109 二つの黒
何者かに受け止められたようだが、何か変な感触を黒羽は感じた。まるで壁に寄りかかったように体温を感じない。
不思議なことにみるみるうちにダメージが回復し、すぐに顔を見上げることができた。
「……え、えと、黒鬼?」
「……」
それは黒鬼だった。彼女は黙ってこくりと頷く。
面影はあるが、その容姿はかなり以前と変わっていた。左の額からは黒曜石のような黒く鋭い角が突出し、眼球は黒一色に染まり、両手両足はシルエットのように立体感が分からないほど黒くなって、どことなくラングヴァイレと同じ悪魔じみた気配さえ感じさせる。
一体どういう能力や条件でこんな姿になるのかと不思議で思わず「分析」と念じ、黒羽は後悔することになった。黒鬼自身も知らない事情を全て知ってしまい、視線を逸らす。
ただ言えることとしてはエルツェーラーを倒し、その生命力を吸収して能力が急激に高められたということだ。彼女自身もその能力自体には気がついていないようだが、黒鬼にシャーデンフロイデを倒させることができれば更なる高みへ叩き上げてやれるかもしれない。
黒羽は考えた。黒鬼が味方についた今、彼女の能力をさらに引き出すためにいかにしてサポートするか。これまでは自分が一対一でやり合うスタイルをとってきたが、今回の相手は格が違う。黒鬼と連携しなければ到底倒せないだろう。
分析で見通したところ、黒鬼のレベルは1743でシャーデンフロイデには届かないが、攻撃や防御の瞬間に全ステータスをその行動一つに集中させることができるらしい。つまり、例えばシャーデンフロイデが攻撃、防御、速度それぞれ1000ずつのステータスを持っていたとすれば、1000の攻撃力を1743の防御力で受け止めることができるというわけで、その逆も然り。実質、黒鬼は1743の3倍、レベル5229と言える。これこそ格上であったはずのエルツェーラーを下した所以だったというわけだ。
シャーデンフロイデは驚いていた。
黒羽を一撃で仕留めるつもりでの一撃だったようだが、突如現れた黒鬼に受け止められ未遂に終わったのだ。しかも周囲の大気が核融合を起こすほどの威力でありながら、そんな超速度で飛んできた黒羽を無反動で受け止められ度肝を抜かれたようである。本来、そんな猫を受け止めようものなら、木っ端微塵になるどころか同じく瞬時に核融合を起こす可能性があるほどなのだ。
黒羽には分析したことで分かったが、黒鬼はあの瞬間、大気中に重力を生み出して威力を軽減してくれたのだった。その上、体力回復までさせてくれたが、これはシロのような魔法とは違い、呪いに近い痛み分けだったよう。黒鬼がダメージを半分肩代わりしてくれたのだ。黒羽は「回復」と念じ、黒鬼も自分もダメージを回復させていく。残念ながら不慣れなせいかまだ緩やかにしか効かないが無いよりはマシである。
エルツェーラーと共に地上へ消えたはずの黒鬼を見てシャーデンフロイデが口を開く。
「貴様、エルツェーラーハ、ドウシタ」
「……誰。さっきのなら、消した」
「何故貴様ノヨウナ者ガコノ世界ニ居ルノダ」
「もういい? 戦いたい」
「!?」
黒鬼の宣戦布告にシャーデンフロイデが身構えた隙に、黒羽が黒鬼を連れて船室内へ瞬間移動した。
「ひぃ!!」
「しーっ」
薄暗い船室内で現れた黒鬼の姿はあまりにも悪魔じみたものだった。モナたちの様子を診ていたシロは彼女の恐ろしい姿が真っ先に目に飛び込んできたようで、悲鳴を上げて腰を抜かしてしまった。
黒羽は小声で言う。
「すまん、ここにいたとは」
「あわわわわわ」
「黒羽、何のつもり」
戦いたくてうずうずしている黒鬼に舌打ちして黙らせた。
「シロ、すまんが話は後だ。少しだけ黒鬼と作戦会議をしに来た」
「わわわわ……、く、黒鬼、さん、なの?」
「そうだ。一応」
そう言いながら船室内を見るとモナとメイシーはシロのベッドに横になってまだ目が覚めないままでいる。二人を一瞥して黒羽は黒鬼に向き直った。
「黒鬼。お前は自分の能力が分かっていないだろう」
「うん」
「うんじゃねぇよ。テメー、防御しているとき以外、攻撃中や移動中は防御力が極端に下がるんだぞ。前に深手を負った時もその隙を狙われたんだろうよ」
「え」
「今まで無事にやってこれたのは全ての能力が攻撃に集中したときの破壊力が凄まじかったせいだろうが、今回の相手は格が違う。絶対に移動するんじゃない。一歩も動かずに攻撃と防御だけに集中しろ。移動ならオレがさせてやる」
「そっか、分かった」
見た目の割に物分かりが良くてすんなり話が終わった。シロに「じゃあな」とだけ言って再び船外へ黒鬼と瞬間移動する。
ただし、黒羽は船の舵の上に乗ってバリアーの内側に待機だ。四重にまでしたバリアーをあんなにあっさり砕かれては船が守れない。シロたちを守るためにも船全体のバリアー一つに集中するしかないのだ。
そして黒鬼はシャーデンフロイデとギーリッヒの前に反重力で浮遊する。攻撃しない間は防御に集中だ。
シャーデンフロイデは消えたり現れたりする一人と一匹に苛立ちはじめたようで目尻を痙攣させた。
まずはギーリッヒを狙いたいところだ。奴を仕留めることができれば先程と同様にシャーデンフロイデを大幅に弱体化させることができるはずである。しかし、そんなことをシャーデンフロイデが阻止しようとしないはずがない。あくまでシャーデンフロイデ狙いで、ギーリッヒは隙ができた時に狙いたいところ。さっきはあまり話す余裕もなかったが黒鬼はシャーデンフロイデに向いていた。おそらく奴を倒すことしか考えていないだろう。ギーリッヒは黒羽自身が狙うことにした。
シャーデンフロイデたちの前に出てしばらく。こちらは完全に防御に徹している。そのことが分かるのか、シャーデンフロイデたちも出方を伺うように身動き一つ取らず睨み合いが続く。
ブチィッ!!
「!?」
不意にシャーデンフロイデの尾が8割ほど千切れるようにして消滅してしまった。
「どうした、血迷って自切したのか?」
「フン、アノ魔女ノ呪イダ。コンナモノ……。!?」
あの魔女、というのはベラポネのことか。ここへ駆けつける前に何か呪いをかけていたということらしい。だが尾を切る呪いとは一体どういうことなのか。
しかしながらシャーデンフロイデは明らかに戸惑っていた。失った尾を再生させようと残った付け根側をうねうねと動かしているがどうにもならない。
「コレハ、何ガ起キタノダ」
「もう、再生できない」
黒鬼が単調な声で言った。
黒羽は「分析」と念じる。すると、どうも黒鬼はシャーデンフロイデが尾を失って気を逸らした一瞬だけ防御を解き、攻撃したようだ。その攻撃というのは、放射線被曝。
見ることのできない光である放射線に撃ち抜かれた細胞内の遺伝子は引き裂かれ、二度と元の細胞構造を復元することができなくなってしまう。
黒く変色した黒鬼の手足は持ち歩いていた変幻自在の武器をその身に纏ったものだったよう。それを放射線物質へ変質させることで放射線を放ったのだった。なんと狡猾なことか。これなら一瞬で充分な効果を発揮することができる。
シャーデンフロイデは知らぬ間に全身を放射線に焼かれてしまい、もう二度と再生することができない身体になってしまったのだ。
そう、これでシャーデンフロイデにもベラポネの卑怯が効果を発揮することになった。余命は残り45分。その間に更に身体を抉られればそれ以上に短時間で消滅することになる。
本人も察したようだ。けれど大して動揺することもなく冷静なまま。
おもむろに手の平を黒鬼に向け、彼女も咄嗟に身構えた。
「愚カナ。コレデ勝テルトデモ思ッテイルノカ」
「……」
「……」
何をする気なのか。黒羽の分析の通りであればどんな攻撃であれ防ぎ切れる計算である。それなのにシャーデンフロイデから出た言葉は予想外なものだった。
「アト、五分。ソレガ貴様達ノ、余命ダ」