107 四面楚歌
ララはアステリアとの戦闘で卑怯を体得し、双剣で彼女の腹部を貫いた。
アステリアはその場にぐったりと仰向けに倒れ動かなくなったが、ララには死んだことを確認する余裕などなく、ルナと合流するためすぐにその場を離れることに。
あれだけのスピードで貫かれたのではダメージは傷口のみに留まらず全身の臓器という臓器へ衝撃波によって壊滅的な影響を受けることになる。それで生きているとは考えにくい。ただ、一滴たりとも血が出なかったことが気がかりだったが、アステリアにこれ以上構っているわけにはいかなかった。それに万が一にも生きていたのであれば、一度は苦難を共にした相手だ。それくらいの情けをかけてやるのも悪い話ではない、と自分に言い聞かせながら森の中を飛ぶように駆け抜けてルナの匂いのする方を目指していた。
ルナが召喚した雷神の姿はララにも遠くから見えて、アステリアに飛び込んだ要領で一瞬のうちに移動しようと考えるも、あれは卑怯だからできたもの。自らが殺意を向ける相手を讃えられたときにしか使うことはできず、その条件を満たさないためにただ走るほかなかった。
もしもあれだけのスピードで移動することができていたら、間に合っていたはずだ。
ルナは最期に倒れ伏した地に匂いだけを残して亡骸も残さず消滅させられていた。
拳を握り、下唇を噛んだ。
ベラポネは、しらたまは、フミュルイは、まだ生きているだろうか。地にはゼゼルの匂いが道しるべのように遠く続いている。となれば、今度は3人が危ないかもしれない。
ララは腕に巻き付けて納刀していた黒鬼の双剣を抜刀し、強く握りしめて再び駆け出した。
○○○○
ルナと別れた後、ベラポネはしらたまを背に負ぶって早足で当てもなく逃げていた。
そのうち炭鉱とみられる岩だらけの場所に着いた。遮蔽物が多く、岩の隙間に一時身を隠すことに。
かなり巨大な岩だ。内側へ入ってしまえば光も隙間から線のようにしか入ってこず、身を潜めるにはうってつけだった。
眠るしらたまを胸に抱きしめ、一人涙を流す。きらきらと虚しく光に照らされながら静かにしらたまの額へ流れ落ちていった。
人一倍臆病なことは、しらたまと出会った日から誰にも悟られまいと決意していた。そんなベラポネにルナが浴びせた言葉はあまりにもひどく彼女の心を抉り、傷つけるものだった。
けれどフミュルイを犠牲にしてしまったことも事実。何もすることができなかった。
ルナが言っていた通り、フミュルイは恩人だ。今となっては直接その恩を返すことはできないが、せめて彼女が大切に思っていたものを守りたいと、ベラポネは水晶を召喚する。
水晶に浮かび上がったのはルナの姿だった。あれだけひどく当たられたが、ルナは仲間だ。例えルナにはそう思われていなかったとしても。
ルナは雷神を召喚したところだった。しかもゼゼルから太刀を奪って丸腰にさせている。これにはベラポネも驚き、期待に胸を膨らませた。
もしかしたら、本当にゼゼルを倒せるかもしれない。そう思ったとき、ゼゼルが卑怯の詠唱を唱えた。
「!?」
ゼゼルからララと雷神までは距離があった。それなのに正拳突き一つでルナも雷神も貫くような衝撃波に一撃で倒れ伏したではないか。
「トゥウゾ、アイツヴェア、ハイスニアパッスィアート」
直前の攻撃を無かったことにする呪文。水晶を介しているせいで少し効果が出るまでに時間がかかる。
ゼゼルがルナと雷神へ歩み寄っていく。慢心したのか目の前であぐらを組んで座り込んだ。
やっとのことで呪文は成功した。雷神はゼゼルを跳ね除け、ルナと共に立ち上がる。ベラポネは胸を撫で下ろした。
そこからはルナたちの反撃が始まった。
いける。ベラポネは水晶の中で奮闘するルナと雷神に夢中になった。
こんな短時間でミルになり、卑怯まで体得して神である雷神を召喚するなど、常識では考えられない。ルナは天才だ。
ミルになることをルナに越されてしまったが、そんなことはもう関係ない。ベラポネは自分のことのように嬉しく、感極まって拳まで握ってしまい笑みを浮かべ、「いけ!」と叫びたい気持ちを押し殺し、目を輝かせて見守った。
「……」
その一撃は不意に訪れた。
光の速度で動くことができるゼゼル。ベラポネには目で追うことなど不可能だった。
分身など、一体いつの間に作り出していたというのか。
「トゥウゾ、アイツヴェア、ハイスニアパッスィアート」
間に合え。その一心だった。
水晶には胸から腹まで切り裂かれ地に伏すルナの姿が。雷神も消滅し、最悪の状況だ。
無念にもベラポネの呪文が届くより先に、ゼゼルの卑怯が効果を発揮した。
ルナの身体はまだ意識があるまま、強制的にゼゼルの太刀へ瞬く間に吸収されたのだ。
「……そんな、ルナ——」
涙の乾いたベラポネの頬が再び涙に濡れる。
自分のせいだ。あのとき、決別を回避できていれば。なんと言われようとルナから離れさえしなければ、せめて後を追いかけていれば、呪文も間に合ったかもしれない。
涙に歪む視界の中で、恐怖は更なる恐怖を呼ぶ。一体何を手がかりにしているというのか、ゼゼルはベラポネが歩いてきた道をそのまま歩きはじめたではないか。
時々立ち止まっては辺りを見まわし、そしてやはりこちらへ向かってくる。
ベラポネは出来る限り気配を消そうと、水晶を煙のようにふわりと消してしらたまを抱きしめた。
時間が永遠に続くかのようだ。これではどこへ逃げても意味がないではないか。
さ、さ、さ、さ……。
「……」
足音が聞こえてきて、近くで止まった。
震える身体で強くしらたまを抱きしめる。もう見つかるのも時間の問題だ。
「ゼゼル!」
「!?」
ベラポネはその声にびくりと小さく身体を跳ねさせたが、その声は紛れもない、ララのものだった。
○○○○
ララはゼゼルの匂いを辿って、とうとう追いついた。
巨大な岩や錆びた鉄のレールが放置された炭鉱の跡らしい。ゼゼルは何を探していたのか、点在する岩の積み上がった山を見渡していたところだった。
「ゼゼル! ルナさんを一体どこにやったんじゃ!」
「おや、ついさっきルナさんにも似たようなことを聞かれたよ。フミュルイをどこへやったのかって」
ゼゼルはヘラヘラした顔で振り返りながらそう言った。
ララは対照的に今にも斬り掛かる勢いで双剣を構え睨みつける。
「……どういう意味さね」
「僕はね、こうやって答えたんだ」
ゼゼルは楽しそうに太刀を掲げ、その刀身を指差した。
「ああ、あの子なら、この中にいるよ、ってね」
「!!」
ルナだけでなく、フミュルイまでゼゼルに殺されていた。
ロドノフ卿に言われるままに散々殺しを働いてきたララにとって、殺すということは容易いことだ。それなのに、守るとなったらどこまで難しいことか。
「ああああああああああ!!!!!!」
怒りが、無念が、腹の底から噴火の如く噴出し、力の限りに地を蹴って矢のようにゼゼルへ飛び込んだ。
「!!」
しかし、ゼゼルを斬り払おうとするララの双剣は、意外な人物に素手で受け止められてしまった。
ララは驚愕してその人物の目を見つめてしまう。
「お前は! 確か、サスリカの」
「あまり話したことはなかったな。私の名は、ユーベル・キングだ。お察しのとおり、サスリカで戦位という地位に就いている者だ」
「どうして……、どうしてキサマが裏切るんさね!!」
ララは戦位の手を振り払って大きく後ろへ飛び退く。すると誰かに背中を受け止められた。
「!?」
「あら、初めまして。アステリアのママで〜す。よろしくね」
アステリアと全く同じ風貌。黒く長い金髪混じりの髪に軍服ドレスを纏った、大人っぽい少女。そしてさらにその後ろには、先程倒したはずのアステリアが立っていた。
ララはゼゼル、戦位、ママ、アステリアの4人に取り囲まれてしまったのだった。