にロドノフ卿に殺されている。それもララの目の前でだ。
天界へ生まれ変わってもそのときの無力さと憎しみ、ララへの想いは忘れられなかった。
ララが地上でまだ生きていることは下界を見下ろすことのできる天使からすぐに聞き出せたが、その後のララの痛ぶられながら育っていく姿、殺戮兵器へと変えられていく様に、到底抑えきれぬ怒りが募り積もって留まることがなく、復讐のため掟を破って下界へ降りることを決意したのである。
そのシュペルファーレンごときがどうして、前世で善人でなければなることのできない上位天使になれたというのか。あまりにも理不尽な話だ。
シュペルファーレンは天界でも度々話題に上がっていた悪人である。人攫いをさせて何らかの儀式の準備を進める者がいるとして天使たちから目をつけられていたが、悪魔と融合したうえ新たな肉体を得ていたせいか、あるいは上位天使であるがために正体を隠す能力に長けていたのか、もとは天使だったとは誰にも気づかせることがなかった。これまでの話でもレビがロドノフ卿に殺された時には天使だったということだったが、その時から既に地上へ降りて暗躍していたというわけだ。
自分は手を汚すことなく、ロドノフ卿に指示し、ララを強引に連れ去り、そしてレビ自身を死に至らしめた女。そんな根っからの悪人が上位天使になるなど、それこそが異端だ。
少し遅れて、シュペルファーレンが疲れたようにゆっくりと言葉を発する。
「もう、やめないか」
「!?」
命乞いなどではない。静かに諭すような口ぶり。
一瞬、耳が悪くなったのかと思ってしまうような発言に、とうとうレビも堪忍袋の尾が切れる。
「何様のつもりだ!!」
殴ろうと思った時にはもう殴っている超高速の鉄拳が炸裂する。
「……」
初めてのことだ。レビが攻撃を受け止められたのは。それも片手、ただ一つで。
黒い目隠しの向こう側にあるシュペルファーレンの目は一体何を見ているのだろう。本当に何も見えていないようで顔は明後日の方角を向いているが、その銀色をした龍の手はレビの拳を正確に捉えた。あたかも彼女の手がレビの拳を引き寄せたかのように。
「やめないか、坊や。巻き込んでしまって、悪かったね」
「……!」
レビの頭上に浮かぶ黒く染まった天使の輪が、影のように黒く、揺らめきだした。怒りのあまり受け止められていた拳にさらに力が入る。
レビの拳は掴まれた状態からシュペルファーレンの手を吹き飛ばし、すかさず丹田を蹴りが貫く。
シュペルファーレンは撃ちだされるかのごとく一直線に飛んでいき、遠くへ散って漂っていた空中要塞の残骸に窪みを開けて減り込んだ。
窪みの瓦礫に肩を組んで座るような格好。これで効いていない。
「やれやれ、あいつが説明してくれたじゃないの。上位世界からの搾取を止めなければ、憎しみも悦びも全て半ばで滅びるんだよ」
「何度も同じことを言わせるな」
「しょうがない。坊やの実力を見込んで言っていたというのに。どうやら坊やとは水と油だったようだ。上位世界への対応を邪魔するというのなら、ま、やるしかないだろうね」
真の姿を現したシュペルファーレンが立ち上がる。
レビの攻撃を水銀になって避けないのは、この姿では水銀になれないのか、それとも避ける必要がないということなのか。
次の瞬間、レビとシュペルファーレンが再び激突する。