108 劣勢への抵抗
時間はルナとフミュルイが地上へ降りていった頃に遡る。
上空の船では気を失ったメイシーと一命を取り留めたモナの二人をシロが船室へ移し、黒羽の健闘を信じて二人の具合を見守っていた。
一方でレビはシュペルファーレンとの戦闘を続け、残るシャーデンフロイデとラングヴァイレ、そして未だほぼ待機状態のギーリッヒというふざけた姿をして何でも無限に飲み込む暴食のアハダアシャラの計3体の相手に対し、こちらは黒羽と突如現れたのっぺらぼうのみという状況。
ラングヴァイレは黒羽との戦闘で高度な再生能力を覚醒させ、黒羽ものっぺらぼうも苦戦を強いられる相手となってしまった。シャーデンフロイデはと言えば、晩極戦争でサスリカの軍人たちが立ち向かっただけことごとく滅ぼされた怪物。隊長格であったゼゼルでさえも歯が立たずに連れ去られることとなったという話である。
対して黒羽は船をバリアーで守りつつ、ラングヴァイレとの戦闘も経た上で万全のシャーデンフロイデに対峙するのだ。単純に考えて明らかな劣勢だった。
シャーデンフロイデ。実に長々としたふざけた名前だ。真っ白な長い白髪を風に靡かせ、真っ白な肌で筋骨隆々のリザードマン。黒羽と目を合わせるもその落ち着いた細く鋭い視線はどこまでも遠くを見ているかのよう。3メートルはあると見える体格は猫の黒羽にとってはもはや巨人のように見えていた。
静かな睨み合いが続く。その脇をのっぺらぼうが無尽蔵に増殖させるコウモリのモンスターが通り過ぎていき、その全てがシャーデンフロイデに届かず、ギーリッヒに吸い込まれるようにして喰われていった。
アハダアシャラは何らかの特殊な能力を持っているのではないか。黒羽はこれまでの、ゲフォルの再生力やエルツェーラーの道化のような振る舞い、ラングヴァイレの魔界から剣を取り出す能力、ギーリッヒの暴食ぶりを見ていてふと思い至った。ラングヴァイレは純粋な悪魔であるために別かもしれないが、シャーデンフロイデにも何らかの特殊能力があるとしたら、そこでラングヴァイレのときのように真っ向勝負を挑むのは危険だろう。
黒羽がラングヴァイレとの戦闘で発見した自身の言霊のような能力は、頭の中で念じるだけでも効果を発揮するものもある。悟られないようにダメ元で「分析」と念じてみた。
「!?」
とんでもない相手だ。
やはりアハダアシャラたちは特殊な能力があった。殊にシャーデンフロイデに至ってはその能力そのものが卑怯なくらいである。それというのも、自身の視界の範囲で敵味方を問わず誰かがダメージを受ければ、その回数だけレベルが上がるというものだったのだ。ただし目の届く範囲にいる者に限られるため、晩極戦争で滅ぼされたサスリカの軍人たちの分はリセットされているらしい。だからこそ、これまでラングヴァイレと戦闘していた間もじっとしていたというわけだ。
レベルは1000でミルだというのに、シャーデンフロイデは既に2000を突破していた。しかもまだ上がり続けている。かなりのスピードでレベルが上がっていく。これはのっぺらぼうとラングヴァイレとの戦闘を観戦しているためだけではない。そう、ギーリッヒがコウモリを大量に捕食し続けていることも影響しているというのだ。ギーリッヒにコウモリを喰うように指示を出していたのは、これが目的だったのである。
気づくのが遅すぎた。いや、本来なら気づくわけもなく一方的に殺されていたのだろう。こんな奴をどうしろというのだ。あの黒鬼に大ダメージを与えたのもこいつの仕業なのではなかろか。
この状況を変えるには、せめてシャーデンフロイデと完全に一対一になるように場所を変える必要がある。能力の糧となっているのっぺらぼうとラングヴァイレとの戦闘と、ギーリッヒによるコウモリたちの捕食というこの場所から遠ざけなくてはならない。
しかし、こんな桁違いなレベルの相手を強制的に瞬間移動させられるものだろうか。実際、黒鬼と戦闘になったときは最終手段としてこの星の中心まで瞬間移動させてやったつもりだったが失敗に終わっていた。黒鬼が相手ならレビに潜在能力を解放された今であればまだどうなるか分からないが、少なくとも自分以上の相手にはそう上手くはいかない可能性が高い。
最悪の場合、こちらから何か仕掛けようと悟られただけで不発にでもなろうものならば、その瞬間に死ぬことになるだろう。
動くに動けない。スピードも未知数では、今度こそ本当に死を覚悟で死ねと言っても、言い終わる前にやられることも考えられる。
ならば、せめて、賭けてみるほかない。
黒羽は考えに考え、単純だがのっぺらぼうに語りかけることにした。
『のっぺらぼう! シャーデンフロイデは敵味方を問わず視界の範囲内で傷つけ合うほどレベルが上がる化け物だ! 今すぐギーリッヒにコウモリを喰わせるのもやめろ! そしてラングヴァイレを遠くへ連れて行け!』
黒羽はシャーデンフロイデと睨み合ったままで、のっぺらぼうにそうテレパシーを送った。
のっぺらぼうにテレパシーは届いたようだ。ちょうど彼はラングヴァイレに両手首を切断され、逆にその傷口から血を飛ばして怯ませたところだった。
のっぺらぼうの血液を額に浴びて悶えるラングヴァイレに、真上から踏みつけるような鋭い蹴りが炸裂。追い討ちをかけるように周囲のコウモリたちを全てラングヴァイレへめがけ急降下させ、自身も地上へと降りていった。
今まで高みの見物とでもいうかの如く落ち着き払っていたシャーデンフロイデが怪訝そうに黒羽を睨んだ。
ここまでで3000近くまで上がっていたレベルが一気に2500程度までに減った。黒羽がラングヴァイレから受けた分と、ラングヴァイレに食らわせた分の攻撃回数、そしてギーリッヒが捕食したコウモリたちの数だけが残ったのだろう。
「うお!!」
そう思った時にはもう、黒羽が自身を覆っていたバリアーにシャーデンフロイデの白く巨大な拳が減り込んでいた。
今まで最も活用し、精度を高め、より頑強なものへ、自分のものへと高めてきたロードの折り紙付きのバリアーが拳の形に歪んでいる。
その一瞬は時間が止まって見えた。四重にまで重ねていたというのに、呆気なく一撃で突破され、黒羽は一直線に飛んでいく。
少しでも防御力を稼ごうと体表を鋼に変えていたがそれも無意味なほど前代未聞の威力。ただならぬ衝撃に大気中の物質が核融合したようで一瞬眩しく光り、急激な気圧差でシャーデンフロイデを囲うようにドーナツ型の雲が形成される。
だがそんなもの、黒羽には見えなかった。
(……死んだのか、俺は)
ダメージのせいか、死んでしまったのか、呼吸ができない。痛いなんてものではなく、全ての感覚が吹き飛ばされて何も感じられなくなった。
真っ暗で何も見えず、まるでどこかへ閉じ込められた悪夢を見ているかのような感覚が黒羽を襲う。
レベル2500なんて無茶が過ぎる話だったのだ。いくら考えたところでせいぜいレベル1000と少し程度あれば良いくらいの黒羽にどうにかできる相手ではなかった。あまりにも相手が悪過ぎる。走馬燈を眺める余裕さえもなかった。
(……何だ)
黒羽はふと、無の中で何か感じた気がした。
身体が宙に浮くようなふわりとした感覚。力が抜けるよう。まるでシロに抱きかかえられている時のような。
「クロハネ、大丈夫?」
声が聞こえた。どこかで聞いた覚えのある、静かで寂しげな少女の声だ。